第32話 ふくしゅう

 太陽が上ってからすぐに、雲行きは怪しくなった。


 この時代にあってもなかなか見られない大きく厚い黒雲が、隙間無く空一面に広がっていた。

 太陽は今最も天高い位置にあるはずなのに、光は糸一本ほども漏れていない。


 山王Z村は巨大な影の下にあった。

 

 まるで、夜明けに再び夜がやってきたかのようだ。


 古代、大量の人間を一度に消すことの出来た〝あってはならぬ兵器〟は、夜中に夜明けをもたらすほどの光を放ったという。


 ――そんな兵器が存在しないこの氷の時代の朝に、夜を率いてやってくるのは何者なのだろう。


 和久はそのような詩的なことを感じながら、


「俺らしくもねえな」


 ひとりごちて、自嘲するように笑った。


 空は真っ暗闇なのに雪は殆ど降っていないのが異常さを補強しているように思えた。

 村人も空模様を不吉に思っているのか、歩道の外にはあまり人がいない。

 それとも、村にはびこる異常は和久の想定以上に感染力があるのかもしれない。


 和久は、先日泣きついてきた少年の家に向かっていた。

 雪が少ない分、道は歩きやすいはずなのに足が重い。


 歩きながら、何度も真っ白なため息が出た。


 少年の家の前に到着すると、待ちかねていたかのように屋根の上の雪がどさりと玄関に落ちてきた。

 誰も雪下ろしをしていないのだ。

 村の家は篭もった熱を利用して屋根に積もる雪を溶かすように設計されているが、それでも降雪量が多ければ、雪下ろしをしなければいけない。


 雪下ろしは往々にして、家の主人の役目である。


 本日最も大きなため息を吐いて、和久は少年の家の扉をノックした。


 少年の父親は、ベッドに伏していた。


 目は開いているが、その瞳には一切の感情が無い。

 茫洋な視線だけを天井に向けていて、顔も血の気が無く真っ白で、まるで作りかけの蝋人形だ。


 寝間着の下、左腕には包帯が巻かれているのが見える。


 村には医者もいるし、それなりの医学的な技術も残っている。

 だが農耕ほどの技術レベルは再現出来ておらず、成果はどうしても個人の技量に左右されてしまう。


 名医と呼べる人間は村にはいない。


 少年は先日よりは落ち着いているようで冷静にしていたが、母親は憔悴しきって別の部屋で休んでいるという。

 少年と交代で父親を看護しているようだ。


「父ちゃん、麻酔が切れても、ずっとこの調子でさ……腕のことも仕事のことも、諦めちゃってるみたいだ」


 少年は、痛ましそうな顔で父を見つめている。


「容態はどうなんだ?」


「経過によっては、覚悟しなきゃいけない、って……」


 ずきん、と疼痛が和久の胸に走った。

 冬が最も恐れ、冬が絶対に憎むことがまた村で起きようとしている。


「なあ……復讐したいって思うか、ガキんちょ」


 痛みを誤魔化すように、和久は少年の頭を乱暴に撫でた。


「……ふくしゅうって何だい兄ちゃん?」


「親父を、こんな目に遭わせたヤツがいるとしたら、そいつが憎いと思うか?」


「憎い、ってどういうことだ?」


 少年は撫でられながら、何度も不思議そうに首を捻った。

 その度に、和久の胸に疼痛が走る。


「……なんでもねーよ。忘れろ」


 和久は苦々しく呻いた。


 分かっていたことではあるが、少年もまた冬の力の影響化にある。

 他人を蔑み、怨恨に揺れる心、その毒を持たない。


 だが、こんな時ぐらいは。


「憎い、っつークソみてぇな感情も少しは必要だって気がするな……」


「何がクソみたいに必要なんだ?」


 少年はただ、訝しむ。


「なんでもねーって言ってんだろ、小便タレガキ……」


 クソって言葉は覚えるなよ、と和久はごりごり少年の頭を撫でた。

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