第14話 肉じゃが
昼時である。
和久(わく)はよく煮えて湯気が立っている土鍋を、せんじーに貰ったクズ鉄製のテーブルの上に置いた。
がしゃんと無機質な音が響く。
鍋からは様々な具材の旨みが混ざり合った、甘い香りが漂う。
『肉じゃが』という名の、古代から連綿と受け継がれた料理だ。
和久の得意料理の一つである。
聞いた調理法にかなりアレンジを加えているが、元々この肉じゃがはある文明が別の文明の料理を、無理矢理に再現する過程で誕生したという説があるそうだ。
文明が一度滅んだ以上、多少調理法が変わったところで問題は無いだろう、と彼は考えていた。
ちなみに、チーズが入っている。
大量に作ったので和久は夕食と兼用にするつもりだった。
いつもは一人っきりの寂しくて質素な食卓には、何故か一人の少女が同席している。
少女の名は恩田小町(おんだこまち)。
数日前、スケート靴という古代の道具を用いて、山王Z村に連続交通事故という災害――
人災をもたらした少女だ。
二人分の皿、スプーン、箸をテーブルに用意しながら、小町は興味深そうに部屋の中を眺めている。
右に左に、黒髪の長いポニーテールと常備しているマフラー(さすがにスケート靴は脱がせた)がその度に揺れて、部屋の中の暖気を掻き乱す。
家族と暮らす思春期の少女には、男一人の部屋が物珍しいのだろうか。
これが古代なら、少女が堂々と男の一人暮らしの家に押しかけてくるのは警戒心が薄すぎる、ということになる。
しかしこの村では異性を警戒する者はいないし、その必要も無い。
同性に対してもだが。
「結構片づいているんですね、和久くんの部屋」
感心して、小町はにっこり笑う。
「汚かったら、お掃除してあげようかと思っていたんですけど」
確かに和久は、一人暮らしの男にしては綺麗好きで整理好きな方だ。
部屋は散らかっている方では無い。
家具とストーブぐらいしか物が無いので、閑散としているということもある。
「いらんいらん。自分のことぐらい自分でやるからよ。お前に雑巾がけで暴走でもされたら、バカを見るのは俺だからな。家具壊されたらたまんねーし」
「暴走なんてしませんよ。こう見えても反省してるんですから、私」
「ほーそうか。じゃあスケートで怪我もしてないな?」
「…………」
小町は目を背けた。
「沈黙するんじゃねーよ! ひょっとして懲りてないだろお前!」
だん、と和久はテーブルを叩いて恫喝した。
「だ、大丈夫です! 誰もいない道選んで、一人でこっそり練習してるだけですから! 物も壊してないですし、私が勝手に転んで背中打ったりしてるだけです!」
「信用しきれねーなあ。いいか小町。お前がまた下らんヘマをしたら、あの猛毒緑ゴリラ女は問答無用で殺しにかかってくるぞ。あー見えて、殺すと決めたら容赦はしねぇからな」
「き、気をつけます……でも一応、前よりは上手くなりましたよ、スケート! 周りが見えなくなる、ってことは今は無いですから」
自慢気に小町は、大げさに胸を張る。
胸だけは冬より大きい。
最低なことを考えてしまって、和久は急に己が恥ずかしくなった。
これも心に宿る毒の範疇かもしれない。
「まだ上達してんのかよ。あのときすでに人間離れしてたくせに。お前の運動能力も、ケダモノ並だな」
「使いこなせさえすれば、道具に罪は無いでしょう? スケート靴はとっても魅力のある道具です。冬ちゃんも分かってくれています」
小町は強気に述べた。
彼女は、性根や考え方は意外としっかりしている。
芯がある、と言うべきか。
確かに使いこなせれば、あのスケートという技能のスピードや機動性は村の利になるし、使いこなせそうな才能も小町だけだろう。
「そういうことは、冬(ふゆ)に言いに行けばいいだろ。どうして俺の家に来るんだよ」
「いいえ、今日は和久くんから、冬ちゃんのこと訊きに来たんですから。それに和久くんに伝えれば、どうせ冬ちゃんに伝わるんでしょう?」
和久の機嫌を伺うような、上目遣いの小町。
そうなのだ。
小町は、新しい友人である冬のことを良く知りたい、というただそれだけの理由で、和久の家を訪ねてきたのである。
冬と仲良くなりたいのなら、直接『毒物館(どくぶつかん)』に行って冬に会えばいい話のはずだ。
だが、小町の中での冬への憧れ――
というより幻想は、巨大になりすぎてしまっていた。
要するに、仲良くなる前から嫌われまいと、怖じ気づいてしまっているのである。
和久は小町に会話のフィルターとして利用されて、朝からずっと、冬の情報を延々と訊かれていた。
やれ冬の趣味は何か?
