第29話 喧嘩

 翌日。


 和久は再び小町と共に、毒物館に訪れることとなった。


 先日別れた小町は、バイオプラントで働いてる村人の内、仕事に出てこない全員の家を回ったのだと言う。

 少年の家一軒でさっさと帰った和久や冬とは大違いだ。

 さすがの脚力とスピード、ついでに行動力である。


 逸る小町を連れて毒物館の奥へと進むが、なかなか冬の姿が見つけられずに和久の方が焦ってしまった。

 館長室にも姿が無い。


 辛抱強く、ぐるっと一周した結果。

 は虫類が集められた部屋のケージの中で、眠りこけている冬をようやく和久は発見した。

 冬は、五十センチ程の褐色の体に橙色の斑紋があるアメリカドクトカゲを枕にして、寝息を立てていた。


 ちなみにアメリカドクトカゲは、かつては古代の人々に怪物として恐れられたらしい。

 成人を死亡させるのは希とはされるものの、強い神経毒を持ち、激痛やアナフィラキシーショックをもたらす。


 冬はどうやらその怪物のケージの清掃中に、居眠りをしてしまったようだ。

 子供が親の腕に甘えるように、モップを握りしめて寝ている。

 枕にされても抵抗しない、アメリカドクトカゲもアメリカドクトカゲである。


 入って起こすわけにもいかないので、小町がガラスのケージをコツコツと叩いて。


「おーい冬ちゃん。こんな所で寝てちゃダメだよ。風邪ひくよー」


 遊び疲れた子供を諭すように呼びかけた。

 冬がびくりと体を震わせる。


「……ふぁーい?」


 緩慢な動きで体を起こした冬は、半開きの眼をこすり背伸びをしながら、ケージから這い出てきた。


 主の枕という、重大なのか何なのか分からない責務から解放されたアメリカドクトカゲは、のそのそとケージの奥へと隠れてしまった。

 献身的な、見上げた毒性生物である。


 まだ寝ぼけている様子の冬は、不思議そうに和久と小町を見た。


「小町に和久かー、また来たの? 二人して何の用?」


「あのなあ……小町に仕事サボってる村人を調べろ、って言ったのはお前だろーが、緑メスゴリラ」


 こくこくと小町が、何故か愉しそうに頷く。


「あー……そうだったね」


 冬は本当に今思い出したようだ。


「んで? 小町、何か分かったの?」


「うん。あのね、プラントで働いている人達が仕事を休み始めたのは、先週の金曜日――純子さんのライブの後からだったよ。ついでに言うと、今プラントで働いてる少数の人達は、ライブに行かなかった人みたい」


 軽い冗談のような口調で小町は告げる。

 途端に冬は不愉快そうに表情を隠して、


「……偶然でしょ?」


 冷淡な声で言った。


「んー、でもお話した人達や家族、みんなに訊いたんだよ。仕事を休んでる人達は元々、純子さんの曲に夢中だったみたいだけど、ライブの日からは特に様子が変だって。ボーっとしたり、ずっと一人で曲を口ずさんでたり」


「あのガキの親父と似てると思わないか、冬」


「………」 


 和久の問いを無視した冬は、瞬きもせず、ただ俯いて床を見つめていた。

 大して磨いてもいないのにピカピカの床が、鏡面のように緑色の少女を映し返す。


 その胡乱で暗い深緑の瞳と、床越しに和久は目が合ってしまった。


「あー……あの純子って女が原因とは言わねーけどよ。あのライブの日から、村に異常が起きてるのは確かだぜ。疑ってかかった方がいいじゃねーのか?」


「……やだ」


 ぼそりと冬は、床に映る和久に呻いた。


「あ? 今なんつった?」


 和久は我が耳を疑う。


「言ったじゃない。音楽で人を殺したりなんて出来ない、って。私は純子さんを信じる。何があっても、私は純子さんを毒殺したりしない」


「な……何言ってんだコラ。お前は毒を持つ者なら、仲良くなった人間やジジイや女やガキでも容赦しねー猛毒緑ゴリラじゃなかったのか」


 小町の時も、それ以前も。

 村の片隅にひっそりと土葬されたあの村人達も。


 孤独に、果敢に冬が立ち向かったからこそ、和久は冬を尊敬していたのに。


「嫌っていったら、嫌なのよ! 私にだって自由があるでしょ! そんなに純子さんが気になるなら、和久と小町が行けばいーじゃん!」


 冬の拒絶の意志は、プラントを守るコンクリートのように固く強張っていた。

 小町は目を白黒させながら、和久と冬の顔をあたふたと見比べている。


「あのぅ、喧嘩しちゃダメだよ?」


 二人はそれじゃダメなんだよ、と小町は尻すぼみに、ぼそぼそと呟き続ける。


「……お前が自分の役割からトンズラするとは思わなかったぜ!」和久は、冬の眉間に向かって吠える。「分かったよ。今回はお前抜きで解決してやるから、黙ってノロマトカゲとでも寝てろよ! クソったれ」


 和久にとっては実は珍しい――


 本物の激昂だった。


 冬は答えない。

 床からも目を背けて、ひっそりと目を閉じ、拳を握りしめて、無言で歯を食いしばっている。


 何に耐えているのか。和久の毒舌か、それとも他の感情か――。


 和久や小町には計り知れない譲れない意地が、冬にはあるようだった。


「……いこーぜ小町」


 和久は動転している小町の手を、ぎゅっと握りしめた。小町が反射的に強く握り返してくる。


「あの、冬ちゃん、あのぅ……これでいいの? 私、変なこと言っちゃった? 私のせいなら謝るから、一緒に行こうよ」


「ごめん小町、貴方は悪くない。だけど、放っておいて」


「そんなあ。行こうよお」


 涙声を上げる小町を引きずって、和久は毒物館を後にした。


 扉から出る時に、すがるように純子の歌を口ずさむ掠れた冬の声が、風に紛れて聴こえた気がしたが――。

 和久は、空耳だということにした。

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