断罪された悪役令嬢は、母になってから本気出す

睦月 はる

前進

 


「ガーベラ・ゾピニアン伯爵令嬢。お前をカルミア・ラムードキル男爵令嬢を害したとして、婚約者候補から除外し王都追放を言い渡す!」


 ミノア王国王太子アンテリナムの朗々とした声が、王宮の舞踏広間に響いた。


 王族席にはアンテリナムと、それに肩を抱かれて不安そうにしている可愛らしい少女━━━カルミアと、少し離れた場所に、いかにも気が強そうで身分が高そうな美しい女がいた。


「は…?」


 たった今、アンテリナムにそう宣言されたガーベラの周囲からはさっと人垣が無くなり、一人舞台の役者の様な有様になる。



 ガーベラは王太子の婚約者候補として選出され、半年ほど交流を重ねて来た。

 婚約者最有力候補は、公爵令嬢スカビオサ・ホウエログリウス。その他の候補も、侯爵家や高位聖職者の血縁、王家の分家など、錚々そうそうたる令嬢が選出された。


 その中で伯爵令嬢のガーベラは、やや精彩に欠ける。取り立てて美人でもなければ、特出する魅力も無い。生家のゾピニアン家は領地も持っていない。

 それでも選ばれた理由は、ゾビニアン家が商会を持ち、独自の貿易ルートを持っていたからであろう。


「それは…、私は正妃にも側妃にも選ばれなかったと言う事ですか?」


 今日は半年に及んだ花嫁選びの結果発表日。そこでガーベラが落選したと言い渡されても、それは仕方ない。もともと勝ち目はなかったし、夢すら見てなかった。

 公爵令嬢スカビオサ・ホウエログリウス━━━アンテリナム達から少し離れている美人━━━は、身分も財力も容姿も申し分も無く、公平を期す為に、資質がある令嬢に平等に与えられた栄誉、と言う前提の婚約者選びであったが、誰もが出来レースを確信していたのだ。


 ━━━カルミアが現れるまで。


「ここまできてとぼける気か。お前はカルミアに嫉妬して、彼女に陰湿な嫌がらせを行い、婚約者候補から辞退する様に脅迫状を送り付けた。その醜い心を貴金属で飾ろうが、真に美しい心を持つカルミアの気高さに勝てると思っていたのか!」


 まるで舞台役者の様に、アンテリナムが身振り手振りで熱弁すると、この日を見届けに来た貴族達がわあと盛り上がった。


 面白い事になりそうだと。


 一人ガーベラは、この半年を走馬灯の様に振り返る。

 交流会で王家の避暑地へ赴いた時、実家の男爵家が没落し、庭番として別荘で働いていたカルミア。その姿を偶然見止めたアンテリナムは、少しの触れ合いで彼女の魅力に夢中になり、カルミアも強く王太子に惹かれた。


 瞬く間に相思相愛の恋人同士になった二人は、アンテリナムが没落したとは言えカルミアも貴族だからと、強引に婚約者候補に参加した事から波乱が始まる。


 当然だが、強引な婚約者候補の追加に、他の候補者の家族達が猛抗議した。アンテリナムの気持ちが完全にカルミア一筋だとあからさまだったから尚更だ。


 ホウエログリウス公爵家は、猛烈に講義を重ね、時に犯罪紛いの行為をし、令嬢のスカビオサは陰湿で卑怯な嫌がらせを続けた。証拠を一切残さずに。


 しかし、愛する人を守りたい、その純粋な心がその悪事を暴いた。

 ━━━ガーベラに着せられた濡れ衣の状態で。


「私はカルミア・ラムードキル男爵令嬢を正妃とし、スカビオサ・ホウエログリウス公爵令嬢を側妃とする。ガーベラ・ゾピニアン伯爵令嬢、即刻立ち去れ!」


 この程度の処分で済ませてやって感謝しろと、そう言っているような満足顔だ。


「アン様。本当にガーベラさんが私に嫌がらせを…?」


「カルミア様事実ですわ。ゾピニアン伯爵家は元商人の家系。その裏の顔は我々には計り知れませんの。足の引っ張り合い、怪しい駆け引き。お心優しいカルミア様にはあまりにも毒ですわ」