やれ冬は普段何をしているか?
好きな食べ物は何か?
しつこいことこの上無し、だ。
――幻想に支配された友情というやつも、毒の範疇だろうか。
「俺は冬のマニアじゃねーし、お目付役ってわけでも無いいんだよ。飽きたら、とっとと飯食って帰りやがれよ」
言い捨てながらようやく和久は肉じゃがに手をつけたが、すでに冷めはじめていた。
肉じゃがのじゃがいもは、熱々でほくほくのものをふーふー冷ましながら食べるのが本当である、と和久は信じている。
豪快なアレンジをしておいてなんだが、それでも料理には守るべきラインというか魂の障壁のようなものがある。
せっかく来たのだから旨い肉じゃがを食べさせてやろう、と和久が立ち上がり、土鍋を火にかけて温め直そうとしたそのとき。
「もう一つ、和久くんに訊きたいことがあるんです。〝心の毒〟のことかもしれない話を、私、知ってるかもしれないんです」
唐突に、小町は告げた。
「――毒、だって?」
和久は、再び座り直す。
「事件のニオイでも嗅ぎつけたか? それを先に言えよ、ボンクラ暴走馬!」
吠える和久の、この村での役割。
それは、冬にしか殺せない村人の罪、自覚無く隣人を傷つける村人の心の毒をいち早く察し、調べることだ。
もっとも、調べるだけで手を下すのは冬であるという事実を、常々後ろめたく感じているのだが。
和久の迫力に気圧されて狼狽えながらも、小町は話を始めた。
「私は、その……まだ人の何が駄目で、何が許されるのか、とかそういうのは、よく分からないんですけども――」
あの日、冬の猛毒によって死にかけてから、小町は自分のここ数日の行動を省みるために、山王Z村の家々を歩いて回ったそうだ。
自分の暴走スケートで、怪我をした村人達に会うために。
村人によっては、足を捻挫した者や腕に傷を負った者など、家事労働に支障が出ている者も少なくない。
小町はそういった被害者達の仕事や家事を、体を張って寝食を削りながらも手伝うことにしたのだ。
彼ら彼女らが、完治して日々を元通り過ごせるようになることが小町の償いであり、更には山王Z村への、冬への貢献の第一歩であると考えたらしい。
なかなか見上げた根性だ、と和久は感心する。
自分の罪と向き合った上で前向きに生きることは、簡単そうでこの凍てつく村では容易くはない。
有り難いことに――と言うか、この村の人間達は人を恨むことをしないから当然なのだが、小町に対して辛く当たる者はいなかったという。
これはそんな小町が赴いた家に住む、少年に訊いた話だ。
その少年の母親は、小町の暴走によって腕に軽い怪我をしてしまっていたが、元々少年が家事の手伝いに積極的だったこともあって、さほど生活に支障は無かったという。
「でも、私が手伝いに行ったら、すっごく喜んでくれたんです。歓迎してもらえるなら、私も期待に応えたいですし。期待してもらえるなら、頑張っちゃいますし」
その少年は手伝われることに喜んでいるのでは無く、この村では絶対数が少ない、若い少女であるところの小町と会えることを歓迎したのだろう、和久は思った。
別に問題は無いので、口には出さない。
「その子、明るくて元気で、ご近所の大人にも可愛がられているそうなんですね。特に、お隣に住んでいるエディさん、という男の人と仲が良かったらしいんです。和久くんと同い年ぐらいだったかな?」
「問題無いな」
全く無い。
村人同士の結束が強まり、大人が子供を愛し、子供が大人を敬って仰ぐ。
冬がそうあってほしいと願う村社会の姿であり、和久も同じように思う。
「エディさんという方は、お父さんもお母さんも病気で亡くしてしまったそうで、その子のことは実の弟のように思ってくれていたようです。その子も自分から、よくエディさんの家に遊びに行っていたようですね。それが……」
ある日から、エディさんの様子が変わっていったそうです、と小町は神妙な顔で告げた。
「様子? お前みたいに暴走でもしたのかよ」
