第28話 CD

 父親の方と話をしようとしても埒が明かない上に、他の労働者を見つけることも出来なかった和久と冬は、少年の家で詳しい話を訊くことにした。


 少年の家は、小町の家に近かった。

 バイオプラントで働く労働者の住宅は、この辺りに集中している。


 山王Z村の北端から雪をしのいでわざわざここまで歩いてくるのは、なかなかの重労働だ。

 身軽な少年や体力だけは自信のある和久とは違って、すでに冬は足が強張っている。


 家には、母親と少年しかいなかった。

 母親は少年や他の村人と変わりなく、冬を温かな態度で暖かなリビングに迎え入れてくれた。


「お構いなくー」


 冬は頭を下げるが、母親はいそいそとキッチンに向かっていってお茶の準備を始めた。


「僕はニンジンジュース!」


 少年が、家の外まで聞こえるほどの大声で叫ぶ。


「じゃあ私も緑茶があればー……」


 冬も申し訳無さそうに、少しだけ声を張った。


 キッチンの向こうで、母親が「はいはい」と苦笑する。


 山王Z村内では貧富の差という概念は殆ど無く、貧困層も存在しないが、村の命を預かる重要な仕事に従事している者には、それなりの保障は約束されている。

 バイオプラント各階のナノマシンの挙動を制御して、総生産量をチェックする役職に就いていた少年の父親の家の暮らしぶり、村の中では豊かと言っていいレベルだった。


 リビングの他にも部屋がいくつかに別れているようで、両親の部屋や子供部屋もある。同じ農家を両親に持つ小町の家より一回り以上広い。

 狭いワンルームに住む和久は少しだけ羨ましくなるが、所詮家族のいない和久には広い家は手に余る。

 あの毒物館に一人で住む冬のことを考えると、背筋が薄ら寒くなる。


 この家のリビングにはテーブルと椅子があったが、隅には大きなソファもあった。


「ねえ……あっちに座ってもいいかな?」


 冬はソファを指さして、少年に小声で訊いた。


「うん、ゆっくり休んでいいよ。冬お姉ちゃんだし」


「それじゃ遠慮無く」


 冬はソファに向かって、深く座り込んだ。

 少年もちょこんとその隣に座ったので、和久は仕方なくテーブルの席に一人で座る。


「うー……和久ー、足、後で揉んでー」


「別にいーけどよ。もう少し体鍛えろよな、ヒョロヒョロ緑猿」


「うっさいうっさい」


 和久から見ても冬が妙に遠慮を欠いている、というかリラックスしすぎている気がするのは、相手が子供だからだろうか。


 やがて母親がニンジンジュースと玉露が入ったカップを持って、リビングに戻ってきた。

 鮮やかなオレンジのニンジンジュースのカップが一つ、濃い緑茶が三つだった。


 ニンジンジュースの方の材料は、少年の父親が働くバイオプラントで採れた、新鮮な遺伝子操作ニンジンだろう。

 甘味もカロチンも、古代野菜と比べても遜色が無い。


「俺も葉っぱくせーどろどろ緑茶かよー。ニンジンジュースの方が良かったんだが……」


「何を贅沢言ってるの和久、有り難く飲みなさい」


「テメーは自分の好みを注文してたじゃねーかよ、飲み物まで緑色にしやがってこの緑猿」


「私は特別だからいいの。いただきまーす」


 冬は両手でカップを持ち、緑茶に緑色の舌をつけて、ふぅっと息を吐く。


 ――いつもながら仕草が老けている。


 和久は死んだ祖母を思い出す。


 匂いに釣られたのか、バジルまで冬の胸元から現れた。

 しかしカップの縁の滴をちろりと舐めたバジルは、くあー、と痛々しい鳴き声を出して戻っていった。


 寒さには強いが、お茶の苦みは苦手らしい。主人とは違い甘党のようだ。


「相変わらず蛇の分際でよ……」


 和久はぼやきながら笑った。


「主人は何日か前から、急に仕事に出るのがだるい、と言い出して――それまでは、毎日仕事に出ていくのが生き甲斐のような人だったんですけど」


 母親は悩み深そうな皺を眉に寄せて、話を切り出した。

 テーブルには和久と母親しか座っていない。


「アホ村人どもは仕事さえしてりゃ、基本的には幸せだからなあ」


「黙れ和久」


 ソファの冬が、短く直線に怒った。

 和久は肩をすくめる。


「他の人達も仕事に出てきてないらしいんだけど、心当たりはある?」


 冬がソファから母親を、真剣な眼差しで見つめる。

 母親は無言で、ゆっくりとかぶりを振った。


「父ちゃんさ、家でも部屋からあんまり出てこないんだよ……母ちゃんまでリビングに追い出して、ずーっと夢中になってるんだ。何考えてんのか分かんない。あんなの俺が好きな父ちゃんじゃないよ!」


