第5話 スケート靴

 郷土史館こと毒物館から東へ五分ほど歩くと、人家はまばらで少なくなってくる。


 そこに千藤老人、通称せんじーは居を構えている。

 店舗兼、住居である。


 鈍色にくすんだ煉瓦造りの一階建て。

 適当な鉄板でこしらえた、建物より更にくすんだ鈍色の看板。

 看板自体が斜めに傾いている上に、雪の量が多いと店名はすぐに隠れてしまう。


 その日はかろうじて『よろず屋せんじー』と、乱暴に書かれた店名を認めることが出来た。

 よろず屋せんじーは村唯一のスクラップショップだ。


 村唯一ということは、村の主である冬に許されているという意味でもある。

 不必要な鉄クズや様々なゴミ、日用品――更には、氷河期で滅びた古代の文明の遺産(レリクス)。


 村の外縁部や、村の地下からも発見されるそれらをレストアし、村人達に還元する。

 千藤はそれを可能にする、村唯一であり、村一番の技術者でもある。


 ギコギコと錆びた、それでいて寂れた音を出すドアを開き、和久と冬は店内に入った。

 これもまた鈍重な、カウベルの音が鳴り響く。


 店の中は狭く、鉄クズや壊れたタンス、欠けた皿、何故か妙に豪華な意匠の燭台(メノラー)と、雑多にも程がある、混沌の品々が溢れている。

 それらは全て売り物か、村人に補修を頼まれた品々だ。


 その品種の多用さに、毒物館よりこの店の方がよほど歴史的価値に触れているのでは、と和久は思ってしまう。


「あいよー」


 店の奥から、店主の千藤がのそのそと現れた。

 白髪交じりの黒髪を後ろに撫でつけ、相応の皺が顔に刻まれている。


 だが丸眼鏡の奥で黒々と、光を飲み込むかのような眼光は、年齢を感じさせない強壮さに溢れていた。


「せんじー!」


 冬がフードを脱いで緑の髪の毛をさらりと晒し、嬉しそうに千藤の方へ駆け寄った。


「おほう」


 冬の姿を認めた千藤の目尻が下がり、たちまち柔和な顔になる。


「冬ちゃんでないかい。元気そうだ。何よりだ」


「うん。せんじーも!」


 冬はこの千藤に懐いている。

 あまり人付き合いを好まない冬は、年齢差の離れた男性に気を許す傾向にある、と和久は読んでいる。


 千藤は和久の存在にも気づき、笑いかけてきた。


「おほう、和久くんもいたか。何より、何よりだ」


「俺よりそこのファザコン豚女が会いたがってたぜ、せんじーよ」


 ぴくりと冬の肩が動いた。


「はっはっは。なるほどなあ。何よりだ」


 冬は横目で恨めしそうに和久の方を睨んでいたが、彼は千藤の豪放磊落な笑顔に心身の冷たさを溶かされ、気を抜いてしまっていた。


「それで、何かご入り用かい、冬ちゃん。申し訳無いんだが、前に頼まれたオルゴールはもうちょっと待ってもらえるかの? どうも原曲を再現するのが難しくてねえ」


「う、うん……いや、そのことじゃないの」


 冬はしかめっ面を無理矢理、笑顔に戻した。


「せんじーが最近、客に売った道具について、訊きたいことがあって」


「道具? 何か面白い物でも売ったかの」


「えーとね。人が乗れる物か履ける物で、雪の上をびゅーんと飛んでるような、真っ直ぐ長い轍が出来る道具」


「……は?」


 千藤は怪訝そうに首を捻っている。


「ふわふわしたボキャブラリーで話すんじゃねーよ。ちゃんと分かるように説明しろボケ」


 まったくこの低能は。

 和久は真っ直ぐな瞳で、諭すように言った。


「…………」


 冬はじっと唇を噛みしめて黙ってしまった。


「あー……人が移動するのに、スピードが出るような乗り物や道具があるか、ということかの」


 沈黙に耐えかねた千藤の方が、冬の言葉を咀嚼して噛み砕いた。 


