6.隊長さんと森デート

「ごめんなさい、失敗です。飲ませることすらできませんでした」


 すっかり気落ちした私を慰めるように、隊長さんは血まみれになっていない方の手で優しく肩を叩いて下さいました。


「そうか、だが落ち込むことはない。君が無事でよかった、次はきっと上手くいくさ」

「……」


 本当にそうでしょうか。こんなダメな私がいくらあがいたところで隊長さんの問題を解決することなんてできないのでは……大人しくお父さんの帰りを待った方が正解なのではないでしょうか……。


 沈みかけた私の気持ちごと上げるように、頬に移動した手がグイッと視界を強制的に上げさせます。目の前の穏やかに微笑む顔が力強く頷きました。


「次がダメならその次だ。そうして諦めずに続けていけばいつか必ず道が見えてくる。そう考えよう」

「諦めなければ……」


 そうつぶやいた私は、ここにきてようやく距離の近さに気が付きました。キラキラと輝く顔がすぐ間近にあって、沸騰したようにせりあがってくる熱が全身を熱くさせます。

 暴走しそうな私の意識をなんとか引き留めたのは、いまだ隊長さんの右手から滴る血のポタポタという音でした。見れば床が血だまりになっています。


「あっ、あああ、血が、隊長さん血がっ」

「あれ、結構深いのか」

「いま薬を!」


 慌てて切り傷用の軟膏が入った壺を取りに行って戻ると、隊長さんは飛び散ったガラス片を一か所に集め、膝をついて床の掃除をして下さっていました。そんなのいいですのに……。


 一度洗い、清潔な布で止血をして、軟膏を塗りこんでガーゼを当てる。それを上から包帯で巻きながら、私は何があったかを隊長さんにかいつまんで話しました。自分の間抜けな失敗を伝えるのは恥ずかしかったのですけど。


「なるほど手強いな……。口から飲ませるのが難しいなら、別のやり方はないだろうか? たとえばこの薬のように皮膚に塗りこむとか」


 何気なく言った隊長さんのアドバイスに、私はピンと来て目を見開きます。同時に包帯もピッと引っ張ってしまい、うめき声が隊長さんの口から漏れました。


「あぁぁごめんなさい! あります、お香にして嗅がせれば!」


 なんで、こんな簡単な方法を思いつかなかったのかと自分を叱責します。

 木材のチップに今回作った薬をしみこませればいいんです。それを燃やして煙にすれば、飲ませなくても多少の効果は出るはず。


「あ、でも……在庫が」


 材料の棚を思い浮かべた私は声の調子を落とします。あまり使わない素材なので切らしてはいなかったでしょうか。


「手に入れづらい物なのか?」

「いえ、森に行けば普通に落ちてると思うんですが、私一人ではちょっと……」


 街の近くにある森にはよく採取に行きます。ですがそれはお父さんが居てくれる時の話。私一人では野生の獣に襲われた時に対処できる気がしません。

 今から護衛を雇っていくとなると……そんなことをグルグルと考えていますと、だしぬけに隊長さんは笑いました。


「次の非番は明後日なんだ。それでもいいなら」

「えっ?」

「近くの森でいいか?」


 予想外の提案に、私は一度頭の中で整理をしなければなりませんでした。それは、つまり、


「隊長さんが護衛としてついてきてくれるって事ですか!?」

「あぁ、自分の事だしな。採取に関しては素人だが、少しは役に立てるだろうか?」


 控えめな申し出に、私は頭がもげそうな勢いでブンブンと頷きます。


「嬉しいです! ありがとうございます! 助かります!!」

「あはは、じゃあその日の朝に迎えに来るよ」


 待ち合わせをして行く場所を決めて二人っきりでお出かけする? それって、言ってしまえばつまりっ、でっ、デデデデートっ、なのでは!?

 顔を真っ赤にしてぽーっと見上げる私がよほどおかしかったのでしょう、隊長さんはクスリと笑うとこちらの肩に手をポンと置いて出ていきました。さきほど巻いた包帯が離れる時に少し引っかかる感触がします。それが何か特別な気がして、私は胸の奥がキュウと締め付けられるように感じました。頬を抑えるもニヤニヤと口の端がつりあがってしまいます。優しい、優しいです隊長さん!


