第19話 実戦

 和久は、飛び出すようにせんじーの店を後にした。


 ――凡ミスを犯してしまった。


 まさか、先程行きあった少年がエディ本人だったとは。


 人相・体格は村人から訊いていたのに失念して見逃すなんて、間抜けすぎる。

 エディの一連の行動が奇矯すぎて、そのことに対してだけ頭を使いすぎていた。


 しかもエディは、せんじーの店で『バズーカ砲』なる道具を購入していた。

 古代において、忌まわしい殺戮に使われた凶悪な兵器であるらしい。

 一介の農民が購入するのは不自然だ。


 用途によっては土木工事にも使える、ということで冬が特別にせんじーの元へ預けておいたらしいが、もっと慎重に扱うべきだったのだ。


 ダイナマイトという道具も元々は工事のために発明されたが、強大な破壊力故に、本来の用途とは違う使い道――

 

 兵器としての進化を必然的に強いられたという。


 いかに人の心に毒が無いとはいえ、強すぎる力を持つ道具は、人の心から毒を引き出す。

 和久が先を急ごうとすると、すぐに小町がやってきた。


「和久くーん、お待たせしました」


 さすが虹色の風の足を持つ少女、と言ったところか。

 息一つ乱れていない。


「遅かったな。すぐに追いついてくると思ったんだが、暴走馬のくせに何ちんたらやってたんだコラ?」


「それが、変わったおにーさんに捕まっちゃって~……」


 いじけたように、指をいじりながら小町は言った。


 不吉な予感が和久を襲う。

 いや、予感では無く確信だった。

 

 ここに来るまで、歩行者は一人しかいなかった。

 間抜けは和久だけでは無かった。


「そいつ……ニット帽被って、バカでかい大筒背負ってたか?」


「おー。和久くんの知り合いでしたか。ならちょっと失礼だったかな? 呼び止められたのにろくに相手をしないで来てしまいました」


「ば、バッカもん! そいつがエディだー!」


 和久は、どこかで訊いたことのある口調で叫んでしまった。


 確か祖母が聞かせてくれた、伝説の怪盗の物語――

 いや、そんなことはどうでもいい。


「えええー?! だって普通の綺麗なおにーさんでしたよ!」


「お前も、エディの顔とか体の特徴は知ってたろ! 綺麗なおにーさんなんだよエディは!」


「……あちゃー」


 小町は、はにかんで誤魔化した。


「あちゃーじゃねえ! てめえ、エディが今どこを目指しているのか分かってねーな!」


「ど、どこですか?」


「毒物館――冬の所だよ!」


 小町の顔から一瞬で血の気が失せた。


 7


 赤煉瓦の荘厳な建物を、エディは悠然と見上げる。


 山王Z村郷土史館。

 すぐに辿り着けた。


 ――体が大分冷えてしまったので、口が回ると良いのだけど。


 重い扉を開け、奥へと進む。


 エディはこの郷土史館に入ったことはあったが、中にどんな物が展示されているのかということに関心を抱いたことが無かった。


 様々な生き物がいるらしいというぐらいの情報しか持っていない。

 何故、ここに来てそんなことが気になってきたのだろうか。


 〝あれ〟の存在を知った――自覚したことが、何か関係があるのだろうか? 


 いずれ考えてみる価値はありそうだった。


 エディは、この郷土史館の主――

 野村冬の姿を探す。


 回廊には気配が無い。足音も話し声も聞こえない。


 ――ならば館長室だろう。


 入り口に案内板があったので、館内の土地勘は頭に入っている。


 一階の奥、重厚な鉄扉がその館長室の扉だ。

 村の中にあって明らかに特殊で浮いているこの郷土史館の中でも、更にこの扉は浮いている。


 扉どころか、この部屋自体が同じ材質の鉄で覆われている。


 どんな自然災害やその他の災害――エディにはその他は思いつかないが――があっても、中の人物が一切傷つかないための、シェルターと呼ばれるものと同一構造のものであった。


