第27話 バイオプラント

 山王Z村の北端には、古代イヌイットの住宅『イグルー』や古代日本の『かまくら』にも似た、小さな半球型のドームがある。


 雪と見紛うほどに白く、特に装飾も無いために、村内では最も味気ない印象の建造物である。

 雪が強い日は、遠景に見れば小高い雪の丘としか認識出来ないかもしれない。


 青空という貴重な天気を愉しむ余裕も無くやってきた和久と冬は、正面の門を開いてドームの中に入った。


 奥に進むと、円筒型のエレベータが設置されているのが見える。

 コンクリート製で、大人数が乗れる設計だ。

 それ以外は何も無く、息苦しさを感じる程の狭さと殺風景さである。


 ここはまだ、入り口に過ぎないのだ。


 村の植物性栄養源の供給を一手に引き受ける――巨大な〝地下〟バイオプラントの。


 和久と冬は迷い無く、エレベータに入っていった。


「管制フロアに直行でいいんだよな?」


「うん、直行(ちょっこー)」


 冬が頷くのを確かめて、和久はエレベータ内の壁面に嵌め込まれたコントロールパネルに向き合った。1FからB7までのボタンが並んでいる。各階の管制制御を司る最下層B7のワンフロアを除いて、他の階は全て、農場として野菜や果物を大量生産している。


 和久は、B7のボタンを押した。

 ごぅん、と低い音を立てて床がゆっくりと下がり始める。


 部屋全体が上昇下降する感覚に、和久は慣れなかった。

 体の重心を強制的に移動させられると、不安になる。

 自然界で急に重心がずれた時とは、急な事故や、命の危機に瀕した時だからだ。


 横にいる冬は、微動だにせず堂々と立っている。


「その落ち着きっぷりも、クソったれな蠱毒の力の内かよ。よくこんな乗り物で、平然としてられるな」


「へぇ? 和久、もしかしてエレベータが怖いの? なっさけないかっこ悪い男のくせに」


「さすが、ミドクソゴリラはガッチガチにタフだな。羨ましいよ」


「ミド……毒舌のあだ名を変に略さないでよ!」


 冬が目を三角にして、金切り声を出す。


 鉄の匂いがする二人だけのエレベータ内を、険悪な空気が支配した。


 エレベータにはドアが無い。

 目的の階に到達するまで、通り抜ける各フロアの様子が垣間見れる。


 それぞれの階に、構造の違いは殆ど無いようだ。

 エレベータから見て前方、そして左右へと、円形の大きなトンネルが延びている。


 トンネルの内部には、チューブのような機材が縦横無尽に張り巡らされてる。

 それにつき従うように、茄子やトマトなどの野菜が枝葉やつるを延ばし、出荷の時を待つ果実を実らせていた。


 壁全体は、うっすらと発光している。

 地上では文字通り雲隠れしてしまった太陽の代わりに、人工的な照明で光量が調節されているのだ。

 室温も、生産している作物に合わせて自在に変えているはずだ。


 目には見えないが、各フロアに偏在する極少のナノマシンが自然界には存在しない有益な菌類を培養で生み出し、また作物の細胞に働きかけ、古代には存在しえなかった強靱な生命力を与える様々な野菜に仕上げている。


 和久は好んでこのバイオプラントに来たことは無いが、改めて見てみるとその技術に驚嘆せざるを得ない。

 これだけの技術を持った古代文明がどうして滅んでしまったのだろうか、という疑問はあったが、古代においてもこれほどのプラントは希少であったらしい。


 生物の起源までも操る農業が、人々の倫理の禁忌に触れたのだそうだ。


 冬の父は「人類が初めて行った環境破壊は農業であるのにな」と古代人を嘲っていたが。


 過ぎ去ってしまった大多数の人々と冬の父親、どちらの考えが正しいのかは今を生きる和久には分からない。

 ただ未知なる遺物に、圧倒されるのみだ。


 一方冬は、通り過ぎる度にフロアを注視しながら、


「うーん? おかしいなあ」


 などと呟き、しきりに訝しんでいた。


「何がだよ」


 和久が訊いてみるが、機嫌を損ねているのか、それとも考え込んでいるのか、冬は生返事すらしない。


 そうしている内に、エレベータが停止した。


 それまでの階と違い、トンネルは無い。狭く長いコンクリートの廊下があった。


 左右の壁はごつごつと、岩肌のように隆起している。

 進み出してよく見てみると、剥き出しの機械類が壁の上を入り乱れているのが分かる。

 その多くが、大小様々な配管やコンプレッサらしい。


「やっぱり、変」


 エレベータから降りて、冬は呻いた。


「人の気配が少なすぎるよ。廊下にも誰もいない」


「ここは管制フロアだし、そんなもんじゃねーのか」 


 和久は、自身にも沸き上がってくる疑念を押し殺して告げた。


「エレベータにも、誰も乗り込んで来なかったんだよ。それに、各フロアにも殆ど人がいなかった。ナノマシンや菌類が農作業を手伝ってくれてるとはいえ、所詮機械は機械だから、人がちゃんと見てやらないと、作物に悪影響が出ることだってあるのに!」


 冬は、正体の分からない不安に苛立っている。


 戸惑う和久を置いて、冬はかつかつと、せくように廊下を進んでいった。

 ブーツにこびりついた雪が床に散り、瞬く間に溶けていく。


「いきなり毒殺して瞬殺、ってのは勘弁してくれよな……」


 和久もエレベータを降りて追いかけながら、ため息をこらえる。

 

