89 ドライヤー戦争

「以上のことから、仮に他の賢雅会の貴族達までドライヤーを開発していたとしても、マルゼー侯爵とディジェー子爵の二の舞を演じるのは明らかですから、恐らく売りには出さないはずです。結果、市場はマリエットローズ様のドライヤーが独占状態で、予約が殺到しているのです」

「エドモンさん、説明ありがとう。他の魔道具に比べてドライヤーだけが突出して予約が多い理由がよく分かったわ」


 ただ、それでも疑問が残る。


「ただ、それでもちょっと多すぎないかしら? この予約数を見ると、ほとんどのご夫人とご令嬢に行き渡ってしまいそう。金銀宝石を散りばめた程ではないとはいえ、類を見ないドライヤーは高額商品として価格設定されているのよ?」

「はい、その通りです。下級貴族家の中には、特に高価なドライヤーにはそうそう手が出ないと言う、貧乏貴族家も決して少なくありません。販売数と予約数に比べ、下級貴族家にはそれほど普及していない状況です」

「だとしたら、一人一台以上買っていることになってしまうけど……」


 マチアスさんが苦笑を堪えるように頷く。


「さすがマリエットローズ様。ご明察です」

「えっ、本当に!?」

「はい。実は上級貴族のご夫人、ご令嬢達の間では、異なるデザインのドライヤーを複数台所持して、気分によって使い分けると言うのが流行っていましてな」

「ええっ!?」


 ドライヤーなんて一台あれば十分でしょう?

 もしくは、プラスして旅行用に軽くてコンパクトなのがもう一台、その程度では?


 でも、マチアスさんの口ぶりからすると、そんなレベルの話じゃなさそう。


「あまり大きな声では言えないのですが、それには理由がありましてな」

「理由ですか?」

「はい。これは私が、とあるご夫人方のお茶会に呼ばれ、ドライヤーの実物を披露した時に聞いた話なのですが。かような事態になった発端が、プロヴェース公爵夫人とブラゴーニュー公爵夫人のいさかいにあるようなのです」

「は?」


 ちょっと意味が分からない。

 確かプロヴェース公爵領とブラゴーニュー公爵領は……。


「マリエットローズ様もご存じかと思いますが、プロヴェース公爵領はオルレアーナ王国南東沿岸にあり、まさにオルレアーナ王国の玄関口として、海路による交易で栄えております。対して、ブラゴーニュー公爵領はオルレアーナ王国北東内陸にあり、ヴァンブルグ帝国と陸路で密接な関係があり、こちらもまた交易で栄えております」

「はい、そう勉強しました。おかげで、元より大層仲が悪いとか」


 海洋貿易のおかげでプロヴェース公爵領の方が栄えていて、ブラゴーニュー公爵領は貿易黒字で差を付けられてしまっている。

 でも、ブラゴーニュー公爵領はワインの名産地で名声が高く、プロヴェース公爵領にはそこまでの名声を得られる特産品がない。

 おかげで、どちらの公爵も公爵夫人も、お互いライバル意識を剥き出してバチバチにやり合っているとかなんとか。

 講師に招いた先生が、溜息交じりにそう教えてくれた。


おっしゃる通りです。そこで髪の艶自慢、ドライヤー自慢になったようでして」

「あぁ……」


 どっちの公爵夫人にも会ったことはないけど、なんとなく想像が付くわ。


「先にドライヤーを手に入れていたプロヴェース公爵夫人が髪の艶を自慢し、それより後にドライヤーを手に入れたブラゴーニュー公爵夫人はまだ十分に髪の艶を出せていなかったことから、それはもう……」


 確か、プロヴェース公爵夫人が四十代前半で、ブラゴーニュー公爵夫人が三十代後半だったはず。

 ……女の戦いになってしまったのね。


「そこでブラゴーニュー公爵夫人が、自分は複数のドライヤーを気分によって使い分けていると自慢したそうなのです」

「それが事実か負け惜しみかはともかく、その二人が競い合うようにドライヤーを買い求めて、取り巻きの方達もそれに乗って、高額のドライヤーを複数所持するのが貴族女性のステータスっぽい流れになったのね?」

「またまたご明察です」


 分からない話じゃないけど……普通、そこまでする?


