第26話 灰が成す形

 部屋を訪ねて来た井筒は、私が想像していた記者像とはだいぶ違って見えた。


 白いポロシャツに日焼けした肌と、整髪料で固めた短い頭はスポーツマンを連想させた。四十五だと言っているが、十歳は若く見えた。


 しかし、口調は見た目とは違ってとても物静かで、電話口で聞いたその声に私は彼と会おうと思わされた。当然、彼の仕事柄、私のような人間の扱いには慣れているのかもしれないが、根掘り葉掘り死人の脚色出来そうな過去を漁ろうとする喧しい糞共にウンザリしていたのだ。


 私の差し出した缶珈琲を前に、彼は丁寧に頭を下げた。しかし、散らかったままのダイニングテーブルの横で井筒は腰をかけようとせず、立ったままだった。


「あの、どうぞ座って下さい」

「奥様は普段、どの位置で?」

「あぁ……じゃあ、その奥に座って下さい」

「ありがとうございます。失礼します」


 気の利く男だ。女の領域に入り込まないように注意する井筒の姿勢に、私は多少感心した。人と話す事自体が久しぶりだったので、心が多少軽くなっていたのかもしれない。

 腰を下ろすと、井筒は私の目を真っ直ぐに見ながら話を切り出した。


「奥様に線香を上げさせてもらっても、良いですか?」

「すいません、心の整理がまだついてなくて。仏壇もまともに出来てないんです」

「失礼しました。なら、いつか改めて……あの、早速、よろしいですか?」

「はい」

「今回の事件ですがまだ不明な点が多く、各社、犯人との接触を試みている状況です」

「接触を試みるって、大戸とですか?」

「はい。逮捕後も判決が出るまでの勾留中であれば本人が拒否しない限り、面会は可能ですから。最も、裁判自体まだ先になるでしょうが」

「そうですか」

「大戸が何故あのような強行に及んだのか、知りたい記者が大勢居る中で、大戸はまだ一言も供述すらしていません。場合によっては村瀬さんの元へ警察の方が訪ねて来ると思われます」

「接点が見つかった事で大戸の事なら警察に何度か聞かれましたよ。けど、偶然なんでしょうね」

「村瀬さん、ただの偶然だと、本当にそう思いますか?」

「それは、どうですかね……妻と大戸の点と線が繋がるとは到底思えません」

「村瀬さん」

「はい」


 次の言葉はきっと、大戸に揺さぶりを掛ける為に面会に行こうとでも言うのだろう。今会ったとしても、私は大戸にどんな感情も覚えないような気がした。大戸も、きっと同様に。

 井筒は部屋の中を見回しながら、言った。


「部屋、片付けませんか? 手伝いますよ」

「はい?」

「体力には自信あるし、ずっと独身なもんで掃除は得意なんですよ。少しだけでも、気分変えませんか?」


 井筒の意外な申し出に、私はただ「はい」と返事をするしか無かった。私はテーブルに座ったままでいたが、井筒は手際良くゴミの片付けをし始めた。


 私に尋ねながら、要る物と要らない物を分別している井筒を眺めている内に、私は立ち上がっていた。ゴミ袋を広げ、次々にカップラーメンの容器や酒瓶を片付けて行く。酒瓶は僅かに底に溜まった酒のせいか、カブトムシが死んだ時のような異様な匂いを放っていた。


 飯、便所、風呂以外に自発的に行動をする事自体、久しぶりだった。

 ふと、ダイニングから自分の部屋を覗いた。私の部屋の窓辺にあった枯れたポトスを手に取った井筒だったが、私の視線に気が付いたのか、すぐに手を引っ込めた。


「村瀬さん。これ、奥さんのですか?」

「まぁ、はい。俺の趣味では無いです。気紛れ起こして、妻と買いに行ったものです」

「枯れてしまってますが、どうしますか?」


 見る度に辛くなるだろうから、いっその事捨ててしまおうか。そう思い淀んでいると、井筒が静かに微笑んだ。部屋に彼のバリトンのような声が響いた。


「余計な世話かもしれませんけど、こいつなら根っこまで切ってやったら復活するかもしれません」

「枯れたらもうダメなんじゃないんですか?」

「いえ、ポトスってヤツは生命力旺盛なんで、中々しぶといんですよ。根腐れを起こしてても復活するくらいです」


 まるで自分に当てられた言葉のようで、私は急に気恥ずかしくなった。私が根腐れを起こしている間に、ポトスもそうなったのだろう。可哀想に。

 私の気分は、少しだけ変わった。


「村瀬さん。一度ダメ元で、復活させてみませんか?」

「じゃあ、そうして下さい。お願いします」


 井筒は深く頷くと、微笑んで言った。


「きっとまた、芽吹きますよ」


 少しも可笑しくは無かったが、私は笑った。こうして女と話して笑ったのが最後だった私の感情に、新しく塗り替えられたものが一つ、増えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る