 バケツに溜まった汚水をぶちまけるように、少年は不満を吐き出した。


 冬は感情を抑えて、少年を見据える。


「夢中になってるって……?」


「困ったものなんですよ、いい年をして……」


 母親は自嘲するように笑う。


「ご覧になりますか? 主人の部屋」


 冬は和久に、不安そうな視線を寄こした。和久は頷くしかない。


「うわあぁ~~~~! いいなぁー」


 冬は輝かしい、夢見る瞳で部屋を見渡した。


 冬に続いて部屋に一歩足を踏み入れた和久は、自分には理解出来ない、情動的な室内に慄然とした。

 バイオプラントに初めて入った時以上に、混乱と畏怖を招く光景だった。


 その部屋は、あの安里純子のイメージで埋め尽くされていたのだ。

 CDと呼ばれる古代の円盤状記録メディア。


 それをこの時代に蘇らせた物がプラスチックのケースに入って、ベッドの上で散乱している。

 この惨状では、安眠も叶うまい。


 当然ながらこの村で音楽再生用CDを発売した人間は、安里純子ただ一人だ。

 村人が個人で所持しているCDは、ほぼ全て彼女が出した物ということになる。


 枕元には、歌詞が書かれたライナーノーツも散らかっていた。

 どれだけ読み込んだのか、紙は擦り切れてすっかりボロボロだ。


 その上――こんな物まで作られていたのか――純子のポスターが壁一面を飾っている。


 高価だったろう、せんじーが組み立てたレプリカのステレオコンポや、ヘッドフォンもある。

 ステレオコンポの中には、純子のCDも入ってるらしかった。


 和久も冬も、形容する言葉が見つからないが、古代ならば、ただの一言――。


 〝熱狂的ファン〝という言葉で言い表すことが出来た光景だった。


 先に部屋に入っていた母親は、朧気な視線で室内を眺めている。


「主人はこの安里純子さんがライブを始めた頃以来から、ずっとホールに通ってまして……彼女が自作して発売した、CD――でしたっけ? それも全て購入して、ずっとこの部屋で聴いてるんですよ」


「ぜ、全部? 純子さんの、幻の初ライブ音源も?」


 大興奮する冬。

 餌を見つけた熊だった。


「主人は全てある、と言っていましたが……」


「あ、後で貸してもらえるかなあ?」


「どうぞどうぞ。今持っていっても構いませんよ」


「本当? わー、ちゃんと返すからね!」


 嬉しそうな冬とは違って、母親は口元だけは笑っているが、目が冷めきっている。

 いや、悲しんでいるのかもしれない。微妙に眉が八の字に下がっている。


 細くなった黒い瞳にも、耐えがたい曇った孤独の色が宿っている。


「あんたのダメ旦那は、ずっとあの純子って女の歌を、篭もって聴いてたってことかい?」


 和久は敢えて割って入り、母親に尋ねる。


「最初は、朝晩こっそり一人で聴く程度だったんですが――この前のライブが終わってからは、ずっと部屋から出なくなって」


「ふん。するってーとつまり、あんたはダメ旦那を、ヨソの女の歌なんぞにブン盗られたんだな」


 声のトーンを落としながらも、和久ははっきりとした口調で言った。


「ぶん……どられた?」


 母親はきょとんとして、固まってしまった。


 自分では分かっていないのかもしれないが、瞼と頬が小刻みに震えている。


「ちょっと――和久、あんた何てこと言うのよ!」


 母親の様子に気づいた冬が、和久に迫ってきた。


「あ、ああ……? 俺、なんか間違ったこと言ったか?」


「バカ。いくら村のみんながあんたの毒舌を気にしないって言っても、心の奥底まで届いちゃう言葉を言われたら混乱しちゃうんだよ!」


 冬が和久の耳元で、苛立ちと熱の篭もった小声で囁く。


「そういうもんかねー」


 和久は納得がいかなかったが、黙ることにした。


「母ちゃん、冬お姉ちゃんまだー?」


 部屋の外から少年の声がする。

 固まっていた母親が、ハッと正気に戻った。


「え、ええと……もうよろしいでしょうか?」


「うん。あ、このCD借りてくね」


 冬はぎこちなく頷いて、無造作にベッドの上のCDケースを拾い上げた。


 少年に見送られて、和久と冬は今日のところは帰宅することになった。すっかり外は暗い。


 雪は少ないが、風は強さを増していた。

 ひゅるり、ひゅるりと若い女が泣くような音が、家々の隙間を通り抜けていく。


 慣れてはいても、気味が悪いと和久は思う。


「なあ、あんな感じで歌なんかにハマって引き篭もるってのは、心の毒の内に入らねえのか?」


 和久は純粋な疑問を冬にぶつけてみた。


「んー……音楽で、人を殺したり傷つけたりなんて出来ないと思うよ。まあ、好きすぎて仕事サボるのは問題だよね。他の人達はどうして仕事に来ないのかなあ?」


 冬はプラントでの怒りを忘れたかのように、軽々と述べた。


 本当に、ただ好きなだけなのだろうか。

 あの少年の父親の態度が、和久には気にかかる。


 ――趣味に嵌り込むだけで、ああも変わるのか。


 あの変容は、以前の小町の以上だと、和久は感じた。


 冬は雪をよけながら、先程借りてきたCDのライナーノーツに書かれている歌詞を、じっと見つめていた。

 口の中で歌を呟いている。


 和久も横から覗いてみたが、矢張り意味はさっぱり分からない。

 上機嫌な冬に水を指すのを避けた和久は、その日はそのまま家に帰ることにした。

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