5.なんでそんな意地悪なんですか!

「あ、ぁ、やめ……」

「あぁ?」

「ひぃ……」


 ギロリと睨まれて身を縮こまらせます。お願いです隊長さん、早く意識を取り戻して……。

 私の祈りもむなしく、せせら笑った裏人格さんはカウンターに寄りかかって肘を掛けます。そしてあろうことか、フラスコをもてあそぶようにポーンと宙に投げてはキャッチし始めたのです。


「おね、おねがいです、そんな乱暴に扱わないで……」

「おっと」

「いやぁー!」


 わざと手を滑らせた裏人格さんは、床につくギリギリのところでパシッと捕まえます。そして手を伸ばそうと上半身を投げ出した私を見てニヤリと笑いました。あ、悪魔です!


「しかし錬金術とはな、話には聞いていたがうさんくせぇ商売だ」


 聞き逃せない発言に、私は怖がっていたことも忘れてキッと彼をにらみつけます。その視線を正面から余裕で受け止めた彼は面白そうに口の端を吊り上げるのですが、ここだけは譲れません。


 しばらく見つめ合っていると、先に根負けしたのは向こうでした。フラスコを持っていない方の手を軽く上げるとひらひらと振ります。


「わかったわかったそう睨むな、お前の仕事をバカにしたわけじゃない。これまで錬金術なんて縁のなかった一般人の第一印象ってだけだ、許してくれよ」

「……」


 それでも警戒は解かず、私はゆっくりと立ち上がります。するとその時、裏人格さんはスタスタとこちらに歩いてきました。

 ビクッとした私の横をすり抜けて、自分が縛られていた椅子を起こすとテーブルを引き寄せてドッカと腰かけます。


「この前は物騒なこと言って悪かったな、今日は機嫌がいいんだ、話し相手になってくれよ」

「えっ……」


 戸惑って立ち尽くしていると、裏人格さんは胸に手を当て、どこか悲しそうに笑いながらこう言いました。


「そう驚くことでもないだろ? 俺は普段こいつの意識の底に押しやられてひとりぼっちなんだ。こうして誰かと会話をするのも本当に久しぶりで……」


 その憂いを帯びた表情に私は不覚にもドキッとしてしまいます。だってあの裏人格さんが、寂しいって……。

 彼は少し屈んでこちらを見上げてきます。その青い瞳は間違いなく悲しみの色を湛えていました。私は三つ編みをギュッと握りしめて気を落ち着かせようとします。


「そ、それは、本当、ですか?」

「本心さ。なぁ、誰からも嫌われる俺は、そう願う事すら間違いか?」


 胸の辺りを締め付けられるようでした。ひとりぼっちの淋しさは私もよく知っています。かなしくて、やるせなくて、だから


「そんなこと、ないです。わっ、私なんかでよければ……!」


 反射的に返した次の瞬間、それまでシリアスな表情を保っていた彼は一瞬目を見開きました。そして急に口元をむずむずさせたかと思うとブーッと吹き出したのです。ぽかんとするこちらにはお構いなしに、爆発するような笑いを響かせ始めます。


「ぶわーっはっは!! おまっ……本当に抜けてんな! さっきの今で騙されてんじゃねーよ!」

「!!!」


 それを聞いて全身の熱がカァァと上がっていくのを感じます。またも、またしてもやられたのです!

 わなわなと震える私は、だんだん恐れよりも怒りの方が大きくなっていくのを感じました。むくれながらそっぽを向くと、裏人格さんはますます楽しそうに笑います。


「あー笑った笑った。おい、茶くらい出してくれよ、俺だって一応は客だろう? いや、は客だろ?」


 ニヤニヤと笑いながら言われ、私は眉根をキュっと寄せて足音荒く作業場に引っ込みました。

 もう知りませんあんな人! こうなったらお茶に、しっ、痺れ薬を入れてやります! 超強力な薬で動けなくしてしまえばこちらの物です! そうしたらフラスコを口に突っ込んでやることもできるでしょう。ふふ、ふふふ、今のうちにせいぜい笑っているといいです。

 心の中でほくそ笑んだ私は紅茶をカップに注ぎ、痺れ薬を混入させます。無味無臭、我がティットーリエ家秘蔵の薬。うさんくさいと言った錬金術の恐ろしさを思い知らせてやりましょう!