「うん、そう! さすがせんじー、私の考えが分かってるね」


 パッと明るくなった冬は、その明るい笑顔の端で和久を睨んだ。

 和久はその視線を受け止めてたじろぐ。


 千藤は髭を撫でながら、記憶の糸をたぐった。


「ふむ……さて、何があったかのう。乗り物で、雪上でスピードを出せるとしたら、スノーモービルという物が、かつてはあったそうだの」


「スノーモービル? 自動車や自転車とは違うの?」


 冬が不思議そうに訊く。

「似て、非なる。車輪で走るのではないのじゃ。トラックベルト――ゴムで出来たベルト状の輪を駆動装置にして走る、特殊な車だの。一人か二人乗り用で、自転車のように屋根は無いから転ぶと危険だの」


「自動で走る犬ゾリみたいなもんかよ。便利そうだけどけったいな乗り物だな」


 和久が想像しながら言うと、千藤はぬははと愉快そうに笑い、


「和久くんはさすがに世界を観ておるな」


 と述べた。

 和久も照れ臭くなって顔がほころぶ。


 そのやりとりが面白くないのだろうか、冬が話を進めようと身を乗り出した。


「そんなのがあったなんて知らなかったよ、せんじー。この村にその、スノーモービルがあるの? 自動車や自転車も禁止してるんだから、それも禁止しなくちゃいけないよ」 


「いや。文献や設計図が見つかっているだけで、わしも実物は見たことが無いのう」


「え、無いんだ……」


「ねーのかよ……」


 同時に和久と冬は、何故か残念そうに呟いた。


「ああ、無いのう。あれば便利だったかもしれんがの。乗り物ではないとして、この村に現存する道具……それでわしが思い出せるのは、あとは一つだけだの。靴じゃ」


「靴ー? 靴であの轍は出来ないよ。真っ直ぐで、長くて」


 ――それでいて、愉しそうな。


 和久は迷いが無く活き活きとしていた、あの轍の軌跡を思い浮かべた。


「普通の靴やブーツの類では無理だの。それもまた、古代の技術によって造られた靴なのじゃ。名前を〝スケート靴〟と言う」


「スケート靴……」


 冬はぽかんとして、その言葉を繰り返した。響きが気になったようだ。


「スケート靴は、靴底に刃(ブレード)があり、氷上で歩くのでは無く〝滑る〟ことを目的に発明されたのじゃ。スピードも、歩くよりは遙かに出るようだの。文献によれば、古代の更に古代、人が文明を持った頃には、すでに動物の骨を刃(ブレード)代わりに用いたスケート靴が存在していたようだの」


「へー。そんなクソなげぇ歴史があんのか、そのスケート靴ってのは。大したもんじゃん」


 和久が興味深そうに述べる。

 冬が忌むように和久を睨んで、


「クソは余計だってば……」


 と小声で漏らした。和久はさすがに気づいたが、申し開きが出来ずに口をつぐむ。


「シンプルながら、良く出来ているのだがの。このスケート靴、どうやら使う者を選ぶ。氷上ならまだしも、雪上で歩くにはきつい道具じゃ。凍結した歩道で試そうとしたのじゃが、わしでは歩くこともままならんかった。もう若くないからのう……身体を動かすことは苦手になってしまったの」


 顔をくしゃくしゃにして千藤は苦笑する。

 冬は、その苦いが味のある笑顔をじっと見つめる。


「せんじー、そのスケート靴は今どこにある?」


「うむ。それが数日前に売ってしまったんじゃ。買いに来たのは中年の夫婦だったがの。わしも最初は、村の中では使う場所は無いと助言したんじゃが。旦那の方が、デザインが可愛い、家族へのお土産に丁度良いとな」


 仲の良さそうな夫婦で何より何より、と千藤はしみじみ言った。

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