182 貧民街での炊き出し

 新しい魔道具の開発に入ってしばらくして。

 日差しが温かくなって気温が上がり、そろそろ春を感じられる頃。


 遂に試作の大型船が完成し、進水式を迎えた。


 大型ドックの造船台から滑るようにして海へ進水した試作の大型船が、威風堂々、海に浮かんだその光景に、参加者の全員から大歓声が上がったわ。

 もちろん私も飛び跳ねながら、ね。


 浸水もなく、各部問題なしで、これで建造は一区切り。

 後は船の艤装を残すのみ。


 装飾もそうだけど、完成した羅針儀などの航海術の道具、家具類、魔道具兵器の大砲などの武装、同じく魔道具の厨房設備や倉庫の冷蔵庫と冷凍庫、予備のロープや帆布など、山ほど積み込む物がある。


 それら艤装が終われば、いよいよジエンド商会へと引き渡され、船員育成学校の生徒達から信頼が置ける選りすぐった船乗り達を雇用して、操船訓練が始まる。

 私達への正式なお披露目と就航は、その後ね。

 多分、早くても夏頃になるんじゃないかしら。


 そんな風に先々の予定がまだまだいっぱいだけど、ともかく一区切りなのは確か。

 進水式には私とお父様が参加して、シャット伯爵領を始め、三つの領地をそれぞれ巡って参加してきたわ。


 残念ながら、三つの領地をぐるっと回る長旅になるから、今回お母様はエルヴェと一緒にお留守番。

 正式なお披露目の時は、お母様もエルヴェも一緒に行く予定よ。


 そうして着々と試作の大型船が完成に向かっている間、私は私で忙しくしていた。

 何かと言えば、職業訓練学校の準備だ。


 新しい魔道具の開発は順調で、開発チームにほぼお任せ出来たから、職業訓練学校の準備に専念できたのは助かったわ。


 お父様と何度も話し合って。

 私の秘密を知る、財政を握る文官達とバチバチやりあって。

 様々な業種の職人や組合と打ち合わせして。

 ジエンド商会とサンテール商会を始め、その他大小いくつもの商会を一枚噛ませて、その利害調整をして。


 もっとも、後半の二つはお父様に前に出て貰って、私はおまけの振りをしての参加だったけど。


 ともかく、ようやく計画にゴーサインが出たから、そのロードマップに従い、私は週一で貧民街へと通うことにした。

 何をしに通うのかと言えば、貧民達への炊き出しだ。



「はい、みんなちゃんと並んで。全員に行き渡るだけ十分にあるから慌てなくていいからね。行儀良く並べない人には盛りを少なくするわよ」


 私が腰に手を当てて声を張り上げると、貧民達が我先にと列を作る。


 列の横入りや、先に貰った人達から横取りするなどの、不正行為は許さない。

 そんな風に、私と護衛の騎士達が目を光らせているから、怪しい動きをする者達はもういない。

 男も女も、大人も子供も老人も、みんな行儀良く列に並ぶ。


 私が通い始めた当初は、横入りや横取りが何度も起きたけどね。

 本当に盛りを少なくしたり、食べ物を没収したり、炊き出しの集まりから追い出したり、果ては牢屋で頭を冷やさせたり。

 容赦なく実力行使をしていたら、いつの間にかそういう真似をする人達はいなくなっていたわ。


 そうして行儀良く並ぶ貧民達に食事を手渡してくれるのは、役人やボランティアの平民だ。


 ボランティアの平民と言っても、多分、一枚噛ませた商会から派遣された人達ね。

 私の手伝いをすることでの、お父様へのご機嫌取りだと思うけど。


 でも、どんな理由だろうと人手があるのはありがたいわ。

 だから遠慮なくこき使って……と言うと語弊があるけど、仕事を割り振って手伝って貰っているわ。

 もちろん、感謝の言葉と笑顔は忘れずにね。


「いつもありがとうございます姫様」

「ありがとう姫様!」

「あいあとぉ!」


 パンとチーズとハム、肉と野菜たっぷりのスープを受け取った老人と子供達が、列を離れるときに、笑顔でお礼を言ってくれる。


 この老人はどうやらこの近隣の貧民達のまとめ役や顔役で、こうして率先してお礼を言ってくれるから、まず子供達が、次いで大人達も積極的にお礼を言ってくれるようになったの。

