第3話 大学時代

小学校側の配慮は校長や担任が転勤になっても忘れられることはなく、大きなトラブルもないまま無事に卒業することが出来た。

 中学校、高校はお弁当なので問題はなかった。

 ただ、修学旅行の時は少し苦労したが味噌アレルギーということでみそ汁を避けることが出来た。そのせいで他の味噌料理が食べることが出来なかったのは辛かったが。

 引っ込み思案になってしまったものの、それでも友達は出来た。しかし、ファーストフードのような確実にみそ汁が出ないところ以外は一緒に外食出来ず、高校最後の卒業旅行も迷惑掛けられないからと思い"生理だから"とパスした。

 皆んな良い人たちだから何も言わずに納得してくれたけど恐らく付き合い悪いと思っていたことだろう。

 そして大学2年生になった時、初めての彼氏が出来た。

 同じ学部の一つ年上で彼から告白された。

 テニスサークルに所属していて他の女の子からも注目を浴びていたいわゆるイケメンだ。

 格好いいな、とは思っていたが正直私にはあまり関わりないと思っていたので特に気にしていなかった。その為、告白された時はとても驚き、勢いのままOKしてしまった。

 恐らく有頂天だったと思う。

 彼といるのはとても楽しかった。

 ドライブで海に出かけたり、映画を見て泣いたり、お酒を飲みに行ったり(運良くみそ汁が出るところに行くことはなかった)、今までの人生にはない刺激がとても心地よかった。

 そして付き合っての初めての夏休みに旅行に出かけた。

 場所は京都。

 和食の聖地。

 嫌な予感がしつつも彼と一緒にいたい誘惑には抗えなかった。

 旅行初日は最高だった。

 清水寺や金閣寺と言ったメジャーを周り、嵐山で川下りをして楽しんだ。

 ドキドキした夕食は彼が予約してくれた少し高級感のある洋食レストランで食事した。京野菜をふんだんに使った店で味は最高だった。お金大丈夫かな?と少し心配したが意外とリーズナブルでほっとした。