 このフロア唯一の部屋でもある、メイン管制室に和久と冬は足を踏み入れた。


 ぐるっと円形になった室内は無駄に思えるほど広い。


 無数の計器類に壁一面を覆う特大のモニター。

 何かのモーターらしき、低い回転音。

 部屋中で瞬く、無機質な緑の光。


 むせ返りそうになる情報の群れ。


 先程通ってきた廊下以上に、複雑で猥雑な機械に埋め尽くされた室内は、真っ白で木訥とした地上の村とは全く異なる世界観を顕していた。


 古代の人間であれば、軍艦のブリッジのようだ、と感じたかもしれないが――

 現状は幽霊船か漂流船といったところだった。


 ――人の気配が少なすぎる。


 以前に和久が来た時は、各階の様子をモニターで監視する者、計器類を手動でコントロールする者など、それほど多くは無いにせよ、労働者が熱心に、与えられた仕事に従事していた。


 それが今はもぬけの殻に近い。

 誰もいないのかと思ったが、部屋の隅でだらりと力を抜いて椅子に腰掛け、居眠りをしている男を冬が発見した。


「……!」


 言葉を失った冬は、猛然と男に駆け寄る。

 和久もそれに着いていった。


「何で貴方しかいないの?! 他の人は? ここの仕事を疎かにしてたら、プラント全部に影響が出るって分かってるでしょ!」


 男は三十半ばほどに見えた。

 体格もがっしりしていて、まだ働き盛りだろう。


 冬の方にゆっくりと向けられた視線は茫洋としていて、生気が無かった。


「んー? あー……あんたは……えーと、そうだ。君は冬ちゃんか……」


 如何にも面倒そうに、男は言葉を絞り出した。


 その変化の無い表情と抑揚の無い口調に、和久は強い違和を感じる。


 ――冬を目の前にして、これなのか?


「冬ちゃんかーじゃないわよ! 他のみんなはどうしたの? 仕事はどうしたの!」


「あー、みんななあ。どうしてるんだっけなあ?」


 たたみかける冬だが、男は思考も言葉も下手くそな氷細工のようにはっきりしない。


「なあ冬、このダメ親父、どうしてお前をニコニコと歓迎しないんだ?」


 和久は湧いてきた疑問を、率直に冬にぶつける。


「ん……? あ、そっか。本当だね」


 冬もはたと気づいたようだ。


「早く気づけバカ。この山王Z村の村人にとって、お前は大事な大事な母親か娘も同然、そーゆうもんなんだろ」母親への無条件な愛情など和久には分からないが。「その村人であるこの親父が、お前を見て、愛想笑いも緊張もしねーなんて、そりゃとんでもなく異常なことじゃないのか」


「確かに、私のことなんて忘れてたみたいだね――錯乱するほどパニックになってるようにも見えないのに……」


 冬は腕を組んで、煩悶し始めた。


「この親父、まるでよ――」


 和久が言葉を続けようとした瞬間、


「父ちゃん、ここまで来ても仕事してないのかよー!」


 元気そうな声が背後から聞こえたかと思うと、まだ十歳ぐらいの少年が入り口から走り寄ってきた。


 悲しそうな目で男の前に立ち、


「何でだよ、何でなんだよー」


 と繰り返す。


「――貴方のお父さんなの?」


 驚きながらも冬が優しく訊くと、少年は喜びと驚きの入り交じった、くしゃくしゃの表情で声を上げた。


「うわ、冬お姉ちゃん?! こんにちは! こんな所で何してんの?」


 一心不乱に走ってきたせいか、声をかけられて初めて冬の存在に気づいたらしい。


 少年は興奮のあまり何度もまばたきをして、両手をばたつかせる。


 そう。


 これが村人の普通の反応のはずだ、と和久は思う。


 子供に甘い冬は、あくまで穏和で寛大な笑顔を崩さない。


「バイオプラントで、整備不良が原因の事故が起きたって聞いたの。だから、働いてる人達にお話を訊こうかなって思って」


「ああ……それ、父ちゃん達のことだよきっと」


 少年は申し訳無さそうに、肩を落とした。


「父ちゃん、このところ家で寝てばっかりでさ。今日は俺が無理矢理、仕事場に送ってきたんだ。それなのに……」


 少年が父親だと言った男は、悪びれもせずに椅子に座り込み、目を逸らしている。


「何でだよー父ちゃん! 父ちゃん仕事好きだって言ってたじゃないか!」


「うるさいな……俺だけじゃないだろうが、休んでるのは」


 吐き捨てる父親を見下ろし、少年は大きなため息を吐いた。


「仕事場でもサボってるってわけか……ま、一人じゃこんなもんかもなあ」


 和久が軽く述べると、冬は目を剥いて顔を寄せてきた。


「そんなこと無いもん! 一人だからサボるとか、この場所ではそうゆうのは許されないし、私が許してないもん!」


 きらきらと緑色の唾液が飛んできて、僅かながら和久の口腔に入った。


 わざと毒液を飛ばしたのかと身構えかけたが、特別舌が痺れるということも無かったので、和久は放っておく。

 すぐに自分の唾液と混ざって飲み込んでしまう。


 仄かに茶葉の風味がする。


「……分かった分かった、分かったから、緑のヨダレを拭け。それとガキがいるんだから、簡単に目吊り上げてキレるのもどーかと思うが」


「あ、そうだった……ごめんね、変な顔して。びっくりした?」


 冬はコートの袖でごしごし口元を拭い、少年に一転、笑顔を向ける。

 穏和でいつも村人を笑顔で見守る村の主こと、冬お姉ちゃんの百面相ぶりに、


「う……うん。別に、大丈夫だよ。冬お姉ちゃん綺麗だし」


 父思いの優しい少年は頷いた。


「ありがとう、いい子だね」


 冬がより嬉しそうに微笑む。


 その隣では少年の父親が、表情を隠すように眉を顰めて、ぼそぼそと何か呟いていた。

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