第18話

 家に戻った僕は、玄関に妹の靴がいつもと変わらずキレイに並べられていることを確認し、急いで靴を脱いで階段を上った。


夕実ゆみ? いるか? ちょっと話があるんだけど」


 ひとまず、あいつには戸締りを徹底させよう。

 地雷女につきまとわれてるなんて言う必要はない。


「なんか不審者の話を近所で聞いたんだけど」


 そうだ。

 近所で不審者が目撃されているといえば、それで納得してくれるはずだ。


 ゆみちゃんのへや、とひらがなで書かれた札のかかった妹の部屋のドアを返事も待たずに開けた。

 一瞬、自分の失敗に気づいてギクリとする。

 妹が『勝手に開けるなー!』と飛び出してくると思ったが、部屋には誰もいないし、電気もついていなかった。


「あれ? いないのか?」


 妹がいない。

 今日は別の靴を履いて出かけたのだろうか。

 妹の元気な姿が見れればもっと良かったけれど、まだ帰宅してないならきっと大丈夫なのだろう。


 地雷女の毒牙になどかかって……。


 隣の部屋から物音が聞こえた。

 音のする方向を見る。

 確認するまでもなく、それは僕の部屋から聞こえていた。


 音を立てないように慎重に廊下を進む。

 きっと地雷女のやつだ。

 目を覚まして自分がいなければ勝手に家を出ていくと思っていたけど、まだ部屋にいたなんて。


「とにかく妹が来る前に追い出さないと。女の子が部屋にいたら説明が面倒だし……。いや、そんなのんびりした話じゃないだろ!」


『……ちゃんをどうする気』


 部屋から聞こえてくる女の子の声に足を止めた。

 なんだ? 今の。


『お兄ちゃんをどうする気かって聞いているの!』

 さっき聞こえなかった主語が今度はハッキリ聞こえた。

 さっきより大きな、怒気を含んだ声。


「夕実、なのか?」


『あなたには関係ないでしょ。だって私がお兄さんの初めての人だもの』


「は?」


『うそ! お兄ちゃんがあんたなんか好きになるわけない!』

『どうしてそう思うの? まだお子様のあなたにはわからないと思うけれど、私は男性が求めることはちゃんと受け止めてあげられるつもりよ』


「ちょ、ちょっと……。これって」

 思わず聴診器のようにドアに耳を当てて、部屋の中で行われている会話に聞き耳を立てる。


『な!? あんたのその目。そのイヤらしい目つきよ! ちょっとくらいスタイルがよくって可愛いからって、男なんか利用するだけ利用して捨てちゃうっていう女の目だわ』


『だ、だからなんだっていうの? わたしは――』


『いい? 私が言いたいのはね。あんたみたいなビッチ。お兄ちゃんはあわれんだり悲しんだりして同情ぐらいしてあげるかもしれないけど……、好きになったりは絶対しないってこと!』


 妹の言い放った声が相手の女にダメージを与えた。

 うめくような泣き声とともに、相手の女が叫ぶ。

『違う、わたしは、ビッチなんかじゃない。わたしは、わたしは、処女よ!』


「ちょーっと待ったー!!」

 勢いよくドアを開けて部屋に飛び込んでみると、思った通り地雷女と妹がそこにいた。

 でも、二人は言い争ったりなどしていなかった。

 テレビの前に仲良くならんで座っている。


 妹がゲーム機のコントローラーを持って振り返った。


「お兄ちゃんおかえりー」


 なんだ? これ。

 妹がクラスメイトと遊ぶような気軽さで、地雷女とゲームをしていた。


「ごめん、お兄ちゃんの部屋で勝手に遊んじゃってー」


 いや、言いたいのはそういうことじゃ。


「夕実、あの、ちょっと話があるからここに座りなさい」

「うーん?」

 夕実は床につけたお尻を上下させてアピールした。ショートパンツに包まれた柔らかな肉がぷにっと揺れる。

 なるほど。お兄ちゃんなんか尻に引いてやると、そう言いたいのだな、妹よ。


「もう座ってる」

「え?」

「もう座ってるって言ったの」

「あ、なるほど、そういうことか」

「もう! お兄ちゃん、妹のお尻見て難しい顔でうなずかないでくれる? おかしいよ、変だよ、変態さんだよ?」

「あ、ああ、ごめん。だからそんなに兄ちゃんをひどく言わないで。そ、それより、どうしてこの女とお前が一緒にゲームをしてるんだ?」

「このおんなー? この女って?」

「だから、その、お前の隣に座っている人だよ」

「えっとー、それを聞く前に、まずお兄ちゃんから言うことあるんじゃないかなー」

 妹は手に持っていたコントローラーを地雷女に渡しながらいった。

 両手を床について体を回し、僕の方に向き直る。


「言うこと? な、何を」

「はい」

 妹は何かを手に乗せるように格好で、両手を地雷女の方に向けた。

 妹の意図がわからず言葉が出ない。

「だからあ、まずは紹介するものでしょ」

「そ、そっか。そうだな、こほん、えっと……彼女は」

「彼女は?」


 さて、どう説明すれば?

