60億の借金と愛猫

秋雨千尋

本当にたいせつなもの


「メイ、おいで」


 窓辺で寝ていた茶トラの愛猫が、んーと伸びをしてこちらにやってくる。私の顔を見て、ちょっとだけ首を傾げてから、膝の上に乗ってくる。

 お腹のあたりが白くてフワフワで綿菓子みたい。

 この首輪、私が選んだんだよな。

 頭を撫でると、ゴロゴロと喉が鳴った。

 ああ……可愛いなあ……。


 幸せな時間を噛み締めていたら、電話が鳴り響いた。私は周りを見渡してからテーブルに置かれたままのガラケーを手に取る。

 画面に並んでいるのは小学校からの付き合いの親友の名前だ。


「まゆ子、久しぶり!」


「んー? 昨日会ったばかりだよね? まあいっか。前に10万円の連帯保証人になってもらったじゃない?」


「あったわね。彼氏とデートするからって」


「いやーそれがねー。彼、ホストだったの。昨日は誕生日パーティーでさー、被りほかのきゃくがドタキャンしたもんだから余っちゃってたわけ、シャンパンタワー」


「はあ」


「肩代わりするって言ったら皆に喜ばれてさ、あたしもハイになっちゃって、店中シャンパンタワーで埋め尽くして、全員に高い順から酒を頼んで、朝まで騒いで──気がついたら借金が60億になってたー!」


「えええええ」


「そんなの返せるワケないし逃げることにしたから、借金取りがそっち行くと思うけど、あんた研修医? だから何とかなるよね。よろしくねー!」


 ブツンと電話が切れて、かけ直す余裕もなくドアが激しく叩かれた。もう来たの、仕事が早すぎない?

 私はメイを抱き抱えて、匂いと体温をしっかり堪能してから、キャットタワーに乗せた。メイはスヤスヤと寝息を立てている。

 ドアを壊して借金取りに強制連行されるまで、視界を潤ませながら、可愛い寝顔を見ていた。



 窓が黒く塗られ外が見えないようになっているバンに乗せられ、人気の無い廃病院に着いた。

 60億の借金。

 何をされるのかは明確だ。

 私を手術台に固定しながら、借金取りは言う。


「借りた金は返す。これは常識だ。常識を持たないモンスターの保証人になったお前もまた馬鹿なモンスター。

 全ての臓器を提供してもらい、世界の病気の人にクズモンスターの命を役に立ててやる。光栄に思え!」


 世界の病気の人の役に立つ──。

 それは、私がかつて願った事だった。

 それが死ぬほど辛い結果をもたすことになるなんて思わなかった。



「待ってください。臓器を取りだし売りさばく手間を省きます。今すぐ借金を現金で返します」


「はあ? おまえ何言ってんだ」


「私の上着のポケットにカードがありますので、取り出してください」


「なんだこりゃ、スイカか?」


「キャッシュカードです。私の顔の近くに持ってきてくれますか」


 借金取りは怪しみながら、言う通りにしてくれた。私はカードに向かって言う。


「2022年分の60億円を現金で出して。受領書もね」


《かしこまりました》


 電子音が返事をしたと同時に、私の目の前に光の輪が浮かび、銀行の紙で封をされた60億円がドサッと現れた。

 借金取りは腰を抜かして、本物かをよく確認して、汗だくになりながら笑顔を浮かべて受領書にサインをした。

 拘束を解きながら借金取りは聞く。


「あんたナニモンなんだ?」


「私は未来で医療用タイムマシンを開発したの。治療法が確立していない病気の人達を未来に送って救うために。完成して莫大な財産を得たわ。一生のうちに絶対に使いきれないぐらいの。

 でも、仕事に全てを捧げた結果、命より大切な存在を失くす事になったの──」


「家族か?」


「ええ。なかなか家に帰れなくなって、ホテルに預けっぱなしで。

 病気だって言われてもすぐに会いに行かなかった。タイムマシンの完成が間近に控えていたから。

 ──痩せ衰えて、動かなくなったメイを目の当たりにした時、自分のやってきたことは何だったのかと深く絶望した。死んでしまいたいと思った。

 だから、この時代に来たの。

 どうしても元気だった頃のメイに会いたかったのよ」


 借金取りは黒塗りのバンで私を家まで送ってくれた。

 でも中に入る事は出来なかった。

 過去の私が帰ってきていたからだ。まだ研修医だった頃の、夢と希望に満ちている時だ。


 過去に干渉すれば、未来の患者に影響する。

 だから忠告したりは出来ない。私は隠していたタイムマシンに乗り込んだ。窓から見つめながら消えていく。


 愛しているわ。さようなら、メイ──。

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60億の借金と愛猫 秋雨千尋 @akisamechihiro

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