カミサマの等価交換

宵町いつか

第1話

 「どんな願いも叶えさせてくれる優しくて素晴らしいカミサマがいるんだってさ」




  1




 黒い服を着た大人たちが忙しそうに動いている。

 俺は夢の中にいるような感覚があの日からずっと続いていた。

 ふわふわと体が宙に浮いているような気がして、気持ち悪くなって目を閉じる。

 暗闇に薄っすらと、もう居ない一歳下の妹の姿が映り込む。

 笑顔が眩しく、常に動いていて、俺なんかとは違って人望があって、人のために行動できる良く出来た妹だった。

 俺は自分の身長より少し小さい棺桶そっと撫でる。

「お前のせいじゃないからな」

「仕方なかったんだよ。防ぎようがなかっただろ?」

 誰かの声が耳元でうるさく響く。

 そんな事全部嘘だ。俺があんな呑気にしてなければ防げたはずのものだ。

 俺は自分の惨めさを呪う。呪うことしか出来なかった。それしか、自分の罪を自覚できなかった。贖罪出来なかった。

 瞼の裏にあの日のことが鮮明に思い起こされる。








 放課後、校門をくぐると早速妹である作良に捕まった。

「お兄ちゃん、手伝って!」

 そう言って腕を伸ばし作良は俺の耳をぐいっと引っ張る。強制的に引っ張られた頭が作良の肩くらいまで来たところで、作良はニカッと笑みを浮かべる。

「痛い」

 俺がそう言うと乱雑に耳が開放された。

 少し赤くなり痛む耳を手で包みながら俺は作良の顔を見た。

「急に何すんだ」

 俺は軽く睨みながら言う。けれど作良はそんなことを気にせずに笑い続ける。

「いや、買い物手伝ってほしくて」

 そう言って作良は肩まで伸びた髪を揺らした。

 この買い物を手伝うという皮を被った荷物持ちは、大体二ヶ月に一回の頻度で学校終わりに二時間行われる。そんな金どこから出てきてんだって突っ込みたくなるほど、服や化粧品を買う。そして俺が両手に収まりきらないほどの紙袋を持つ羽目になる。 だからできればやりたくはない。疲れるし。

「今回こそは嫌だ」

 俺がきっぱりと断ると、作良は考える素振りを見せてから言った。

「なんか本買ってあげよっか?」

 首を傾げ、真剣な顔をしながら作良は言う。考えた結果がそれかよ。

 俺はため息を付きながら言った。

「妹に買収される兄の図とか悲しすぎんだろうが」

 俺は乱暴に頭を掻きむしった。

「仕方ない。アイス一個で手を売ってやろう」

 俺は渋々承諾する。

「おーやった!流石お兄ちゃんだね。これからお兄様って言わなきゃいけない気がしてきたよ!」

 そう言いながらぴょんぴょんと、その場で飛び跳ねる作良を見ながら俺は、少ししたらアイスのことなんて忘れるんだろうななんて考える。

 歩き出すと同時にバックを担ぎ直した。

 俺らは学校近くにあるショッピングモールに足を進める。作良がローファーでコンコンと音楽を鳴らしながら進んでいく。

 知り合いに会えばすぐに元気に対応をし、相談事がある人には相談を受ける日程を決め、歩き出す。それを何度も作良は繰り返した。

 生徒の波に流されるようにして歩いていると、大きめの交差点に差し掛かった。多くの生徒は立体歩道橋を使うが、混雑していて時間がかかりそうだったので、大人しく横断歩道を使おうと歩行者用の信号の前で俺達は止まった。

「ねえ、廃屋のカミサマのこと知ってる?」

 唐突に作良が声を出す。

「ああ……噂だろ?願いを叶えてくれるっていう」

 現実主義の作良がそんな事を聞くなんて珍しいなんて考えながら、隣のクラスのやつが言ってた内容を頭の中で反芻させる。

 学校近くのくたびれた廃屋に願いを叶えさせてくれるカミサマがいる、らしい。カミサマの正体は誰にもわからない。人によって見える姿も違うとか。願いを叶えさせてもらうために、廃屋の玄関に何か物を置く。基本的には自分の物であったらなんでもいいらしい。等価交換だそうだ。カミサマが出現すると家から出られなくなる。その間にカミサマに願い事を言うと叶えさせてもらえる。ただ願い事も等価交換だそうだ。願い事と対当、又はそれ以上の対価を差し出さなければいけない。

