第57話 賢者 妙子

 ふと意識が持ち上がる。


 目の前に広がるのは見覚えのない木の天井。

 でも、おばあちゃんの家に、こんな天井があった気がする。


 そんなことを考えていた。

 お布団も、気持ちがいい。

 いわゆる竿縁天井と言われる形だが、妙子は名前を知らなかった。


 しばらく、だらだらとしていたが、おなかが空き。

 上体を起こす。

 その時、あれだけあった、体の痛みがないことに気が付く。


 ベッドから降りて、そっと立ち上がり、覚えのない部屋のベッドに寝ていることに気が付く。


 体がこわばる。


 そうだ。

 誰かの家に、勝手に入り込んだ。


 家主に見つかったのなら、謝らないと。

 でも。男だと、またあの状態になるのは嫌。

 意識はっきりとはしていなかったが、来る日も来る日も兵士たちの慰み者にされていた日々。


 プライドが高く謝るなんてできなかった。

 でもそのちっぽけなプライドのせいで訪れた、いや招いてしまった地獄の日々。

 ふっと短く息を吐くと、妙子は見えているドアノブに、手をかける。


「あら、起きたの? 体調はどう?」

 妙子は一瞬声が出なかった。

 そこにいたのは、万世導世だった。一緒にこの世界に招かれて、そしていつの間にかいなくなってしまっていた彼女。

 一瞬、自分が苦しんでいた時に、こんな所でのうのうと暮らしていたのかと、怒りを覚えたが、それを押しとどめる。


「みちよちゃんが、助けてくれたの? ここはあなたの家?」

 といった後、しまったと思い。すぐに、

「助けてくれてありがとう。家へ勝手に入って、ごめんなさい」

 と、なんとか礼を、言葉にすることができた。


 目の前で、みちよの目が丸くなっている。

「そう。きちんと謝ることが、できるようになったのね」

 少し意地悪なことを、口に出してしまった。


 場に微妙な、空気が流れる。


「ごめんね。ずっと嫌だったでしょう。ヒューマンたちにつかまって、散々、口々に罵られたわ」

「そうね。反省できたのなら、よかったじゃない。ずいぶんな目に遭っていたみたいね」


「……知っていたの? 私の境遇。なら、助けてくれたって、よかったじゃない」

「あらあら。力のない私が、あの大量の兵士たちの中から? どうやって? ひとまず謝るのができたけれど、変わっていないのかしら?」


「あっ、いや。ごめんなさい。そうよね」

「まあ。いいでしょう。ご飯食べられそう?」

「えっ、食べさせてくれるの?」

「ええ、食べられそうなら、だけれど」


「森の中でも、木の実とかは、食べていたから大丈夫だと思う」

「そう。まだ準備ができていないから、そこのソファーにでも座っていて。お茶とコーヒーと紅茶。……あとは、コーラとビールがあるけれど、どれがいい?」

「びっビール?」

「そうね、体の具合が悪いから、ビールはだめね」

「本当に、コーラがあるの?」

「あるわよ」

「すこしだけ、欲しい」

「あらまあ。やっぱり懐かしいわよね。まだ、1年も経っていないんだけどね」


「はい。どうぞ」

 目の前で、泡を立てているコーラを、じっと眺めている妙子。実は、あまりコーラが得意ではなく、あまり飲んだことは無い。だが日本にいたときに日常的に目にしていたものが、目の前にある。気が付けばまた、妙子の頬を、涙がつたっていた。


「それって、おいしいのですか?」

 不意に声が聞こえ、妙子はびくっとする。実はダイニング側にサラスとフェンも座っていたのだが、気が付いていなかった。


「あなたたちは、いつから?」

「先ほどから。ずっとこちらに座っていました」

「ああ。私もいたぞ。気が付かなかったのか?」


「すみません。……勝手に家にお邪魔して、申し訳ありませんでした」

「ああいい。この家は、主の家だ。それに、そなたが森から来た時から、見ておった。追い払うこともできたのだが、主が見守ると言うのでな、勝手にさせた」

「主 ……ですか?」

「ああ。妙子さん。彼の悪口は、間違っても言っちゃだめよ。フェンに噛み殺されるわよ」

「ひぃ!」


「そうじゃな」

 と言いながら、獣化しようとして、みちよに怒られる。

「フェン。毛が抜けるから、家の中じゃダメ」

 獣化をやめたが、耳と鼻が長いフェン。横でサラスが、くすくすと笑っている。

 だが、変化の途中でも、妙子を脅すには充分であった。


 「獣人族」


 あれだけ周りで、獣人族の悪口を聞かされていたため、力が恐ろしく強く、下等種なのに、ずるがしこいという情報が、頭の中で繰り返される。


「妙子さん。フェンは獣人族じゃないわ。フェンリルよ」

「ハイフェンリルだ」

「そうそう。ハイフェンリルだったわね」


 そのやり取りを見て、サラスがさらに、くすくすと笑っている。

「お二人とも。仲がいいですわね」

「あら、そう見える?」

「ええ、それで、彼はどこに行ったのかしら?」


「そうねえ。もう少しすれば、帰ってくると思うのだけれど、滋養強壮にはあれがいるって飛び出していったから、山芋でも掘っているんじゃないの? メニューがうどんだし。でも、妙子さん、白くてどろどろしたのって食べれそう?」


「ぐっ。たぶん、大丈夫です」

「そう。苦くはないと思うわよ」

「主のは、好きだぞ」

「下品よ。フェン」

「ちっ」


「あら、噂をすれば。帰って来たわよ」

「おう。ただいま」

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