第20話

 よし。妹を部屋から避難させたし、やっと地雷女と一対一で話せる。

 急いで追い出す必要はなくなったのだから、うまいこと説得して二度と僕を追い回さないようにしなければ。


 一心不乱にゲームをプレイする女の横に立って話しかけてみる。


「おーい」

 反応がない。

「ゲームは楽しい?」

「ぐぅぅぅ」

 返事のかわりにお腹が鳴った。


「お腹、空いてるの?」

 やっぱり返事をしなかったけど、少し落ち着かない様子だった。そのままじっと横顔を観察していたら、少しずつ頬が赤く染まっていった。正座の太ももをもじもじとこすり合わせている。なんだ? ちょっとかわいいぞ。


「ふぅ、ちょっと待ってて」

 僕はキッチンに降りて冷蔵庫を開けた。プレートに乗った作り置きのカレーをチンしてトレイに乗せ、ついでに菓子箱にあったどら焼きと水を入れたコップをそえて部屋に運んだ。

 用意している間、少しウキウキしている自分に驚く。

 だって美少女に餌付けするんだぞ。

 一大イベントじゃないか。


 僕は地雷女の横に座って床にトレイを置き、彼女の持っていたコントローラーに手を乗せた。

「食べるもの持ってきたから」

 彼女は指を動かすのをやめて僕の顔をじっと見つめた。


「そうそう、食べるときはゲームをやめてね」

 優しく言ってやると、彼女は素直にタケルにコントローラーを返してくれた。よくわからないけど、子供をあやすような感じで接すれば素直に言うことを聞いてくれるのかもしれない。


「さあ、これ食べて。食べ終わったら帰ってねー。あと、もう怖いおもちゃは持ち歩かないように」

 最後の方は願いを込めて言ってみた。


 彼女はトレイの上に乗った食べ物をめずらしそうに眺めはするものの、一向に手を出す気配がない。

 僕はトレイを持ち上げて、彼女の顔の近くに持っていった。彼女はカレーからもくもくと立ち込める湯気を珍しそうに見つめ、鼻をひくひくさせて匂いの刺激を堪能しているみたいだった。


「えーっと、カレーは初めてかな?」

 そういえば今朝、この子はフラフラでベッドの下に寝ていた。病み上がりというやつではないのか? そんな状態の人にカレーライスやどら焼きはよくないのでは?


 それにカレーを初めて見るようなこの反応。もしかして食べ物の選択を間違った?

 などと思っていると、彼女はカレーに手を突っ込もうとしていた。危ういところでその手をつかむ。


「まだ熱いから。それに、食べるならスプーン使った方がいいよ」

 僕はスプーンの先端にご飯とカレーを少し乗せて渡そうとしたんだけど、彼女は僕の手ごと掴んで自分の口元へとカレーを運んだ。桜色の唇がゆっくりと開き、スプーンの先端を受け入れる。


「かぷっ」

 生まれて初めて離乳食を口にする赤ちゃんみたいに、にちゃにちゃと毒見するような顔で口を動かしている。その顔を見てると、なんだか子育てをしている母親のような気分になってくる。これが自分の子だったら、はじめてご飯を口にしたことに感動するかな。というか、なんで動画撮っとかなかった?


「おいちい?」

 自分の口調が変わっていることも気づかず、赤ちゃん返りしてすっかり毒気が抜けた地雷女に聞いてみた。彼女は返事をしなかったけれど、もっと欲しそうな目を僕に向ける。

 やっぱり。かわいいぞ。

 それから彼女がカレーライスを平らげるまで根気よく付き合った。途中からは彼女が逆手でスプーンを握って不器用にカレーを口に運んだので、口の周りがカレーだらけになってしまった。


「しょうがないな。今拭いてやるから」

 早くもどら焼きに興味を示している女の口をティッシュで拭いてやっていると、急に自分に対する怒りがこみ上げてきた。


「って、待てー! 僕はお前のお守りじゃないないぞ」

 ノリ突っ込みにしてはノリの部分が長すぎたことに後悔しながら、僕は叫んでいた。きっと顔も赤くなっていただろう。


「いいか。お前が昨日の夜やったのは住居不法侵入といってだな。悪いことなんだ。僕がその気になれば警察に通報することだって出来るんだぞ」


 通報でやってきた警官が自分と彼女をどんな目で見るか想像してみた。あられもない姿をした女の子を自分の部屋のベッドに寝かせ、食事を与えて飼いならそうとした鬼畜高校生だと思われたりしないだろうか。


 裁判では本棚にあったフィギュアを証拠物件として提出され、彼女をコレクションのひとつにしようとしたとか、彼女が着ていた服をはぎとって自分が作ったコスチュームに着替えさせたとか、あることないこと捏造ねつぞうされたりしないだろうか。


 押しかけたテレビレポーターに「お兄ちゃんはそんなことしません」なんて夕実が泣きながら弁解して……。


 ダメだ。プランAは却下。


 気が付くと、女はどら焼きをくわえたままゲームの続きをプレイしていた。


「ちょっと待てー!」


 先ほどまで、初めての離乳食という一大イベントに幸せの絶頂期だった母親気分から、日がな一日ゲームに興じ、ジャンクフードをむさぼり食うJKに頭を悩ます母親へと一気に転落したような気分。


「食べながら遊ぶのはよくないぞ。ちゃんと食べ終わってからな」

 彼女がくわえていたどら焼きを引っ張ると、まるでパン食い競争でもしているかのように首をこちらに向けた。僕と目が合うとどら焼きから口を離して言った。


「わたしはあなたのもの、あなたのすべてはわたしのもの。それが、わたしたちのちかい」


 淡々とした口調だったけど、その言葉は僕の動きを封じるのに十分だった。愛の麻酔のように一瞬で体に浸透する。


「あの、えっと」

「あんなどうしようもない男のどこがいいの?」

「へ?」

 彼女が視線を移した先を追うと、主人公の男を取り合い二人のヒロインが言い争っているシーンが画面に表示されていた。

 続けて主人公の選択肢が表示される。

 彼女は少し考えてから、一番下の選択肢を選んだ。僕だったら絶対選ばないような選択肢なんだけど。

 そして主人公は、別のヒロインが見ている前でメインヒロインにキスをして、めでたしめでたしというハッピーエンドを迎えたのだった。


「そんな強引なハッピーエンドがあるか! っていうか、僕もまだ攻略してなかったのに……」

「攻略完了」


 彼女は無表情のままだったけど、少しだけあごを上げて自慢げに見える。


 そこに妹の夕実がやってきた。


「ちょっと! お兄ちゃん?」

「うわ! な、どうした夕実。子猫はどうなった?」

「いい子で寝てるよ。私も一緒にちょっと寝ちゃったけどさ……。ねえ、あのにゃんこ、これからどうするの? この女の人は?」

「あ、ああ。この女の人は兄ちゃんが家まで送ってくるから」

 と言って慌てて地雷女の手を引いたが、キョロキョロしてなかなか動こうとしない。

「銃は?」

「ああ、そういえば」

 タケルは窓を開けてエアコンの室外機に乗せてあった銃をつかんだ。

「ほら、行くぞ」

 今度は女は素直にしたがった。

「ちょっと、お兄ちゃんったら」

 妹が止めるのも聞かず、僕は足早に女の手を引いて階段を下りた。

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