街角錬金術師と秘密のレシピ帳

紗雪ロカ@「失格聖女」コミカライズ連載中

1.一人で店番とか無理ぃぃ…

「ん……」


 通りの向こうからやってくる朝日が部屋に差し込む頃、ベッドの中で丸くなっていた私はゆるやかに目を覚ましました。グググと猫のように伸びをした後、ブランケットを押しのけベッドから出ます。

 カーテンをシャッと開け、窓を外側に向かって押し開けようとすると、立て付けが悪いのか少しだけ抵抗されました。なんとか開くことに成功すると、朝のすがすがしい空気がこもった部屋の中に滑り込んできます。


 私は窓枠に頬杖をついて新しい一日が始まろうとしている街並みを眺めました。

 チチチと小鳥たちが空を横切るのですが、早朝のこの時間、赤レンガ敷の通りを歩いている人間はいません。

 ですが、通りの向こうからもうすぐ人影が現れることを私は知っています。金物屋さんの角から、ほら、影が足を伸ばしてきて――


(おはようございます、隊長さん)


 心の中であいさつをして、今日も彼の凛々しい御姿を目に焼き付けます。

 陽に透けるとキラキラと輝く金の髪、この街を守る騎士様にしか身にまとうことを許されない紺色の制服をひるがえし、背筋を伸ばし颯爽と歩く姿には迷いがありません。

 私の口角は自然と上がり、炭酸水がはじけるように胸の内が嬉しさで膨らんでいきます。ああ、今日もかっこいいです隊長さん……。

 ですが、うっとりと眺めていた私は次の瞬間窓からずり落ちそうになりました。ふと足を止めた彼がこちらを見上げたのです。


「!」


 その気配を察した瞬間、私は気づけば窓枠の下に引っ込んでいました。暴れる心臓を抑えながら息を止めて背中をぴったりと壁に押し付けます。


「……」


 み、見ていたのがバレたでしょうか。こんなことは初めてです。

 たっぷり一分は経過したと思います。窓枠からおそるおそる覗くと、隊長さんの姿は通りから消えていました。フーっと息を吐いた私はそのままズルズルと壁に持たれ掛かります。

 もし私に、にっこり笑って手を振る勇気があったなら――と、一瞬だけ考えましたが、あまりの畏れ多さに頭を振ってその考えを追い払います。相手は街の人気者、影ながらお慕いするだけで私は満足なんです。

 とはいえ、彼の姿を思い描くとどうしようもなく胸の辺りが沸き立ちます。ああ、なんだか今日はいいことがありそうです。


 ご機嫌な私は踊るように朝の身支度を始めました。顔を洗って口を洗い、寝巻きを脱いで萌黄色のミモレ丈ワンピースを頭から被りボタンを胸の前で止めます。

 次に、あちこちに跳ねているフワフワの薄茶色の髪を、粗めのコーム一本でいなしていきます。亡きお母さん譲りの困った髪質も、生まれてこの方付き合っていれば扱いも慣れたものです。

 ようやく毛先までクシが通るようになったので、二つに分けてそれぞれざっくりと編み込んでいきます。できあがった太めのおさげを後ろに払い、シンプルな白いエプロンをかけて後ろで結びます。

 最後に、黄色の刺しゅうが入った白いバンダナを手に取った私は鏡の中を覗き込みました。見慣れた緑色の目をした女の子が見つめ返してきます。

 三角に折った布を頭の上に乗せ首の後ろでキュッと結び、仕上げにピンを二本サイドに差し込めばできあがりです。

 口の端を人差し指で押さえた私はクイッと上げて笑顔の練習をします。よし、今日も一日がんばりましょう。


「お父さん、おはようございます。おと……」


 トントントンとリズミカルに階段を下りて行った私は、半分を超えた辺りで首を傾げました。いつもなら階下から威勢よく返ってくるはずのあいさつが聞こえないのです。

 一階のお店部分になっているところを覗き込めば、開店準備をしているはずのお父さんの姿が見当たりません。それどころかカーテンは引かれた状態で店内は薄暗いままです。

 嫌な予感がした私は、カウンターへと駆け寄りました。深緑の塗料で塗られた机の上には折り畳まれた一枚の便せんが置かれています。

 震える手でそれを開いた私は、内容を理解すると同時に情けない声を上げていました。


「えっ、えぇぇぇぇ!?」


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チコリへ


カルカル砂漠で貴重な材料が

見つかったそうなので、

直接仕入れに行ってきます。

いい機会なので、ついでに

遠方の珍しい材料も物色して

来ようと思います。


そういうわけなので、

しばらく店を頼みます。


父より


追伸:

戸締りはきちんとするように


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 ヒゅッくと、喉の奥で呼吸が転びます。


 ――そういうわけなので、しばらく店を頼みます。


 その一文がぐるぐると頭の中を駆け巡ります。私が? 一人でこの店を?


「む、無理ぃぃ……」


 力なくつぶやいてカウンターに突っ伏すのですが、手紙は「じゃあいいよ」とは返してくれません。

 無理です! 無茶です! だ、だって私、極度の人見知りでっ、いつもは裏方で調合作業しかしていなくて! お客さんが来たところでまともに会話すら――


「ひぎぃ!」


 その時、トントンとノックする音が響きました。ビクンッと跳ねた私は奇妙な悲鳴を上げてバネ仕掛けのおもちゃのように気をつけの姿勢を取ります。

 おそるおそる見ると、入り口のドアの窓にシルエットが映りこんでいるではありませんか。カーテンを引きっぱなしなので誰かは分かりませんが、本日のお客様第一号は入室を求めて扉を叩き続けています。

 ど、どうしましょう。このまま黙っていれば諦めて帰ってくれたりとか……しないようです。さっきの悲鳴で中に誰か居るのがバレてしまったのかもしれません。

 あああ、そうなると、この店は居留守を使うようなところだと悪評が立ってしまいます。それは困ります、お父さんが帰ってきた時に怒られてしまいます。


「は、はいぃっ、ただいま!」


 慌てた私は、転げる勢いで扉に向かいます。もうなりふり構っていられません、何とか事情を説明して、とりあえず今日のところはお引き取り頂くことにしましょう。


「すっ、すみません、あの、今日は」


 扉を内側に引き込みながら言うと、だいぶ高い位置まで上がってきた太陽が目をチリと射りました。

 一瞬顔をしかめた私は、目の前に立つお客様を胸の辺りからゆっくりと見上げていきます。こちらを不思議そうに見下ろしている青い瞳とぶつかった瞬間、今度こそ心臓が停止したかと思いました。


「失礼、ここが悩みを解決してくれるというトーリエ錬金術屋だろうか。……君が店主か?」


 毎朝、焦がれるほど見つめていた騎士隊長さんが、そこには居たのです。

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