「そそ。私ね、一個願い叶えさせてもらったんだよ。カミサマに」

 俺は作良を目の端に収め、呟く。

「面白い嘘だな」

 そう言うと作良はスカートのポケットから小さな宝石がはめ込まれている複雑な模様の入ったネックレスを取り出した。

「これは契約書みたいなものなんだって」

 ネックレスを太陽にかざしながら言う。

「そっか。大事にしないとな」

 俺は欠伸を噛み殺しながら言う。

「信じてないでしょ?」

 もちろん。俺は首を縦に振る。

 ぼーっとしながら目線を前に向けると対岸では散歩中の犬が見えた。シーズーだろうか。

 楽しそうに走ってるな。

 のんきにしてんなぁ。

 隣にいる作良の方を見て言う。

「犬、可愛いな」

「ね。飼いたいね」

 顔を綻ばせながら作良が言った。大きな欠伸をしながら視線を戻そうとしたとき小さく作良の口から音が漏れる。

 どうした?

 そんな事を聞く前に隣から妹は居なくなっていた。

 数秒経って聞こえたのは何かがぶつかる音。

 そして悲鳴。

 どこからか「きゅ……救急車呼ばないと」と言った震えた声が遠くから聞こえた。

 は?

 いつの間にか俺の妹は横断歩道の真ん中にさっきの犬を胸に抱きながら倒れていた。少し先にはフロントガラスが割れた軽自動車があった。

 倒れている作良の頭からは赤い血が流れ出ていた。

 その赤がゆっくりと高校の制服に染み込んでいく。

 犬の飼い主らしき男がリードだった物を握りしめながらゆらゆらと横断歩道に近づいていく。

 運転席から中年の女性が青白い顔で姿を現し、妹に駆け寄る。

 作良に大丈夫ですか?と大声で聞いている。

 俺は未だ状況を飲み込めずにいた。

 後ろから声が聞こえた。

「え……何?事故?」

「ちょっと、動画とろうぜ」

「えーこっわ」

「待ってあれ、うちの高校の人じゃない?」

 汚くて醜い人間の声が。

 ああ……早く作良を守らないと。なんとなくそう思った。

 これ以上赤の他人にこんな姿の妹を見られたくなかった。これ以上傷ついてほしくなかった。

 信号なんて気にせずに妹のそばに向かう。

「作良……」

 頬に触れる。

 少し暖かくてまだ生きているように錯覚してしまう。

 でも反応はなかった。

「なあ……買い物行くんじゃなかったのかよ?アイス、奢ってくれるれるんじゃなかったのかよ?」

 俺の言葉は作良には届かない。

 作良の半分ほど開いたうつろな目が地面を見つめる。

 作良の腕の中でシーズーが動き出す。

 シーズーの何も考えていないような呑気な鳴き声が響いた。

 どこからか鳴き声が聞こえた。

 シーズーからではない他の泣き声が。

 何故か喉が痛かった。



  2




 白くなって作良が家に帰ってきた。

 遺影の隣に骨が置かれる。

 とても丁寧に扱われるものだからまるで神々しいもののような気さえした。いや、現に作良は家族にとって太陽のような、神様のような存在だったのだ。そして葬式に集まった同級生たちにとってもかけがえのない存在だったのだろう。それは行われた葬式から痛いほど伝わった。

「いい葬式になったかなぁ……」

 父さんが地面に雫を落とす。

「いい葬式になった。きっと。あんなにも作良のことを想ってくれる人達が来てくれたんだから」

 母さんも同じように雫を落とした。

 ちなみに事故のことは小さく新聞に載ったらしい。そんなもの破り捨ててしまって覚えてないが、ナスカンというリードの部分が壊れてしまったようで、犬が暴走し横断歩道に出てしまったようだった。