 というか、納得させてどうする。

 この女は通り魔級の危険人物じゃなかったのか。

 それがなんで妹と仲良くゲームなんか。


 ゲーム?

 一瞬で鼓動が早くなり、急いで画面をたしかめる。

 そのゲームは、以前購入した恋愛シミュレーションだった。画面には制服姿の女の子と、主人公の妹が言い争っている姿が表示されている。とても読めないような速度でテキストがパラパラと進んでいるのは、地雷女がコントローラーのボタンを連打しているからだ。あんなスピードで全部読めているというのか?


「ねえ、紹介するだけだよ。何悩んでるの?」

「かか、彼女は、あー、同級生で」

 画面の制服女子が主人公の同級生という設定だと思い出しながら言った。


「うん、同級生で?」

「ね、猫を助けたときに」

「ねこ?」

「あっ、ああ。溺れそうになった猫がいてさ」

 妹は口をまんまるくして聞いていた。


「助けたら、それが彼女の猫だったっていう、そんな話?」

「お兄ちゃん、しゃべり方がギャルっぽくなーい?」

 妹が僕の口調に合わせて疑問形で返したけど、僕はそんな妹の茶目っ気にも気づかずスルーした。


 ゲーム画面では制服女子が、二匹の子猫が顔をのぞかせている段ボールを高笑いしながら妹に見せているところだった。主人公との運命の劇的な出会いをアピールし、自分こそ恋人にふさわしいと宣言しているのだろう。


「そんな作り話っぽい言い訳はともかく――」

「つ、作り話なんかじゃないぞ! リアルな恋愛シミュレーションだ!」

「しみゅ、れーしょん?」


 妹が聞きなれない言葉に戸惑っているとき、地雷女が夕実の太ももの上に、ぽふんと何かを置いた。


 それは子ネコのぬいぐるみだった。

 いや、動いているから本物なのか?

 子猫は僕と夕実の顔を交互に見つめ、にゃんと鳴いた。


「な!?」

「えっ、なに? お前どっから来たの? かわいい!」

 見覚えのある三毛猫だった。

 まさか、あの時助けた子猫のうちの一匹?

 いや、そんなことより、こんな猫今までこの部屋にいなかったぞ。

 地雷女はこいつをどこからどうやって取り出したんだ。


 妹が猫をなでなでしている間、僕は地雷女をまじまじと見つめた。

 彼女は何事もなかったようにコントローラーを目にも止まらぬ速さで操作して、ひたすらゲームを進めていた。


 画面を見ると、主人公の妹が制服の女に言い負かされて、泣きながら通りを走り去るところだった。

 そこで選択肢が表示される。

 妹を追うか、それとも制服女と一緒にいるかというものだ。

 地雷女は夕実を眺め、そして妹を追う方を選択した。

 場面はものすごい勢いで進行し、妹がうるんだ瞳で主人公を見つめる絵が表示された。


「……これって」


 僕は未成年なので十八禁の恋愛シミュレーションなどは断じて所持していない。所持していないが。しかしこのゲーム。キスシーンがとっても濃厚で、十八禁よりもエッチとかいうキャッチコピーがついてたやつだ。

 店で見つけた僕は、そのコピーを鼻で笑い飛ばしたものだ。

 ふふん、どんなに期待をあおる言い回しをしたところで、一般向けは一般向けじゃないか。そんな言葉にだまされる僕じゃないぞ。はっはっは。

 もちろんレジに直行した。


 こうしてまんまとゲーム会社の販売戦略に乗ってしまった自分も恨めしいが、今問題なのは地雷女が選んだのが妹ルートということだ。


 これから主人公と妹との、十八禁よりエッチという濃厚なキスシーンが始まってしまうのだ。それだけは夕実に見せるわけにはいかない。ただのエッチな場面ならまだいい。だが兄妹でぷっちゅんラブラブなキスシーンなんて!

 妹に一生口をきいてもらえなくなる可能性が高い。縁を切ろうにも切れない、ひとつ屋根の下に暮らす家族とそんな関係になるのは絶対に避けなければ。

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