第6話 愚行落ち

 死神がもしいるのならば、どんな姿をしているのだろう?漫画に出て来るように、骸骨が黒いマントを纏って大鎌を振り上げている?それはそれで笑ってしまいそうだ。農作業にでも出るのだろうか、と思ってしまう。

 理想としてはケンタッキーフライドキチンの前にいる、あの白い老人。カーネル・サンダースのような男が良い。死の迎え人なら、有無を言わせない迫力がありそうではないか。

 居酒屋でそんな事を空想していると、目の前の嶋田から声が飛んで来た。


「なぁ!シャン、ディー・ガフって何これ?強いの?弱いの?」

「あ?甘くて弱いよ。ビールとジンジャーエール割ったやつだよ」

「へぇ、まずそうだからいいや。すいません、巨峰サワー」


 隣で顔を赤らめている原口が私の肩に手を置き、酒臭い息を吐いた。


「おまえさぁ、なんで葬式来なかったんだよ」

「葬式って、誰の?」

「馬鹿。誰のって、島崎死んだろ」

「あぁ、そうだったっけ。悪い」

「ったく……同級生なんだからよ」

「葬式どうだったの?」

「あいつ、変な新興宗教やってたじゃん?」

「謎の新聞配ってたやつ?」

「そうそう。幹部連中とか他の信者が取り仕切ってる葬式でさ、島崎の遺体を棒で叩いたり凄かったぜ。な?」


 話を振られた嶋田が途端に笑い出した。


「はっはっは!凄かった!あれは凄かった!てんせい、何とかの清め?棺桶がさ、棺桶が、あーっはっは!」

「何だよ、気になるじゃねーかよ。教えろよ」


 原口が嶋田の代わりに話を続けた。


「そのてんせい何とかの清めでさ、信者達が棺桶取り囲んでペットボトルの水じゃばじゃば流し込んでさ……」

「棺桶の中に?」

「そう。それもさ、水のペットボトルが南アルプスの天然水でさ。それ観てた嶋田が「あいつら、良い水使ってる」とか耳打ちしやがって噴出しちまって。そしたら、何て言われたんだっけ?」


 嶋田が甲高い声色を作ってある信者の真似をして見せた。


「浅見先生の御霊が見ています!慎ましく!」

「その先生って奴。そいつ、まだ生きてんだぜ」


 私は腹を抱えて笑った。やはり、その手の宗教は好きになれそうにない。しかし、死後もこうして笑いのネタにされ、人に腹を抱えさせる島崎は偉大かもしれない。爆笑こそしたが、やはり少しも悲しくはなかった。

 後から合流した原口目当てでやって来た三人組の女と朝まで騒ぎ通し、私は霞の掛かった田んぼを彼等と眺めていた。朝露の匂いと、緑の匂いが胸を穏やかにさせて行く。深く深呼吸をすると、飲み過ぎていたのだろう。私は道路の側溝に向かって胃が痛くなるほど、嘔吐した。


 服を買いに郊外の店へ足を運んだ。くすんだ色味をした茶色のハンチング帽が気に入り、合わせていると背後から声を掛けられた。線が細く、眼が大きなボブカットの女の店員だった。


「とてもお似合いです」

「ありがとうございます。でも、仕事でそう言わなきゃなんでしょ?」

「違う違う、本当に似合ってるから!あ、タメ口でごめんなさい」


 店員は笑いながら腰を折った。金に近い程に染められているが、しなやかで艶のある髪だ。


「大丈夫っすよ。でも、これ元々買おうと思ってたんで」

「ありがとうございます!あの、お兄さんお幾つですか?」

「俺ですか?24です」

「マジ!?今年24?」

「そうですよ」

「私、タメですよ!名前言うの忘れてました、細貝 尚美です」

「どうも。村瀬 ヒロトです」


 他人行儀な挨拶に私達は互いに笑い合った。それはとてつもなく不穏な足音を心に響かせた。外は雨が降っていて、他に客の姿もなかった為に二時間近くもそこで話し込んでしまった。外国のマイナーバンド、インディーロックなど、好きな音楽の趣味が合っていたのだ。

 彼女の実家は北海道で、転勤で昨年私の住む街にやって来たのだと言った。青みがかった白目と、金色のピアスが印象的だった。

 楽しいはずの時間を過ごしたが、店を出てからもう二度と行かない方が良いだろうとも感じたのだ。互いに恋人の話しには触れなかった。触れられなかったのだろうか。そうなのだろう。

