第11話 蠱毒

 空が白み始める頃。

 小町は、毒物館の館長室のソファで目を覚ました。


 体を起こして、毛布が掛けられていることに気づく。

 服は着替えさせられていて、体中の痛みや倦怠感はすっかり消え去っていた。


 首筋が少しくすぐったい程度だ。


「やっと起きたね、小町」


 隣のソファにゆったり深く座っていた冬は、湯呑みで緑茶をすすりながら言ってきた。

 その膝の上で、冬が飼っている毒蛇――


 バジルが気持ち良さそうに眠っている。


 和久は寒そうに、暖炉の前で塗れた小町のマフラーを乾かしていた。


「あ、あれ……? 私、死んだんじゃ?」


 混乱して小町は目を泳がせる。

 えへへ、と冬が無邪気に笑った。


「ギリギリセーフ、解毒成功。毒は全部消しておいたよ」


「毒を、消す……?」


 小町の目が丸くなる。


「冬ちゃんてそんなことまで出来るの? いや、そんなことより……」


 どうして私を助けたの、と小町は尋ねた。


「あのまま、自分だけ愉しく暴走を続けるつもりだったら、遠慮無く殺してたよ」


 冬はごく自然に答えたが、小町はその言葉に奇妙な、そして初めての違和を感じた。


「……冬ちゃんの力って、どういうものなの?」


 自分の体を襲った〝毒〟についても、生まれて初めての疑問を抱いていた。


 全身の至るところで毒を造り、毒を消し、毒に耐えるという冬の力の源に対して、今まで思いも至らず考えもしなかったことが、自分でも不思議で仕方ない。


 冬は興味深げに、小町を見つめていた。


「……やっぱり、自分のやったことを自覚しちゃうと、そういうことも気になっちゃうのかなあ? うーん。どうしよ」


 首を傾げて思い悩んでいる。

 和久が小町の隣に座り込んできて、渇いたマフラーを首に捲いてくれた。


「……無知な村人どもは、基本的に知っちゃいけねーことになってると思うがな」和久は苦笑いしながら語る。「古代の古代、その更に古代に、ある呪いがあったんだってよ。あらゆる毒虫、毒蛇が詰められた瓶の中で、最後に生き残った動物を使って作る、ゲスな呪いがよ」


 それを〝蠱毒(こどく)〟と呼ぶそうだ、と和久は重々しく告げた。


「私は、蠱毒を作るための瓶の中に、赤ん坊の時に入れられたんだって」


 冬が軽い口調で続けた。


「たくさんの毒のある生き物の中で、どういうわけか私だけが生き残った。そして……呪われちゃった。あらゆる生き物の毒を持つ女の子としてね」


 小町は、それから語られた冬と和久の言葉にじっと心を傾けた。

 冬は、この村を作った人物の子供だったそうだ。


 その人物は、この山王Z村から〝心の毒〟を消し去ろう、と考えた。


 冬の力は、人の脳にも及ぶ。

 人間の知覚や感情の動きは、全て神経系統の働きによって生まれる。


 冬の操る毒素の内、神経毒と呼ばれる物は、人の脳内での神経伝達――


 つまり、感情に作用するのだ。


 冬は人の心に、毒素によるストッパーを仕掛けられるのである。

 その力を応用すれば、冬は人から特定の感情だけを奪うことも出来る。


 人を傷つけたい。

 人が憎い。

 人が疎ましい。

 人を殺したい。


 即ち〝心の毒〟とは、そういった他人に対する攻撃的な、本能的な衝動のことだ。


 冬は、この村の住人となった者全員の脳に毒を流し〝心の毒〟を消した。そうすることで、この村から無駄な争いを消した。

 人が、殺し合わないために。


 氷の時代を越えた人間は、無理矢理でも手を取り合わなければ生き残れない。冬の父親は、山王Z村を人類最後の理想郷とするために、古代の世界から呪いを選択し、蘇らせたのだ。


 科学では無く技術でも無く神でも無く。


 この村にやっと根付いた人の希望は――呪いだった。


「こいつの緑色は、毒のある生物の――人間の色なんだとさ。警戒の色、自分を守る色。触れちゃいけない緑色ってこった。気色わりぃことこの上無し、だろ?」


 和久は爽やかに笑うが、冬は流す。


「人の行動は、予想も出来ない結果を生むこともあるんだ。私は、毒を流して人に本来宿っている〝心の毒〟は消せる。けれど、偶然や勘違いや思いこみ、無自覚な行動で、他人を傷つけてしまう人間が、たまーに現れちゃうみたいなの。無毒の毒。何も知らない、新しい毒」


 小町もその一人ねと言って冬は、はにかんだ。


「私が、誰かを怪我させちゃったことに、気づかなかったみたいに……?」


 自分の行動を省みて、小町は寒気がした。


「うん。そういう人間は私が直接、毒殺するしかない。この村で、人を殺す意志と力を持てるのは、私だけだから」


 厳かに冬は答える。


「まあ、そうなる前に何とかなるパターンも多いのさ」


 和久が、快活に笑う。


「人を殺しちまった後じゃ手遅れだけどな。お前みたいに、途中で自分の暴走を自覚して自分からそれを止められる人間は、また元に戻れる。無知でアホな、村の人間にな。戻っても冬の毒の力については、忘れられないみたいだけどな。印象が強烈すぎるんだろ、緑ゴリラの猛毒は」


 小町は、霞んだ視界に浮かぶ月を追想する。

 冬に助けられていた時、小町には雪の結晶に包まれた、綺麗でまばゆい緑色の月が浮かんでいるように見えた。


 小町は、自分はついにあの世を見たのだ、と恐怖におののいていた。

 なのにどうして地獄のような痛みが退いていくのか、理解出来なかった。


 死の世界の月が綺麗な理由も、全然分からなかった。


 確かにあの光景は、忘れようにも忘れられない。

 脳裏にありありと蘇ってくる。


「冬ちゃんは――私にまだ、生きる資格があると思ってくれたんだね?」


「ん。そうだね」


 鷹揚に微笑む冬。


 小町は閃いていた。

 もの凄い速さで、新しい自覚がスパークする。


「――嬉しい。私、村の中に友達いなかったし、冬ちゃんが私を助けてくれたことが、本当に嬉しい!」


 解き放たれて浄化された毒が、小町に新しい自分の姿をイメージさせる。


「そ、そう……?」


「ねえ、私、冬ちゃんの力になれないかな? あのスケート靴だって、気をつけて使えば誰も傷つけずに済むよ。村で何かあったら、誰より速く冬ちゃんに報せに来られるし!」


「あー……えー? どうしよ、和久……」


 和久はにやにやと、冬の顔を見返している。 


「よーし、頑張るね! 私もこの村をいい村にするためなら、張り切っちゃうから!」


 小町は毛布をはね飛ばして叫ぶ。


 思っていたより薄着だったので、勢いあまって「くしゃん」と鼻水が出た。


 その音にバジルが驚いて、きしゃーと目を覚ます。

 何を勘違いしたのか。


 バジルは和久を威嚇して飛び跳ねた。

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