第27話 モザイクの切り口

 事件の概要すらまともに直視出来なかった私だったが、井筒と話す内に少しだけ気分が変わって行った。彼の記者ならではの巧みな技にまんまと引っ掛かっていたと言えばそれまでだが、それで良かったのだと何度か自分に言い聞かせた。

 そのおかげで、事件直後に井筒の書いた記事を読ませてもらい、事件の詳細を知る事、いや、見る決意が付いた。


 人気の多い土曜日。電気街の路地裏から、突然奇声と共に血塗れの男が姿を現した。路地裏で倒れていた事務職のAさん(26)、運送業のBさん(48)は事件直後に死亡が確認された。男の両手にはナイフが握られており、大通りへ出ると通行人に次々へ襲い掛かった。男は逃げ惑う人々の間を駆け巡り、路上で狼狽えていたディーラー勤務のCさん(34)に狙いを定め、切り掛かった。背中と胸を刺されたCさんは死亡。人通りの絶えない休日の電気街で凶行に及ぶ大戸容疑者を止めようとしたDさん(37)、Eさん(42)は重症を負い、共に止めに入り、重体となったFさん(51)はその後、救助の甲斐も虚しく死亡が確認された。現場に駆け付けた警官に囲まれた大戸容疑者(26)に抵抗する様子は無く、警察官の呼び掛けに応じてナイフを手放すと、そのまま現行犯逮捕された。


 Aというのが、女だろう。初めに狙われたのがBの可能性は捨て難いが、女が一番最初に殺された可能性が高いのは確かだった。偶然にしても、何故なのだろう。何故、大戸は私の伴侶である女を選んだのだろう。たまたまそこを、歩いていたからなのか。


 この逡巡は「考えよう」と意識しなければ生まれなかった。無意識に考えればそれこそ、私の理性や人間性はたちまち姿を壊してしまいそうだったのだ。

 この部屋を訪ねて来たのが三度目になる井筒が、数枚の資料を広げながら言った。


「現場の状況、目撃証言等から一番最初の被害者は奥様である事は間違いないです」


やはり、とは思ったが私は何も答えずに唾を飲み込んだ。一瞬、吐きそうになった。


「大戸は事件当日、路地裏に建つ5階建の栄大ビルに身を潜めていた様子が防犯ビデオで確認されています」


 路地裏と、駅へ続く大通りの地図の上に井筒が幾つかのマルと線を付けて行く。


「受け入れ難いとは思いますが、聞きたくなければ断って頂いて結構ですので」

「いえ、続けて下さい」

「……分かりました。大戸は奥様を背後から数回刺した後、そこへ通り掛かったBさんを真正面から刺しています」

「つまり、それは……」

「私の推測に過ぎませんが、奥様の事を初めから狙っていた可能性が有ります。無論、衝動的な犯行だったのかもしれませんが、何か心当たりは?」

「刑事の方にも聞かれましたが、別に何も……第一、生前、妻と大戸は顔を合わせた事もないですし」

「確かめてみます?」

「何をです?」

「大戸が奥様を狙っていたのかどうか」

「それは、いや、何と言っていいのか」

「いえ、ご無理を言ってすいません」


 大戸が女を知っていた? 偶然ではなく、計画的な犯行だったとしたのなら、理由が余りにも無さ過ぎる。切欠すら無い様にも思え、私の心はドロドロと濁った。濁り過ぎて、目に見え掛けた女の死を再び掻き消した。

 井筒が部屋を出て行き、夜が更けてから私は酒を呑んだ。何も考えまいと極力努め、朝が来るまでソファに身を凭れ、朝が来ると気絶のような眠り方をした。


 午後の光が窓から閉じる前に、私は目を覚ました。泥から這い出るように酩酊が覚醒へ変わって行く。

 薄暗い台所に灯りを点けて水を飲む。ふいに、女の両親の顔が浮かんだ。


 葬式以来一度も連絡を取っていなかったのだが女の保険金が振り込まれた事で、私は一度電話を掛けた。私がそのまま全てを貰うには女と過ごした時間は余りにも短過ぎると思ったのだ。死んだ女の代わりに両親に出来る事など私にあるはずもなく、ただ無機質に急激に増えた数字を分配する事しか出来なかった。


 電話口で女の母は一瞬、息を呑んだ。無意識に湧き出た喜びを押し殺す気配がした。人とは生きている限り、醜さを隠せずに息を吸ったり吐いたりする他、ない。


 井筒の何度目かのお願いを、私は何とか受け入れる事にした。自分でもどうして受け入れたのか、分からなかった。


「接見禁止にはなっていないので、お願い出来ませんか?」

「その、セッケン禁止って何ですか?」

「共犯が居る事件なんかだと適応される、弁護士以外の面会を禁ずる、というものです」

「じゃあ、前にも聞きましたが会おうと思えば会えてしまうという事ですか?」

「以前お話した通り、大戸が拒否さえしなければ会えます。村瀬さん、大戸に会いに行きませんか?」

「今さら会いに行ってどうなるんです? 妻が帰ってくる訳でもないのに」

「大戸の心情が変われば、犯行動機が明らかになるかもしれません。それを求め続けている被害者、遺族の方もいます」

「そんな、他人の事なんか一々考えてられないですよ」

「村瀬さん、どうか奥様の為にも」


 どうしてそうしたのかは分からない。酒に溺れ続け、少しでも女の下へ早く行きたくてたまらない日常を変えたかったのか? そう問われても答えなどない。ただ、私は多少なりとも自身の選択を悔いた事をここに記しておく。

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