 今更知っても、もう意味はないけど。死んでしまってから知っても、虚しくなるだけだけれど。

 俺は息苦しさを覚え、二階にある自分の部屋に籠もった。そのままベットに体を挟み込む。

 心に風が通り過ぎる。

 あまりにもその風は冷たすぎて俺には耐えられる気がしなかった。

 俺なんかよりも作良のほうが生きてなきゃいけない存在だった。あいつは俺よりも頭が良くて、元気で明るくてみんなの頼りになるような人だったから。小学校の頃から皆を引っ張っていくようなやつで、先生からも周りからも好かれるようなやつだったんだから。

 中学校の頃には生徒会長だってやっていて高校でもするって息巻いていたのに。冷やかしなんか出来ないくらいにあいつはその実力があった。高校でも生徒会長になれたはずだった。兄として贔屓しているわけじゃない。これは紛れもない事実。

「クソっ……」

 俺は声を絞り出した。

 もう何もしたくなかった。息をするのでさえ面倒に感じる。

 神様ってやつは良いやつばかり手元に置いておきたがるんだな。俺は生まれてはじめて神樣を恨んだ。

 妹が死んだのは偶然だからこそ、整理ができなかった。思考が、ピタリと止まってしまった。息をゆっくり吸い込み、目をつぶる。

 すると視界が自然と暗くなり、体の疲れが表面化してくる。そのまま俺は死んだように寝た。

 作良のいない家はとても静かだった。耳障りな、耳鳴りがするほどに。





 ドアがノックされる音で目が覚めた。

 俺は霞がかった頭で起き上がり、ドアを開ける。

 ドアの前には母さんが少し赤い目で俺に何かを差し出している。俺はそれを受け取った。それは少し冷たく、手の中で金属の擦れるような音が小さくしていた。

「作良から。あんたにって」

 疲れ切ったような少しかすれた声を母さんは絞り出す。そして折りたたまれた手紙をポケットから取り出し、俺に向かって優しく差し出した。

 俺はそれを空いている手で受け取る。

「そっか……」

 しっかりと閉められていた手のひらを開けると見覚えのあるネックレスがあった。

 カミサマとの契約書が。

 等価交換か……。

 やってみる価値はあるのかもしれない。

 俺は小さく決意を固め、母さんを見つめる。

「ありがとう」

 その言葉を聞くと母さんはゆっくりとリビングに戻っていった。

 俺は手紙を開き、読む。

「これはお兄ちゃんのものです。自分の命と同じように丁寧に扱ってください。壊れたりしたら私も、お母さんもお父さんも泣いちゃいます。絶対に守ってください」

 なんだよそれ。

 作良の遺したネックレスをポケットに、手紙を机に置く。

「行ってきます」

 そうつぶやき俺は思い出から離れていった。

 自分でもおかしいなんて思ってる。

 アホらしいって。

 こんな事を信じる俺は馬鹿だって。

 でも馬鹿じゃないと生きていけない気がした。それくらい世界は変わる。世界は無情だ。

 夕焼けの中、俺は歩みを早めた。

 さっきまであった風穴はいつの間にかダンボールで塞がっていて少し収まっているように感じた。いつも見ている景色がまるで違う世界かのように活き活きと輝く。

 いつの間にか走り始めている自分に驚きながら目的の場所まで休まずに向かう。

「――ここ……かっ」

 酸素を貪り、肩を上下させながら俺はカミサマのいる廃屋までやって来た。息を整え、心臓を皮膚の上からつかみ、動きを無理やり押さえつけ廃屋に一歩近づく。

 敷地内に入ると、酸素が窒素に変わってしまったかのような息苦しさを感じた。空気が重くのしかかり、肺が潰れそうになる。それでも足を前に動かす。

 飛び石を踏みしめながら、殆どゾンビのような動きで玄関に体をねじ込む。外観はまだ家としての形を保っていたが、中は玄関もリビングもキッチンも壁すらも何もかも、跡形もなく消え去っており空っぽだった。