 まるで生まれた時からの親友の様に、スカビオサはカルミアに寄り添った。


 アンテリナムは気付いている。ホウエログリウス公爵家の陰謀に。


 しかしカルミアと結婚するには貴族達の同意は必然。その筆頭の公爵家が同意しなければそれは永遠に叶わない。


 カルミアを正妃にする代わりに、公爵家の悪事に目を瞑り、スカビオサを側妃にする事で、公爵家は王家の外戚に収まり、他の貴族も一応は納得する。


 アンテリナムは公爵家の後ろ盾を得つつ、カルミアを悲劇のヒロインとして演出する事で、身分違いの恋を神話の様に進化させる。

 公爵家はカルミアを排除して娘を強引に正妃にしても、アンテリナムからの寵愛が無ければ意味がない、その上公爵家への寵が無くなればさらに意味がないと、側妃になる事を甘んじて受け入れたのだ。


 ガーベラはその生贄にされた。

 カルミアを除けばもっとも低い身分で、元は貴族ですらないから。


「私は…!」


 ガーベラは弁明の余地すら与えられず、警備に引き摺られて王宮を追い出される。


 惰性的な社交界のいい退屈しのぎになりそうだと、嘲笑を浮かべる貴族達が花道を作る。


 心優しいと言われながら、ガーベラを庇う様な事をせず、言われたままを信じるカルミア。

 美しい顔を欲望に歪ませるスカビオサ。正義こそ我にあると胸を張るアンテリナム。


 それがガーベラの鼻先で閉じられた扉の向こうの、最後の景色だった。


 そして、貴族達が噂話に飽き、新たな話題に移るまで、ガーベラは身分違いの美しい恋人達の中を引き裂こうとした、悪役の令嬢として嘲笑われるのだった。





「ガーベラお嬢様!こんな非情な事、ありえません…!王家が我が家と縁が欲しいからと、無理やり参加させたのに一方的に破談にして、その上大勢の前で辱しめるなんて…」


 実家に戻ったガーベラを迎えたのは、側仕えであるホルトだった。彼は父親が異国の騎馬民族で、彫りが深く精悍な顔立ちに、逞しい体つきをしている。子供の頃はそれ程でなかった背丈も、今では顔を合わせようとすると首がいたくなる。


「ホルト、ごめんなさい。私、家の名誉を傷つけられたのに、何もできずに追い出されて…」


「お嬢様が謝る事はありません!旦那様達はこの国から全ての商会を撤退させ、慰謝料請求、名誉棄損裁判を起こし、他国に移住するつもりですし、我々使用人も旦那様達に完全に同意です」


「そんな事をしたら、無辜の民にまで影響が出るわ。お父様達を止めなくちゃ…」


 ガーベラは焦りながら父の執務室に向かおうとするが、その肩をホルトが掴んだ。


「お望みなら、我が父の一族に、協力を願いましょうか…?」


 にっこりと、微笑むホルトの笑顔が怖い。

 かつては世界最強と恐れられ、現在は遊牧をしながら騎馬民族の伝統を守る温和な彼らだが、身内が傷付けられれば、産まれて来た事を後悔するほどの報復をすると有名だった。


「…望まないわ。あなたにそんなに思ってもらえて嬉しいけれど、私は、私一人が我慢すれば事が丸く収まるのなら、それでいいのよ」


「泣き寝入りしろと⁈お嬢様は事実上社交界から永久追放されたのですよ⁈そんな不名誉を与えた殿下達に復讐する権利がお嬢様にはあります!」


 ふるふると、力なくガーベラは首を振った。


 諦めと達観。名誉の為には徹底的に抗議すべきなのだろう。生業の事も思えば、信用問題は大きく影響が出る。


 でもガーベラには、自分達の幸福の為なら手段を選ばないアンテリナム達に抗議する事も、ガーベラをおもちゃにしようと手ぐすね引いている貴族に立ち向かう事にも、その気力と勇気が無かった。再び断罪されたら…と身が竦んでしまう。


