3.どちらさまですか…?
パニックに陥った私は、ぐるぐると回る思考の隅で壊れたように答えます。
「わわわ、わたしは、チコリ・とっととと……あれ? でもこれ、先ほども言ったような」
「いいから言え!」
「はいぃ!! わたくしっ、この錬金術屋で薬を作らせていただだだいておりまままま、ます、ひぐっ、うぅ」
そこから先は不明瞭に呻いておりますと、掛かる重さが少しだけ軽くなりました。見れば隊長さん(?)は、身体を起こして店内を見回しているようです。
「錬金術? ハッ、なるほど。ついに厄介払いと来たか」
厄介払い? と、思ったのもつかの間、こちらを再び見下ろした彼は残忍な笑みを浮かべてとんでもないことを言い出しました。
「つまり、今ここでお前を始末してしまえば、その手段も使えなくなるわけだ」
「ひっ……」
始末。その一言が冷たく胸に突き刺さります。
私はもう怖くて怖くて、ぼろぼろと涙をこぼしてはしゃくり上げることしかできません。視界が潤んで、あんなにも憧れていた隊長さんの顔がぐにゃりと歪みます。
どれだけそうしていた事でしょう、ふいに私の襟元を掴んでいた手がビクッと跳ねました。舌打ちをして手を離したその人は忌々しそうに自分の頭を押さえ、独り言のようにつぶやきます。
「チッ、早いな……」
そしてこちらを指さすと、こう宣言したのです。
「いいか? 覚えておけ。次だ、次に俺が出てきた時こそお前にとどめを刺す。それが嫌ならこいつには関わらないことだ、いいな?」
急に糸が切れたように、彼はガクリと頭を垂れます。ぐらりと
ですが、机の上で震えている私を見て次第に焦点を合わせると、急にハッとしたようにこちらの両肩に掴みかかってきます。
「私はまたっ……。無事か! 何もされなかったか!!」
「ひっ、いやぁぁぁっ!!」
私は反射的にその手を振り払って逃げていました。カウンターの裏に逃げ込むと調合用の杖を構えます。ガチガチと自分のかみ合わない歯が音を立てているのが分かりました。
いつまた飛び掛かって来られるか。恐怖で涙がぼろぼろと零れ落ちます。ところが隊長さんはさきほどのように襲ってくることはなく、それどころかテーブルに頭をこすりつける勢いで謝り始めたのです。
「驚かせてすまない! 君を傷つける意思はない、この通りだ!」
二、三度またたいた私の目じりから、残っていた涙が零れ落ちます。まったくもって、今日は奇妙な日でした。
***
「つまりだな、今回ここに相談しに来た理由というのが奴の事なんだ」
数分後、カウンターを挟んだ状態でならという条件で隊長さんの話を聞くことにしました。私は杖を構えた状態のまま、恐々と問いかけます。
「えぇっと、気づくと裏人格に体を乗っ取られている……そういうわけですか?」
「あぁ。最初はまさかと思ったんだが」
隊長さんは本当に落ち込んでいるようで、床に座って武装解除をしていました。騎士様の誇りである聖剣すら外して、手の届かない店の隅に立てかけてあります。
気まずそうに肩をすくめる様子は、確かに先ほどまでとは別人のように見えました。先ほどの一瞬は私が見た白昼夢だったのでは無いかと疑ってしまうほどに。
「大丈夫か、まだ痛むか?」
「あ、いえ……」
ですが、押さえ付けられていた肩はまだビリビリとしますし、本人がこう言っているからには現実にあった事なのでしょう。
「奴は『何かが割れる音』をきっかけに出てくるらしい。だからこの店の物を割らないように気をつけていたのだが……すまなかった」
あ、なるほど。だからガラス製のフラスコの棚を見て緊張したり、私が震える手で持ってきたお茶を素早く受け取って下さったんですね。なのに、私がヘマをしてしまったばかりにその気遣いも全部ムダになってしまったと。隊長さんは深刻な顔つきのまま続けます。
「悪魔の仕業かと思い教会にも行ってみたのだが、効果はなかった。乗っ取られている間の記憶は本当になくて、いつも我に返ると周囲が荒れていたり、覚えのない人に怯えられていたりする。このままではいつか騎士として決定的な間違いを犯してしまいそうな気がして、今回ここに相談に来たんだ」
バッと胸に手を当てた彼は、真剣なまなざしでこちらを見上げます。
「頼む! こんな厄介な病、とても一人では解決できそうにないんだ。何かいい手立ては無いだろうか?」
相変わらずカウンターの裏に引っ込んでいた私は、じっと考えていました。しばらくの葛藤の後、調合杖をそっと置くと回り込んで彼の傍らに膝をつきます。
「わかりました。私がどこまでお力になれるか分かりませんが、協力させてください!」
本音を言えば、恐いです。だけど一つだけ確信をもって言えることがあります。私が憧れていたウィルフレドさんはあんなこと絶対に言わないんです!