「さらにそれを聞き及んだ王妃殿下までもがその上を行かんと、大量にドライヤーをご注文されまして」


 ああ……王妃様にはちゃんと一つ献上しておいたのに、大量に新規デザインを描き起さないといけなくなったのはなんでだろうと思っていたけど……。

 献上したのが気に入らなくて新しいのから気に入ったのを一つ選ぶ、と言うわけじゃなくて、この騒動でたくさん買うためだったのね……。


「それでご自身で日々ご気分で使い分ける分とは別に、汚れを落として濡れたドレスを乾かす用や、したためた手紙のインクを乾かす用など、用途によって使い分け、さらにお気に入りの侍女に褒美として下賜かしされたそうなのです」

「それはまた……その侍女は大層喜んだでしょうね?」

「それはもう、大変な喜びようだったとか。以降、王妃殿下の侍女達は、ご自分の分を買い求めると同時に、王妃殿下から下賜して戴こうと、競い合うように仕事に励むようになったとか」


 それは競い合うようにではなく、確実に競い合っているわよね。


「それを聞いて、他の上級貴族のご夫人やご令嬢達が、自分の器量と財力を誇示するように、それらを真似するようになったのね? それで、ドライヤーの一大ブームが来ていると」

「全く以て、その通りです」


 さすがにその展開は予想していなかったわ……。

 いやもう本当に、そこまでする?


「社交界は今、『ドライヤー戦争』と呼ばれるほどに、女のプライドを懸けた熾烈な戦いが繰り広げられているそうです」

「ド……ドライヤー戦争……」


 それって……予想の斜め上過ぎて、もうなんてコメントしたらいいのやら。


「だから、どうしてこんなにってくらい、毎回毎回ドライヤーのデザインの仕事が舞い込んでいたのね……」


 同じモデルでも、意匠を星にしたり花にしたり、色の組み合わせを変えたり、シリーズ化して、なんとか対応していたのよね。


 さらに、握り部分と本体のラインをシャープにしたり、丸みを帯びさせたり、スイッチの位置を変えたり、色も真鍮のメッキや金銀のメッキだけじゃなくて、ワインレッドやネイビーブルーやクリームイエローやオフホワイトなど、テーマに合わせてクール、キュート、ファンシーとバリエーションを出して、毎回頭から煙が出そうだったわ。

 ぶっちゃけ、中身の性能は全部同じなのに。


「それで慌ててマルゼー侯爵とディジェー子爵が売りに出したものの……と言うわけじゃな?」

「バロー卿の仰る通り、我がブルーローズ商会としては笑いが止まらない展開です」


 エドモンさんが悪い顔をして、みんな同じ顔になって笑っているわね。

 私はもう乾いた笑いしか出てこないわ。


「そこで、お手数をおかけして大変申し訳ありませんが、マリエットローズ様には、また新たにドライヤーのデザインを幾つか描き起こして戴きたいのです。先ほど父の話にも出ましたように、手紙や書類のインクを乾かす用に、男性からも問い合わせが入っておりますので」


 そういう用途は思い付かなかったわ。

 これは、お父様にも男性用をデザインしてプレゼントした方がよさそうね。


「なるほど……分かりました。幾つか考えてみます」

「ありがとうございます。よろしくお願いします」


 幾つかとは言われたけど、少々の数では足りなさそうね……。


 エマが私の脇に、ささっとお高い植物紙の束と、羽ペンとインク壷を置いた。

 それは、報告中だろうが話し合い中だろうが、思い付いたデザインがあったら忘れないうちに描き残すのを優先して欲しいと言う、みんなの希望で配慮から。


 これは……本気で、私に代わるデザイナーが欲しいわ。

 どこかにいないかしら……ここまでのデザインをこなせるデザイナー。


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