「もういいの。ホルトのその気持ちだけで十分だから」


 ホルトの胸に顔を埋めて、広い背中に腕を回す。大きすぎて完全には回らない。


 ガーベラの気持ちを察したホルトは、一瞬痛みを堪える様に歯を食いしばり、穏やかに表情を緩ませてガーベラを抱きしめ返した。


「お嬢様よく頑張りましたね。ホルトは誇らしいです」


 その言葉に、堪えていた感情が決壊した。


 わああと子供の様に泣きじゃくり、ホルトの胸を濡らしていく。


 ごめんなさい上手く立ち回れなくて。ごめんなさい送り出してくれた皆の期待に応えられなくて。ごめんなさいごめんなさいごめんなさい…。


 泣き声を聞きつけた両親が駆け付け、二人の様子を見ると、殺伐とした雰囲気が抜けて脱力する。

 これ以上事を荒立てれば、娘は更に傷付くと、ゾビニアン伯爵は全ての計画を白紙に戻した。


 後日、ガーベラはゾピニアン家の別邸がある田舎に旅立った。


 両親は王都に残ったが、事業の多くを隣国に移し、国内での事業を縮小した。


 断罪され悪役になった令嬢の隣には、異国の青年の姿が常にあった。




 ※ ※ ※ ※ ※




「ロメリアを、社交界デビューですって?」


 驚愕と呆れが混じった声が、田舎の空の下に響いた。

 可愛らしいカントリーハウスの庭には、ハーブを中心に素朴な花が、自然に近い状態で植えられている。


 久し振りに届いた身内以外からの手紙を配達人から受け取ると、妙な胸騒ぎがしてその場で乱暴に開封する。王家の紋章が無残に破ける。


「『母親が断罪されたせいで、罪のない娘にまで類が及ぶのは可哀想だから、娘は社交界デビューさせてやる』ですって?」


 内容を総括するとそう言う事だ。

 最近いまいちな王家の評判の、点数稼ぎに娘を使う気が見え透いていて、因縁ある女の娘も広い心で受け入れられると。


「ガーベラ、玄関先でなにをしてるんだ」


 家の中から一人の男性が様子を窺いに顔を出す。年齢を重ねて大人の色香が増したホルトだ。


「あなた!これを見て!」


 田舎臭いドレスを着て、髪を適当に纏めているものの、凛とした美しい女性に成長したガーベラ。その悲痛な声が響き渡る。


 断罪されてこの地にやって来たが、ガーベラは幸せだった。家族に不名誉を背負わせてしまったと罪悪感に苛まれたが、それは時間と共に癒えてゆき、やがてホルトと結ばれ、一人娘にも恵まれ、親子三人で幸せに暮らしていた。


「ロメリアを社交界デビューね。年頃的には適齢だけど、一体どの口が言ってるんだか…」


 握り締められていた手紙の皺を伸ばし、読み終えたホルトが呆れ、それにガーベラが強く同意した。


「でもこれはお受けしないと、不敬だって反逆罪に取られて、今度こそ一族郎党断罪されるわね」


 そろりと加わって、横から覗き見ていた娘のロメリアは、自分の事なのにあっけらかんとしている。父親譲りの彫りの深く端正な顔立ちを持つ美しい少女だ。母親にはあまり似ていない。


 ガーベラが手紙を夫の手からひったくり、何度も何度も読み返す。何度読み返しても変わらない。娘を社交界デビューさせてやる、させろと書いてある。ブルブルと手が震える。


「お母様落ち着いて。ほら手紙が焚き付けに使えない位にビリビリだわ。さっさと王様に挨拶をしてさっさと帰ってくるから、お父様と待っててね?」


 どうどうとホルトに背中を撫でられ、ロメリアに頭を撫でられ、ふうふうと興奮していたガーベラは徐々に落ち着いていく。


 そうだ、さっと顔だけ見せてさっさと帰ればいいのだ。自分の時のような事態は起こらない。


 現在、即位したアンテリナムには、カルミアとの間に第一王子を、スカビオサとの間に第二王子を設けている。数ヶ月しか違わない兄弟王子の立太子は揉めているらしい。


義父上ちちうえ義母上ははうえもいらっしゃるし、心配する事はないさ」


 因縁があるのは親達だけ。子供達をそれに巻き込むのは可哀想。ロメリアをすっと日陰者にしているなんて、それも自分のせいでなんて、子の幸せの為なら親が選択肢を制限してはいけない。


