第12話 少女
銀杏の葉が黄色く染まり、少し吹く風が冷たくなってくる季節に、俺の高校は例にもれず、学園祭という催しを毎年行っていた。
ホームルームの議題は学園祭にクラスで何を出し物にするかで揉めに揉めた。
和菓子喫茶をやりたいという女子グループとお化け屋敷をやりたいという男子グループとで意見が真二つに分かれたのだ。
最終的にはそれぞれのグループのトップ同士のじゃんけんで決定されることになった。
結果、男子が勝ち、俺達のクラスの出し物はお化け屋敷に決定した。
女子は最初のうちこそ不満を口にしていたが、準備が始まってしまえば動きは早く、係を決め、備品を買いそろえ、クラス一丸となって効率的に用意が始まった。
俺はこのクラスのこういうところが気に入っていた。
学園祭自体はたいして深い思い入れはなかったが、何かを皆で作り上げる行程は悪くなかった。
俺は道具係など裏方に回りたかったのだが、背が高いので迫力があるという理由で、客を驚かすドラキュラ伯爵という人の生き血を吸う化け物を請け負うことになった。
黒いスーツは兄がいるクラスメートが喪服を調達してくれた。
黒いマントはシルク地をユザワヤという手芸専門店から買ってきて、洋裁が趣味の女子が作ってくれた。
あとはそれらしい化粧をし、口から血を滴らせているように絵具で描き、牙を付ければ完成だ。
出入口の黒いカーテンや洋風の墓場を作り、古びた洋館をコンセプトにした。
ディズニーランドのホーンテッドマンションのような造りを目指したのだ。
学園祭当日、俺はその洋館に潜む化け物をそれなりに上手くこなしていた。
客を驚かせるのは、意外と愉快なものだった。
他の高校から来た女子学生に握手を求められたり、写真を一緒に撮ってくれとせがまれるのだけは閉口したが。
午前中の俺の当番が終わり、牙を外して持ち場を去ろうとしたとき、暗い教室の片隅で屈みこみながら震えている少女がいるのを見つけた。
小学校の6年生くらいだろうか?
低学年というには少し大きいような気がした。
少女は黄色いりぼんを付けた髪をふたつに結び、茶色いチェックのワンピースを着ていた。
親兄弟とはぐれてしまったのだろうか。
その場に女子がいれば、助けてやってくれと頼めたが、生憎周りには俺しかいなかった。
俺は怖がらせないようにその子に近づいた。
そっと肩を叩き、その腕を取り、目を瞑ったままで歩くその少女を出口まで誘導した。
無事出口を通り抜け、俺はその子の顔を見た。
その時、俺の中のなにかがドクンと音を立てた。
陳腐な表現だが、なんて可愛い女の子なのだろう・・・と思った。
黒目がちな瞳は真ん丸で、卵型の輪郭の顔の上に、目、鼻、口の各パーツが絶妙なバランスで配置されていた。
まつ毛は長く、その潤んだ瞳は湖のように澄んでいて、意思の強そうな唇は真一文字に結ばれ、少しだけ頬が高かった。
ハッキリ言ってしまうと、その顔は俺の好みのドストライクだった。
もう一回陳腐な表現を使ってしまおう。
透明感溢れるその少女は、俺の為に現れた天使、だと思った。
自らの意思で、女という生き物に本気で笑いかけるのは初めてだったが、俺は渾身の微笑みをその少女に与えた。
家庭教師先のキララも俺に夢中になったし、少女を安心させることに自信があった。
しかし俺の眼に映ったその少女は、なにか恐ろしいものでも見てしまったかのように目を見開いて驚愕し、やがて恐怖と嫌悪感を露わにしたような表情で俺を睨みつけ、身をひるがえした。
そして俺から離れ、誰かをきょろきょろと探し始めた。
俺は腹に鉛の鉄を打ち込まれたようなショックを受けた。
そのボディブローはじわじわと俺の全身を侵食した。
そして次の瞬間、俺はさらに衝撃的な光景を目撃することになった。
その少女は俺が最も苦手意識を持っている、山本信二の胸の中へ飛び込んで行ったのだった。
山本信二は少女の目線に合わせるように屈み、少女の髪と背中を撫で、いつもの大きな声で慰めと励ましの声を掛け続けていた。
しばらくすると少女の母親らしき淡い桜色のワンピースを着た女性がふたりの側に駆け寄り、申し訳なさそうな顔をして少女の手を繋ぎ、山本信二にぺこぺことお辞儀をして、持っていたフランクフルトをお礼にとでもいうように手渡した。
そして少女とその母親は東口玄関の方へ向かって歩いて行き、山本信二は窓のある壁際にもたれながら、さっき手渡されたフランクフルトを頬張り、何事もなかったかのようにもぐもぐと食べ始めた。
なんで俺ではなくて、あの太り気味で、パンダみたいに目が垂れた道化師のような男の元へ、あの少女は助けを求めたのだろうか?
