第21話

 タケルは地雷女の手を引いて歩いていた。

 地雷女は強引に手を引かれても文句ひとつ言わなかったが、実際は思考通信モードでバックパックに内蔵されたサポートAIと会話していたのだった。


「通信障害の回復状況は?」

『リトライはすべて失敗。母船からのリプライ、なし』

「他の端末の反応は?」

『なし。この状況における行動プランは――』

「わかっている。引き続き自己判断モードを継続する」


 タケルたちは近くの川に到着した。

 地雷女はメカメカしいハイヒールのような硬いシューズで歩いていたためか、石の多い場所でつまづきながら歩く。タケルはそんなことに気づく余裕はなく、固い決意の表情で女の手を引いていた。



「もう僕にかまわないでくれ」


 よし! やった。キッパリ言ってやったぞ。

 わざわざ人目につかない場所まで連れてきたのは、こんな話を誰かに聞かれたくなかったからだ。

 事情を知らない他人に仲裁に入られたりしたら面倒だし、そもそも恥ずかしいじゃないか。お前に痴話げんかなんか百年早いとか言われそうだし。


「私は、邪魔?」

 地雷女の声は少し悲しそうだった。

「あれ?」


 『了解した』とか『拒否する』とか、とにかく感情のない答えが返ってくると思っていたのに予想外の反応だった。


「そ、そうだよ。自宅まで押しかけたり、寝込みを襲ったりするのはやめてくれ。コスプレとかサバゲーで遊びたいなら仲間を探せばいいだろ」

「仲間?」

「そう、仲間……。いや、僕も人のこと言えないけどさ。まあ、学校じゃ友達作りにくいよね……じゃなくて! まだそういう仲間がいないんなら、そういうイベントに参加すれば気の合うやつがいるかもしれないだろ」


「仲間なら、いる」

「な、なんだ、いるんだ。ならそういう人と連絡をとって――」

「あなたを助けた日から、連絡がとれなくなった」


 地雷女が耳たぶに付けていたアクセサリのようなものからアンテナが伸びて、まるで生きてるみたいにクルクルと回った。連絡がとれないことをアピールしているようにもみえるけど、なんだかバカにされているようにもみえる。


「助けた?」

 彼女が当然のようにコクりとうなづくの見て、僕は無性に腹が立ってきた。


「い、いつ助けたって!? お前は武器を持って追いかけてきただけじゃないか。口に銃を突っ込んで、あれで助けてるつもりなのか? は、はは。友達がいなくて、女の子にもフラれた可哀そうなヤツだから、かまってやってるとか、そういうこと? 冗談じゃない。もう僕にかまわないでくれ! はやくどっか行け! 消えろ」


 感情のまままくしたてた。自分でもわかってるさ。僕は彼女の迷惑行為に腹を立ててるフリをしてるだけで、実際は自分のカッコ悪さに腹を立ててるんだって。

 息が苦しい。

 ぜー、はー、という息遣いが、静かな川の流れの音に消えていった。


 地雷女はタケルの様子が変わったことには気づいていたが、どうしていいか分からずに不安げな様子で立ち尽くしていた。

 そして何を思ったかタケルの頭に手を伸ばして優しく撫でようとした。


 タケルは怒りに任せてその手を振り払おうとして、勢い余って地雷女の頬を平手打ちした。彼女の小さな顔はひとたまりもなく打ちのめされ、長いサーモンピンクの髪がぐるりと渦を巻く。



 パーーーン!



 鳥獣対策用の花火の音が響いた。

 タケルに殴られたショックで、地雷女の思考に映像ノイズのように昨日の光景が映し出される。

 タケルが自分の額に銃口を当て、彼女に撃てとうながした時のことだ。


 ディスプレイ上で波打っていた心拍グラフの動きが小さくなり、波が反転するたびに鳴っていたアラームの間隔が長くなっていくにつれ、地雷女は事態の深刻さに気付いた。

「繰り返す! 別端末の分析データの開示を! 対象が生命活動を停止して、別の……生まれ変わり? モテる男? えっと、繁殖力の高いオスになろうとしている!」

 地雷女は息苦しさを感じて言葉を区切った。


 彼女の生体ボディは、タケルの脳を解析して死に結び付いたイメージから構成している。

 最初にヒットしたのは果物の桃など、どうみても殺傷能力のないものばかりだった。次にヒットしたのはタケルのコレクションのひとつの美少女フィギュアである。キーワードが死ではなく萌え死に変わっていたことは見落とされた。

 殺傷武器も装備していることから人類の抹殺に適していると判断したのだが、彼女はこの体に違和感を感じ始めていた。走って逃げるタケルに追いつけなかったし、重い武装を自在に取り扱うには明らかにパワーが不足していた。


