第15話

 翌朝、目を覚ますといつもの天井だった。


 ああ。


 何かが足りないような違和感を感じる。

 いや、重度の物足りなさとでもいうのだろうか。

 登校したはいいけれど、制服のズボンをはき忘れたような、取り返しのつかない間違い。


「……アレ?」


 体を起こして部屋を見渡す。

 いつもの自分の部屋だ。

 特に変わったところはない。

 コレクションのフィギュアがひとつ無くなったりもしていない。

 

 何も問題ないことを確認したので、安心して二度寝することにする。もう一度布団に戻ってぬくぬくしようとした瞬間、勢いよくドアをたたく音がして妹が飛び込んできた。


「せっかく起きたんだから、二度寝しない!」

「二度寝してないから! って見てたのかよ!?」


 妹はいつもの制服に裸足というシュールな格好で、今日はスカートの上に『愛情』という二文字の書かれたエプロンをつけている。


「お父さんもお母さんももう出かけたよ。朝ごはんもちゃんと用意してあるんだから、ちゃんと食べてガッコ行かないと怒るよ」

「わかったわかった。お前の愛情はちゃんといただいとくよ。さぞ美味しいだろうからね」


 妹はみるみる顔を赤く染めて言った。


「なにそれ!? お兄、キモ!」


 妹は普段、兄に『キモい』などと言ったりしない。自分で言うのもなんだが、少々ブラコンの気がある自慢の妹である。決して兄をさげすむような態度をとったりはしないのだ。


「だってエプロンに書いてあるだろ。愛情って」


 妹は目線を下げてエプロンを見た。慌てて背中のひもをほどいてエプロンをはぎ取り、丸めてタケルの顔に投げつけた。


「死んじゃえ!」


 捨て台詞を吐いて部屋を出て行ったかと思いきや、また戻ってきて早口でまくしたてる。


「お弁当ご飯の横に置いてあるからお兄が最後だから鍵かけといて今日わたし部活休みで帰り早いからいってらっしゃいいってきます!」

「あ、ああ、いってらっしゃ……」


 言い終わらないうちに階段をバタバタと降りて行った。



 食事をすませて制服に着替えていると、妙な声が聞こえてきた。

 また妹が戻ってきて、ブレザーのネクタイが曲がってるとか言うつもりだろうか。いくらブラコンとはいえ、少々世話を焼きすぎじゃないか。

 というか、出かけたと見せかけて兄のベッドの下に隠れてるとか、どこまで兄思いなんだ? 


「え? ベッドの下?」


 見ればベッドの下から白い手が伸びている。

 夕実の手足は健康的な肌色だ。

 こんな病弱な感じの、生気のない腕じゃあない。

 これじゃまるで、自分が探偵ものの映画で死体の第一発見者になったみたいじゃないか。


「死体!? うわー!」


 思わず足がふらついてその場に尻もちをついた。

 そしてその白い手の持ち主の体が、暗いベッドの下に見えてきた。


 ピンク色の髪。

 例の地雷女がそこにいた。

 どうやって入ったのかわからないけど、ベッド下のちょうど真ん中あたりに体を置き、髪を絨毯じゅうたんのように広げて仰向あおむけに寝ている。

 狭い隙間にいるせいか息が苦しそうで、弱っているようにも見える。


「なんでこんなとこに。っていうか、昨日の夜は僕を殺しに……。いや、そうだっけ? もう! なんなんだコイツ」


 目の前の彼女は病弱の女の子みたいに無害に見える。

 だけどとんでもなく迷惑な女だということは確信していた。



 さて、ベッドの下で寝ているコイツをどうしたものか。


 指先で彼女の手のひらに触れてみる。

 反応なし。

「おーい」

 反応なし。

「名前は?」

 無視してる。

「朝だけど」

 ちょっと迷惑そうな顔したような。

「ドラ焼き食べる?」

 手がピクッとした。


 ラチが明かない。


 とりあえず、自力で抜け出すのは難しそうだし、ベッドの下から引っぱってみる。

 すると意外に簡単に彼女の体がスライドしはじめた。

 独特の色をした髪の毛が、床との抵抗をなくしているのかもしれない。

 抵抗のなさは信じられないほどで、引っ張るのをやめても彼女の体は止まらない。


「あっ!」


 そのままの勢いで彼女は本棚に頭をぶつけた。

 ゴツン。

 嫌な音がしたが、彼女は目を覚まさなかった。

 しかも、本棚に当たった反動で僕のほうに滑ってくる。

 そして僕のひざに彼女の体がやわらかく当たってようやく動きを止めた。


「こっ、これってっ……」


 興奮で声が震えた。

 どうぞ召し上がれ、とばかりに横たわっている美少女の体に興奮しているわけではない。


「エアホッケー!?」


 気づくと僕は両手で彼女の体を思い切り押そうと身構えていた。

 もう一回、今度は思いっきり押して、部屋の中を跳ね返りまくらせてみたい!


 その顔は、獲物を前によだれを垂らす肉食獣みたいだったかもしれない。

 今ここに夕実が帰ってきたら、犯罪者となりつつある我が兄への許しを神に祈りつつ、情け無用の跳び蹴りで横たわる少女の貞操を守ったことだろう。


 しかし暴走しかけた僕を、女の熱にうなされたような声が制止した。


「うう、ん」


「はあ、まったく」


 僕は大きく深呼吸して彼女を持ち上げた。


 彼女が無防備に見えるときこそ気を付けなければいけない。

 僕は目つぶし光線攻撃を警戒してなるべくスカートを見ないようにした。


 彼女をベッドに寝かせて布団をかぶせてやると、ちょうど出発時間を知らせるアラームが鳴った。


 窓を開け、彼女の銃をエアコンの室外機の上に放り出すと、慌てて階段を降り、玄関のドアのカギをしめて家を出た。

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