 ティーポットと共にお盆に乗せていくと、裏人格さんは余裕な感じで椅子に腰かけていました。私が出したカップを持ち上げます。さぁ、そのまま一気にグイっと――


「フン……おいひよっこ、お前が先に飲んでみろ」

「へはぁ!?」


 ワクワクしながら待っていた私は、カップを突き返されてヘンな声を上げてしまいます。しばらくその揺れる赤い水面を見つめていましたが、観念して床に崩れ落ちます。


「ムリです……」

「だと思ったぜ。なんださっきの自信に満ちあふれた表情は、怪しすぎんだろ」


 せせら笑った裏人格さんは、奥に勝手に行きカップを持ってきました。自分で新しいお茶を注ぐと一口飲み「悪くないな」などと、呟きます。

 う、うぅ、こうなっては本当にどうしようもありません。この前と違って殺意満々ではないのが救いですが、でもこのままでは隊長さんに合わせる顔が……。


 一杯飲み終わった裏人格さんは、鼻歌なんか歌いながら興味深そうに店内を見て回りました。あいかわらず右手でフラスコを持ったままなので、左手だけで器用にガラス管を掴んではコルクを開け、臭いを嗅いだりしています。

 ……。なんだか機嫌が良さそうですし、せめて少しでもヒントになるような事を引き出せないでしょうか?

 ふとそんな考えが浮かんだ私は、カウンター裏に引っ込んで顔だけ出しながら勇気を振り絞ります。そして、震える声でその背中におそるおそる問いかけてみました。


「あ、あの、どうしてあなたは……隊長さんに憑りついたりしたんですか?」

「あ?」


 ドスの効いた声が返ってきて、思わずビクッと肩をすくめます。いや、ここで引くわけにはいきません。


「、その、ウィルフレドさん……はですね、この町のヒーローです、みんなの憧れなんです」


 もちろん、私にとってもずっとずっと憧れを抱いていた人物です。それなのに、彼とおんなじ顔をして同じ声で罵倒されるのは本当につらい事でした。

 その考えが独りよがりな物だとはこれっぽっちも気づかず、私は急き立てるように言葉を続けます。


「責任ある立場の彼に憑りつくだなんて、隊長さんが可哀想だと、お、思いませんか? すごく悩んでるんですよ」

「……」

「せめて大人しくしているとか、単なる気まぐれならその身体から出て行って……欲しい、……なぁ、なんて」


 言葉が尻すぼみになっていったのは、対峙していた彼の眼差しが急に冷えた物に変化していったからです。

 突然、彼は持っていたフラスコを壁に叩きつけました。中の液体がガラスと共に飛散して、隊長さんの身体に傷を作ります。


「っ!」

「ずいぶんな言い草だな。都合の悪い悪霊は追い出して依頼完了ってか? なら、追い出された俺はどこに行けばいいんだ」


 右手から血を流しているのにも構わず、裏人格さんは恐ろしいほど平坦な声で問いかけます。対する私はポカンとしてその言葉の意味を考えていました。


「どこへ……?」


 魂? 霊魂? は、錬金術界でもまだハッキリと実証できていない存在で、裏人格さんが隊長さんの身体から出て行ってくれたのなら……そう……そう、確かに彼にとっても新しい身体が必要となるでしょう。


「すっ、すみませ……すぐには無理かもしれませんが、なんとかあなたにもご納得頂けるような身体を、私っ……では難しいかもしれませんが、でも父がっ、父は天才なんです! ですから」

「もういい」


 わめく私を遮り、裏人格さんはそっけなくつぶやきました。血の滴る右手からフラスコの残骸を投げ捨て、どこか落胆したような声で言います。


「お前さ、患者の悩みを聞くカウンセラーなんだろ、物事の表面だけ見て判断するの止めた方がいいぞ」

「えっ……」

「じゃあな」


 その瞬間、確かに彼の中で何かが切り替わりました。まるでカチリ、と音がしたかのように目の前にいる人物が入れ替わったのです。


「……あ、どうなった……」


 意識を取り戻した隊長さんは、血まみれの自分の手を見て一瞬ぎょっとしたようでした。ですが、それが自分の血だと気づいた瞬間、心の底から安堵したようにホッと胸をなでおろしたのです。


 あぁ、そういう優しいところが私は大好きなのに。この人の為ならどんな事でもしてあげたいと思うのに。……どうして裏人格さんの傷ついたような声と表情が胸に突き刺さるのでしょう。

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