「これは、何だ?」

 彼女は胸に感じる違和感を手で探りながら言った。

 無意識に足を固く閉じ、片手を足の間に差し込む。

 身の危険を感じた少女のように。


 ディー、ドゥー、ディー、ドゥーとブザーがなる。対象の状態異常を示す計器が臨界点に達しようとしている警告だ。

「本部との通信不能のため、以降は自己判断モードに移行。生まれ変わり、および繁殖能力の優れた別体への変容を阻止するため、現行生体の蘇生を試みる……。対象には特別な思い入れのある行為が存在した。それを……、今から試行する」


 地雷女は仰向けに倒れたタケルの上にまたがった。自分の唇に触れ、その感触を確かめる。

 そしてタケルの顔を両手で覆い、ゆっくりと顔を近づけると、そのまま唇を重ねた。

 息を吹き込むが、空気はタケルの鼻から出てきてしまう。耳の後ろを押さえていた右手を鼻の上に重ねてもう一度息を吹き込むと、今度はタケルの胸が持ち上がる感触があった。

 女は満足したように何度か唇を重ね直して息を吹き込む。


 左手を頭の横から首筋をたどって胸に移動させた。

 唇を重ねたまま、タケルのワイシャツのボタンを器用にひとつずつはずしていく。

 女は唇を離して起き上がり、胸を開いて肌を露出させて荒くなった呼吸を整えた。

 そして腰から二本のケーブルを引き出し、小さな針がついた先端を、胸の左右に刺した。

 タケルの胸に手を当て、体重をかけて起き上がる。女はタケルをまたいで仁王立ちの姿勢になった。


 ケーブルを引き出した腰のパーツについたボタンに手をかけると、女は悪魔のような顔でニヤリと笑ってつぶやいた。


「アスタラビスタ。……ってどういう意味? サージ!」


 スイッチを押すと、周囲に雷鳴のような轟音が響き、周囲の鳥が一斉に飛び立った。



 パーーーン!



 一瞬ののち、二人がいた川の近くのマンションの壁にその音が響く。タケルは一瞬遅れてやってきた自分の手のしびれと音に驚いて立ち尽くした。


 その音に気づいて、川にかかる小さな橋の上の人影がスカートをなびかせて振り向いた。


 地雷女が殴られて頬を押さえて下を向いている。

 髪が顔にかかっていてその表情は見えない。



 やってしまった。

 女の子を殴るなんて最低のヤツがすることだと思ってたし、まさか自分がそんなことするわけないと思っていた。これは事故だ。僕は手を払いのけようとしただけで、顔を殴ろうなんて……。

 

 目の前の彼女は頬をおさえてじっとしていた。

 痛みに耐えて泣いているのか、それとも殴った僕に対しての怒りに震えているのか分からなかった。


「ご、ごめん、わざとじゃないんだ」

「だいじょうぶ……」

 小さな声だったけど、言葉を返してくれただけでも救いになった。

 でも……。

 情けない。殴られた側の女の子になぐさめられるなんて。


「私はあなたのもの。あなたのすべては私のもの」

「……えっ!?」

「それが、私たちの誓い」

 どこかで聞いたセリフだと思ったけど、それはさっきプレイしていた恋愛ゲームのものだった。


「誓いのキスをしましょう」

 彼女がこっちを向いたとき、頬はまだ赤くなっていた。

「えっ、ちょっと」

 言葉の意味を理解するまでの一瞬の隙をついて、女が僕の間合いに入った。胸に飛び込んだ瞬間、広がった彼女の髪が後からすっと彼女の体に追いつくと、女の子独特の香りが僕の嗅覚を刺激した。


「待って待って。今のってゲームのセリフだよね。まさかホントにキスなんてしないよね。だって、んん」

 彼女の顔が下からグッと近づいて、気づくと唇をふさがれていた。その気になれば逃げられたかもしれない。だけど唇を重ねる前に彼女が見せた映画のワンシーンみたいな美しさに心を奪われて、僕の体は動かなくなってしまった。


「う、ん」

「ちゅっ、んちゅ」

 こうなふうに思うのは女の子に失礼かもしれないけど、なんだか魔女に惚れ薬を注入されてるみたいだった。体がまったくいうことを聞かない。これは自分の意思? それとも彼女の魔法?

 唇のやわらかさを確かめるように彼女が口を動かす。

 時々開くまぶたから、ゆらゆらと瞳に反射する光が見えた。

 彼女の泣いているような、微笑んでいるような表情が僕の心を翻弄する。


 このまま溺れてしまいたいと思ったとき、女の子が叫ぶ声が聞こえた。


「ちょ、ちょっとそこの二人! 離れなさーい!」


 遠くから近づいてくる声で魔法が解けたのか、僕は一歩後ろに下がった。

 視界の端から女の子が近づいてくるのが見えた。


「こ、小原こはらさん!?」

 僕の中学の初恋の相手、最近告白してフラれたばかりの小原朋美こはらともみさんがそこにいた。

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