彼がふざける理由もありませんし、本当に困っている人を見捨てるなど、お悩み相談所の当店としてどうしてできましょう。……いえ、もっと単純に言いましょう、私は大好きな隊長さんの力になりたいのです。
こちらの言葉に、隊長さんは嬉しそうに頬を緩ませます。その表情にドキドキしながらも、聞き取りを始めます。
「それでは詳しく聞かせて下さい、この症状はいつから出たものですか?」
「それがハッキリしないんだ。記憶がない時間に気づいたのが最近の話であって、いつから乗っ取られていたかは……」
ふむふむと頷きながらペンを走らせていきます。真剣な私は、いつの間にか自分がどもっていない事など気づきもしていませんでした。
「よく眠れていますか? 体調は? 日常生活で不安に思っていることなどはありませんか?」
その後もいろいろと質問をしましたが別段おかしなところはなく、本当に体を乗っ取られていることだけに悩んでいるご様子でした。続けて周辺の状況を把握しておきます。
「この事を知っている人は他にどなたかいらっしゃいますか?」
「騎士団の近しい部下たちは何人か。そのうちの一人からここを紹介されたんだ。腕のいい薬屋だとね」
ちょっぴり誇らしい気持ちになって背筋を正します。やりましたよお父さん。どうやらこの店は騎士さま達に知れ渡るくらい名声を上げているようです。
「部下たちが言うには、憑りついている悪魔は私と同じく自分の事をウィルフレドだと名乗っているらしい。かなり粗暴で戦い慣れた動きだったと」
「あ、はい、それはもう……」
その言葉に私はコクコクと頷きます。先ほど押さえ付けられた時、あまりに動きがスムーズだったため痛みが走るまで何をされたか分からなかったほどです。裏人格さんは相当な手練れなのでしょう。
「わかりました! これらの情報をもとに良さそうなアイテムを作ってみます。三日ほど時間を下さい!」
立ち上がり拳を握りしめる私を見て、隊長さんは表情を明るくして下さいました。
「ありがとうチコリ君。頼りにしている」
名前を呼んでくれたことに、落ち着き始めていた熱がまたボフッと再沸騰します。た、頼りにしているだなんてそんな、私なんかが。
別れの挨拶を残し、隊長さんは店を後にしました。しばらくぽーっとしていた私は、ハッと我に返ると『ただいま調合作業中』のプレートを持ち出してドアに掛けました。踊るような足取りで店内に戻り、カウンターを回り込んで奥の
「よーっし!」
気合を入れた私はエプロンをキュッと結びなおします。
アトリエには中央に大きな釜があります。右には大きな作業台。奥にはコンテナがあり、よく使う汎用の材料がきちんと整理されて置かれています。
そして左の壁には棚があり、品揃えの良い本屋のように本がずらっと並べられています。ですが、ここに並べられているのはおとぎ話や物語のような楽しい物ではなく、お父さんが考えた門外不出のレシピ達です。もしうちの店で火事が出たとしても、ここだけは守られるよう水のまじないがかけてあります。
私はその本棚を手前側から追っていき、緑の背表紙を端から指でなぞっていきます。
……あった、ありました。お目当ての本を人差し指で引っ掛けて出した私は、パラパラとめくります。目的のページを見つけ、小さくそのレシピ名を呟きました。
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