第6話 魔女メディア



 途方に暮れたまま広間を退出し、一行は王女カルキオペーとともに彼女の居間に入りました。メディアも自分の居間に戻ります。が、彼女の心を占めるのはあのイアソンだけ。


 彼の姿、立ち居振る舞い、声までも思い出すにつけ、これほどまでに頼もしく美しい青年がこの世にいようとは。


 そんな彼が父王の無理難題で命の危機に瀕している事実。助けたいと思うものの、それは父である国王への反逆。思い人と父王との板挟みに陥ってしまい、ただイアソンの無事を女神ヘカテに祈るばかりでした。


 王宮を出たイアソン一行は黙々と街を通り川岸へ出ました。するとアルゴスが閃いたのです。


「おいイアソン! ワシ等の叔母のメディア。広間におったやろ。彼女は女神ヘカテ様の巫女で魔術の達人なんや。彼女の協力を要請したらどうや? なんならオカンのカルキオペーから頼んで貰うんも有りやで」


「それを早く言わんかい! 巧く行ったら最高やんけ!」


 ようやく見えた一縷の希望に心を弾ませ、まずは仲間達が待つ入り江に走るのでした。


 イアソンが王宮での一連の出来事を語り、アイエーテース王との約束を話すと一同は口々に彼の勇気を称えて激励しました。やっぱりこのノリですよね。そして座が静まるとアルゴスが立ち上がり、先ほどイアソンに告げた彼の策を語り、皆の賛成が得られたならすぐにも実行しようと提案しました。


 もちろん全員一致で賛成です。最短距離を突っ走る突撃野郎達ならではのノリです。


 早速アルゴスは王宮に赴き、母カルキオペーからメディアに取りなしを頼んでみました。カルキオペーは息子達の為にとメディアに助力を頼むのですが、父王の怒りを恐れてか容易に承諾しません。そりゃまぁそうですね。いくら王女と言えども国王に叛けば死罪がこの時代の常識ですから。


 父王への反逆の恐ろしさとイアソンへの恋しさでメディアの心は千々に乱れてただ泣くばかりでした。自室で一人になっても泣き続けるメディア。その様子を侍女から聞いたカルキオペーは妹の部屋を訪れて泣いているわけを尋ねました。


 しかしメディアはそれに答えず、ただアルゴスの頼みを聞き入れて、明日の朝ヘカテの神殿に行って雄牛を鎮める薬を作るが、この事は誰にも言わないでくれと語ります。


 息子の願いが叶えられたカルキオペーは大いに喜び、アルゴスに事の次第を伝えるのでした。


 さて、夜の闇が辺りを覆うと、船乗り達の夜の目印になる大熊座(北斗七星を含む星座)やオリオン座の三つ星がきらめきはじめ、犬の遠吠えもやんで街は静寂につつまれたとあります。時間と星の位置から考えると、舞台は四月前後といった感じですね。


 メディアは寝付かれず、雄牛の犠牲になるかもしれないイアソンの事ばかりが胸に浮かび涙を流すのでした。恋の矢の効果たるや凄まじいですね。薬草の手箱を取り出すと、憐れな娘はいっそ毒草を飲んで死のうかとすら思うのですが、さすがにそれはまずいとヘラ様が彼女の胸に死への恐怖を呼び起こして止めます。


 これが恋の病というやつですか……恐ろしい……。


 とにかくイアソンに会う事だけを楽しみに、一睡もせずに一夜を明かすのでした。



 東の空が白み始めると、メディアは髪を整え、香料をつけて装いをこらし、薬草の手箱の中から「プロメテウスの草」と呼ばれる薬草を取り出しました。これを携え、深夜ヘカテ様に生け贄を捧げ、夜明けとともにこの薬草を川に浸しそこに浸かると、その体は魔力によって一日だけは剣にも火にも傷つかないものになるのです。


 凄いですね。かなりのチート素材です。これをもってメディアは侍女を呼び、驢馬の引く馬車に乗ってヘカテ神殿へと向かいます。


 一方でアルゴスは勇士達にメディアの援助を伝えており、イアソンは鳥占いの得意なモブソスとアルゴスと共にヘカテ神殿へと向かっていました。


 神殿の近くには一本のポプラの木があり、梢には鳥が巣をかまえていました。三人が近づくと鳥たちは枝から枝へと飛び交いながら囀るのです。すると鳥の言葉を理解するモブソスは、ほくそ笑みながらイアソンに伝えます。


「おい大将、神殿の近くに一人の乙女がおって、その娘こそが! アフロディーテ様が大将のために力を貸すように送られた娘らしいで!」


 凄いですね。そこまで正確に分かるとは。鳥達もなんでそこまで知っているんでしょうか。「天空と地上を行き来する」からでしょうかね。


 いよいよイアソン一行が神殿に辿り着くと、モブソスの言葉通り一人の麗しい乙女が佇んでいるではありませんか。もう間違いありません。


「あんたがメディア王女……?」


「……」


 恋の恥じらいか無言のメディア。するとイアソンが熱心に助力を懇願し、彼女への賛辞を送ります。まぁ命が懸かってますし、なによりも神様が用意してくれたガチで運命の出会いですからね。


 やがてメディアは口元に微かな笑みを浮かべ、スッと例の薬草を手渡しました。そして今度こそ晴れ晴れとした気持ちで薬の使い方を教えるのです。また、竜の歯から現れるスパルトイ達には、かつてカドモンがしたように、彼等が散会する前に遠くから大きな石を投げつけ、連中が「誰が投げつけて来よったんや!」と揉めているうちに倒してしまうように教えました。


 それからメディアとイアソンは楽しい一時を過ごし、それぞれ帰路につきました。アポロドーロスの伝では、メディアはアイエーテース王と海の神オケアノスの娘エイデュイアの間に生まれたそうで、この時イアソンは彼女を妻としてギリシャ本国に連れて帰るとの約束をしたそうです。


 イアソンは船に戻って仲間達に事の次第を伝え、もらった薬草を見せるのでした。


 明くる朝、テラモーンとアイタリデースはアイエーテース王の宮殿を訪ね、例の竜の歯を受け取ってきました。アイエーテース王も「出来るワケあらへんわ!」と高をくくっていましたので気前よく彼等に渡したのです。


 ちなみにテラモーンは後にあのアキレウスの父となるペーレウスの兄弟ですが、アイタリデースはアポロドーロスの伝には登場しない、ただの使者。出番があって良かったですね。


 その夜、イアソンは皆が寝床につき、空に大熊座が輝きだすと、葡萄酒と牝羊を携えて荒野のただなかに流れる川の畔に一人で行きました。


 まずメディアに教えられたように川の水を浴びて身を清め、レムノス島の女王ヒュプシピュレーから送られたマントを体に巻き付けて、差し渡し六十センチほどの穴を掘ります。そして太い焚き木を用意すると、生け贄の喉をかき切り、屍を焚き木の上に横たえて火をつけました。頃合いを見て火に葡萄酒を注ぎ、声を低めて女神ヘカテを呼びました。


 すると闇の中から恐ろしい女神が現れ、生け贄に近づきます。周囲には冥府の犬たちが群れをなし、悍ましい声で吠え回り、イアソンが心底ビビってしまいます。まぁ無理もありませんね。もしかしたらこの辺りの事前説明は無かったのかもしれません。


 とにかく必死に夜明けまで辛抱し、全てが終わると例の薬草を川に浸し、そこに浸かると、彼の体は魔力によって一日だけ無敵モードになったのでした。アポロドーロスによると盾と槍と体に薬草を塗ったという展開です。

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