第6話 冬季美小亮はコーンスープが飲めない
「僕、生まれた時からコーンスープに逃げられる体質なんです」
ホテルのシャワールームを借り、お店が用意してくれた衣服に着替えて戻ってきた私を小亮さんは捩れてしまうのではないかと思うほどに身を縮こませて待っていた。
小さなテーブルに向かい合うように座ると土下座するくらいに頭を下げて謝り、「信じられないかもしれませんが・・・」と前置きした上で今の事を告げた。
「始まりは離乳食の時でした。
母が用意した味を薄めたコーンスープを与えようとして器が逃げたのが始まりです。何度与えようとしてもダメで、挙句の果てには無理やり飲ませようとした父が頭をから被る始末でした」
口に出しながらもどんどん身を小さくしていく小亮さん。
「とうもろこしを生業としている一族の次男がコーンスープを飲めないなど一大事と両親は有名な寺や祈祷師に見てもらいましたが悪いものは憑いていない。安心して良いと言われたそうです」
これは何かの冗談なのだろうか?
それとも私を調べに調べ尽くした上での皮肉なのだろうか?
「両親も悪いものが取り憑いてないなら、と割り切って私にはコーンスープを出さないようにしました。幸い学校の給食ではコーンスープが出ることはなく、外食でも頼むことはなかったので平穏な生活を送ることは出来ました」
そこは私とは違うか。
少し羨ましい。
「あまりに平穏過ぎてコーンスープの体質のことなどすっかり忘れてしまっていた時です。
事件が起きたのは」
「事件?」
私は、首を傾げる。
ここに来て、彼は私が彼の話を疑っている訳でも嘘つきと怒っている訳でないことに気づく。
「こんな話し信じてくれているのですか?」
それは物語を語る上で1番最後に出る台詞だが、私は敢えて何も言わずに「続けてください」と言った。
彼は、驚きながらも話しを続ける。
「18歳、大学1年の時に初めての彼女が出来ました。彼女はとても愛らしく、将来結婚するなら彼女しかいない、そう信じていました」
そんなことをお見合い相手に言うかと思ったが口には出さなかった。
「彼女は、料理がとても上手でした」
話しが見えてきた気がする。
「大学での昼食時は彼女の手作りお弁当を良く食べました。それだけでなくデートの時も彼女の手作りのお弁当でした」
「彼女さん凄いですね。私にはとても真似できそうにありません」
「すいません!そう言う意味ではないんです!」
小亮さんは、慌てて両手を振って否定する。
別にクールなイメージとかがあったわけではないが温和で大人な雰囲気だったのでギャップが少し可愛く感じた。
「それに元彼女ですから」
「わかってますよ」
私も笑みを浮かべて答える。
彼の頬がなぜか赤く染まった。
「そしていよいよ一人暮らししている彼女の家に行きました。彼女は張り切って手料理を振る舞ってくれました。どれも美味しかった。そして少し時間が掛かっちゃったと言ってもってきたのが・・・」
「コーンスープ」
小亮は、深く頷く。
まるで怪物の登場シーンを語るように。
「彼女曰く、うちのとうもろこしを使って丁寧に濾して、出汁を取り、牛乳にも拘って作ったそうです。
情けない話しですが、その時まで、コーンスープが僕の前に置かれるまで僕は自分の体質のことを忘れていました。それくらいコーンスープが僕の前に出てくることはなかったのです。
そして僕の目の前にコーンスープが置かれた瞬間、思いっきり振って栓を抜かれた炭酸のようにスープが飛び上がって・・・」
「彼女に掛かった?」
「いえ、そのまま床の上に落ちました」
それは良かったのか?それとも悪かったのか?
「彼女は、絶句してフリーズしました。僕も何が起きたのか理解出来ませんでした。自分の体質の事を思い出したのはそれから数秒後の事です。
彼女は、必死に謝ってきました。自分のミスでこうなってしまったのではないかと思わせてしまったようです。大丈夫だからと僕は言いましたが、段々と居た堪れずになってしまい、帰ると短く告げて彼女の家を出ました。彼女は相当、僕が怒っていると思ったみたいです。謝罪の連絡が何度もきました。しかし、僕は何と言っていいか分からず返答出来ませんでした。そして気が付いたら彼女と別れていました。
それ以来、誰ともお付き合いしてません。
そして逃げるように北海道を出て、こっちで就職したんです」
彼は、涙ぐみながら答える。
この気持ちを何と表現したら良いのだろう?
彼の悲しさ、辛さ、苦しさ、全て理解出来た。
この感情を理解出来るのは世界で恐らく私だけ。
私だけが彼の気持ちを理解し、彼だけが私の気持ちを理解出来るはず。
いや、出来るはずだ!
「すいません。こんな話し信じれる訳ないですよね。でも、これだけは信じて欲しいんです。父からお見合いの話しが出た時、本当は断ろうと思ったんです。でも、貴方の写真を見た時、一目惚れしたんです。なぜかこの人なら僕の全てを理解してくれるのではないか、そんな気がしたんです。すいません。気持ち悪いですよね。こんな話し・・・」
彼は、いよいよ糸にでもなるのではないかと思うほどに身を縮ませた。
私は、その事について何も触れず、父に電話した。
その時の彼の絶望の表情、恐らく破談となると思ったのだろう。
私は、父にインスタントのみそ汁を買ってきてほしいとお願いした。お湯を入れて。
父は、電話越しにとても驚いていたが、すぐに何かを察して了解した。
父親は、直ぐにコンビニでみそ汁を購入して届けにきた。
「冷めてるぞ」
「ありがとう」
父に小さく微笑んで礼を言う。
「小亮さんにそれを渡して」
父は、言われるままに小亮さんにみそ汁を渡すと、その場を去っていった。
小亮さんは、当然ながら何が何やらわからない顔をしている。
「小亮さん」
「はいっ」
小亮さんは、背筋を伸ばす。
「今から起きることを良く見ていてくださいね」
私は、息を大きく吸い、ゆっくりと吐いた。
「みそ汁を私の前に置いてください」
小亮さんは、眉を顰めて怪訝な顔をしながらもみそ汁を私の前に置いた。
その瞬間。
みそ汁がガタガタと揺れ、勢いよく飛び上がった。
さながらシャンパンの蓋のように。
みそ汁は、宙をくるくると回転し、そのまま、テーブルの上に落ちた。
テーブルの上に歪な茶色い花模様が描かれる。
小亮さんは、口をぽかんっと開けたまま文字通り目をひん剥いて私を見る。
「これが私です」
お見合いの為に用意したどんな紹介文よりも私を表した言葉だった。
小亮さんの目から涙が溢れる。
初めて同じ種族の人間に会えたかのように。
私たちは、椅子から立ち上がると自然と抱きしめ合った。
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