 自分に言い聞かせ、ガーベラは頷いた。


 しかしそれでも不安は拭えなくて、王都の目前の町に宿を取り、娘の帰りを待つ事にした。


 落ち着かない日々が続き、帰還の先触れかとやって来た使者の言葉に、ガーベラは絶句する事になる。





「ロメリアを王子殿下達の婚約者に…?」


 ゾピニアン伯爵は王家からの使者の言葉に我が耳を疑った。

 『達』とはなんだ。そもそもその親達の間に何があったか、分かって宣っているのか。


「ロメリア嬢は不憫なお育ちに関わらず、とても魅力的なご令嬢に成長され、それを王子殿下達が見初めたのです」


 聞き捨てならない言葉はあるが、今は怒りを押さえろとゾピニアン伯爵は静かに息を吐く。


「…達?」


「はい。第一王子クレマチス殿下と第二王子ガロファーノ殿下、両殿下がロメリア嬢に求婚いたしました」


 孫娘を社交界に送り出してから、僅か一ヶ月の出来事である。


 異国の騎馬民族の血を継ぎ、悪役として断罪された母のせいで、表舞台に立つ事すらままならなかった憐れな少女。それが王子達の興味を引き、恋心に発展したと。


 王家とゾピニアン家の確執を無くす事で、すっかり下火になった貿易の改善を図りたい、と言う意図は少なからずあるのだろう。

 王がそれを目論んで、王子達をけしかけたと報告は受けている。

 世間知らずの小娘が、王子達の掌でコロコロと転がされてる様を思い描いていただろうが、まさか王子の方がコロっとされるとは。さすが王子。我々に出来ない事を易々とやってみせる。


「ロメリアは何と」


「光栄なお申し出ですが、自分には王子妃が務まる器とは思えないと、ご辞退申しあげていました」


「でしょうな…。で、そのロメリアが未だ帰宅しないのは…」


「国王陛下におかれましては、ロメリア嬢が落ち着いて結論を出せるまよう、王宮にご滞在して頂くそうです。ご安心ください、ご令嬢に失礼が無いよう最高のおもてなしをいたします。


 そういう事じゃねえよ。

 ていの言い監禁じゃないか。


 王子が昔、父王が断罪した娘にすげなくフラれる不名誉など言語道断だと、退路を断って追い込んで、嫌でもうんと言わせるつもりだ。


 アンテリナム王も、ガーベラの娘を正式な王子妃など考えていないだろう。

 良くて最下級の側妃。悪くて愛妾、正妃が入内したら人知れず処分される将来が目に浮かぶ。


 使者が帰ると、ゾピニアン伯爵はガーベラに直ぐに知らせを送った。

 返事は直ぐに帰ってきて、それを確認すると伯爵は即刻準備に取り掛かる。


 これからが、我々のターンだと。





『ロメリア・ゾピニアン伯爵令嬢。僕と結婚して下さい』


 第一王子クレマチス、第二王子ガロファーノ。母親は違うが、髪と瞳の色が違うだけで、顔の造形美は父アンテリナムにそっくりだった。


 クレマチスが兄であり正妃の子であるが、母妃は没落男爵家出身で後ろ盾が無く、政治的な影響力は皆無と言っていい。ガロファーノは側妃を母に持ち、その実家の公爵家は、外戚として今も昔も絶大な権力を握っている。しかし父王の寵愛は完全に正妃側にあり、ガロファーノ立太子の進言も一蹴され続けている。


 その両王子が跪いて一人の少女に求婚していた。背後には悠々とその光景を見やっている王と、母妃達の姿がある。


「殿下、何度も申し上げている様に、私は妃の器ではありません。だからこのお話は…」


「ロメリアさん。そんな事気にせずに自分の気持ちに素直になっていいのよ。愛する人と結ばれる事以上の幸福なんて存在しないのだもの」


「兄とか弟とか関係無く、ご自分が慕う方を選べばいいだけ。わたくし達もあなたの決定に意など唱えませんわ」


 正妃カルミアが少女の様な無垢な笑みを浮かべて言い、側妃スカビオサは扇で口元を隠し、意味深に言った。


 カルミアの言葉には裏表が無いだろうが、スカビオサからすれば、息子には隣国の王女を伴侶に迎え、立太子に向けて足場固めをしてもらいたい本心がある。なのでロメリアにはクレマチス選んでもらい、その評判を少しでも落として頂きたい。

 でも、我が息子が求愛して選ばれないなどあり得ない、まあ従順で居るのなら側女で居る事は許してやってもいいか、とも。


 ひと仰ぎの間にそう思考して、スカビオサは王の動向を窺った。


 アンテリナムはカルミアに素晴らしい考えだと同意して、微笑みを浮かべているが腹の内は分からない。


「さあロメリア嬢。君の気持ちを教えてくれ」


 王直々にそう言われ、ロメリアは追い詰められる。

 両王子に恋愛感情など全く無い。貴族の結婚が恋愛云々でするもので無い事は理解しているが、自分達の親が弾劾した令嬢の娘に求婚する、王子達の神経が理解出来ない。

 ロメリアを憐れだ可哀相だと同情するが、一体誰が原因だと思っているのか。


 何より、私は、私を可哀相だなんて思った事が無い…!


