第12話 うわのそら
突き刺すような寒風が吹き荒ぶ朝方のロータリー。車から降りた女の母がぽつりと言った。
「血筋なのかしらね、この娘も、お姉ちゃんも、突然フラッと連絡付かなくなるの。参っちゃうわ」
「血筋って、お母さんやお父さんはそんな経験あったんですか?」
「どうだったかしらねぇ……でも、あの人と結婚する時ね、私、親に反対されててね。二人で駆け落ちした事があったの」
「そうだったんですか……」
女の父はマフラーを口元まで巻いた女の肩に手を置いて、何か語り掛けて笑っていた。眠気を堪え、父が一人で見せる最大限の笑顔。口元を隠し、そっぽを向いたままの女。その光景は厳しい冬そのものだった。
「あの娘、聞かないでしょ」
「そうですかね?素直な時もありますよ」
「ヒロ君、尻に敷かれてるのよ。昔、あんた達も駆け落ちみたいな事したじゃない」
「あぁ、あの時は本当……すいませんでした」
「いいのよ。ワガママ、聞いてくれてありがとね」
「いえ、全然」
高校時代。離れるのを嫌だと言った女を私は街から連れ出した。私達はアテもないまま三日間電車を乗り継ぎ、金が底を尽いた翌日に双方の親に叱責されながら互いの家へと帰って行った。街を彷徨いながら頑なに結ばれ続けた手の温もりを、今になってたまに思い出す。熱を失くさない抜け殻は、未だ生きているかのように常に私の傍で横たわっている。
トランクを開け、ピンク色のキャリーケースを取り出す。その意外な軽さに私は思わず笑い出しそうになる。きっと、着替え以外の大した荷物は持たずに飛び出したのだろう。行動的ではあったが、計画性があるとは考え難かった。トランクを閉めて振り返ろうとすると、女の顔が真横にあった。
口元を覆っていたマフラーを下げ、女は真顔のまま言った。
「ありがと」
数時間ぶりに交わした言葉に、私は無意識に気が軽くなった。
「あぁ……キャリーケース、意外と軽いんだな」
「……何笑ってんの?」
「いや、別に。あんま考えないで旅行に出たのかと思ってさ」
「あっそ……」
女はキャリーケースに腰掛けると、煙草に火を点けた。両親はコンビニへ行ってくると言い残し、身体を縮めて歩き出した。女と二人きりになった私は煙草に火を点け、大きく欠伸をして言った。なるべく、間延びした声を心掛けた。
「本当は大阪、何しに行ったの?」
「え?」
「普通の旅行ならさ、携帯の電源くらい付けておいても可笑しくないじゃない」
「まぁ、そうだね」
「どうしたの?」
「ドリカムのさ、大阪LOVER……知ってるでしょ?」
それは女が好きな曲だった。カラオケで数回歌っていたし、車に乗る度に流していた。
「あぁ、良く聴いてるよね」
「あれ聴いてたら、何だか急に行きたくなっちゃってさ」
「それが理由?」
「……それじゃ、ダメなの?」
「いや、何か拍子抜けしたっていうかさ」
「私は……またあんたの答えを探さないといけないの?」
「いいよ、そんな事考えなくても」
「そう。なら、それでいいでしょ」
「そうだね」
優しくない会話を埋めるように、女の両親の笑い声が聞えて来た。寒い、と言いながら笑い合っている。
ようやく、空が白んで来た。私と女はいつまで経っても昇らない朝日に向かい、揃って目を細めた。
後輩の金田が股間を触らなくなってから数日後、冬の繁忙期を迎えた職場で私は右に左に忙しく走り回っていた。朝から晩まで、どう考えても捌けそうにない出荷量がシステム上で更新され続けた。
翌日着分の荷物の伝票を夕方になって発行していると、金田が相方の大戸を連れて私の元へやって来た。手が空いても決してサボろうとはしないので、二人とも使い勝手が良かった。
大戸はビジュアル系好きの沖縄出身者で、破れかぶれな生き方を好む青年だ。私は出来上がったばかりの伝票の束を机の上に置いてみせた。
「大戸君さ、横浜方面の伝票まとめたから出荷お願いして良いかな?」
「良いっすけど、何なんですかね?毎日毎日、クソ客が買ったクソ商品の為にこんなクソ会社来て、こんなクソ仕事して。やってられねっすよ」
「そんなクソ会社からのクソ給料もらわないと生きていけない俺らが一番のクソだろ。はい、伝票」
「村瀬さん、俺が言いたかったのはそういう事っす。じゃ、行って来ます」
「よろしく。次、性病君」
大戸に伝票で股間を叩かれた金田が頭を掻きながら前へ出て「治ったのにぃ」とぼやいている。
「金田、西東京頼んでいい?終わったら東頼んだよ」
「良いッスけど、あの……」
「どうした?まだチンコ痛いの?」
「いえ、さっき聞いたんスけど、明日から伝票貼り専門で派遣来るらしいっス」
「はぁ?どんだけ楽な仕事だよ。まさか大人数でわらわら来るんじゃねーだろうな?」
「何か、女二人って言ってました」
「ふーん……こんな野郎ばかりの場所に良くもまぁ。おまえ、性病感染すなよ」
「そんな、ヒデーっスよ。まだ何もしてないのに……」
「どうせ何かしたいんだろ?」
「はい、爆発しそうっス」
「馬鹿。早く行けよ」
「うぃっす」
金田の後姿を見送り、作業を始めた二人を眺めた。黙々と、倉庫中から集められた商品に伝票を貼っている。冷たい風がトラックバースから吹きぬけて来た。
私の答えを探し続ける事に辟易とした様子だった女の顔をふと思い出した。
あれから女と連絡は取っているものの、しばらく淡々とした内容が続いていた。冬はまだ訪れたばかりで、実は春の前が一番辛いのだ。そう能天気に女との関係を季節に当て込み、私はパソコンのモニターに目を移した。
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