8.優しいあなたが好きなんです

「隊長さんは覚えていらっしゃらないかもしれませんが、私、あの時からずっと、隊長さんのふぁ……ファンなんです!」


 ようやく言うことができた私は、握りしめた拳を意識して解いていきます。手を膝に置き、私はずっと胸に温めていた想いを伝えます。


「隊長さんの姿が見えるだけで、この街はみんなが安心して暮らせています。それってすごいことです。だから私、いつかそれを伝えたくて……毎朝見つめていたと言いますか」


 ぷしゅうと顔から湯気が出ているようです。少しでも気持ちを伝えることが出来たでしょうか。顔を上げた時、隊長さんはどんな顔をしているのでしょう。


 梢が立てるシャラシャラという音が、倒木に腰かける私たちに降り落ちてきます。そっと様子を伺うと、横で腰かける隊長さんはこちらを向いて見たことの無い表情をしていました。


「……隊長さん?」


 はにかむでも照れるでもなく、どこか強ばった表情をしています。

 ですが、それは一瞬の事でした。ハッとした様子の彼は、口の端を吊り上げるといつもの笑みを浮かべて下さったのです。


「……ありがとう。騎士冥利に尽きる」


 ほっとしてこちらも表情を緩めるのですが、そこから隊長さんは何かを考え込むように前を向いてしまわれました。開いた足に体重を預け、前のめりになっています。


「……」


 先ほどまであんなに和やかに談笑していたのに、急に訪れた沈黙に私は焦りました。間の抜けた私の事です、もしかしたらまた気づかぬ内に気に障るような事を言ってしまったのではないでしょうか?


 不安に駆られて声を掛けようとしたその時、逆に向こうから尋ねられました。


「チコリ君」

「はひっ」

「私は……『騎士隊長のウィルフレド・ベルツ』は、優しくあるべき、だよな?」

「?」


 質問の意味がよくわからなくて口ごもります。優しくあるべき? そんなのもちろん優しい方がいいに決まっています。ですが、そんなことを確認するまでもなく、隊長さんは十分すぎるほど優しいと思うのですが……。


「それ、は――。わっ!?」


 なんとか口を開こうとしたその時、隊長さんは弾かれた様に立ち上がりました。無駄な動きなく腰に佩いた剣の柄に手を掛けます。

 警戒するように低く構えて周囲を見渡した彼は、わずかな動作でこちらを呼び寄せます。ただならぬ雰囲気を感じ取った私は、震えながらすぐさま駆け寄りました。


「何かが近づいてくる。そのままゆっくり下がって、あの木の幹を背にするんだ」


 そっと耳打ちされて体が強ばるのを感じました。頷いて、深呼吸をしながらゆっくりと下がっていきます。隊長さんも油断なく剣を構えたまま、じりじりと一緒に後退し始めました。鼓動が早鐘を打つ音だけがドクンドクンと聞こえます。


 やがて茂みの向こうから現れたのは、鋭く光る牙が恐ろしい野犬たちでした。人里から離れ野生化したのでしょう、低く唸る様は明らかにこちらを警戒し、危害を加えようとしているようでした。その数は次第に増えて行き、右から左から、いつの間にか私たちは包囲されてしまいます。


「そこから動かないように」

「は、い」

「来るぞ」


 隊長さんが言ったのと同時でした、ひときわ大きな個体がこちらめがけて飛び掛かってきます。


「恨みはないが、牙を向けた時点で敵と判断する!」


 街でも一番の剣の使い手と称えられるウィルフレドさんです。ためらいもなくボスと思われるその一匹を切り捨てました。キャインッと甲高い悲鳴を上げた野犬は吹き飛びます。

 か、カッコよすぎます! その背中が、盗賊から助けてくれたあの時とダブり私は心の中で一人歓声を上げます。返す刃先で聖剣が振り抜けて――


(……あれ?)


 興奮していた私は、なぜかそこで微かな違和感を覚えました。鏡に映したように同じ剣技のはずなのに、何かが違っているような……?