 俺はズボンのポケットからスマホを取り出し、目の前に置く。

 俺はじっとスマホを見つめる。

 後ろからなにか音がした。

 まるで何か重たいものが置かれるような鈍い音が。それが何度も何度も何度も何度も続いた。

 ゆっくりと振り向くとそこには何冊もの本が積み重なっていた。まるで壁のように。

 漫画本や小説、写真集、週刊誌、辞書、少年誌。

 とにかくこの世界のすべての本が集められているかのような異様な光景が広かっている。

「……なんだこれ」

 近寄って確認すると何年も前の本や最近発売されたものまで年代もバラバラ。

 だか、そのどれもが時が止まったようにきれいな状態で収まっていた。

 ふと周りを見ると本以外にもパソコンや折りたたみ式の机、ライト、小型の扇風機などの日用品らしきものまであった。

 そしてそれは俺をこの家に閉じ込めるような形でぎっしりと積まれていた。

 閉じ込められたということを認識した瞬間、心の奥からふつふつと不安が湧き出てきた。

 俺はもしかしたらとんでもないことをしているのかもしれないと。

「いい反応するじゃないか」

 テノールくらいの声の高さの芝居がかった男の声が背後から聞こえた。

 俺が後ろを向くとそこには古着を継ぎ合わせたようなちぐはぐな服装をした男がライトノベルが積まれた場所に腰掛けていた。

 手には難しそうな神話の本を開き、空いた手にはのスマホが収められている。

「お前がカミサマか?」

 俺が聞くと男は飄々とした態度で、謳うように口を開く。

「カミサマじゃないさ。僕は」

 一旦そこで区切りパタンと本を閉じた。

「僕は存在していなくて、存在している。僕は君であって僕は君じゃない。

 そういう存在だよ」

「は?」

 俺は間抜けな声を出す。

 すると男は小さく笑い声を漏らす。

「僕は君たちのような人間のおかげでこの世のすべてを知っている。知識や経験の全てをね。

 そんなやつのことをどう思うかは君たち次第。全知全能の神と呼ぶのか、偽物というのかはね。それで君はどっちかな?」

 そうニヤリと嗤う。

 俺は迷いなく答える。

「もちろん全知全能の神のほうだ」

「毎度あり」

 神は椅子から立ち上がり、俺に向かって手を差し出す。

「さぁて。君の願いはなんだい?

 片思いを成就させたいか?

 テストでいい点数を取りたいか?

 嫌な記憶をなくしたいか?

 嫌いなやつを消したいか?

 さあなんだい?

 対価を差し出せば何でも叶えてやろう。なんだって俺は神様だからな」

 踊るような声で神は言う。

 まるでこの世のすべてが祝福しているようにグラリと物が揺れる。

「死んだ人間を生き返らせることはできるか?」

 神は服をたなびかせながら言った。

「対価を差し出せば、ね」

 そう嗤いながら。

 俺は息を吸い、肺にある全ての息を吐くように言った。

「俺の寿命を差し出す。それでいいか?」

 男は一旦キョトンとした顔になり真顔で言った。

「君の生き返らせたい人間は君のただが60年程度の残りの寿命の価値しかないと? 君と同じ価値しかないと?それくらいの価値しか無いというのかい?」

 早口でまくしたてるように神は言う。

 俺は神に対して小さな恐怖を抱いた。

 妹は、作良は俺と同じ価値しか無いとでも言うのか?

 いや、俺よりもきっともっと何かを残すだろう。

 人に影響を与え、与えられる。

 そんな人間だろう。

 対して俺はどうだ。

 俺がこれから人に与えるのは悪影響のほうが多いだろう。

 葬式のときだって関わりのあった奴らに悪影響を与えたくせに。

 寿命よりももっと大きくて俺が差し出せるものは何だ?

 何だ?

 そんなものあるのか?

