第20話 ペプチド
「冬ーーっ!」
扉を開け、館長室に和久が突入してきた。
バズーカとハリセンを構えたエディが、冬と対峙しているところだった。
決然と立つエディの前で、右手を振りかざしていた冬が後ずさっていく。
――遅かったか。
和久は舌打ちする。
凶行に及んだエディに、冬は必殺の猛毒を流してしまったらしい。
エディはすでに体の自由を失いつつある。
視点が定まらず、足も痙攣し始め、それでもなお、自分に何が起きているのか理解出来ずにいる。
「和久くん、冬ちゃんは? エディさんはどこに!」
小町も、和久の後を追って館長室に入ってきた。
中で何が起きたのか、すぐに感づいて立ちすくむ。
自分が毒殺されかけたことを思い出して、強いショックを受けたようだ。
哀れむような、悲しむような。複雑な表情でエディの姿を見つめている。
和久は、エディに向かって歩み寄った。
「……やっちまったなあ、エディ。あんたが悪いんだぜ。クソったれの人殺しになんか目覚めちまうからよぉ」
「は……?」
エディは、震える体で、不快そうに眉を顰めた。
「死にかけのミイラが調子づいて、そこの緑ゴリラなんか狙ったのが運のツキだったってわけだ。お前如きが、そこのバカの毒に叶うわけないんだからよ」
「お……お前な……僕らは殆ど面識が無いだろ……」
エディの左手が、小刻みに動いた。
「年上? 知ったこっちゃねーよ、お前みたいな死にかけミイラ変態殺人鬼は、人間としてダメだって……」
「だ……誰が殺人鬼だ!」
ばっちーん! 大きくて軽快な音が響いた。
和久はエディが必死に動かした左手で、思いっきりはたかれていた。
「……え~?」
和久はぽかんとしている。
派手な音の割には、痛みは少なかったのだ。
――――妙な間があった。
冬も呆けていたが。やがて。
「ぷ」
何やら込み上げてきたらしい。
「あはは……あはははははははは!! 和久が怒られた! 怒られたー! わーいわーい、ざまーなーい!」
大爆笑を始めた。
腹を抑えて、足をばたつかせて床に倒れ込んだ。
「あはは! 和久くん、なんだかいい顔してます!」
小町も愉快そうに、涙を流して笑い始めた。
一方、ふらふらのはずのエディは何か重要なことに気づいたかのような、暁光を得たような力強い眼で、和久を見ている。
和久は自分が晒し者になっている気がして、急に居心地が悪くなってきた。
「うっせーぞ! 何がおかしいんだよ緑猿に暴走馬!」
「だってー、ねえ小町!」
「うん、なんか、ねー冬ちゃん!」
冬と小町は共犯者であるかのように、顔を見合わせて笑う。
「て、てめーらなあ……特に冬! 俺はお前が狙われてると思って親切にだなあ!」
和久は顔を赤熱化させて訴える。
「はあ? 親切?」
笑っていた冬は途端に不機嫌な顔になり、和久の側へ歩み寄ってきた。
「この俺が心配して駆けつけてやったのに、大声出して笑ってんじゃねーよ!」
和久も怯まない。
「何それ? だったら何でもっと早く来ないの? どれだけ怖かったと思ってるの!」
冬は和久を見上げ、緑の瞳を釣り上げて迫ってくる。鼻と鼻がぶつかりそうだ。
「猛毒緑ゴリラより怖いもんなんか、この世にねーだろ」
「毒があろうが無かろうが、怖いものは怖いもん!」
「どの口が言ってんだ。一撃で人間殺せる猛毒女の口か」
「口のことで和久に言われる筋合い無いわよ! 毒舌男!」
「うっせー、緑ゴリラザル猛毒カエルゴリラ」
「長いしゴリラ二回入ってる!」
「この近さで叫ぶな! 口から毒液が飛ぶだろ!」
言い争いは延々と続くかに見えた。
そんな状況で――
くはは、と乾いた笑い声が部屋の中に響いた。
和久と冬が、キッと同時に小町を睨む。
「違う違う! 今の笑い声はそっち、そっち」
小町が慌てて指差す方向には、膝を着いているエディの姿があった。
高熱が出たかのようにぶるぶると震えながら、口を半開きにして、涎を垂らしている。
「くははは……は……あんたら……技術は無いし無茶苦茶だが……勢いあって面白いな」
「……なんだ? こいつ、ずいぶん余裕あるじゃないか」
和久は怪訝そうに言う。
「うん。ペプチド毒からなる神経毒の、ちょっと弱いのを流しただけだから。今は筋肉が痙攣してる程度のはずだよ。この毒はサソリの毒と同じで、強いものになっちゃうと心肺機能にも影響を与えるんだけど……」
「んなことはどうでもいい。何で余裕を持たせたかを訊いてるんだ、緑サソリザル」
言葉を遮られた冬は、苛立たしげに和久を睨む。
「……どうしてこんなことしたのか、動けなくしてから訊こうかと思ったの! 変すぎるんだもん、この人」
「……お前、命狙われたんだろ? そのバズーカとかで」
「さあ?」
「さあって何だコラ」
「何よコラ」
和久と冬は再び争い始める。
「あのー……放置してるとさすがに死んじゃうんじゃ……」
小町が、エディの顔を覗き込んだ。
白目を剥いてカニのような泡が口から吹き出ているが、表情は幸福に満ち溢れていた。
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