呆然としている俺を見つけた山本信二は、いつものように声をかけてきた。
「おう、鹿内、お疲れ!そのドラキュラ姿、女子に評判いいぞ~。イケメンは羨ましいなあ。
その調子でクラスの為に頑張ってくれよな!」
俺は返す言葉もなく、かろうじて小さく頷いた。
なんだよ、それ。嫌味か?
俺はお前の方が何百倍も羨ましい。
くだらない女子どもに評判が良くたって意味がない。
あの少女が選んだのはお前、山本信二なのだから。
学園祭は無事終わり、次の日設営されたポスターや備品の撤去作業が行われた。
山本信二はいつものように友人達と大口を開けて笑いながら、戸板で作った墓石を叩き割っていた。
俺は山本信二がひとりになる機会を伺いながら、撤去作業を進めていた。
そして昼休みに入り、山本信二は学食へパンを買いに走っていった。
俺はその後を付けた。
山本信二は学食で総菜パン2つとメロンパンを買い、上機嫌で教室に戻ってきた。
いつも山本信二と一緒に昼飯を食っている友人ふたりは、今日は委員会があるらしく、珍しくひとりで窓際の机に座って、ついさっき買って来た焼きそばパンをやはりもぐもぐと頬張っていた。
俺は偶然を装って、あらかじめ用意しておいたコーヒー牛乳の紙パックを手に持って、山本信二の座っている窓際へ近づいた。
そして初めて自分から山本信二へ声を掛けた。
「山本。今度の試合の対戦相手聞いたか?赤城高校らしいぜ。」
俺の声を聞いた山本信二は、最初の一瞬こそ驚いた様子だったが、すぐに他のクラスメートと話すような気安さで俺の言葉に返答した。
「へえー。赤城っていえばあの鈴木直樹って投手がいる高校だよな。あいつのフォークボールはすごいらしいな。」
山本信二の野球部でのポジションは外野手だ。
確実な捕球と広い守備範囲、そしてスローイングの上手さで、俺と同じく1年からレギュラー入りを果たしている。
俺はコントロール力が売りのピッチャーで、山本信二は俺のピッチングを前から評価してくれていたが、俺は能天気で底抜けに明るいこの男を、苦手意識から遠ざけていた。
しかし野球の話題ならいくらでもある。
俺と山本信二は、対戦相手の弱点や監督の性格などを分析していった。
俺はコーヒー牛乳のストローを口から離し、さりげなく話題を学園祭のことにシフトした。
クラスのお化け屋敷が学年で1番高評価だったことなどを話してから、俺はふと思い出したかのようにあの少女のことを口にした。
「・・・そういえばさ。あの子大丈夫だったのか?」
「え?あの子?」
山本信二は何のことを言われているのかわからないという様に、首を傾げた。
「お化け屋敷で怯えていた小学生くらいの女の子がいたろ?
お前が介抱してやって、母親からフランクフルトを貰っていたよな?
