第10話 くちゅくちゅ。

 和久と冬は、大の字になって雪の上に転がる小町を見下ろしていた。


「いつ……?」


 小町は呻く。

 呂律が上手く回っていない。


「いつ…………毒が……? 矢は……避けたのに」


 口の中に入ってくる粉雪を吐き出す気力すら、小町には残っていないようだった。  


「最初に握手をしたでしょ? そのときに、爪で手の平を引っかいて、毒を流しておいた。遅効性の毒なの。毒キノコ系の神経毒。動けば動くほど毒は早く回る。自業自得よ」


 冬は、静かに告げた。

 真っ白で細長くて美しい、けれども、食べると地獄の苦痛を味わうというドクツルダケ。


 空に向かって傘を開いた様が、純白の羽根を広げた鳥の群れのような――

 スカートを広げて、空に昇る少女のような、綺麗な苦痛の姿。


 ヤドクガエルの毒では無かった。

 冬は最初から、小町に流すための猛毒を用意していた。


 小町が感激して、冬の手を握ったあのとき――

 冬はすでに小町を殺していた。


 それからの展開は、毒が回るまでのただの時間稼ぎでしかなかったことになる。


「そ……そっかあ……逃げても……無駄って、そういう意味だったかあ……」


 虚ろな目で、小町は笑みを浮かべた。


「……」


 冬は矢を逆手に持ち、小町の喉に、矢尻を近づける。

 和久は何も言わずに、冬の一挙一動を見守っていた。


「苦しいでしょ、小町。こっちの矢の毒なら即死出来るから。安心して殺されなさい」


「うん……そうする……」


 小町は頷いた。ぴたり、と冬は手を止めた。


「……そうする?」


「私……自分が、村のみんなに怪我させてたなんて……全然気づいてなかった……ただ、速く、綺麗に滑ろうってしか思ってなかった……でも、冬ちゃんの毒で、体が鈍くなって……初めて人が見えた」


「…………」


「冬ちゃんの毒が……無かったら、私はきっと……あの子を……」


 それ以上小町は語れなかった。

 意識が朦朧としてきたのか、目の焦点も定まっていない。


 唇が、仄かに動いた。

 全く声は聞き取れない。

 だが和久と冬には、はっきりと理解出来た。


 ――美しくなんかない。


 今、小町はきっとそう告げた。


「おい、冬」


 和久は、極めて淡々と、冷たい声を出した。


「このバカ娘は、多分もう、気づいたぞ」


 冬は困ったような顔で、悪戯っぽく緑色の舌を出し、矢を凍った路面に置いた。


「……みたいだね」


 素っ気なく言いながら、その口元は微かに微笑んでいた。


「姑息な緑ガエルめ。まだ間に合うんだろ、どーせ?」


「……多分ね」


 冬は小町の体の側にしゃがみ込んで。


「死人を一人も出さなかったのが幸運だったね、小町」


 小町の体を、優しく抱き起こした。

 そして、小町の首筋に、そっと唇を寄せる。


 長い緑色の舌が、小町の汗ばんだ首筋を這う。

 震える柔肌に歯を突き立て、流れ出す血を舐めとるように舌を差し込む。


 ぴくん、と小町が体を震わせる。

 視力をほぼ失っているはずの小町の瞳が、冬の顔を見つめた。


 みどり、いろの、月だ――


 小町の弛緩した唇がそう告げた。


 冬は小町から視線を逸らさず、差し込んだ舌を動かし、流し込んだ唾液を撹拌している。

 

 くちゅくちゅ、くちゅくちゅくちゅく。


 粘つく音が吹雪の闇にこだまし、時が過ぎていく。


 和久は、見てはいけないものを見ている気がして、目を逸らして夜空を見上げていた。


 朧気だが大きな月があったので、ずっと眺めていた。

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