240 ゼンボルグ公爵家の画策と報復 2
スチーム美顔器を贈呈し、新しい特許法についての賛同と協力を求める。
リシャールとマリアンローズがそのための社交を行ったのは、何もアージャン伯爵だけではない。
「なるほど、確かに悪い話ではないな」
特に深い関心を示した様子もなく、プロヴェース公爵はさらりと流す。
しかしそれは動揺を押し隠すための演技でしかなかった。
賢雅会の権勢、やりたい放題は、プロヴェース公爵も問題視していた。
しかし、何か対策を取るにしても、プロヴェース公爵家一つでは、いささか荷が重かった。
仮に派閥の貴族達を動員しても、賢雅会には多くの有力貴族が名を連ねており、派閥を持っている貴族家も多いため、一派閥では対抗しきれなかったのだ。
それを、他派閥を巻き込むとはいえ、旗振り役となって動いたリシャールの豪胆さとその方策に、舌を巻いていたのである。
プロヴェース公爵はチラリと、別テーブルへと移動した妻とマリアンローズへ目を向ける。
テーブルの上には手土産の、話題の魔道具スチーム美顔器が。
しかも、非売品の高級モデルだと言う。
それを間に挟み、マリアンローズが使い方と注意点、効果などを丁寧に説明し、妻がそれを熱心に聞き入っていた。
その妻の食い入るような視線は、スチーム美顔器とマリアンローズの肌の間を何度も往復している。
しかも、販売するのは通常モデルや簡易モデルで、高級モデルを贈呈された貴族から紹介された貴族のみ。
間違いなく、多くの貴族が紹介してくれと群がってくるだろう。
その利権は非常に魅力的で強力だ。
受け取る以外の選択肢はない。
であれば、借りを作らないためにも、なんらかの便宜を計る必要があった。
それはつまり、新特許法の話に乗り、なおかつモーペリエン侯爵派と賢雅会へ圧力をかける、と言うことである。
「特許を取得となれば、我が領では造船関係の物が多数出てくるだろう」
プロヴェース公爵領は、オルレアーナ王国の南東にあり、海に面していた。
つまり、東からの交易路の玄関口となる領地なのである。
そのため、交易で莫大な利益を上げると同時に、造船技術も発達していた。
リシャールの提案に乗るメリットは、アージャン伯爵の比ではない程に大きい。
しかし、だからこそ、警戒しなくてはならなかった。
「貴殿はそれでいいのか? 最近、何やら船を造っているようだが」
何気ない探りに、リシャールは平然としたまま眉一つ動かさない。
港の整備は隠しようがなく、さらに資材の流れを見れば、船を造っていることなど、目端が利く貴族であればすぐに気付けるからだ。
プロヴェース公爵であればなおさらである。
だから大型船とは別に、従来型の帆船も複数建造させていた。
プロヴェース公爵から危機感も警戒感も感じられないことから、大型船のことまでは嗅ぎつけられていない。
そう判断する。
「貴殿が確信しているのと同様に、私も
真似をされて損失が出たと腹を立てるより、最初から金で片を付ける。
確かにその方が手っ取り早いと、プロヴェース公爵は納得する。
それは、自領の造船技術の方が優れているとの自負があってこそだった。
何しろゼンボルグ公爵領は世界の果てで交易路の終着点であり、プロヴェース公爵領は交易の玄関口だ。
訪れる他国の商船の数は比較にならず、それによって得られる他国の造船技術の知見はゼンボルグ公爵領の追随を許さない。
「ゼンボルグ公爵領の造船技術には目もくれず、こちらが一方的に特許使用料を頂くことになったとしても、恨むなよ?」
「その言葉、そっくりそのままお返しする」
双方が自信を見せる中で、話はまとまるのだった。
さらにリシャールとマリアンローズは動く。
「現在広く使われているブドウの搾汁器は、ブラゴーニュー公爵家が作り出した物だとか。もし当時特許法があれば、どれほど莫大な利益をもたらしたことか」
「それは今後の改良型についても同様だと、そう言いたいわけか」
ブラゴーニュー公爵もまた表面上は冷静に努めながら、驚愕を覚えていた。
ブラゴーニュー公爵領は内陸にあり、ワインの一大生産地である。
ワイン関連で取れる特許は多い。