 そして彼と初めの夜を共にした。

 アレさえなけれ人生最高の思い出の一つとして心に刻まれる出来事だったろう。

 しかし、翌日に恐れていたあの事件が起きてしまう。


「おばんざい食べに行こう!」

 ホテルのビッフェを食べながら彼は言う。

 昨日の痛みと気怠さがらまだ残っていた私はおばんざいをお万歳と脳で変換し、両手を上げる。

 それをギャグと受け取り、彼は頬を少し引き攣りながら苦笑いする。

 おばんざいとはお番菜、またはお万菜と書き、京都の惣菜のことを言うらしい。

 それが美味しく食べられるお店が三条の辺りにあるから行ってみようと言うのだ。

 私は、途端に緊張した。

 それはつまり和食料理ということだ。

 当然、私の脳裏にはみそ汁が過ぎる。

 小学1年生のあの事件以来、自分の人生からみそ汁を徹底的に排除してきた。それこそ付け入る隙を一分も与えないほどに。

 そのお陰で平穏な中学校生活、高校生活、そして大学生活を送ることが出来、愛する人とも出会うことが出来たのだ。

 ここは断らねばならない。

 拒否しなければならない。

 今の平穏の為には言葉と行動に移さなければ。

 私は、意を決して「そこには行きたくない」と告げようとした。

「どうしたの?」

 彼は、無邪気な笑顔で訊いてくる。

 可愛らしい笑顔。

 私は、出かけた言葉を飲み込んでしまう。

「楽しみだね」

 彼は、嬉しそうに笑った。


 引き戸を開け、暖簾をくぐると深い出汁の匂いが鼻腔を通り抜け、私は胃が痛くなった。

 和づくりの店内の真ん中に並べられた聖護院だいこん、水菜、湯葉、九条ネギ、南瓜などの京都ならではの食材をふんだんに使った惣菜が目を鮮やかに彩る。

 彼は、表情を輝かせる。

 それを見て嬉しくなる反面、胃がさらに痛くなる。

 席に着いておばんざいを数種類注文する。

 彼は、上機嫌でビールも注文しておばんざいを肴にして飲み始める。

 それを見て少しホッとした。

 彼は、お酒を飲む時は主食をほとんど食べない。

 この流れならご飯やみそ汁には行かないだろう。

 少し気持ちが楽になり私もおばんざいに手を付ける。

 賀茂茄子の煮浸しが甘くて美味しく、思わずおかわりしたくなる。

 自分の横を店員さんがみそ汁を持って通る度に冷や冷やしたが、彼はみそ汁を注文する気配すらなく、ビールを日本酒に変え、おばんざいを楽しんでいた。

 私も気が少し抜けておばんざいを楽しんだ。

 しかし、すぐに状況は一変する。

「すいません。みそ汁を下さい」

 彼が意気揚々と店員に注文する。 

 店員は、快く了解する。

 私の表情は、誰の目から見ても青ざめたことだろう。

 案の定、彼が訝しげな表情をする。

「どうしたの?」

「ううんっなんでも・・・」

 私は、動揺を押し隠して話したつもりだが声が僅かに震えているのが自分でも分かる。

 この間にもみそ汁は、着実に準備されている。

 お椀によそるだけだ。

 直ぐにでも出てくる。

 こうなったらトイレと誤魔化して彼が飲み終わるのを離れて待つしかない。

「ちょっとトイレに・・・」

 そう言いながら私は椅子から立ち上がる、と。

「お待たせしました」

 店員が笑顔でやってくる。

 その手に持つトレイには上品な梅が描かれた2つのお椀にみそ汁がよそわれていた。

 私の目線がみそ汁と合う。

 その瞬間、みそ汁が飛び跳ねた。

 例えるならドルフィンジャンプ。

 天井近くまで飛び上がり、そのまま床に落下する。

 飛び跳ねた汁が王冠を作った。

 唖然とする彼と店員。

「み・・美織・・大丈夫⁉︎」

 彼は、何とか声を絞り出して私に声を掛ける。

「え・・・あっ・・」

 私は、狼狽え過ぎてよろけてしまい、隣の席のテーブルの端にお尻をぶつける。

 テーブルの上にはお客さんの飲んでいるみそ汁が!

 お椀がガタガタと揺れだし、そのまま勢い良くスライディングして壁にぶつかる。

 お客さん達もポカンっと口を開く。

 私の頭の中は爆竹が鳴り響いたように混乱し、その場に尻餅をついてしまう。

「美織!」

 彼が駆け寄ろうとする。

「お客さま!」

 それよりも先に騒ぎを聞きつけた店長らしき男が駆け寄って私に手を差し伸べて起こす。

 彼以外の男の人に手を握られるのに抵抗があったが足が震えて立てなかったので助かった。

 助かったと思った。

 私は、誰も座ってないテーブルに手をついた。

 そのテーブルにお盆の上に置かれた沢山のみそ汁があった。

 大量の注文があったのか?

 店長が騒ぎを聞きつけてお客さんにお詫びのつもりで持ってきたのかは今でも分からない。

 しかし、あの時の私にとっては地雷を仕掛けられたに等しかった。

 全てのみそ汁の器がガタガタ揺れ、縦横無尽に飛び交う。

 壁にぶつかり、他のお客さんの洋服を汚し、店長は頭から被り、店中を味噌の匂いを充満させた。

 まさに地獄絵図だった。

「み・・・美織?」

 彼が恐る恐る声を掛けてくる。

 まるで異様な、違う類の生物を見るかのような目。

 私の頭の中は、ぐらんぐらんと揺れ、不協和音が鳴り響く。見えないが顔は真っ青どころか色が無くなってたのではないだろうか?

 私は、悲鳴すら上げられないままに店から逃げ出してしまった。

 彼が私の名前を叫ぶ声がした。


 その後、私はホテルから一歩も出ずに最終日まで篭ってしまった。

 彼は、何も聞いてこなかったものの何となく私のせいで起きたと感じているようだ。

 旅行から帰る時も、帰った後も、大学でも気まずい雰囲気が流れたまま消えず、どちらから言った訳ではないが別れることになってしまった。

 私は、失恋の痛みと理屈とならない虚しさと辛さでしばらく立ち直ることが出来ず、自分の身に起きる事象を恨んだ。

 そして思った。

 私は、一生恋愛は出来ないのだろう、と。

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