第24話 安里純子
娯楽は、週に一度訪れるぐらいが丁度いいらしい。
そうでないと有り難みが薄れる、と言うのが冬の弁だ。
――娯楽は有り難くなくてはいけないのか。
和久は疑問に思うが、そうであるらしい。
山王Z村郷土史館、即ち『毒物館(どくぶつかん)』から北東へしばらく歩いた場所には、村の集会所に使われている建物があった。
毒物館と同じく、宗教的な儀礼に使われていた建造物らしい。こちらは別館といったところだろうか。
和久や冬は『ホール』などと適当に呼んでいる。
和久は冬に付き添う形で、週末の金曜日にこのホールへとやってきた。
ここ数週間、毎週ずっとである。
付き添いと和久は言うが、冬自身は「愉しみで来てるのに、わざわざ和久の毒舌を聞きたくない」と露骨に迷惑がっていた。
実際に何らかの不測の事態が起こってしまったとしても、冬とバジルだけで解決してしまう可能性が高い。
情報収集以外には、和久が出来ることなど皆無に等しい。
和久は我ながら、言葉の悪さ以外に取り柄の無い自分が情けなかった。
――それでも、無防備な冬の側にいるに越したことはない。
己に暗示をかける。
日が沈みかけ、さらさらと弱く降り積もる雪が、ノイズのように薄明かりの空を走る。
ホールの入り口の前まで和久と冬が歩いてくると、すでに人集りが出来ていた。
仕事帰りの村人による、順番待ちの行列である。
人が多いせいか、気持ち、空間が暖かい。
「うわ、凄い数。またファンが増えたんだね、純子(すみこ)さん」
冬が感嘆の声と、真綿のように真っ白い息を吐く。
「よほど愉しみがねーんだな、この村の暇人どもは。たかが歌に、よってたかってよ」
「……私はいいけど、純子さんの歌にけちつけないでって言ったよね?」
冬が睨んでくる。
いじけたような睨み方では無い、明確な敵意が向けられていた。
「別にけちつけてるわけじゃねーよ……」
肩をすくめながらも、和久は口をつぐんだ。
この日ばかりは沈黙が吉なのだ。
「おーい、冬ちゃーん和久くーん!」
行列の前の方から、甲高い少女の声が聞こえてきた。
小町(こまち)がぴょんぴょんと、その場で跳ねていた。
マフラーとポニーテールが、雪原から顔を出す狐のように、人垣からリズミカルに飛び出る。
いつも通りスケート靴を履いているはずだが、そうとは思えない跳躍力だ。
「小町、早かったんだね!」
冬が声を上げると、村人達が一斉に冬に気づき、ざわめき始めた。
これだけ人が大勢いても、冬の緑色は目立つ。
小町は周囲の変化を気にせず、飛び跳ねながら途切れ途切れに叫ぶ。
「だってー、早く並ばないとー、すぐにー、満員になっちゃうからー」
「はいはい、分かったよ! 分かったから黙って並んでなよ、危ないからー」
「えー? 今ー、なんて言ったのー?」
笑顔で飛翔する小町である。
「あのバカ、本当に自分のこと分かってるのかね……」
「困ったね。また叱ってあげないといけないのかな」
冬が呆れていると、前に並んでいた村人達が冬に話しかけてきた。
「あの子、冬ちゃんのお友達なんだろ? 一緒に並ぶといいよ、もうすぐ開演時間だしさ」
まだ若い青年の村人に言われ、冬はきょとんとする。
「いいよ、悪いから。私達もちゃんと並ぶよ」
冬は手を振ってへつらうように断るが、その前に並ぶ中年の女性村人も、
「いいんだよ。冬ちゃんが前の列で聴いてくれた方が純子さんも嬉しいだろうよ。きっとさ」
にっこり笑んだ。
他の村人達も、にこにこ笑って頷いている。
冬は申し訳無さそうに白い肌を朱に染めて、
「ありがとうみんな。じゃあ、小町の所に並ばせてもらうね」
と告げ、見送られながら列の前方へと、小走りに向かった。
「こりゃ助かるな」
和久も冬にひっ付いていく。
「和久も横入りしていいとは言われてないよ。並んだら?」
「うるせーな。付き添いなんだからいいんだよ」
言い合いながら冬と和久は小町と合流して、ホールの入り口の前に並んだ。
小町が喜んでその場でスピンしようとするので、冬は必死に止めて、
「人混みの中では控えなさいって言ったでしょ」
と母親のように諫めた。
小町がしゅんとなって俯く。
それとほぼ同時に、ホールの扉が開かれた。
寒空の下で待っていた村人達から、安堵の含まれた歓声が上がる。
暖色の温かそうな照明が、外の闇に漏れてくる。
中から一人の少年が現れた。
長く黒い前髪が左目を隠している。
もう片方の幼さの残るくりくりと大きな右目で、彼は冬に気づいた。
慌ててぺこりと会釈してくる。
冬は動じず、実の弟を慈しむように優しく微笑み返す。
少年も照れ臭そうに微笑む。
少年の名は湯沢菜月(ゆざわなつき)。
和久や冬より五歳程年下でまだ子供と言っていい年齢だが、毎週金曜日はこのホールで働いている。
菜月は行列を、後ろの方から見渡して、
「みなさんお待たせしました。安里純子(あさとすみこ)ライブ、後少しで開演致します。どうぞ、お席に着いて下さい」
大きいのに透き通るような声で、告げた。
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