「……俺が存在したすべての情報。俺が存在した事実」

 ポツリとつぶやく。

 神はすべての感情が混ざったような複雑な顔をした。

「君は自分のすべてを差し出すと? 生き返らせたい誰かのために? 生き返らせても誰も覚えてもらえない、感謝もされない。そんな状況でも良いと?」

「もちろん」

 俺は神の目を見て言う。

 俺があいつに勝てるものといえば、ただ本を読み、誰かの考えや知識、経験、感受性を持っていることくらいだ。

 だからその全てを作良にあげよう。

 あいつに俺の雀の涙ほどしか無い存在理由と、あいつより少し多い経験と、知識と、感受性と、残りの寿命をあげよう。

 神は考えるような素振りを見せ、言った。

「良いだろう。ここまで言ったやつは久しぶりだ。その根性も買ってやろう。もう一度、問う。

 君の全てと生き返らせたい人間は対当かい?」

 ……何言ってんだ。

 そんなもん作良のほうが重いに決まってんだろうが。でもな、俺はこれしか思い浮かばない。

 等価交換かどうかと言われると違うと答えよう。

 でも……。

「俺は兄ちゃんだからな。たまには体張らないと」

 そう言うと神はどこからともなくネックレスをとりだした。

 鉄でできた、なにかの模様が書かれているネックレスだ。

「これは君と僕の契約書。このネックレスは君が契約破棄をしようとして壊すか、君の生き返らせたい人間が死んだときにしか壊れない物」

 そう言って俺の首にかける。

「さあ、君の生き返らせたい人間は誰かな?」

 俺は神をじっと見て言う。

「俺の妹を……作良を生き返らせてくれ」

  俺の言葉が神に届いた瞬間、廃屋がぐらりと揺れた。

 まるで廃屋の中の時間が歪んでしまったかのように。

 揺れたにも関わらず、壁に積まれている本や部屋の中に散乱している家具たちは微動だにしていなかった。

「ここから出たら君の願った通りの世界だよ」

 神はニヤリと笑った。まるで道化のような不敵な笑みだ。

 俺はくるりと神に背を向けた。

 出る前に俺は気になっていた事を振り返らずに神に聞く。

「お前、名前はあるのか?」

 神は驚いたような顔をして自嘲気味に嘲笑って言った。

「そうだね……誰かにとってはアイテール。他の誰かにとってはアテーナー。その他にとっても、アプロディーテー、アポローン、カリス、クロノス、エロース……。

 ただ、君にとってはタナトスかヒュプノスとでも言っておこう」

 俺は神の言っていることは何となくわかった。

「そっか。お前はどんな神にもなれるんだな」

「そうさ」

 俺は一歩、進む。

 もう一歩。

 そっと本の壁に触れる。

 するとまるで脆いペンキのように崩れていく。

「じゃあな。ありがとよ」

 そう言って俺は廃屋から出た。

 後ろからカミサマの笑い声が聞こえた。





 すっかり闇に覆われた世界の廃屋のそばにある街灯の下でぽつんと作良は立っている。

「あれ、何してたっけ」

 作良はぽつりと呟く。

 何をしていたのかが何も思い出せない。なんで外にいるのかさえわからない。

 作良は背後に静かに佇んでいる廃屋を見る。確か、噂のあった廃屋だ。願いを叶えるカミサマのいる廃屋だ。

「早く帰らないと」

 作良は小さく呟いてため息を吐いた。

 どうやら疲れているらしい。何をしていたのか知らないけど。

 作良は前を向いて歩き始める。

 足音が響いて私を焦らせる。早く家に帰らなきゃっていう焦りを。

 数歩歩いたとき、足元から金属がこすれる音が聞こえた。足裏に執拗に主張してくる感覚からしてなにかを踏んでいるらしい。

 作良は足をどけて地面を見る。

 地面にはネックレスらしきものが落ちていた。

 ひとつは鉄でできた模様の描かれているネックレス。もうひとつは、宝石がはめ込まれている複雑な模様の入っている真っ二つに割れたネックレスだった。

 鉄でできたネックレスの方を作良は拾う。

 ひんやりとした優しい温度が肌を伝う。

 まるで存在しない兄が作良の背中を押すような優しい温度だった。

「……きれい」

 そう言って、作良は心配しているであろう両親の待つ家に帰っていった。

 そして三人で早くご飯を食べて温かい布団で寝よう。

 生きている幸せを噛みしめるように。







〈了〉

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

カミサマの等価交換 宵町いつか @itsuka6012

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