90 とある侯爵令嬢の望み
◆◆
それはまだわたくしが三歳頃のことだったと思う。
「おとうさま、これがまどうぐですの!?」
「どうだすごいだろうクリスティーヌ。エセールーズ侯爵が特別に融通してくれてな。ゼンボルグ公爵領でこの魔道具のランプを持っている家は、我がリチィレーン侯爵家以外、数える程しかないだろう」
「まあすてき!」
当時、難しい話はよく分からなかったけど、我がリチィレーン侯爵家が特別すごい家だと言うことは、幼いわたくしでも理解出来た。
「もっとも、これで関税や港湾使用料の引き下げ交渉は、当分話題にすら上げられなくなったが……」
その後もお父様がブツブツと何かを言っていたけど、わたくしはボタン一つで明かりを点けられる魔道具のランプに夢中で、耳に入っていなかった。
五歳になってお茶会を開くようになった頃。
お父様に散々おねだりして、わたくしだけの魔道具のランプを買って貰って、とても嬉しかった。
だから、招待したゼンボルグ公爵領のご令嬢達に毎回自慢してみせたわ。
みんな珍しがってくれて、驚いてくれて。
おかげでその魔道具のランプは、わたくしの宝物になった。
だけど……。
中央の古参の貴族家のご令嬢達は、男爵家のご令嬢すら普通に持っていて――
「あら、いやだ。そんなのみんな持っているわよ?」
「プッ。たった一つだけ? やっぱり貧乏なのね」
「トーチは? 送風機は? 保冷箱は? ふふっ、持っていないのね」
「クスクス。ゼンボルグ公爵領はさすが田舎ね。こんな物が珍しいだなんて」
「そんな流行遅れのランプが自慢だなんて、王都で言ったら笑われちゃうわ」
――そう馬鹿にされて、すごく悔しかった。
だから、それからは、中央の古参の貴族家のご令嬢達をお茶会に招待するのはやめたわ。
それでも、わたくしにとってはとても珍しくて貴重な、大切な宝物だったのだから。
そんなわたくしに衝撃が走ったのは六歳になった頃、ゼンボルグ公爵領のとある伯爵令嬢のお茶会に招待された時だ。
「クリスティーヌ様、あたしも魔道具のランプを買って貰ったんです。しかもほら、ボタン一つで明るさが変わるんですよ」
パチパチとボタンを押されるたびに、明るさが変わるランプ。
「すごい!」
「素敵!」
「私も欲しい!」
お茶会に参加した他のご令嬢達が目を輝かせて絶賛した。
でも、そんな声はわたくしの耳に入ってこなかった。
だってそのランプに一目で心を奪われて、声も出なかったから。
ボタン一つで明るさが変わる魔道具のランプなんて聞いたこともない。
しかも、普通のランプとも、わたくしの魔道具のランプとも全く違う、芸術的な程に美しい造形。
見とれて、溜息が漏れて……遅れて湧き上がってきたのは、羨望と嫉妬。
リチィレーン侯爵令嬢のわたくしが持っていないのに、たかが伯爵令嬢が持っているだなんて!
そして……絶望。
わたくし自慢の魔道具のランプが、一瞬で価値を失い、色褪せてしまった。
ブルーローズ商会。
その聞いたことのない商会が売り出していることを聞き出したわたくしは、屋敷に帰って、早速お父様におねだりした。
始めは何故かお父様は渋っていたけど、わたくしの連日のおねだりに根負けして、遂にブルーローズ商会の副商会長を屋敷に呼び出して、あの芸術的な魔道具のランプを買って貰えることになった。
「こちら、マリエットローズ式ランプの最新モデルです。いかがでしょう?」
我がリチィレーン侯爵家へ商会長自らやってこなかったことは不服だったけど、テーブルの上に並べられた一つ一つデザインが違う数々の魔道具のランプを見て、そんなことはどうでも良くなって、副商会長の言葉は耳に入らなかった。
どれも芸術的で、宝石のように
全部欲しいとおねだりして、たしなめられてしまったくらい。
だから、ものすごく、ものすご~く悩んで、やっと一つを選んだわ。
お父様もお母様も、何故か最初は渋々だったけど最後には真剣に選んで買っていた。
「ありがとうございますわ、お父様!」
副商会長が帰って、お礼を言うと、お父様は何故か大きく溜息を吐いた。
「いよいよ以て、ゼンボルグ公爵領は駄目かも知れんな……」
「あら、あなた、どうしてですの? 魔道具の収益はかなりのものでしょう? それがあのマリアンローズの家の商会で、その娘の名前を付けたランプと言うのは
「魔道具だけには手を出すべきではなかった……賢雅会の貴族達が黙っているわけがない。徹底的に潰しにくるぞ」
「そうかも知れませんが……賢雅会の貴族達はそれほどですの?」
「ああ。魔石利権と特許利権、さらにそれぞれ交易や鉱山で、その財貨は膨大だ」
お父様がまたしても溜息を吐くと、お母様も表情を
「貴族としての誇りを忘れ、美食の最たるスパイスを適量しか使うなと、みみっちいことを言い出したり、使い道のろくにない品種の小麦を大量に栽培するよう開墾命令を出したり、それで交易が盛んになるわけでもあるまいに港を拡張させたり、果ては特許利権に喧嘩を売る始末だ」
「そうでしたわね……何をとち狂っているのやら」
「当代のゼンボルグ公爵にはがっかりだ。そろそろゼンボルグ公爵家とは距離を取って、中央の貴族との仲を深めることを考えた方がいいかも知れんな……」
難しいことは分からないけど、お父様とお母様がゼンボルグ公爵家を好きじゃないのは伝わってきた。
でも、今はそんなことよりも!
新しい魔道具のランプを抱き締めて急いで部屋へと戻ると、そっとナイトテーブルへ飾って、うっとり眺める。
「はぁ……本当に素敵」
こんな素敵なデザイン、どうすれば思いつけるのかしら。
わたくしは、とっておきの高い植物紙を侍女に取ってこさせると、ペンを走らせその芸術的なランプをデッサンする。
それから、副商会長がテーブルに並べた他のランプのデザインを思い出しながら、それも描いた。
「よし!」
いつの間にか夢中になっていたみたい。
手元には、何枚も描いたランプの絵が散らばっていた。
「ぁ……なんてことかしら……」
そこで、ふと気付く。
部屋のインテリアに最も合う物を選んだけど、それは飽くまでも副商会長が並べた中から選んだに過ぎない。
つまり、ベストではなく、ベターと言うこと。
「もっと、わたくしの部屋に相応しい美しいランプが欲しいわ」
そう思うと、居ても立ってもいられなくなった。
「こう……いえ、そうではないわ、もっとこう……いえ、これも違う……シンプルで美しいだけに、なんて難しいのかしら……!」
わたくしは、いつしか何枚も何枚も、わたくしの、わたくしによる、わたくしのためだけの理想のランプを追い求めて、ペンを走らせていた。
そしてそれは、数ヶ月後、空調機、冷蔵庫、ドライヤーと、新しい魔道具を買うたびに、繰り返すことになった。
それからさらに数ヶ月。
あまりにも斬新かつ前衛的なデザインに、わたくしは未だ満足のいく一品を描けていない。
でも、絶対に諦めないわ、理想の一品を描き出すまでは。
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