 そうして、愚行を積み重ねるだけの機械となり果てる切欠を作り出すように、私はその数日後に再び店へと足を運んだ。ハンチングに合わせるストライプのシャツが欲しかったのだ、という言い訳を山ほど抱えながら。

 店に入ると有線のロックBGMが響いているだけで、店のどこにも店員の姿は無かった。

 あの店員がいない事に心の隅で安堵を浮かべている事に私は気付き、軽くひやかして帰ろうと思った。シャツのコーナーを過ぎ、パンツでも見ようかと角を曲がった途端にあの店員が「わっ!」と言いながら飛び出して来た。内心死ぬほど驚いたが、驚きのあまり私は無表情になってしまった。


「驚いた?」

「あ……うん」

「ははは!マジでビビッてんじゃん!おもしろーい!」

「客相手に何してんだよ」

「だって来るの見えたから。驚かしてやろうと思って」

「そりゃ良いサービスだね、きっと皆に喜ばれるよ」

「イチイチやってたらキリないよ」


 屈託無く笑う店員は思っていたよりもずっと綺麗だった。ここへ来るまで、意図的に思い出さないようにしていたのだ。


「ヒロちゃんさ、実は言わなきゃいけない事あってさ」

「何、店潰れるとか?」

「ううん。私さ、来月北海道帰るんだ」


 良くはないが、心が疼いた。乾き切っていない瘡蓋を剥がしてしまったようだった。私は平静を取り繕った。


「そっか、辞めるの?」

「うん、何かさぁ。疲れてきちゃって」

「そうなんだ。短い間っていうか、一瞬だったけど、ありがとね」

「いやいや、そこで!ヒロちゃんに頼みがあるんだけど」

「え、何?引越しの手伝いとかやめてくれよ。面倒臭いし」

「違うのよ。私こっち来てからずーっと仕事ばっかだったからさ、この辺の事とかあんま知らなくてさ」

「ネットで調べりゃいいんじゃないの」

「ひどっ!ちょっとは話し聞いてよ」

「えー……何?」

「どっか近場で良いから案内してくれない?観光スポット的な!」

「それさ。誰か職場の人とかに頼めないの?」

「だってうちシフト制だし、休み被る人もそんないないからさぁ」

「ふーん。あぁ、じゃあ誰か女友達紹介しようか?」

「いいよ、そんなん今さら。気遣うし」

「分かった。じゃあ、次来るまでにお勧めの場所調べとくよ」

「本当?マジだよね?」

「うん。それ見てさ、行きたい時に一人で行って来なよ」


 私がそう言うと店員は陳列されていたシャツを一枚掴み、畳み直した。特に意味のないような行為にも思えたがその表情をなるべく目にしないように私は努めた。

 店員は溜息をつき、言った。


「あのね、彼女さんには申し訳ないなぁと思うよ?ヒロちゃん彼女いるよね?指輪してるもんね?」

「え?あぁ、うん。いる」

「私ね、分かった上で頼んでるんだ。ヒロちゃんに」

「俺にねぇ……そうか」

「来月帰るの本当だから」

「だからってさぁ」

「分かってる。だから本当申し訳ないなーって思ってる。どうしてもダメなの?」

「ってもなぁ……」

「実家帰って「あんな所行かなきゃ良かった」って私が後悔するより「いい所だったなぁ!いつかまた遊びでもいいから行きたいなぁ!」って私が思える方が良くない?」

「それは俺に関係ないでしょ。しかも、そんな郷土愛とかないし」

「あー、もう!じゃあいい!もう分かった!観光案内はもういい!デートしよ、デート!」

「デート!?」

「文句ある?」

「申し訳ないけど、文句しかない」

「じゃあ遊び行こうよ、ね?ならいいでしょ?二人で楽しくさ!友達、友達だよ!」

「友達……まぁ、それなら。うん、まぁ、いいよ」

「じゃあ決まりね!はい!じゃあいつにしますか?いつ暇?」


 こうして私は甘くて苦い実の味を知る事になった。しかし、それは何と不味いのだろうか。後から確実にそう思うのだが、口に含んだ瞬間の官能的な甘みに私は、いつの間にか大切にしていた心の一部分を対価として払った。目に前にぶら下げられた物が贋作だと苦笑いしながら、払うだけの余裕があるのだと、錯覚していた。

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