第10話 孤独
俺がマルコを連れて川沿いの広い公園を散歩していると、突然誰かに肩を叩かれた。
嗅いだことのある甘ったるいラベンダーの香りが、俺の鼻孔にまとわりついた。
「弘毅君。久しぶり!」
その声の主は陽平に連れていかれたバーベキューの時に声を掛けられた女だった。
名前などすっかり忘れていて、とっさには思い出せなかった。
「忘れちゃった?ほら、レインボーのイベントで会った三浦喜代美。」
ワンレングスの髪をかき上げながら、三浦喜代美はローズピンクの口紅を塗った唇をアヒル口にしてみせた。
「・・・ああ。どうも。」
俺は軽く頭を下げて挨拶した。
「可愛いワンちゃんね。たしか・・・マルコちゃんだっけ?
陽平君がアナタとマルコちゃんの写真をインスタへ載せているの、いつも楽しみに見ているの。」
陽平のヤツ、勝手に人の写真をSNSに載せやがって。
家に帰ったら抗議してやる。
「奇遇ね。私もここをマロンの散歩道にしているの。」
ふと足元を見ると、三浦喜代美もリードを持ち、その首輪には柴犬が繋がっていた。
白くて利口そうな可愛い柴犬だった。
「マロンっていう名前なんですか?可愛いですね。」
犬を介在していたからか、三浦喜代美に自分から話しかけていた。
マロンとマルコの話題で話が弾んだ。
三浦喜代美は頃合いを見計らっていたのか、話が途切れた絶妙な間合いで俺とライン交換したいと言い出した。
俺はその誘いに必要性を感じなかったが、陽平の友人だということで邪険にも出来ず、ラインの友達申請を受け入れてしまった。
家に戻り、陽平に三浦喜代美のことを報告すると、陽平はニヤニヤと笑って俺の頭を小突いた。
「弘毅は鈍いな。喜代美はお前のことが好きなんだよ。写真を見たときから気にいっていたらしいぜ。きっと今夜あたりから喜代美のライン攻撃が始まるんだろうな。お前は喜代美のこと、どう思っているの?」
「綺麗な人だとは思うけどさ・・・。」
たしかにあの官能的な唇は印象的で色っぽかった。
それに年上の女は慣れている。
「好かれて悪い気持ちはしないんだろ?」
「それは・・・まあ。」
「だったら一度付き合ってみれば?付き合ってみて始まる恋だってあるっていうし。
何事も社会勉強だと思って飛び込んでみなよ。嫌なら別れればいいんだし。」
「・・・・・・。」
陽平の言う通り、その夜から三浦喜代美の怒涛のラインメッセージが押し寄せてきた。
過去につき合った女とは打算と欲望だけしかなかった。
「恋」というものを経験することも、生きていく上でなにかしらのメリットになるかもしれない。
俺は三浦喜代美のどうでもいいようなメッセージに今までになく誠実に返答し、あらかじめラインに備わっている動物のスタンプを送った。
何回かのラインのメッセ―ジでデートに誘われた。
一回目は食事に行った。
大手チェーン店の回る寿司だったが、喜代美は美味しいと喜んで皿の塔を積み上げていった。
俺も大食いなので、塔の高さを競ったりして笑いあった。
「弘毅君は寿司ネタで何が好きなの?」
「俺は・・・いくらかな。あとは玉子。」
「私はアボカドサーモン。」
「女ってアボカドが好きだな。」
「弘毅君、女性の好みをよく知っているのね。」
「一般論だよ。」
金は男が払うものだという自分なりのルールがあったので、少ない小遣いから俺が支払った。
経験という名の先行投資だ。
二回目のデートで映画に行った。
陽平と同じ英文学を専攻している三浦喜代美は、難解な解釈を必要とする「愛のソリチュード」という外国の映画を指定してきた。
ソリチュードとは「自分から好んで孤独になること」
「愛」と「孤独」がどのように結びつくのか、全くわからない。
映画の内容自体も物語が入り組み過ぎて、誰が誰なのかもわからなくなり、欠伸ばかりが出て仕方がなかった。
でも喜代美は感動しているようだった。
映画が終わり、喫茶店でコーヒーを飲みながら、喜代美は言った。
「ねえ。「愛」ってなんだと思う?」
「・・・わからない。」
俺は正直に答えた。
「私は愛のソリチュードって、愛は孤独を含むってことだと思うの。
私も孤独、弘毅君も孤独。その孤独を埋め合うのが愛だと思うの。」
そう言われてみればそうなのかもしれない、そう思った。
人間は誰もが孤独だ。
でも誰かがそばにいるだけで、少しだけその孤独を紛らわせることが出来る。
喫茶店を出て、芝生のある公園のベンチにふたりで座った。
ふいに喜代美が自分の頭を俺の肩に乗せてこうつぶやいた。
「弘毅君。好き。」
俺はどう答えていいのかわからなかった。
「俺もアンタのことは嫌いじゃないよ。」
「嫌いじゃない・・・か。それでもいいわ。お互いの孤独を埋め合いましょ。」
その日、俺は喜代美と寝た。
打算のない、慰め合うだけのセックス。
それでもひととき、俺がいることで喜代美の孤独が薄まればいい。
でも・・・。
恋ってこんなものなのか・・・それが俺の本音だった。
その熟れた果実のような唇だけが、喜代美を求めるモチベーションだった。
しかしその日を境にだんだんと、喜代美の俺への執着が激しくなった。
今、何をしているの?
今日は誰と会ったの?
明日の予定は?
毎日のように来るラインのメッセージに、俺はうんざりしていた。
「そんなに俺のことが信用出来ないのかよ?」
俺の問いかけに喜代美は余裕のない顔で答えた。
「じゃあ信じさせてよ。弘毅君って学校でもモテるんでしょ?陽平君から聞いているわよ。
よく手作りのクッキーやらケーキを貰ってくるって。」
「貰ったものをその場で捨てられないだろ?
だから家に持ち帰って陽平に食ってもらっているんだ。それの何がいけないんだ。」
「告白だってよくされるんでしょ?」
「全部断っているよ。」
「心配なの。弘毅君がどこかへ行ってしまいそうで。私を孤独の森へ帰さないで。」
「・・・・・・。」
すでにどこかへ逃げだしたかった。
「分かった。少し話し合おう。」
俺は前に会った喫茶店を指定した。
喜代美は俺より早く店に到着していて、注文済みのアイスティーのコップを両手で掴んでいた。
俺が向かいの席に座ると、不安そうな表情で俺をみつめた。
「弘毅君。何か飲む?」
「いらない。」
「なにか怒っている?」
「別に。」
その甲高い声が耳に障った。
ふたりの間に沈黙が続いた。
その沈黙に耐えられず、俺は吐き出すように言った。
「俺は喜代美の孤独を埋めることなんか出来ない。
悪いけど、他を当たってくれる?」
「そんな・・・そんなこと言わないで・・・。私は弘毅君の孤独を知っている。
私しか弘毅君の孤独を埋めてあげることは出来ないと思うの。
もう一度考え直して・・・」
お前が俺の何を知っているというのか?
孤独を埋めてあげるって偉そうに言うな。
孤独、上等じゃねーか。
孤独を埋めるために相手の自由を奪うことが愛だというのなら、俺は愛なんていらない。
鬱陶しいだけだ。
手で顔を覆い隠しながら涙を流す喜代美の顔を再び見ることもせず、俺は席を立ち、店を出た。
そして喜代美のラインアカウントをブロックした。
喜代美に対する俺の感情は「愛」どころか「恋」でもなかったのだ。
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