第21話 空の高さ

 ゴールデンウィークを迎える前日の昼休み。誰よりも早く昼飯を平らげていた福山が鶴の一声を発した。


「うっし!今夜、飲み行くか!」

「出たぁ!」


 現場の皆は顔を顰めつつも、嬉しさを隠せない様子だった。福山が照れ隠しのように、あってもなくてもどっちでも構わない口実を話し始める。


「ほら、やっぱ村瀬君婚約したし?あと、おまえら!なぁ!?」


 金田とゆっこが顔を赤らめながら顔を見合わせ「どうも……」とはにかんだ。私は特に何も言わなかったが、喜ばしい事に違いはなかった。

 ゆっこが一度退職した際、私は保身の為に現場からいなくなってくれて良かったとさえ思っていた人間だ。二人に厚かましい声を掛ける気には当然なれなかった。そんな事情をまるで知らない福山は飲み会に向け、既にアクセルを思い切り踏み出していた。


「てな訳で、全員19時に大和ダイナーに集合!村瀬君、ゲロ吐くなよ」

「食事中っすよ」

「はぁ!?あの時マジ大変だったんだかんな!なぁ皆?ったくよぉ」


 結局、ぶつくさ言う福山から飲み会で吐いた罰として店の予約を取るように命じられてしまったが、吐いた後に泊まらせてもらった恩もあったので断る理由は無かった。

 連休前とあって予約が取れるか心配だったが、会社で何度も利用している店だったので予約は問題なく取れた。

 夕方。皆を早めに返し、倉庫に無事に荷が届いた事を確認してから私は急いで店に向かった。先に飲み始めていたメンバー達は私の顔を見るなり、一斉に手招きした。困ったような顔をした金田が立ち上がり、私に耳打ちする。


「あの……」


 私は事情が飲み込めずにいたが、何故か周りの連中が金田に「早く言えよ」と急かしている。皆が皆、揃いも揃ってそわそわしている。


「え、何かあったの?」

「多分、マジでビックリすると思うんすけど」

「何だよ、おまえも結婚すんの?」

「違うっす!そうじゃなくて」


 すると、店員が威勢の良い声を上げながら現れた。


「すいませーん!お待たせしましたぁ!こちら五種盛り合わせです!」


 その瞬間、ドッと笑いが起こった。私は訳が分からず、盛り合わせに何か可笑しな所があるのかと思い皿を眺めた。しかし、何てことはないただの串の盛り合わせだった。店員に尋ねようと顔を上げてから、私は息を呑んだ。


「村瀬さん、ご無沙汰っす」

「おまえ、何してんだよ!」


 大和ダイナーの店員は、現場から突然姿を消したはずの大戸だった。


「本当、あの時は迷惑掛けてすいませんでした」

「そりゃもういいけど……あ、おまえ実印の判子、現場に置いてったままだったろ?取り来いよ」

「気まずいんで無理っす」

「いや、今が一番気まずいだろ」


 私と大戸のやり取りを見て、現場のメンバー達は声を立てて笑っていた。大戸がいなくなった事で散々文句を言っていた連中もいたが、今となっては、という空気が流れていた。

 大戸はその後も所狭しと動き回っていたが、気を利かせたオーナーが忙しい時間帯にも関わらず彼を急遽上がらせてくれ、大戸はそのまま私達の席に合流した。かつて毒を吐きながらも控え目に笑っていた彼の姿は、共に働いていた当時のままだった。


