第35話 頼むぜバジル
横殴りの氷霧と風の音は、いつにも増して悲鳴のように聞こえた。
屋外にも菜月の歌声が響いているのか、と和久は錯覚しそうになってしまった。
少なくともこの付近には、菜月の言霊による〝汚染〟の影響は無いようだ。
ホールの外に飛び出した和久とバジルは一頻り走った後、灯りの着いていない無人とおぼしき民家の敷地に入り、家屋の裏に隠れた。
屋根のひさし程度では、雪と風は殆ど避けられない。
そう長くは隠れていられないだろう。
バジルは少しでも雪を避けるため、和久の頭の上でとぐろを巻いている。
この状態でも決して和久の服の中には入らない。
面食いなのか誇り高いのか分からない毒蛇であった。
和久はコートのポケットをごそごそと探って、小さなメモ帳とボールペンを取り出す。
和久が普段、冬の助けをするために、村を回って気になったことを記すための物だ。
雪で濡れたりしても字を書くことが出来る、優れ物である。
凍えてかじかんだ指でペンを握った和久は、ぎこちない手つきで何やらメモを書いた。
そのページを無造作に破り、畳んで頭上に掲げる。
「これを冬の所に持っていってくれ」
バジルが体を延ばし、怪訝そうに首を逆さにして、和久の目を見つめた。
「村で起きている、クソったれでダラしねぇ事態を簡単にメモっておいた。こんな状況を何とか出来るのは、お前のご主人様の緑ゴリラこと、冬だけだ。そうだろ?」
メモ書きと和久の顔を交互に見たバジルは、「お前はどうするんだ」とでも言うように舌を出して、ふりふり首を振る。
「俺が毒物館に向かうのは目立ちすぎるし、せんじーの店も安心出来ないからな。何とかあのションベンタレガキどもの目を引いて、村の北の方へと逃げる。……いいなバジル。まずは冬を逃がせ」
和久が言い聞かせると、バジルが体をくねらせた。
迷っているのか、そのまま和久の顔を見続けていたが――
くん、と顔を少し下げた。
どうやらバジルの持つもう一つの目、ピット器官で和久の顔を見ているらしい。
多少逡巡したかと思うと、いきなりバジルは和久の頭から飛び降りた。
その口元には、和久の手にあったメモ書きが挟まっている。
笑わないバジルの口元が、ニヤリと笑っているように見えた。
そしてもう和久の顔は見ずに、雪の中に潜航してその場を離れていった。
「頼むぜ、バジル……」
和久は深く白い息を吐き、祈る。
バジルは自分の言葉でもなく表情でも無く、互いが正しいと信じる相手への〝熱〟を感じ取ってくれたのだろう、と和久は思った。
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