 勝手に私を可哀相な子に仕立て上げて、それを憐れむ自分に酔ってるだけじゃない。


 震える体を、異国人風の従者の男が支える。

 その温もりを感じてロメリアは肩から力を抜く。そうだ私は一人ではないと。


 その親密さを見た王子達は、まさかと気色ばんだ。その時━━━。


「ここかしら、私の娘を監禁した鬼畜勘違い野郎がいるのは」


 ドカンと乱暴に扉が開かれた。王族しか立ち入れない筈のプライベート空間に、堂々と入室して来た女。


「お母様!」


 何者だと王達は警戒するが、ロメリアが笑顔で駆け寄ったのでその人物の正体を直ぐに察した。


「ガーベラ・ゾピニアンか。貴様は王都から追放した筈だ。何故ここにいる」


 アンテリナムは不快さを隠そうともせずにガーベラを睨んだ。


「あら殿下、今は国王陛下でしたね、お久し振りです。この度はうちの娘を拉致監禁してくれちゃって、怒り心頭ですわ。じゃあさようなら」


 ぞんざいなカーテシーをさっとすると、ロメリアの手を引いて帰ろうとする。それを鋭い声で呼び止めたのはスカビオサだ。


「拉致監禁とは聞き捨てなりません!神聖な王子殿下の求婚の邪魔をするなんて、この狼藉者が!一度ならず二度までも愛する者同士の邪魔をするなんて、悪女を通り越して悪魔ね」


 バサバサと扇を振ってスカビオサはちらっと視線を王へ向けた。無言で視線を返すとアンテリナムは兵を呼ぼうと声を上げようとする。


「はん。なーにが愛するよ。盛った子供の手綱も取れない馬鹿親が、可愛いうちの娘に近寄らないでくれる?」


 ガーベラから飛び出した暴言に、アンテリナムは口を開いたまま固まった。他の王族達もあり得ないと固まっている。

 あの日最後に見たガーベラとは別人すぎて、本当に別人ではないかと混乱してしまう。


「あ、どうして私がここにいるかでしたっけ?それはそこの王子殿下達が恩赦を出したからです。求婚相手の母親が前科持ちでは不味いと思ったのか、ロメリアの関心を惹く為か、つい先日裁判所に願い出たそうで」


 アンテリナムは何だとと、息子達を睨んだ。恩赦が出来るのは国王だけ。恋に目が眩んでこの子らは、とんでもない事をした自覚があるのかと。


 きまりが悪そうに王子達は目を逸らす。

 その空気を誤魔化す為、スカビオサがヒステリックに叫んだ。


「兵は何をしているのです!恩赦の前に不法侵入でしょう!早くひっ捕らえ…」


「それはシンプルに買収したので。最近不景気で兵への給金も何割か下がったとか。小麦は売れなくて飽和値崩れ状態。輸入鉱石の値上がりは天井知らず。大変ですわね~」


 どの口がと、アンテリナムは怒りに震えた。娘を追放処分にされた意趣返しとばかりに、ゾピニアン伯爵は国内での輸出事業を縮小して、他国に拠点を移した。お陰で貿易関連の国家事業は滅茶苦茶だ。伯爵本人がミノア王国に滞在しているので、辛うじて事業が継続している状態である。


「そんな事より」


 そんな事、と誰もが唖然としたが、その発言が正妃カルミアのものだったので、非難の声は上がらない。


「ロメリアさんは、クレマチスとガロファーノ君、どちらを選ぶの?」


 にこにこと無邪気に笑う。もうその話はいいんじゃないかと空気が漂っているが、当の本人達には人生がかかった大事件である。


「そこの従者!ロメリア嬢にやけに距離が近いんじゃないか!無礼な異国人め!」


「お前が異国の俗識でロメリア嬢を惑わすから、彼女は自分の気持ちに素直になれないんじゃないか!」


 それも主であるガーベラの指金ではないかと、王族からガーベラ母娘おやこを守る様に立つ従者を指差し、二人の王子はガーベラを糾弾した。


「は?」


 ぷるぷると、ロメリアは震えた。

 ロメリア嬢可哀相にと手を差し伸べた王子達をきっと睨んで、一歩踏み出して堂々と言い放った。


「私のお父様を侮辱する事は、たとえそれが神様だって許しません!お母様の事だって!どんなに甘い言葉を囁かれても、どんなに金品を積まれても、私が王子様達と結婚する事はあり得ません!」