「村瀬さん、忙しい日に他のスタッフに作らせて呑む酒、マジ美味いっす」

「はは、最低だな。おまえ、いつからここで働いてたの?」

「一ヶ月前っすね」

「マジかよ。全然知らなかったよ」

「現場の奴で何人か見た事ある奴は来てましたけど、別部署の奴だったんで。あっちは気付いてなかったし、俺も特に興味ないんで無視してましたから」

「あれからおまえの話全然聞かなかったし、沖縄帰ったんかと思ってたよ」

「いや、一度帰ったんすよ。帰って、米軍基地ん中でバイトしてました」

「そうなの?何でまた戻って来たの?」

「何でだと思います?」

「女、じゃねーか。女に執着するタイプでもないし……分かんねーわ」

「それがですね、俺にも分からないんですよ」

「はぁ?何だよ、勿体ぶってそれかよ」


 大戸が宙を見上げながら、わざとらしい声色を作った。


「大好きな村瀬さんに会いたかったから、かなぁ?」

「嘘つけ馬鹿」


 頭を軽く小突くと大戸は「あがっ!」と言って頭を摩った。咄嗟の際にはいつも沖縄の言葉が出るのが、彼の愛嬌のひとつでもあった。

 梅酒ロックをお代わりし、一気に半分まで呑んだ大戸は壁に背をもたれた。


「俺、沖縄帰って、しばらくしてから思ったんすよ」

「どういう事を?」

「海、やっぱ綺麗だなぁって、空が高いなぁって。それで、おじぃやおばぁは皆お人好しで、若い奴らは相変わらずクズばっかだけど最高に楽しい奴らだなぁって」

「何だよ、いい事ばっかりじゃん」

「いや、何か分からないんすけど、その中にいる自分が急に怖くなったんす」

「怖い?なんとも平和そうなのに」

「違うんす。平和っつーか、沖縄の全部がピュア過ぎて、こいつらマジで毎日つまらなく無いのかなって思ったら、俺もいつかそうなるんじゃないかって。実際俺自身つまらない訳じゃなかったんすけど、何か、そう思ったら怖くてたまらなくなったんです」

「ふーん、あれか?島で人生を完結するのが嫌になったん?」

「そうかもしんないっすね。どんなクズでも、いい奴でも、あいつら濁りがないんすよ。俺、やっぱ内地で汚れたんだなぁって感じました」

「帰っても居場所がなかったんか」

「いや、うーん……単に俺の根気が無かっただけっす。沖縄住んでた頃は、悩みはあっても迷ったりしなかったんで。内地で汚れて、道が見えなくなったんすよ」

「はは、なんだそれ。昔のフォークソングの歌詞かよ」

「そうですよ、村瀬さん、笑って下さいよ、笑って笑って!呑みましょうよ、村瀬さん!」

「うわぁ、酔ってんなぁ」

「呑みましょう!俺、今から一気しましょうね。皆さん、改めましてどーもー!仕事バックレたクズでーす!うちの店、宜しくお願いしまーす!かんぱーい!」


 耳を傾けていなかった者達は大戸の音頭に調子良く合わせていたが、私は一気飲みをする大戸を見ながら不安な気持ちに襲われていた。向かいで話を静かに聞いていた金田も同様に、困惑した表情を浮かべていた。


 数日後、仕事帰りに大戸の判子を届ける為に店に立ち寄った。私を出迎えたオーナーは苦笑いを浮かべながら、深々と頭を下げた。


「申し訳ありません。大戸ですが、突然連絡取れなくなってしまいまして」

「えっ、そうなんですか……あの、これ彼の判子なんですけど」

「あぁ、わざわざどうも。うちでお預かりします」

「ありがとうございます。あの、それと……」

「はい?」

「余計な事かもしれませんが、もし連絡ついたらあいつの事、ガッツリ叱ってやって下さい」


 人の良さそうな雰囲気のオーナーは一瞬だけ困った顔色を見せたが、直ぐに店の主らしい引き締まった表情になった。


「もちろんです。大戸は、うちのコですから」

「よろしく、お願いします」

「わざわざ、ありがとうございました。また、よろしくお願いします!福山さんにも」

「はい」


 店のドアを開け、外へ出る。夏に満たない蒸した曇り空が、どんよりと広がっていた。しかし、私の心中は大戸というバトンがようやく他へ渡った気になっていた。突然連絡がつかなくなった、という事実にも驚きはしなかった。今分かるのは、判子がなくなった職場にかつて大戸が居た形跡はもう残っていないという事だけだった。

 次は、何処へ行ったのだろう。少なくとも、空が高い場所である事を私は密かに願った。

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