第3話神隠し

「おや?」


 ずっと背を向けて座っていたため、気がつかなかったようだ。

神祖尊みおやのみことの視線の先、一本の木の根元に、ひっそりと座っている人がいた。


 火の明かりが届かない、薄暗い場所にいるので、顔かたちは見えなかったが、おそらく若い娘だろう。

小柄ながらピンと背筋を伸ばして、身を固くしているように見えた。


「そんな暗がりにいて、どうしたんだい。相手を見つけられなかったのかい」


神祖尊が少し気配を強め、近づいて声をかけた。


 美しい娘だった。十七、八にはなるだろうか。

この時代、十を過ぎれば立派に一人前だから、十七ともなれば、すでに婚期は遅れ気味だ。


 相手を探しに来たのだろうに、こんなに暗い端にいたら、誰にも声をかけられまい。


神祖尊は、両手を膝の上で握りしめて、うつむいている娘の前にかがみ、静かにたずねた。

「話してごらん。どうしたんだい」


「おっかさんが……」


「うん、おっかさんが、何か言ったのかい?」

 娘は握った手にさらに力を込めて、大きく息をはいた。

「おっかさんが、歌垣かがいへ行けって。相手が見つかるまで帰って来るなって……」

「そりゃ、難儀だね」


「行き遅れの役立たず」

「そう言われたのかい?」

神祖尊が呆れて言うと、娘は力なくうなずいた。


 近隣の民のほとんどは農民だ。重労働の田畑を維持して行くためには、人手が必要になる。

家の後継者と働き手を得るために、早く夫を得て、たくさん子供を産めというのが、当時の親の心なのだろう。


「見たところ、お前はそんなに見目みめがいいのに。もっと火の側に寄っていれば、大勢から見染められただろうに」


「そんな…… 恐い」


「恐いって、男がかい」

「たまに来る、おっかさんの相方が殴るから、恐ろしい」

「相方って、父親だろうに、殴るのか」


「本当の父親は死にました。三年ほど前から通うようになった男が……我は女だから小突かれるくらいですけれど、幼い弟がひどく当たられて…… 男と言うものは恐ろしい」


「なるほどな。しかし乱暴な男ばかりではあるまい。そなたを好いてくれるのは、優しい男かもしれないよ」

神祖尊が言うと、少女は、あきらめたように首を振った。


「たとえ夫が優しい人でも、夫が通ってくるのだから、私が家を出ることはないでしょう。

最近、あの男の目つきが変わってきたのに気づきました。いつか手込めにされるのではないかと。それで、おっかさんが、早く相手を見つけるようにと」


神祖尊は考えた。

こんな美しい娘を、このまま放っておけば、これからも苦しむだろう。

しかし、世の中には、辛い思いをしている者は、もっといるはず。この娘だけ、特別に助けて良いものか。


 しかし、神祖尊は言った。

「よし、わかった。我と来るが良い」


「え? 今なんと?」

「嫌な男の手の届かぬところへ、安心して暮らせる家へ連れて行ってやろう」


 そうだ、非力な娘ひとりさえ助けられずに、なにが神祖みおやかと、神祖尊は思った。

それに、神が目にとめた娘ぞ、ただの娘ではあるまい。こうして神気を解放しても動じる気配がない。


「そんなことができるとは。でも、弟を置いては行けません」

娘は、つらそうに、手で襟元をかき合わせながら、語気を強めた。


目の前に、簡単に楽になれる道が示されたのに、弟を思って、キッパリ断る心根が、神祖尊には好ましかった。


「そうか、それでは弟も一緒にだ」

「そんなことが、できるはずありません。夢の中ならともかく、現実にあの男から逃れることなんて、無理」


「ふふふ、これは夢かもしれんぞ。人はこれを、神隠しなどと呼ぶな」

神祖尊は手を伸ばすと、ひょいと娘を肩に担ぎあげて、歩き出した。

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