 ――お前さ、物事の表面だけ見て判断するの止めた方がいいぞ。


 ところが、ふと裏人格さんの言葉がよみがえります。それは、はちきれそうに膨らんだ幸せにチクリとささるトゲのように、いつまでもいつまでも私の意識に引っかかり続けました。


(私が物事の表面だけしか見ていない? それって、どういうことなんだろう……)


 床に視線を落とすと、薬がこぼれてできたシミが映りました。私はしばらくそれを見つめては所在無げに三つ編みをいじります。


 やがて、のろのろと作業場へ移動し、重い足取りをレシピ本が詰め込まれた棚の前で止めます。お父さんが編み出してきたこれまでの膨大な研究成果に見下ろされ、少しだけ圧倒されます。

 しばらくそれら見上げていた私は、キュッと口元を引き絞ると本の端と端に手を掛けまとめて引っ張り出したのです。



 ***



 外ではチチチと小鳥たちが飛び交い、朝の光が部屋の中に差し込んで来ます。

 緊張の面持ちで鏡の前に立った私は、何度目になるか分からないチェックを行いました。

 持っている中でも一等お気に入りの新しいワンピース。エプロンもおろしたてのまっさら。肩には秋色のストールを掛けて前で結んであります。

 いつもはざっくりと編み込んでいるだけの髪もおろして、細かい目のブラシで念入りに梳かしたのでつやつやと輝いています。サイドを残して首の後ろでクルクルとまとめ、とっておきのバレッタでパチンと留めます。

 か、完璧です。私の人生史上で一番大人っぽいのではないでしょうか……!

 それでも不安で後ろ姿などを確認しておりますと、階下からトントンとドアをノックする音が聞こえました。


「は、はい、ただいまっ」


 転げる勢いで階段を駆け下りた私は、シルエットが映りこんでいるドアを引き込みました。そこにはいつもの騎士服ではない、ラフな格好をした隊長さんが朝日に包まれて佇んでいました。彼は片手をあげて朗らかに挨拶をしてくれます。


「おはよう、準備はできているか?」

「おはようございます。本日はよろしくお願いしますっ」


 勢いよく頭を下げた私は、カウンターに用意してあったバスケットと、大きな採取かごを持って店の戸締りをします。


 目的の場所は、街を出て二十分くらい歩いたところにある森でした。街道から逸れて下生えが茂る中に入っていくと朝のすがすがしい森林の空気に包まれます。

 街からも近いので、浅いところでは森林浴をしに来る人もいる森です。ですが、奥深く入っていけば当然危険な生き物と遭遇する危険性もそれだけ上がります。


「自由に採取してくれて構わないが、私の目の届く範囲からは離れないように」

「はい」


 厳しい顔で言った隊長さんでしたが、急に表情を緩めるとこう言いました。


「今日探すのは? わかる範囲であれば協力する」

「えぇと、ミラの香木と……あと、在庫を切らしている物をついでに何点か探してもいいでしょうか?」

「構わない」


 ちゃっかりしていると思われそうですが、森の深部へは滅多にいけないのです。このチャンスを逃す手はありません。


 目的の香木はすぐに見つかりました。全体的に白っぽい幹なので遠くからでもよく目立つのです。

 香木と言う名に反して、この木自体は特に匂いを発しません。ならどうしてそんな呼ばれ方をしているのかと言うと、中に細かい空洞があいているのでそこに香料を染み込ませて部屋やタンスなどに入れて使ったり、あるいはもっと単純にチップにしてからお香として焚いて、衣服に匂いを移らせたりするのが一般的な使い方なのです。私たちのような一般市民にはあまりなじみがありませんが、貴族のお嬢様などには需要があるようで、ウチにもたまーに依頼が入ります。


 私は地面に落ちている枝の中から、よく乾いた物を選んで裁断し採取かごに入れました。これだけあれば十分でしょう。


「チコリ君、これは錬金術に使えるだろうか?」

「え? あ……あぁぁ! すごい! 隊長さんっ、これ滅多に見つからないクユラタケですよ!」


 驚いたことに、隊長さんは珍しい素材を見つけるのがとてもお上手でした。私のかごの中には次々とレアな物が増えていきます。


「きっと隊長さんの行いが普段からいいからですね。そうだ、そろそろお昼にしませんか?」


 はにかんだ私は、採取かごとは別に大切に持っていた小さめのバスケットを掲げます。


「お口に合うかはわかりませんが、お弁当を作ってきたんです」

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