2.憧れの隊長さんが来店されました

 そのまま卒倒しなかった自分を褒めたいところですが、いっそ気を失ってしまった方がラクだったかもしれません。

 私は、震える手でカチャカチャと音を立てながらお茶を出します。聞き取り用のテーブルに掛けていた隊長さんは笑顔でサッと受け取って下さいました。


「ありがとう、気を付けて」


 そのまぶしさを直視できず、私は思わずお盆の影に隠れて俯きます。どうやら今朝覗いていたことは幸いな事にバレていない様子です。と、なれば、


(せっかく来て頂いたのに申し訳ありません。あいにく店主である父が今朝より火急の用件で不在にしておりまして、半人前の私では依頼をお受けする事ができないのです)


 しばらくもごもごと口ごもっていたのですが、頭の中で言うべきことがまとまったので決心して口を開きます。


「あひゅ、あ、せっ、せっかく、なのに、じゃなくてえっと、ごめんなさっ、おと、おとうさん、いま、い、ぃ、居なくて」

「うん?」

「依頼……………………その…………ダメ、です」


 頭の中で予行練習した声はしっかりとした物だったのですが、実際に出てきたのは蚊の鳴くような断片的なセリフでした。

 こちらが自分の対話能力に絶望しているのをよそに、隊長さんは特に気にした様子もなく考え込むような仕草を見せます。


「留守? そうか困ったな……」


 ここでふとこちらに視線を向けた隊長さんは(ひゃぁ!)緊張している私を落ち着かせるように軽く微笑んで自己紹介をして下さいました。


「あぁ、まだ名乗っても居なかったか。失礼した、ウィルフレドだ。ウィルフレド・ベルツという。騎士隊に所属しているので怪しい者じゃない、安心してくれ」


 よく存じておりますと、思わず口をついて出かけた言葉を飲み込んでコクコクと頷きます。


 ウィルフレド・ベルツ様。騎士階級は上から数えて六番目。この街の治安維持及び市民の安全を守る警護として首都から派遣されたのが一年と少し前で、今では名実ともに頼れる優しくてとっても強い隊長さんです。


 少し落ち着いてきた私は、さきほどよりはまともな声を返すことができました。


「あの、わた、私は、チコリ・ティットーリエ、と、申します。こっ、この、トーリエ錬金術屋の娘で、普段は裏で調合の手伝い、してます。あの、隊長さん、この店に来たということは、何かお困りごとでも……」


 そこまで言った私は、ハッとしてお盆を持っていない方の手を振りました。


「ああああの、えっと、もちろん半人前の私が隊長さんの悩みをどうにかできるとは思ってないです、けど、もしかしたらって事もあるかもしれませんし、きちんと聞き取りをしておけば父が帰ってきた時にスムーズに引き継ぎができるかと思いまして、ですからっ」


 そこまで一息で言い切った私は、隊長さんがぽかんとしていることに気づいて息をのみました。ぷしゅうと煙が出ているのではと錯覚するほど顔が熱くなっていきます。


「せめてお話だけでもと……思ったのですが……」


 またやってしまいました。確実にヘンな女だと思われたに違いありません。いっそ消えてなくなりたい……。


 ところが、お盆の影に隠れていますと、隊長さんはクスッと笑ってこう答えてくれました。


「チコリ君、と呼んでもいいかな」

「は、はひ」

「わかった、話だけでも聞いてくれないか?」


 その時の私の顔と言ったら、鏡を見なくても分かる気がしました。張り切りすぎて声が上ずってしまったほどです。


「わっ、私でよろしければ!」


 なんだかんだ言いつつ、憧れの隊長さんとこうしてお話しができるだなんて夢のようです。

 急いでカウンターの裏まで引っ込んだ私は、お父さんが相談の時にいつも使っているボードと問診票を引っ張り出してきました。


「こっ、ここ、ここは、オーダーメイドのマジックアイテムを作る錬金術屋、です、お客さんのお悩みに合わせて調合して、後日商品をお渡ししています」

「なるほど」

「簡単な症状――たとえば、夜よく眠れないなどでしたら、そちらに出来合いのお薬があるので、その場でおわ、お渡し、できるのですが」


 壁に造り付けになっている棚に視線を送ると、ずらりとフラスコが並んでいます。つられて目をやった隊長さんは、なぜかギクリと身体を強ばらせました。ですがすぐに気を取り直したように微笑みます。


「あ……すまない、なんでもないんだ。それで相談したい事なのだけど、どう説明したものか……うぅむ」


 ここに来て急に歯切れが悪くなります。出したお茶を飲んだり、あーだのうーだの唸ったり、何やら難し気なご様子です。

 よっぽど言い出しづらいお悩みなのでしょうか? こういう時は焦らずにゆっくり話を引き出した方がいいはずです。


「あの、お茶のお替り、淹れてきますね」

「ありが――」


 場の空気を変えようと私は立ち上がります。隊長さんの空のカップに手を伸ばした瞬間、向こうも取ろうとしてくれたようで指先が触れあってしまいました。


「ひゃっ!」


 その時の衝撃と言ったら、まるで熱湯と知らず手を突っ込んでしまった時のようでした。反射的に手を引っ込めるのですが、すでに指が掛かっていた空のカップが宙に舞います。

 あ、と思った時には遅く、思わず首をすくめてしまうような音が店内に響きました。ぎゅっと目をつむった私は、ゆっくりと薄目を開けていきます。お客様用に用意したちょっといいカップは、無惨にも床で粉々に砕け散っていました。


「ご、ごめんなさい。お怪我はありません……か?」


 隊長さんの方に振り向いた私は、言葉の勢いを失くします。隊長さんは立ち上がりかけた姿勢のまま俯いていました。少し長めの前髪が顔にかかり表情が見えません。

 とつぜん肩を掴まれました。え? なんて、つぶやく間もなく引き倒され、テーブルの上に横向きの状態で押し付けられてしまいます。


「っ!?」


 肺の中の空気が一度に押し出され一瞬だけ息が止まります。すごい力で押し付けられ、身をよじることすらできません。かすかに目を開けた私は、おそるおそる呼びました。


「た、隊長……さん?」


 こちらを見下ろしてくる隊長さんは、先ほどまでとは別人のように雰囲気が変わっていました。穏やかに下げられていた目じりは切れてしまいそうなほどつり上がり、真一文字に引き絞られた口元は柔らかさのかけらもありません。冷たい目で見下ろされ、私は無意識の内に自分の全身がカタカタと震え始めるのを感じていました。とてつもない敵意を向けられているのを感じたからです。

 ジャッ!と、腰からナイフを抜いた彼は、それを私の首筋にあてがいます。それを理解した瞬間、私はニワトリが首を締められた時のようなか細い悲鳴を上げていました。


「ぴぃぁああぁあぁぁあ!?」

「テメェ、何者だ」

「ひぃっ!?」


 隊長さんが間違っても使わないような口調でその人は尋ねてきます。首元のナイフがわずかに食い込むのを感じ、私は必死に懇願をしました。


「た、たすけて、殺さないで……」

「答えなければこのまま刺す。ここはどこで、お前は何者だ」

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