 今度はロメリアが、従者の男と母を守る様に王子達の前に立ちはだかる。


 え…?と今度は王子達が固まる。


「陛下達は見覚えがありませんかね」


 ガーベラが呆れながらアンテリナム達に言う。


「私が婚約者候補だった時、近くに控えていた従者です。今は私の夫ですが。こんなに父娘おやこそっくりなのに気づきませんかね?うちが異国と取引してるからって従者もそうだと思いました?」


 アンテリナムの脳裏に過去の情景が蘇った。確かに異国人がガーベラの側に居た気もするが、置物同然の使用人の顔など、いちいち覚えてなどいない。


「おっ、親が従者ですって⁈子供同士の交流に父親が同伴何てあり得ませんわ!」


「そう言われるだろうと思って、多少の変装はしましたけどね。異国人は記憶するにも値しませんか?非常識と言われようが、因縁ある相手のもとに、愛娘を単身送り込む何て出来ませんから」


 ロメリアの王都行きがきまるなり、ガーベラはホルトに従者として付き添う事を願い、ホルトも快く了承した。祖父母伯爵夫婦も喜んで協力した。


 もうそのへんでと、従者の男━━━ホルトはどうどうと妻の肩を叩き、もう大丈夫だからと娘の背中を撫でた。

 顔は自分に似ていても、中身は母親そっくりで、好戦的だ。


「国王陛下並びに王族の方々。過去の因縁を抜きにしても、実の両親を無視して結婚を申し込み、愛を語りながら、ロメリアの気持ちを無視する様な方の下に、愛娘を嫁がせたい父親はおりません」


 きっぱりと言い切ったホルトに肩を抱かれて、ロメリアは安心しきった表情をしている。


 そんなと、二人の王子はがっくりと項垂れた。


 アンテリナムとスカビオサの脳裏に激しく警鐘が鳴り響く。次にガーベラが何を発言するのか。生唾を飲み込んだその時、最悪な方向でその予感は当たった。


「と言う訳で、私達、この国に愛想が尽きました。夫の祖国へ家族全員で移住します!昔は民の事を考えて、事業完全撤退は自重致しましたが、この度の事でどーでもよくなりましたね!あ、ご安心ください。事業は民間の貿易会社に引き継いだので、民に影響が出る事はありませんから!」


 なっと、アンテリナムは絶句した。スカビオサも扇子を取り落とす。

 それでは国庫に入る資金に大きな違いが出る。貴族が行う事業は、名目上の代表を国王にする事が決まっており、国王お墨付きで事業を行う代わりに、売り上げの一部を納める決まりになっている。

 それは民間には適用されない。しかし、長年貿易商として繁栄してきたゾビニアン伯爵家公認となれば。

 ゾピニアンの事業縮小の影響で、赤字経営が続く国家の代表より、よっぽど信頼がおける。


「爵位返上の手続きは、私の恩赦の手続きの書類と共に提出、玉璽捺印済みなのでお手を煩わせる事はありませんわ!」


 おほほほほと!高笑いするガーベラの言葉に今度こそアンテリナムとスカビオサの心が折れた。


 ゾピニアン伯爵家の爵位返上そして移住で、国庫は大打撃。何より、王子達による誤魔化しようの無い越権行為。ただでさえ臣下の心が離れていると言うのに、昨今現れた、啓蒙思想と言う野蛮な思想を助長させてしまう!


 自分達の行為がとんでもない事になったと、王子達は膝を突いて絶望している。


「ガーベラさん」


 真っ白に燃え尽きた王族を無視して、出て行こうとするガーベラ達を可憐な声が呼び止めた。


 ああ、あの時と同じだとガーベラは思った。

 アンテリナムの腕の中で、不安で怯えながらも、少なくても交流のあったガーベラを悪役と疑わず、断罪を黙って傍観し、その後も真相を突き止めようとしない。

 自分にとって都合の良い正義しか信じていないカルミアの目。


「もういいでしょう。アン様を愛して、その気持ちが成就しなかったからって、愛を憎しみに変えてしまうなんて悲しいわ。そのうえ自分の娘の幸せまで壊してしまうまで暴走して、母親失格だと思わないの?貴方は昔は、慎ましくて大人しい淑女だったのに」