「……うーん。暴走って言うんでしょうか。エディさんは買ってきた本を読んで、突然笑い出したり、泣き出したりしていた、と言うんです。どう思います?」
訊かれて、和久は眉をひそめる。
「……まあ、普通に考えたら情緒が不安定だった、ってことになるのかね。俺は本ってやつが好きじゃないからよく分からんが」
本の類は、山王Z村では殆ど流通していない。
村北部の施設で、酪農などの古代の知識を甦らせようとする技術者などは、実用的な文献を欲している。
一応せんじーの所でも扱ってはいるのだが、どうも村人達は実用書や小説といった古代の文化には、あまり興味が無い様子だ。
それらへの無関心が冬の施した毒のせいであるのか、村人の日々の生活が充実していて必要が無いからなのかは、和久には分からない。
和久が本を苦手としているのは〝特殊〟な語彙では、読解に時間がかかってしまうから、という単純明快な理由だ。
物語自体を好まないというのもあるが。
「私も、本はよく分かりません。読んでる人もあんまり身近にはいませんね。ですがその子は、エディさんに同じ本を読むことを薦められたそうです」
「ほう、で? そのどスケベ息子はどう言ってた」
「どスケベ……?」
小町は意味が分からず目を丸くする。
「えーと。日頃から本なんて読まないので、よく意味が分からない、と言っていました。ただ、不思議な本だったそうです。何が不思議なのかどうかも、分からなかったそうですが」
もっともだろう。和久は思った。
大人が小説を読まないこの村で、子供が本を理解するのは難しい。
「その本がどんな物かは知らんが、そこそこ難解な内容が書かれている本、ってことでいいのか。バカスケベじゃ理解出来ないよーな」
うーん、と小町は首を傾げた。
「分かりません。エディさんは、その子に本の朗読までさせたと言うので、内容が誰にでも伝わる物だと思っていたのかもしれません」
「朗読だって?」
「はい。その子はわざわざエディさんの横に立たされて、本の中の……『せりふ』、というものだったでしょうか。人物の会話を朗読させられたそうです」
読解を強要させられた、ということだろうか。そうまでして読ませたい本の内容とは、どんなものだろう。
判然としないし、和久には理解も出来ない。
一冊の本が人の行動を変えるなど、見たことも訊いたことも無い。そんなものは無い方がいい、とも思う。
「本を読まされたぐらいじゃ、人を死に追いやる毒……とまではいかねぇかなあ」
その程度では冬は動かないだろう、と和久は気色ばんで告げた。
だが小町の次の句は、予想以上に重かった。
「朗読の途中で、その子は頭を殴られたそうなんです。それと胸も。本を読むごとに、体のどこかを叩かれたり、殴られたり……」
「……なるほど」
決定的だった。
人が人を、肉体的に傷つける。それは、山王Z村では無条件で罰せられる罪――
毒だ。
冬の父親が、娘の身体に猛毒を宿らせてでも、追放しようとしたものだ。
「……ったく。それを早く言えっつーんだよ。暴力があったってことなら、もう見逃せねえな」
「やっぱりそうでしたか! ふむ。これが心の毒なんですねー」
一人で頷き、小町は納得した。
「小町、冷めてて悪いが、肉じゃが食っちまってくれ。すぐ出るぞ」
「え? え?」
小町は箸を握って困惑している。
「冬に知らせる前に、少し調べておくぞ。ちょっとぐらいテメーの手柄が欲しいんだろ? 暴走馬娘。それに――」
冬も楽な方がいいだろうからな、と和久は木訥に言った。
ここで小町が使える人間だと分かれば、冬の方にも幾分か余裕が出来る。
試すにはいいチャンスだ。
「は、はい! やりましょう!」
満面の笑みで返した小町は猛然と肉じゃがを口に流し込んで、「熱っ」と叫んで噴射した。
猫舌らしかった。
和久は、小町の吐瀉物を顔面で受け止めて。
「まだまだ暴走は完治してないな……」
ため息混じりに呻いた。
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