 それは本当に些細なもので、敵わないと悟った野犬たちがキャンキャンと逃げていく頃には引っかかりは消え去っていました。切られたボスもキュンキュンと鳴きながらその場にうずくまってしまいます。


「可哀想なことをした。おそらくは近くに子供でも居たんだろう、そこまで傷は深くないはずだが……」


 隊長さんが気の毒そうな顔をしてボスを見下ろします。ビクビクと震える野犬は、耳がペタンと寝てしまい、しっぽが完全に巻き込んでしまっています。


「……。隊長さん、この子を押さえておいてくれませんか?」

「え? あぁ」


 私はカゴの中から、薬用の軟膏を入れた壺と包帯を取り出します。そしてボスの首元を押さえてくれている隊長さんの横に座って、切り傷の手当てをしていきます。


「いきなり縄張りに入っちゃってごめんなさい。たぶんすぐ良くなるはずだから、ちょっとだけ我慢してね」


 軟膏をよく塗りこんで、巻いた包帯をキュッと結びます。そこまでやって隊長さんと数歩離れると、ヨロヨロと立ち上がったボスはこちらを何度か振り返りながら、向こうの茂みへと消えていきました。


 それを見送った隊長さんは、ふぅっと息を吐いてから下生えの草むらに屈んで剣にベットリとついた血を拭います。


「チコリ君が居てくれて助かった。できれば殺生はしたくない」

「きっと大丈夫ですよ、たぶん私の薬が無くてもあのくらいだったらいずれ治ったと思います」


 おそらくは致命傷を与えず、脅かす程度に手加減したのでしょう。ボスが足を引きずりながらも走って逃げられたことがその証拠です。

 そんな優しさを改めて認識した私は、キュっと胸元で手を握ります。どこか影のある背中に向かって精いっぱい呼びかけました。


「隊長さん!」

「ん?」


 彼は先ほど、自分は優しくあるべきなのかと、悩んでいらっしゃる様子でした。

 きっとそれは、今のように襲い掛かってくる相手にも情けを掛けてしまう自分に悩まれているということなのでしょう。


「隊長さんは今のままで充分に優しいです。私は……私は今のままのあなたが好きです!」


 ああ、ついに言ってしまいました。ですがこれは本当の気持ち。


「私が憧れたのは優しいウィルフレドさんです。お願いですから、絶対にそのままで居てください!」


 驚いたようにこちらを見ていた隊長さんは、しばらくして優しく微笑みました。その笑みが、どこか物哀しそうに見えたのは何故でしょう。


「……ありがとう」

「……」


 胸に引っかかるものを抱えたまま、私は視線を足元の枯れ葉たちへと落としたのでした。


 ***


 例によって締め切った店内での午前中、私は緊張を解かないまま椅子に縛り付けられた彼と対面しています。

 スッと目を開けたその人は、床に散らばるコップの破片に一瞥をくれて、それから自分を見つめている厳しいまなざしに気づくとニヤリと笑って見せました。


「ようひよっこ、三度目ともなるとさすがに引っかかんねぇか」

「おはようございます。さすがの私も学習するんです」


 動かせない手足を確認した裏人格さんは、逃れられないと分かるとそのようだと小さく呟きました。

 余裕の表情を崩さない彼でしたが、店の中を漂う白い煙を目にすると微かに眉間に皺を刻みます。


「……なんだ?」


 答えの代わりに、私はテーブルに置いていた香炉を指で押さえました。深い青で作られた陶器は店内を漂っている煙の出どころとなっています。


「直接飲ませるのは無理だと分かったので、今回の薬はお香にしてみました。呼吸をしている限り逃れるのは難しいです」

「へぇ? 効能を聞かせてくれよ」


 口の端を吊り上げた裏人格さんでしたが、私は彼の中から余裕が消えているのを察しました。もったいをつけるように間をおいてから、静かに答えます。


「少しだけ素直になる薬です。あなたはこれから私の質問にすべて正直に答えることになります」


 やられてばかりだった私が強烈な一撃を返せたのが分かりました。大きく目を見開いた裏人格さんが、全身に力を込めて拘束を引きちぎろうとしたのです。


「っざけんなよ! ほどけ、今すぐほどけ!!」

「ひっ……!」


 よもやちぎれる事はないだろうとは分かっていたのですが、あまりに悪鬼然とした表情につい身を竦ませてしまいます。


 心の底から恐怖で震わせるような大声はしばらく続きました。ですが、肩で息をしていた裏人格さんは次第に大人しくなっていきました。

 見ればトロンとした目つきの彼は冷や汗をかいています。少しだけ意識がまどろむ成分を混ぜておいたからでしょう。


「っまえ……見かけによらず、やることえげつない……おい待て、俺は今……何をしゃべっている……?」

「教えてください! 私が物事の表面しか見ていないってどういう意味ですか? それに私ずっと気になってる事があって……あなたどうして自分の事を、ウィルフレドって」

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