第8話 労働
高校に入って初めての冬休み、俺はバイトを始めた。
伯父は生活費や食費などの面倒を十分なほどに与えてくれていたが、将来のために自らの金を貯金しておきたかったのだ。
いつ、どこで、どんな風に金が必要になるかわからない。
中学時代に年上の女から貰った小遣いは、新しい生活に必要な衣類や細々とした雑費に使い、俺の貯金通帳の残高は底をついていた。
計画を立て実行をして成功を手に入れる。
これが俺のモットーだ。
現実的な貯金額を決め、高校生活に支障をきたさない程度に働き、確実に貯金を殖やす。
なるべくエネルギーを使わず、時給の良いバイトを見つけるためにほんの少し時間を費やした。
そこで俺は恰好のバイト先を見つけた。
小学生相手の家庭教師だ。
小学生程度の知識なら、余裕で教えられる。
問題はガキの扱いが上手く出来るかどうかだった。
年下の相手と接する機会なんて、俺のこれまでの人生では皆無に等しい。
しかし金の為だ。
成功率は未知数だが、やってみる価値はあると思った。
さらに調べていくと、兄妹一緒に教えて欲しいというバイト先をみつけた。
同じ時間で報酬は2倍。
こんなに美味しいバイトはない。
俺は速攻、家庭教師サイトの情報を元にその個人宅へ連絡し、面接まで漕ぎづけることができた。
そのバイト先は、大きな洋風邸宅だった。
赤茶色のレンガと白ペイントの鉄門扉。
広い中庭に赤いポルシェと、濃いブルーのワンボックスカーが並んで停めてある。
「畑中」という表札の横にある玄関の呼び出しベルを鳴らすと、花柄の黄色いワンピースを着た、30代前半と思われる女が扉を開け、俺を出迎えてくれた。
顔の造作は美人というほどではなかったが、丁寧に施された化粧やスタイリッシュな服装で洗練された雰囲気を纏っていた。
俺はオープンテラスが窓から見える広い応接間に通され、その若いマダムと対面した。
グリーン色の飲み物が入った高級ブランドのティーカップのふちを唇に付け、いつも感じる女の視線を受け止めた。
自分の容姿が良いことに、このとき初めてメリットを感じた。
「ハーブティ、大丈夫だったかしら?」
マダムは今更ながら俺に尋ねた。
一口飲んで、歯磨き粉の味がすると思ったが、「美味しいです」と言いながら、半分くらい一気にその茶を飲んで見せた。
「アナタ、公立のわりには品行方正で偏差値も高いと評判の白咲高校なのね。
・・・成績はどんな感じ?」
俺はあらかじめ持ってきていた、中間考査の順位と点数が載っている用紙を、マダムの前に置いて見せた。
「あら。なかなかの成績ね。小さい子供を相手したことはあるのかしら?」
「従妹が小学校の高学年なので、たまに人形遊びにつき合ってやることもあります。」
俺はあらかじめ適当に作っておいた嘘を告げた。
「なら大丈夫ね。上のお兄ちゃんは小学校5年生で下の娘は小学3年生なの。
どちらも算数と社会が苦手でね。何人か有名大学生の家庭教師を雇ってみたのだけれど、あまり年齢の離れている大人だと怖がってしまうの。
アナタくらいの年齢なら、二人ともお兄ちゃん感覚で受け入れやすいと思うのよね。」
俺も薄笑いを浮かべて、マダムの告げるバイトをするにあたっての条件にいちいち頷いて見せた。
99%大丈夫だと思った。
予想通り、俺はなんなく採用になった。
毎週土曜日、午後2時から4時までの2時間、一日の報酬はかなり高額なものだった。
駅前のファーストフードでバイトしたら一時間良くても千円ちょっと。
かなり割の良いバイトだと思った。
勉強を教えるガキは上の男子が星空、下の娘が雲母という名前だ。
星空と書いてセイと読み、雲母と書いてキララと読む。
ガキ達の両親は夜空を見るのが好きなのか、それともただ雰囲気で付けたのか、典型的なキラキラネームだ。
金持ちの子供らしく、着ている服は一目でブランド物だと分かったし、その部屋や持ち物も金の匂いがぷんぷんした。
二人は最初の内こそ大人しくしていたが、すぐに勉強に飽きてしまい、セイは任天堂スイッチで遊び始め、キララもノートに犬の絵を描き始めた。
俺はセイのスイッチを取り上げた。
「セイ君が俺に勝ったら、仮面ライダーのおもちゃを買ってあげるよ。
でも逆に俺が勝ったら算数のプリントをちゃんとやるんだ。いいかな?」
セイは新しい家庭教師に興味を持ったようで、上機嫌でその戦いを受け入れた。
俺はスイッチこそ持っていなかったが、不良仲間とつるんでいた時ゲーム機を借りて暇をつぶしていた経験がある。
どんなゲームでもやり方さえ覚えれば、操作は同じだろう。
俺はその格闘技で戦うゲームで、セイに圧勝してみせた。
セイは何回も対戦を挑んできたが、一勝も譲らなかった。
ガキ相手に大人気ないが、俺にもおもちゃを買ってやる余裕などない。
仕方なくセイはプリントに向かって、鉛筆を走らせるようになった。
キララにはおだててその気にさせる作戦を取った。
「キララちゃん。そのりぼん可愛いね。よく似合っている。」
キララは嬉しそうに笑いながらピンクの水玉模様のリボンを解いてみせた。
「これはねえ。お祖母ちゃんに買ってもらったの!
お祖母ちゃんはキララが欲しいと言えば何でも買ってくれるんだよ。
そういうのマゴバカって言うんだって。」
キララは甘やかされた女特有の、我儘でませたガキだった。
俺にかまって欲しくて仕方がないようで、プリントの端に「先生・あいしてる♡」などと書いてみたり、髪のリボンを解いてみては「先生、結わいて!」などと甘えてきた。
何が「あいしてる」だ。
どうせアニメキャラの台詞を、意味もわからず使ってみたいだけなんだろ?
しかし俺は出来るだけ優しい微笑みを浮かべて「じゃあ国語の問題を解いたら結わいてあげる。
ごんぎつねはどうして栗を持ってきたのかな?」などとなだめすかしながら、勉強に誘導していった。
女はガキでも面倒くさい生き物だと改めて思った。
冬休み明けの小テストでセイもキララも高得点を取ってきて、俺はマダムの信頼を得た。
俺は高校生活の長い休みに入ると、部活と自分の勉強の合間を縫って、このガキ達の家庭教師になり、金を貯めていった。
その金の何割かは、服やファッションにポリシーはないが、靴と腕時計にはそれなりの金を出そうと思っている俺の唯一のこだわりの為に消えていった。
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