また、ヴァンブルグ帝国と国境を接しているため、陸路での交易も盛んだ。
他国の新しい技術や情報が入り、それを生かしての改良はプロヴェース公爵領同様に行いやすい。
特許庁へ食い込む利権も無視できず、プロヴェース公爵が話に乗るとなればなおさらだった。
当然、田舎者の貧乏人が中央で大きな顔をするのは面白くなく、スチーム美顔器利権での影響力拡大を警戒する。
しかし、プロヴェース公爵と組めば、ゼンボルグ公爵家くらいなら押さえ込める、その自信も決断の後押しをした。
ドライヤー戦争は妻達の確執が原因で、公爵同士としてもライバルだが、決して憎み合っているわけではない。
共通の敵に対して手を取り合える程度の柔軟さは、互いに持ち合わせていた。
「いいだろう。詳細を聞かせろ」
◆
「では、プロヴェース公爵家、ブラゴーニュー公爵家も賛同してくれたのですね」
お父様から成果を聞いて、ほっと胸を撫で下ろす。
アージャン伯爵派は中規模派閥だけど、対賢雅会と考えると協力しやすい派閥だ。
これに加えて、東を固める大貴族のプロヴェース公爵家とブラゴーニュー公爵家の協力を得られるのはとても大きい。
「マリーが知恵を絞り考案してくれた造船技術の数々だ。それも船舶の常識を変える程に画期的で、計画の要となる、ね。それをただで使わせてやる必要などないからね」
「これで特許使用料をうんと高くすれば、プロヴェース公爵家へ配慮をしつつ、他領や他国の追随をさらに遅らせられるわ」
そう、だからお父様もお母様も、今回すごく積極的に動いてくれたの。
特許の適用範囲を、魔道具からそれ以外の普通の物にも広げる。
それは、職業訓練学校の設立を思い付いたときから、ずっと考えていたことだった。
だって、職人達の権利も守ってあげたいじゃない。
もちろん、お母様の言う通り、大型船に使われた技術を真似されるのを少しでも遅らせたいのが一番だったけど。
でも、大貴族を動かして賛同を得るには、私ではまだまだ力不足だった。
それをこんな形で早期に実現してくれるなんて!
「以前マリーから知的財産権の話を聞いて、大型船が就航して人目に付く前になんとかしなくてはと思っていたからね」
「ある意味で、今回はいい機会になったわね」
「ありがとうございますお父様、お母様!」
まだ根回しの段階で、法案が成立するにはまだまだ時間が掛かるでしょうけど。
今から動けば、本番の大型船がアグリカ大陸を目指すまでに間に合うかも知れない。
「それにアージャン伯爵も積極的に噂を流しているわ。賢雅会とモーペリエン侯爵派にいい感情を抱いていない貴族家を、熱心に口説いているようよ」
「新特許法の話からその二つの派閥を完全に排除していることも、噂に信憑性を持たせているからね」
おかげで、モーペリエン侯爵家およびモーペリエン侯爵派の包囲網の構築は順調ね。
直接手出しは出来なくても、これで圧力をかけられるわ。
元々、モーペリエン侯爵家の今の当主の傲慢な振る舞いは、常々問題視されていたらしいの。
そこへきての、今回の公爵家の馬車を襲撃だもの。
複数の公爵の派閥から睨まれたら、かなりの大打撃よ。
多分、レオナード殿下の婚約者の最有力候補と言う立場にも、黄信号が灯るでしょうね。
私も、ブルーローズ商会にもモーペリエン侯爵派とは取引しないよう、私の名前で通達を出したわ。
今後、スチーム美顔器が売りに出されても、手に入れられないでしょうね。
紹介する貴族なんて、いなくなるでしょうし。
当然、ドライヤー戦争も脱落。
それどころか、荷馬車用の冷蔵庫、冷凍庫、冷蔵倉庫なども買えないわけだから、流通で大きく後れを取ることになる。
新特許法の利権には噛めず、複数の公爵の派閥には睨まれ、さらに時代の変化に取り残されて、ジワジワと衰退していくことになるでしょうね。
目端が利く貴族なら、すでに距離を取り始めているんじゃないかしら。
私の、何よりお父様とお母様の命を狙い、アラベル達に怪我を負わせた当然の報いよ。
私だって、やるときはやるんだから。
ここが私の戦場。
これが私の戦い方よ。
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