第5話

 一皮むけた桃から細長い触手が二本飛び出してきたときは、やっぱり自分は死んでいてここは地獄なんじゃないかと思ったよ。


 その触手は超音波電動歯ブラシみたいにブルブルッて震えて付着してた液体を周囲に飛ばしまくった。そして直角に折れ曲がって地面をつかんだんだ。


 つかんだっていうのは、その触手には五本の指があったから、文字通りつかむことができたって意味ね。


 つまり触手だと思ってたのは腕で、その間に卵みたいのがぐりゅんって回転しながら出てこようとしてるのが頭ってことになるのかな……。


 人間の頭だって!?

 まるで首の骨が折れてるみたいな見事な回転を見せてるけど、あれはどう解釈したらいいんだ?


 回転を続けていた頭は、僕を見つけたとたん動きを止めた。液体まみれだし、真っ白だし、目がどこにあるかわからないけど、僕を探してるような気がしたんだ。


 次の瞬間、腕が二足歩行のゴキブリみたいにわしゃわしゃと動き出して、あっという間に僕の上にまたがった。

 頭の部分がガクンと落ちて、僕の股間を直撃する。


「ぐはっ!」


 バレーボールっていうよりボーリングのボールだね。痛みと衝撃で動けなくなっている僕の胸に腕が這い上がってくる。


 そして地底からはい出るゾンビのような声がした。


「ぶわっ、だ、だげ、ぶっほ、」


 ゾンビは白い液体を吐き出しながら叫んで、僕の顔を液体まみれにする。


「うわ! やめ!」


 僕は首を振って顔にかかる液体から逃げようとするけど、あの腕に押さえつけられていて動けない。


 ゾンビは叫ぶのをやめようとしなかった。

 何か言うたびに液体が体内から吹き出して、とても苦しそうにあえいでいた。


 相手が襲おうとしているんじゃないと分かると、僕は少しだけ落ち着きを取り戻した。

 よく見ると、ゾンビというには体がキレイすぎるし、体格も華奢だ。

 頭は思ったより小さくて、腕も首も細い。

 髪が長く垂れさがって気付かなかったけれど、胸のところにお椀状のふくらみがふたつ付いていた。


「女の子?」


 だけどやっぱり普通とは違う。

 髪も唇も乳首も、何もかもが真っ白だった。


「ね、ねえ、きみ。大丈夫……なわけないよね。寒いの? 川で溺れた?」


 彼女が何か言おうとしてまた咳き込んだので、僕の言葉が届いたのがわかった。



 しばらくするとようやく落ち着いたのか彼女が顔をあげる。

 生まれたばかりのような透き通った瞳に僕は射抜かれてしまった。


 信じられないような美しさだ。

 十代半ばぐらいの女の子に見えるけど、あくまでそれは人間の枠組みに当てはめたにすぎない。

 こんなの人間の美しさじゃないし、もしかしたら天使かもな。

 

 髪の毛は産毛のように細くて真っ白だったけど、長さも量も十分あるように見える。最初は濡れて体に張り付いていたけど、見えない小人が水切りしながらブラッシングしてるみたいに、微細な水滴がはじけながら、一本ずつふわりと僕の胸に落ちた。


「きみは、だれ?」


 女の子は首をかしげた。

 ていうより、上半身全体が傾いた。

 さっきまで赤ちゃんみたいにグルグル動いてた首が座ったのかな。彼女の成長が感じられて僕もうれしい。

 でもさすがに言葉までは分からないらしく、僕の質問が理解できないってアピールしてるみたいだ。


「タ……た、タア……あ、アケ」


 え、え!?

 しゃべろうとしてる?

 うーとか、あーとかも飛ばして、いきなり単語っぽいものをしゃべるのか?

 しかもその単語って……。


「タケル!」


 突然、白く長い髪がぱっと広がって輝き、はっきりとした声で彼女は言ったんだ。


 僕の名前を。


 その声はたしかに彼女の口から発せられたけど、彼女の声じゃなかった。この声は――


「こ、小原こはらさん!? なんで……」


 彼女が苦痛に顔をゆがめたと思った瞬間、白い手が僕の首に伸びて、両手に体重を乗せてゆっくりと締め始めた。


「っ!」


 怖いとは感じなかった。

 彼女は僕の首をしめていたけど、表情は慈愛に満ちていたし、苦しさも感じない。

 やすらかに意識が遠のいていった。


 彼女は僕を迎えにきた天使か何かなのかな?

 最後の瞬間、僕は笑みを浮かべていたと思う。



 白髪の少女は、タケルが浮かべた笑みを見ると驚いて首にかけた手の力を緩めた。

 しかし呼吸は戻らず、タケルの瞳から色が失われてく。

 少女は必死に考えているのか、小声で何かつぶやいていた。

 そして少女はタケルの口を自分の口で塞いだ。



 薄れていく意識の中で、タケルは自分に何度も口づけする少女の幻を見た。


 人工呼吸?

 わるいけど、このまま寝かせておいてくれないかな。

 少し疲れちゃったんだ。

 次に起きたときは、もっといい人生になりますように――




 一方、タケルの妹の夕実はすでに帰宅して兄の部屋にいた。ここのところ様子のおかしい兄を心配していた夕実は、帰宅すると真っ先に兄が帰っているかを確認するようになっていた。


 夕実は兄の本棚の一角を占領していたフィギュアを見つけた。


「これって何かのヒロイン? それとも戦うの?」


 丈の短い服から白くて長い足を大胆に露出しているのに、手足や背中などあらゆる場所に武器を装備していて、大きな銃まで構えている。

 サーモンピンクの長い髪を広げて、物憂げにこちらを見つめる表情は、持っている武器に似合わず優しかった。


 夕実はその武装美少女フィギュアの胸のあたりを指先で触れながら言った。


「あなたはお兄ちゃんを元気にする方法知ってる?」


 それに対する答えはかえってこなかったが、腰に装備していた小さな部品がポトリと落ちた。


 それは対人センサーのついた地雷だった。

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