 初めて見たエディは、どうしたものかと考えた末、結局普通に、トントンとノックした。


 待つ間も無く、がちゃり、と扉はあっさり開いた。

 警戒も何もあったものではない。


 クリーム色のカーディガンを着た、少女の後ろ姿がちらりと見えた。


「……和久ー? あのさ、お茶が切れちゃってコーヒーしかないんだよね」


 扉の向こう、豪奢な絨毯が敷かれた館長室から、廊下に暖気が漏れてくる。


 少女は、コーヒーメーカーを片手に持って立っていた。

 緑色の髪が揺れる。


 釣り上がった瞳も眉も、今口を開いたその舌も緑色だ。


 村人であるエディにとっては絶対の母親にして、大切な家族でもある、代え難い存在。


 館長代理、野村冬が、エディの目の前にいた。


 ――一人で冬と会っている。


 己の状況を鑑みて、エディは今更ながら感激に震えた。


「早く入ってよ、寒いんだから――ってあれ?」


 冬が怪訝そうに振り返り、エディを見た。

「ど、ど、ど、どうも……」


 エディは口ごもった。

 まずい。


 落ち着きを取り戻さなければ台無しになる。


「あー、ごめん。和久じゃなかったんだ。この部屋の扉ノックするなんて、和久ぐらいだから。村の人がここに直接来るなんて、珍しいね?」


 冬は慈しむようにはにかんだが、その笑顔は次の瞬間には崩れた。


 エディが背負うバズーカに気づいたのだ。


「僕はエディという者です! 一人暮らしをしながら、バイオプラントで働いています!」


 エディは異常なまでにはきはきとした口調で言った。


 冬はバズーカが気になって仕方ないようだ。

 目が泳いでいる。


「それは……? 工事にでも使うの、そのバズーカ? いや、でも今バイオプラントって言ってたし」


「野村冬さんっ!」


「わ!?」


 エディの声に、冬は驚くあまり姿勢を崩した。

 床に落ちそうになったコーヒーメーカーを、慌てて手で掬って拾う。


 緑色の舌が飛び出そうになった。


 何事か、と緑色の毒蛇バジルが、冬の胸元からするすると出てきた。


「不詳エディ、芸をさせていただきます!」


「げ――芸? 芸って何?」


 コーヒーメーカーを抱えたまま姿勢を崩した冬は、絨毯にぺたりと座り込んでしまった。

 緑色の前髪がはらりと散らばる。


 それからエディの――


 〝お笑い芸人(コメディアン)〟としてのエディのネタ百連発が、始まった。


 エディはまず、伝説の草創期の時代に生まれた一発ギャグから試してみた。


「がちょーん」


 エディは大きく手の平を広げ、掴みかかるような仕草で突きだした。


「…………?」


 冬は首を傾げる。


「お前に食わせるタンメンはねえ!」


 今度は古代の娯楽作品に登場したという、料理人の物真似(ものまね)だ。

 顔面の筋肉を上手く硬直させるのがコツだ。


 意味はエディ本人もよく知らないが、大げさな仕草が気に入っていた。


「……………」


 冬は顔を引きつらせ、ただ混乱した。


「これも駄目か! ならば……」


 エディは姿勢を正し、知る限りのネタを次々と繰り出した。


 大げさな動きによるスラップスティック。


 デフォルメされた村人の物真似。


 動物の形態模写。


 コミカルな歌ネタ。


 下らなさスレスレのダジャレ。


 奇妙なシチュエーションを想定した、数々の一発ギャグ。


 古代の笑いの英雄、芸人達が歴史に遺した、伝説のネタの数々である。


 これこそが人を救い、エディを救った古代の技術――。


 〝お笑い(コメディ)〟なのだ。


 その全てを目の当たりにして、冬は更に顔を引きつらせ、首を傾げ続けた。


 休むことなく、ネタは続いていた。


「僕は犬人(ライカンスロープ)だよ! 犬の頭に人の姿がついているよ。犬の大好きな君に、お母さんには見えないチワワをあげようね」


 エディは、滑稽な身振り手振りで言った。


 ネタがやたらと、シュールな方向に流れてしまっている気がした。


「…………」


 冬は、くすりともしない。


「そ……そんなに面白くないですか?」


「――何が?」


 冬は震える声で呟く。


 エディの焦りは、限界に達していた。


 即ち――スベりまくっている。