 さらに列にもちゃんと並ぶように言ってくれたりね。

 この老人には、本当に助けられているわ。


 だから私も、笑顔で声をかける。


「どういたしまして。お腹いっぱい食べてね」


 ちなみに、ここでの、と言うよりも、町での私の愛称は『姫様』で通っている。

 世が世なら、ゼンボルグ王国の王女様と言う立場だから、みんな最初から『姫様』呼びだったの。


 さすがに公爵令嬢が一般人に名前やマリーと言う愛称で呼ばせるのは駄目って、アラベルや他の護衛の騎士達に止められたから、訂正する機会を逃してそのまま。

 おかげで、ちょっとくすぐったいわ。


「今日もお仕事があるから、良かったら食べ終わっても帰らずに待っていてくれると嬉しいわ」

「はい」

「うん!」

「あい!」


 笑顔で手を振って見送り、思い思いの場所に座って食べている人達を眺める。


 残念ながらこの乙女ゲームの『とのアナ』の世界でも、貧民街があって、貧民と言う存在がいる。

 そこは前世の中世と変わらないらしい。


 もちろん、お父様は圧政を敷いたり、税率を上げてギリギリまで搾り取ったりと、そんな酷い政治はしていないわ。


 でも、悲しいかな、領都での成功を夢見て挫折したり、保護者を失ったり、捨てられたり、不作が原因で農地を捨てたり、騙されて財産を失ったりと、様々な理由で貧しい生活を送らざるを得ない人達がいる。

 そして一度底辺に落ちてしまった人達は、貧民だからと差別され、容易にそこから抜け出せないでいる。


 だからそんな人達への炊き出しなどの慈善事業は、高貴な身分の者達の義務ノブレス・オブリージュだ。

 それも、美徳として語られ、やらないと後ろ指を指されるくらいの。


 でも……。


 それってマッチポンプよね?

 貧民を生み出し、そこから這い上がれないようにした社会制度、身分制度を作っている側の王侯貴族が、施しをして美徳とするんだから。


 感謝の言葉には笑顔を返すけど、正直いたたまれないわ。

 だってこれって、所詮は偽善だもの。


「お嬢様がここまでする必要はあるのでしょうか」


 最後の一人が受け取って列を離れたところで、アラベルがそう小声で聞いてくる。


 危険があるかも知れない貧民街までわざわざ私自身が出張らなくても、慈善活動は役人達に任せておいてもいいのでは。

 そう言いたいのよね?


「もちろん、必要なことよ」


 以前、ジャン達に会った時も思ったけど、もし運命の歯車が一つでも違えば、彼らの中の誰かが私だったかも知れないんだから。


「以前アラベルには『弱い者の味方になれる騎士になって欲しい』、そう話したの、覚えているかしら?」

「はい」

「有言実行よ。ちゃんと見ていて。そして私が言った言葉の意味を考えてね」

「はっ」


 私がしているのは、ただの炊き出しだ。

 所詮その場限りの施しでしかない。


 それで助かる人達がいるのも確かだろうけど、ずっと面倒を見続けることは出来ないわ。

 それではいつまで経っても何も変わらない。

 弱者救済なんて程遠い。


 だから、今はただの炊き出しだけど、毎回顔を出して、それを繰り返す。

 そして、私と言う人間を知って貰い、顔を覚えて貰う。


 もちろん、それですぐさま信頼を得られるとは思っていないわ。

 だけど、積み重ねていけば、きっと変えられるはず。


 突然やってきた見知らぬ貴族のお嬢様より、知った顔の貴族のお嬢様の言葉の方が、まだしも耳を貸して貰えると思うから。


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