俺があの子をお化け屋敷の部屋から出口まで誘導したんだけど、ひどく怯えていたみたいだったからさ。山本が介抱したときは、もうあの子の恐怖が収まったのかなと思って。」
山本信二はどんな魔法を使って、あの少女をなだめすかしたのだろう。
俺はそのテクニックを盗みたいと思った。
山本信二は少し考えるポーズをして、やっと思い出したかのようにああ!と首を大きく振った。
「つぐみの事か。」
「つぐみ?」
俺はおうむ返しをしながら、その名前を頭に刻み込んだ。
どうやらそのつぐみという少女と山本信二は知り合いらしい。
そしてその答えはあっけなく明かされた。
「あの子、俺の姪っ子なんだ。俺の兄貴の娘。」
「・・・へえ。そうだったんだ。」
俺は平静を装いつつ、心ではホッとしていた。
俺より山本信二を選んだのではなく、元々山本信二を知っていたから抱きついたのだ。
それに、これはチャンスだと思った。
もう二度と会えないと思っていたあの少女が山本信二とつながっていたのだ。
またあの少女と再び会える可能性がある、ということだ。
「もう中学1年生にもなるのに、甘えっ子で困るんだよな。
やっと授かったひとり娘だからって、兄貴も真理子さんも、つぐみを甘やかし過ぎなんだよ。
まあそう言っている俺が一番つぐみを甘やかしているんだけど。」
そう目尻を垂らしながらいつになく柔らかく笑う表情で、山本信二がどれだけそのつぐみという少女を可愛がっているのかを知らされた。
「・・・まあ幼い頃から虚弱体質な上に、ちょっとした事件があったから、仕方ないんだけど。」
「ちょっとした事件?」
「つぐみはな、小学2年生の頃、知らない男に連れ去られそうになったことがあるんだよ。
そのとき近くにいたヤンキー姉ちゃんのお陰で危機一髪助かったんだけど、その時の後遺症で暗闇が苦手だったんだ。
そういうのPTSDって言うらしいんだけど、そのことでつい最近まで病院へ通っていたりもして。まあ暗闇はもうほとんど克服しているはずなんだけど、あの時は知らない場所で真っ暗なお化け屋敷へ迷い込んじゃったからパニックを起こしたみたいだ。」
そうか。暗闇が怖かったのか。
俺がそう納得したときに、山本信二はそれを覆すくらいの事実を口にした。
「そんなことより心配なのはさ。」
「え・・・?」
まだ心配事があるのか?
俺は黙ったまま、耳をそばだてた。
「つぐみは・・・男が大嫌いなんだ。怖いというよりかは嫌悪している。
アイツが心を許している男は父親である兄貴と伯父である俺、そして俺の親父である祖父さんだけ。他の男は全員この世から消えて欲しいんだとさ。
いや、伯父の俺が言うのもなんだけど、すごくいい子なんだよ?
親思いでけっして兄貴達に心配かけないよう、少なくても18時までには家に帰ってくるし、料理や手芸が得意で、俺もよくお菓子やフェルトのマスコットっていうの?誕生日に貰ったりしてさ。優しくて素直で正直者で。
甘やかされてはいるけど、意外と世話好きでしっかり者なんだ。
今飼っている犬も捨てられているところを可哀想だからといって拾ってきて、めちゃくちゃ可愛がっているよ。
それにあの容姿だろ?クラスメートの男子にもしょっちゅう絡まれて、それが男嫌いに拍車をかけてしまっているんだよ。」
「・・・ふーん。そうなんだ。」
やっぱりあの少女は外見だけじゃなく、中身も天使だったのだ。
「あとはあの男嫌いが治ればなあ。男と肩が触れ合うのも嫌だから、満員電車にも乗れないし、多分他にも不便なことが沢山あるはずなんだ。」
それを聞いて、あのとき俺に見せた恐怖と嫌悪感に満ちた視線の理由が腑に落ちた。
しかし腑に落ちたからといって、なにかが解決したわけではなかった。
今、俺が仮に近づけたとしても、ただ嫌われるだけだ。
あの憎しみにあふれた強い瞳・・・その瞳に映る自分はあの少女・・・つぐみにとって忌み嫌うべき存在でしかない。
しかし逆に考えれば、あの少女はどんな男にもなびかない。
ライバルの存在を気にしなくてもいい、ということだ。
なにせ、自分で言うのもなんだが、女に好かれるために生まれてきたようなこの俺をはねつけたのだから。
それからというものの、俺の頭の中はあの少女のことでいっぱいになってしまった。
どうしてあの少女にこんなにも心を持っていかれてしまったのか?
深く考えた末、一つの結論にたどり着いた。
あの俺を見た時の恐怖と嫌悪感に満ちた瞳。
あれは俺自身が女全般に対して向けているものと同じものなのだと悟った。
あの少女と俺は似たもの同志だ。
異性に対して並々ならぬ憎しみと警戒で、自身の周りにバリアを張って自分を守っている。
あの少女の固く頑丈な殻を突き破って、その中身を覗いて見たい。
いや、そんな理屈っぽい言葉で理由づけることに意味はない。
俺は単純に、あの少女に一目惚れをしたのだ。
俺はロリコンだったのか?
いやロリコンと言われようが変態だと思われようが、自分の気持ちに嘘はつけやしない。
ただあの少女の笑顔が見たい。
出来れば俺だけに向ける心からの笑顔を。
俺は今までに感じたことのない、歯止めの効かない激情に自分自身でも戸惑っていた。
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