 ぴくっと、ホルトとロメリアの肩が揺れる。お前に何が分かると、騎馬民族の血が騒ぐ。


「はいはい。どーとでも宣いなさいな」


 大丈夫だからとガーベラは二人に笑いかけて、カルミアの前まで歩み寄ると、腰に手を当てて仁王立ちする。


 確かにガーベラは慎ましく大人しい、言われるがまま断罪されてその後、王族が困窮しない程度に事業縮小するにとどめて、泣き寝入りする様な令嬢だった。


 でも、今は。


「母親は子供の為ならなんだってできるし、なんにでもなれるのよ。あなたみたいに」


 カルミアの瞳が初めて揺れた。その変化すらガーベラはもう興味が無い。


 ガーベラが断罪された時、まだクレマチスは宿っていなかったが、アンテリナムとカルミアとの間には既に肉体関係があった。

 婚約者候補を選定している状態で、この醜聞が広まればカルミアは、王子を肉欲に溺れさせ惑わせた悪女として、社交界から追放され側妃どころか愛妾にさえなれない。


 宿っているかもしれない我が子を、私生児にする訳にはいかない。没落男爵家の娘の自分では、子供は育てられない。だからガーベラの断罪は都合が良かった。自分の最高の引き立て役となり、ずる賢く証拠を残さない、公爵家の悪事を暴くより、ずっと。

 そして早々に結婚を果たす。


 クレマチスは婚姻後に何事も無く生まれたので、その事実は闇に葬られた筈だった。

 だが、ゾピニアン伯爵がまた王家の毒牙が娘に降りかからぬようにと、情報網を駆使して調べ上げた。


 ━━━婚姻前に体を暴かせるような女の子供を、政府は嫡出子として認めるだろか。立太子問題を根底から揺るがす事実を。


「ではごきげんよう、カルミア正妃殿下。二度とお会いする事はないでしょうね」


 背中を向けてひらっと手を振る。


 カルミアはそれを黙って見送る。

 怖いくらいの美しい微笑みを浮かべて━━━。




 ※ ※ ※ ※ ※




「解せないわ」


 ロメリアは腕組みして頬をぷくっと膨らませる。


「何がだ」


 その様子を、ロメリアより頭一つ分小さな少年が隣で見て訊ねる。


「だって、一族の血を引いている私が出来なくて、お母様の方が得意って、納得いかないわ」


 ロメリアの視線の先には、草原を馬に乗って爆走する母ガーベラの姿があった。

 その後ろを「ガーベラ~!待ってくれ~!」と、ホルトが追いかけている。

 騎馬民族の乗馬服を纏い、いかにも不満ですとご機嫌斜めの様子だが、まったく厳めしい感じはしない。


 ガーベラ一家は宣言通りミノア王国を出て、ホルトの一族と合流して暮らしていた。


 ガーベラは驚く程早くその暮らしに順応した。夫のホルトだって、生まれ育ちはミノア王国であり、馴染む時間を要したのに。


 一族はゾピニアン元伯爵一家を快く受け入れた。現在騎馬民族の民は、拠点の町を草原にいくつか作り、それを起点として遊牧と騎馬の伝統を受け継いでいる。


「私、どうして馬に乗れないのかしら…。馬車でも酔う事はあったけど、あれは揺れが酷い時だけだし、乗馬だって向うでした事あったけど、酔ったりなんて…」


「こっちとあっちじゃ、馬の気性も鞍の作りも違うからだろ。得意かそうじゃないかは、その人の個性だし、気にする事はねーよ」


 頭の後ろで手を組み、良く日に焼けた肌に民族衣装を纏った少年は、ロメリアと何気なくぶっきらぼうに会話をしているが、その頬は赤く色付いている。


「…一人で馬に乗れなくても、俺がどこにだって乗せてってやるよ。親戚はとこだろ、遠慮すんなよ。それに町に定住してるヤツだって大勢いるじゃないか、無理して遊牧する事もねーし」


「単純に悔しいじゃない!ねえもう一度付き合って!」


 くいくいと袖を引っ張られる少年は、仕方ないなと言いながら、嬉しそうに鞍の準備を始める。


 風に乗って聞こえてくる母と父の声を聴きながら、負けてられないと、ロメリアは果てしない空と草原の中へ駆け出して行ったのだった。




 END

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