 今まで繰り出したのは、古代で毎年行われていたという伝説の戦いの中で生まれたネタを、エディなりにアレンジしたものだった。


 本来はコンビで見せるネタらしいが、一人でも充分笑いを取れるという判断が間違っていたのか。


 相棒はいないとしても、ネタの内容自体は面白いし、タイミングも申し分ないはずだ。


 エディが読んだ本、『お笑い千年記(ディヴァーナ・コメンディア)』には詳細がしっかりと書いてあった。


 ――本が間違っていたのか。


「そうか、矢張り世代の問題だな……! 笑いは、何世代もかけて進化したが、子供には常に、分かりやすい笑いが受けていたはずだ……!」


「さ……さっきから何を言ってるの?」 


 冬は怯えているだけだ。

 バジルも、冬の腕に絡みついてきしゃーきしゃーと威嚇を続けている。


「いや、そういうことでも無いのか……矢張り相棒がいないのが問題なのか? 元々俺がやりたかったのはボケではないし……クソ! 俺はツッコミしか出来ないってのか!」


 エディは頭を抱えこみ、叫ぶ。

 頭が真っ白になってきた。

 古代の芸人達も、スベればスベるほどパニックに陥り、ドツボに嵌っていったという。


「わ、分かるような言葉を話してよ! 貴方の言葉、和久より意味不明だよ?!」


 冬の声音が、震えを増していく。


「何とかします! 何とか繋げますから、冬さん!」エディは必死に懇願を始める。


「貴方を笑わせられないなら、この村に笑いを伝えることなんて無理なんだ!」


 ――この村に、笑顔を。

 みんなに笑いを。


 ――笑って笑って涙を流して。

 辛いことは、全て吹き飛ばせる文化を。


 エディの計画とはつまりそれだけのことであり、そのためには、村の長たる冬にお笑いの文化を知らしめることが最も重要であり必要だった。

 長が村人と笑える村なら、村人も安心して笑っていられる。


 逆に、冬すら笑わせられない芸などには意味が無い。


 ――相棒さえいれば。


 〝ボケ〟の相方さえいれば、自分が研鑽した笑いの技術〝ツッコミ〟は生きるはずだったのに。


 そのためにエディは村の中から笑いの感性を持つ者を探したのだが、そのような希有な才能とは、そう簡単には巡り会えない。


 あの小町という少女はそれなりにカンが良かったが、いかんせん人格――

 キャラクターが、ひとりよがりすぎた。


「まだまだネタはあるんです!」


「だから、分かんないよー! ネタって何? 何でバズーカなんて背負ってんの?!」


 呻く冬は、恐慌状態に陥りかけていた。

 皮肉にもその言葉が、エディに最後の手段を思い出させてしまった。


「あ、そうか。忘れてた……!」


 エディは、巨大なバズーカ砲を床にどすんと着いて、更にナップザックから蛇腹状になった紙製の芸人道具――

 『ハリセン』を取り出した。


 右肩にバズーカを担ぎ、左手にはハリセンを構える。

 二刀流の戦士のようにエディは猛々しく立ち、健やかに笑った。


 冬の表情が固まった。


 お笑いは道具の使用も許されることを、エディは思い出していた。


 ハリセン。


 カナダライ。


 ピコピコハンマー。


 古代には、早朝、まだ眠っている者にバズーカで砲撃を加え、おどけて慌てる様を笑う、という過激なものもあったようである。

 エディは笑いの過渡期に生まれたそのネタを、自分の体で再現しようと試みていた。


 それらの笑いは、人を傷つけようとする行為では全くない。


 驚きはしても、相手は決して傷つきはしない。


 傷つかないはずだ。それが素晴らしい。


「エディ、いきます!」


 最終兵器であるバズーカとハリセンを、エディは同時に冬に向けて照準を合わせる。


 硬直していた冬の目が見開いた。


「やだ……! もうやだー!」



 貴方を毒殺します!


 冬は断言した。


 倒れ込んだ姿勢から一気に立ち上がった冬は、エディの方へ突進してきて、右手でエディの額をぺちんと打った。


 小指の先がエディの薄皮と皮膚を破る。

 緑色の毒液がそこから滴っているが、エディは気にするどころか。


「お……これはツッコミかな、冬さん?」


 今までに無い手応えを感じていた。

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