第13話 海の果実
出荷用の伝票を手にした金田が、実にだらしのない笑みを浮かべながら二人組の派遣スタッフに声を掛けている。その日から一ヶ月間、短期で「伝票貼り係」として派遣されて来た女性は二人とも倉庫には似つかわしくない派手な容姿だった。浅黒い肌に、ロングの金髪。ギャル好きの金田が食い付くのは無理もなかった。
そんな金田を無視するかのように、大戸は黙々と出荷リストをブロック毎に纏め始めていた。
眉間に皺を寄せる彼に、私は声を掛けてみた。
「大戸君、ギャルに挨拶しとかなくていいの?」
「別に、俺は……いいっす」
「ギャル好きじゃない?」
「まぁ、俺はションベン臭そうなコの方がタイプっす。大体、あいつら図々しいんすよ。何処でも自分達の居場所にしちゃうじゃないっすか」
「ギャルはそうだね」
「そういうの気に食わないっす。俺は自分のテリトリー侵されたくないんで」
「そうか。金田はもう馴染んでんな」
「アイツは全身チンポ野郎っすからね」
何の話で盛り上がっているのかは分からなかったが、金田はギャル達とハイタッチを決めていた。ノリと体力だけで生きていけそうな彼、彼女達を一瞬羨ましいとさえ感じた。
出荷先別に仕分けた伝票をギャル達に渡し、作業内容を説明すると予想とは裏腹にギャル達は熱心にメモを取り始めた。途中質問なども入り、仕事への取り組み方は至って真面目なようだった。
問題が起きたのはその日の夕方だった。ギャル達の手伝いをしようとした金田が伝票を貼り間違え、そのまま荷物を最終便のトラックに積み込んでしまったのだ。
大戸が「伝票が合わない」と気付いたのが救いだった。すぐにドライバーに連絡を取り、便を戻して私は頭を下げた。ドライバーは苛立っていた。
「村瀬君、本当気を付けてくれよ。こっちだってこの後がまだあるんだから」
「本当、すいません。チェック徹底します」
「金田だろ? 浮かれてっからこうなるんだよ」
「はい……すいませんでした」
金田に目を向けると出荷場で相変わらずギャル達と話し込んでいた。トラックを出した後、すぐに私は金田を呼びつけた。ヘラヘラと笑いながら歩いて来た彼の頭を私は軽く小突いた。
「おい、何してんだよ」
「村瀬さん、すいませんっス」
「ったく、素人じゃねーんだからさ。ここ座れよ」
「うっス」
「報告書、よろしく」
「マジーっスかぁ」
ドライバーが乗ってしまった高速代金はこちらが支払う事になっていて、一度出したトラックを何故戻したのかを会社に報告する規定があったのだ。金田が苦い顔を浮かべながらボールペンを握っている。
「おまえ、浮かれてたんだろ?」
「はい。ゆっこちゃんに激惚れっス」
ゆっこというのは二人組ギャルの背の低く、やや童顔の女の名前だった。正式には「ゆうこ」というそうだったが、特に興味は湧かなかったので誰の事なのか一瞬分からなかった。
「やっこでもユッケでも良いけどさ、締める所はしっかり締めてくれよ。緩んでるぞ」
「すいませんです。これ、何て書けばいいっスか?」
「お喋りしてて間違えましたとか書いたらユッケちゃん、もう来れなくなるかもな」
「え……マジっスか? あと、ゆっこっス」
「どうでも良いよ。印字が掠れてて見間違えたとか適当に書いときゃいいよ、後で出っ歯に探られるのも面倒臭いし」
「あざっス……あの」
「あ? 何だよ」
「間違うの「違う」ってどういう字でしたっけ?」
「携帯で調べろよ。煙草行ってくる」
「えー……俺も行きてぇ……」
金田を置いて喫煙所へ向かう。少し離れた所で振り返ると彼は携帯で漢字を調べ始めていた。
一安心して喫煙所に入ると、ジャンパーに片手を突っ込んだ大戸が先に来ていた。
「お疲れさん」
「お疲れっす。金田の出し間違え、大丈夫でした?」
「あぁ、ドライバーに戻って来てもらった」
「どうしようもねぇっすね。マジクソだわ」
「本当だよ、まったく……」
ポケットから取り出した箱が軽い。私は残り本数を気にしながら煙草に火を点けた。
「村瀬さん、年末年始休み取っていいっすか?」
「別に良いけど、沖縄帰るの?」
「まぁ、はい。親と仲悪いんで実家には行かないっすけど」
「へぇ……」
「この前、海見たくなってお台場行ったんすよ」
「お台場?どうだった?東京の海は」
「はい、人間と同じでドブみたいな色でした」
「はは、そっか。じゃあ沖縄の人は澄んでんのかな」
「いや、馬鹿なだけっす。沖縄人、マジでクズしかいないし」
「世の中クズばっかだよ」
「いえ、沖縄人は性根が腐ってるんで、だから海だけは綺麗なんすよ」
そう言って乾いた笑い声を漏らした彼を、今でも時折思い出す事がある。ある日から突然職場へ急に来なくなり、連絡の取れなくなった彼はとある居酒屋で働き始めていた。
預かっていた判子を返そうと後日訪れると、やはり彼はそこの職場を後にしていた。突然、と店主は困った顔を浮かべていた。
彼は果たして澄んだ色の海を見たのだろうか。見たとしても、それに感動してしまったとしても、きっと彼は何も変わらないのだろう。澄んだ海が、ただ目の前にあるだけ。
そんな当たり前の日常に、彼は帰りたかったのかもしれない。
その頃、私はまだそう思い込んでいて、気付いていなかった。何もかも、知らなかったのだ。
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