第26話 ケガレ

 青空が垣間見えるほど降雪が大人しく、かといって晴れ渡っているわけでもない。


 いくら平日といえども静かすぎる、昼下がりの午後。


 ――村を見回りにでもいくか。


 和久は家の玄関を出て、ブーツを踏みしめて雪の冷たさを確かめる。

 今日は暇になりそうだ。


 祭りの後の静けさは翌週末まで続き、それまでの間、勤勉な村人達は定められた仕事に従事して、退屈に植物のような日々を過ごす。

 どんな禁欲的な生活をしていても人間には『ハレ』の日が必要なのだ、と冬の父は言っていた。


 冬の父によれば、古代では大地や風に満ちた世界を維持するエネルギーとして『気』というものがある、と信じられていたと言う。


 維持された日常を『ケ』と呼ぶ。


 気は循環しているが、時として活性化させてやらないと一つの場所の気が枯れる。

 それを気枯れ=『ケガレ』と呼び、ケガレは転じて『汚れ』、不浄で忌まわしい性質であるとされる。


 人がただ日常を生きていくだけでは、村から活気が失われる汚れていく。

 そのケガレを払う手段が祭などのイベントであり、それをハレと呼ぶらしい。


 人の気を高揚させて、ケガレを払うというわけだ。


「こじつけくせー」


 と、和久は訝ったのを覚えている。


 同じ日々を繰り返したら鬱憤が溜まるから、たまには羽目を外したいという、ただそれだけのことだとしか思えなかった。

 そんな和久に冬の父は笑いながら、


「その通りだが、実際にこの村には、大きすぎるケガレが存在するからな」


 と自嘲するように言った。


 大きすぎるケガレとは何なのか、ということについては和久は触れなかった。


 今になって思えば、小町の〝速さ〟を渇望する暴走やエディ少年の〝笑い〟を伝えたいという情熱も、無意識のハレへの衝動だったと言えるのかもしれない。


 ――山王Z村には、ケガレが満ちはじめているのだろうか。


 歩きながら考えていると小町が道の向こうから、弾丸のように滑ってきた。 


 和久が驚く間も無く、小町は和久の目の前で急ブレーキをかける。

 ブレードで削れた氷の粒が舞い上がり、和久も小町もゲホゲホとむせてしまう。


「滑るなら気をつけろっつってんだろーが、このボンクラ暴走馬!」


 呼吸を整えて和久が叫ぶ。


 小町は涙目になりながら「ごめんなさい」と前置きをして、


「大変です和久くん、大変なんです」


 とにかく落ち着き無く、発汗した肌から立ち上る大量の湯気も気にせずに、べらべらと冗長に話し出した。

 

「バイオプラントで事故ー!?」


 毒物館内でも、毒花や毒草ばかりが集められた区画。


 アネモネの花にじょうろで水を与えながら、鼻歌を歌っていた冬は頓狂な声を出した。

 薄紫の見事な八重咲きのアネモネの花は、朴念仁の和久から見ても充分に美しかった。


 だがその茎が折れると出てくる汁に含まれる毒成分、プロトアネモニンは刺激が強く、触れるだけでも皮膚炎を引き起こすことがある。

 当然だが食すのも危険なのだそうだ。


 和久は以前、「気軽に素手では触らない方がいいよ」と冬に注意を受けていた。


 冬の声に驚いたバジルが、するっと冬の胸の谷間から現れた。

 冬が撫でてやると、怪訝そうに舌をチロチロ出して戻っていく。


「私もさっき聞いて、家飛び出してきたの!」


 小町は落ち着きがない。


 和久もまだ動揺している。

 小町の報告に言いしれぬ不安と焦りを感じ、すぐに毒物館に向かってきたのだ。


「ナノマシンの制御マシンがオーバーロードしたってよ。一部、作物の供給がストップするらしいから、無知なバカ村人どもの食事量がどんと減るぞ」


 和久は心の底から心配だったのだが、冬は緑の眉を顰めて居丈高に、冷たい眼差しを向けてきた。


「そんな言い方は無いでしょ。村のみんなは一所懸命に働いてくれてるんだから。ご飯をお腹いっぱい食べられるってことは大切なんだよ」


「……分かってるっつの、そんなこと」 


 どの言い方が悪かったのかが和久には分からない。


「何で制御マシンが壊れたりしたんだろ? 操作を間違っちゃったりしたの?」


 冬が神妙な顔で小町に訊く。


「えーとね、整備不良が原因ぽいって。代えなきゃいけない部品を代えてなかったとか、何とか」


「整備不良――?」


 冬は愕然とする。


「そんなこと、初めて。どうして? 人手は足りてたはずなのに」


「プラントで働いてた村人で、仕事に出てこない奴らが何人かいるらしいぜ」


 サボリ魔がいるようだな。

 和久は付け足した。


「し、仕事をサボる? 村のみんなが? そんな――そんな人がいるわけ無いよ。山王Z村のみんなは、村のために、みんなのために働いてくれてるはずだよ」


 冬は明らかに狼狽していた。


「現にサボリがいるから整備不良なんつーみっともない事故が起きるんだろが」


 うーぐぅ、と冬は悲しいのか怒っているのか判別しづらい唸り声を上げて、深く息を吸った。


「……行ってみる、プラントに」


 冬は決然と言った。


「和久、あんたは私と来て。小町はもう少し村を回って、サボってるっていう人の話を訊いてきて」


「了解!」


 声を張り上げる小町の横で、和久は無言で頷いた。

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