189 区画整理開始
「いやはや、それにしても驚かされました。姫様が、その幼さでこれほどの見識をお持ちとは。話しぶりも、的確な返答も、まるで大人と変わらない」
「ありがとうございます」
称賛の言葉だったから、遠慮せず受け取って微笑む。
「ゼンボルグ公爵領の未来は明るいようだ」
「そうなるといいなと思って頑張っています」
「ははは、そうでしたか。もうご自身の立場を考えて行動されているとは、頭が下がります」
ジスランさんは愉快そうに笑う。
今日初めて気を許してくれた、好々爺然とした優しい笑顔だ。
「それにしても、領主家の姫君なのですから、我々貧民のことなど無視して立ち退かせ、思うとおりに再開発してしまえばいいのに、そうされない。それどころか、我々貧民の都合や生活を考えて、気を遣って下さっている。そんな貴族、見たことがありません」
実際、そうなんでしょうね。
今回の計画を立案して相談したとき、役人や商人達はおろか、お父様でさえ同じように驚いていたから。
この世界のこの社会制度では、それが当然で、お父様を始め、彼らが取り立てて無情とか無慈悲とかじゃない。
前世の日本の倫理観を持ち込んでいる私が異端なんだと思う。
それでも、そういう感覚がある以上、無視しては動けないのよ。
「確かに身分や立場は違いますけど、同じ人間なのですから、相手の意思や気持ちを無視して、一方的にこちらの都合を押し付けるなんて出来ませんよ」
「同じ人間……」
「はい。私はたまたま貴族の、領主の娘に生まれたに過ぎませんからね。その生まれや境遇を最大限生かすつもりではいますが、だからと言って、特別な人間でも偉い人間でもありませんから、相手が誰だろうと、尊重すべき時は尊重します」
「は……ははは……自分に都合のいい時だけや、口先だけじゃない……姫様は本心からそう考えているのですね」
ジスランさんの目尻に涙が浮かぶ。
何か辛い過去でも思い出させてしまったのかしら?
「もっと早くにあなた様に出会い、お仕えしたかった……」
目を閉じての、ほんの微かな呟き。
それからジスランさんが目を開いて、わずかに潤んだ目で私を見て微笑む。
「姫様のそのお気持ちに報いることが出来るよう、改めて、この老いぼれに出来ることがあれば、全力でお応えすると約束します」
「ありがとうございます。すごく心強いです」
それから、ジスランさんは言葉通り、私と一緒に熱心に貧民達を説得してくれた。
炊き出しで顔と名前を売ったおかげで、話し合いの場には大勢の貧民達が集まってくれたわ。
そして、多少なりとも私の話に耳を傾けてくれた。
でも、当然、賛成してくれた人達ばかりじゃない。
私達貴族の言うことなんて信じられないって、耳を貸さない人、強硬な態度で反対する人達も大勢いた。
いえ、むしろ反対意見の方が多かったくらいよ。
一時的にしろ、住む場所を奪われるのだから当然よね。
でも、その話し合いが紛糾して物別れに終わらなかったのは、ジスランさんの説得のおかげだった。
ジスランさんは言葉を重ねて理解を求め、反対していた多くの人達を口説き落とし、遂には予定地の大多数の貧民達から賛成の声をもぎ取ってくれたの。
さすがに話し合いの場は何度も設ける必要があって、説得に時間が掛かるだろうと考えていたのだけど、たった一度でほとんどの人から理解と賛成を得られた時は驚いたわ。
しかも、一時的に家や寝床を失う人や子供達を、貧民同士の知り合いの家や空家に振り分けるところまでしてくれたの。
おかげで予定より転居がスムーズに進んで、それはもう、さすがの顔役ぶりだと感心したくらいよ。
「では、始めて下さい」
そして、私の号令で、貧民街の一画で遂に区画整理が始まった。
まずは、転居先となる家を作るところから。
いくつもの古く、小さく、貧しい家が、次々と解体されていく。
そこを一度更地にして、それから一つのまとまった土地として、元の家より立派で大きなアパートへと建て替える予定よ。
つまり、元々あった家より、大勢が暮らせるようになるわけね。
しかも、不潔なボロ屋や、いつ倒壊するか分からないような家じゃなく、清潔でしっかりとした作りのアパートに。
とはいえ、さすがに住宅街にあるほど立派な物ではなく、簡素なアパートだけど。
これはケチったり、貧民相手だからと見くびったりしたからじゃない。
ちゃんとした理由がいくつもある。
まず、学校一つ分の敷地から住民を転居させるため、その受け皿を作らないといけないから、区画整理するエリアが広すぎて、ご立派なアパートを建てていたら、工事がいつまで掛かるか分からない。
それだと転居に応じてくれた貧民達が、不安で不満に思うと思う。
先に入居出来た人と、いつまでも待たされる人と、差が生まれてしまうわけだし。
しかも、いつまでも借り暮らしでは、ストレスも溜まるでしょうしね。
だから迅速に建て替えていく必要がある。
それに立派すぎるアパートだと、一般の平民達から、貧民の癖にと妬まれたり嫌がらせされたりするかも知れない。
そしてこれが一番切実で、立派すぎるアパートだと相応に家賃が高くなるから、貧民の収入では家賃を支払えなくなってしまう。
そういったいくつもの理由から、身の丈に合った建物になるよう、お父様、建築関係の商会や組合、顔役のジスランさんと一緒に話し合って決めたの。
「綺麗なアパートを建てますから、期待して待っていて下さいね」
安全のため立ち入り禁止のロープを張った外側から、工事の様子を不安そうに見つめている大勢の貧民達を振り返って、少しでも不安を取り除けるよう笑顔を見せる。
こればかりは、実際にアパートが建って入居出来るまでは、不安は消えないだろうから仕方ないけど。
でも、その不安はそう長くは続かないはずよ。
だって、想定していたより大勢の人足が集まってくれたから。
建築関係の商会や組合の人達や、一般の平民の日雇いだけじゃなく、貧民達の中からも日雇いとして働いてくれている人達がたくさんいたの。
自分達の寝床は自分達で作る、と言うことかしらね。
これまで貧民街の清掃の仕事で賃金を払っていた効果もあるかも知れない。
「皆さん、頑張って下さいね。でも怪我をしないよう十分注意しながらで」
「「「「「おう!」」」」」
ここから先は、私には応援しか出来ないけど。
安全第一で、是非頑張って欲しい。
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