第3話

 妹と別れたあと、僕は猫と会話ができるスキルを身に着けた。


 どういうことか分からないって?

 川べりを歩いていたら酔っ払ったみたいにフラフラしてる猫が近づいてきて、こう言ったんだよ。


「にゃーんにゃ、にゃー」

「ついて来て、にゃー……だと!?」


 うん、わかってる。

 孤独な高校生の妄想だって言いたいんだよね?

 人と話すのが苦手な人は、ぬいぐるみだとかペットと話せるっていう妄想を抱きがちだっていう――。


 え? 登校中になんで川に来たのかって?

 それは、駅からの十五分、まるで登山道みたいな坂を上らないと僕の通う学校にはたどり着けないからね。途中で気力・体力のゲージをゼロにする生徒がいても不思議じゃない。

 そうは言っても通学路はほぼ一本道。流れに逆らって進むなんて勇気は僕にはないから、彼らの視線が一方に集中する眺めのいいスポットで、誰にも気づかれないように危険と書かれた看板を無視して獣道へと入ったんだ。


 ちなみにこの川は通学路の二十メートルほど下を流れている。

 前に来た時より川幅が広がっているように見えるけど、僕は目の前の猫から目が離せなかった。


「えっと、君は僕を別世界に連れていってくれる使者だったり……」


 言い終わらないうちに猫は背を向けて、まるで僕を案内するように歩き始めた。


 ああ、なるほど。

 なんで走馬灯にこの猫の回想が入るのか不思議だったけど、やっとわかった。

 こいつに出会わなければ僕は吊り橋から飛び降りるなんて愚行をしなかったろうし、桃に激突、なんて普通じゃ考えられないような死に方をすることもなかったんだ。


 あの時の僕の無駄口は、結構的をついてたってことになるね。

 まあそんなわけだから、しばらく猫の回想に付き合ってほしい。


 よく見ると猫はずぶ濡れで、毛が体にはりついている。


「猫って水が嫌いなんじゃないの?」


 返事を期待したわけじゃないけど、猫は同意するようににゃんと鳴いた。


 そして僕は中州に取り残された二匹の子猫を発見する。

 一方が茶トラで、もう一方が茶黒白の三毛猫、身を寄せ合って震えていた。


「なるほどね。あれがお前の子供たちってわけか。……で、なんでこうなった?」


 正直、全然状況が分からなかったよ。

 川の中州で昼寝してる猫なんて見たことがないし、増水して取り残されるというこの状況を作り出したストーリーが見えてこない。


 それでも僕が颯爽と子猫を助けたんだろうって?

 冗談じゃない。

 出発前にゴロゴロ言ってた雷様は今もグルービーなドラムソロを演奏中で、川は増水してるんだよ?

 そんな時に野良猫のために命をかけるなんてバカみたいじゃないか。


 でも困ったことに、僕は頼まれるとイヤと言えないたちなんだな。

 不良に焼きそばパンを買ってこいと言われたら喜んで購買に走るような奴だ。


 そんなわけで田植えでもするような格好で川に入ろうとしたんだけど、思い直してズボンを脱いだ。どうせ誰も見てないし、思ったより流れが速かったから。膝までの深さに入ると、ちょっと油断すればそのまま足を持っていかれそうになった。


 中州にたどり着いたときにはさっきの親猫みたいに酔っぱらったおじさんになってて笑っちゃったよ。クイズの答えを見つけた気分だった。


 立っているのも辛かったからその場にへたり込んだら、子猫が近づいてきて僕をジャングルジムがわりに遊び始めた。膝に乗ったり肩に乗ったり。最初こそ恐る恐るって感じだったけど、危険がないと分かるとやつらどんどん大胆になったんだ。


 僕はさっさと戻りたかったけど、冷えた足をさすって温めないといけなかったからね。

 子猫に怖がられたままじゃ連れて帰れないし、ちょうどいいインターバルになったと思う。


「さて、どうやって運ぶか。お前たちジャングルジムは好きそうだけど、流れるプールまで好きだなんて言わないよね」


 子猫を一匹ずつ両手でつかまえて脱いだ上着に乗せてみた。

 最初は慣れない感触に驚いていたけど、そっと包んでやると安心したのか二匹仲良くその中で丸くなる。


 ふと、親猫の様子が気になってそちらに目をやると、視線が合うのを待っていたかのようににゃんと鳴いた。ちょっとゆっくりしすぎたみたいだ。

 気のせいか中州が少し狭くなっているような気がするし、立ち上がってみると川の表面が白く泡立っていて、さっきまで見えていたはずの川底の石が黒く沈んで見えなくなっていた。

 

「ちょっと、まずい、かな?」


 首の後ろに雨粒が当たった。

 しずくの冷たさと、これから立ち向かわなければならない危険を感じて体が震える。

 荷物は向こう岸に置いてきていたし、その中には携帯電話もあった。


 どうしてそんなことをしたか分からないけど、僕は鼻歌を口ずさんでいた。

 子守歌みたいなメロディーを、彼らをゆっくりと上着に包みながら。

 ふくらんだ上着を肩に背負って裾を首の前で結ぶと、まるで漫画の泥棒みたいになった。


「さあて、しばらく大人しくしてろよ」


 僕は意を決して川に入っていった。

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