86 マリーの仕事部屋

「いってらっしゃいませ、お嬢様」

「ええ、ありがとう。行って来ます」


 玄関でメイドさんに、門で門番の兵士に見送られ、エマとアラベルを伴って、歩いてお屋敷を出る。


「お嬢様、本当に馬車を使いませんね」

「ええ、だってすぐそこだもの」


 護衛のアラベルとしては、馬車の方が私の安全を守りやすいのかも知れないけど。


 向かう先は門の向こう側。

 十分ほど歩いたところにある小さなお屋敷だ。

 小さいと言っても、二階建てで部屋も十室以上ある立派なお屋敷だけどね。


 そのお屋敷は昔、と言ってもお爺様や曾お爺様が当主をしていた時代らしいけど、当時、離れの屋敷のように使っていたんですって。

 でも今は誰も使っていないから、私のブルーローズ商会の本部と、魔道具開発の研究開発室として使っていいよって、お父様が準備してくれたの。

 これには大助かりよ。


 だから、頑張って大掃除しないとって気合いを入れたのだけど、誰も使っていなくてもお手入れはずっと欠かさずされていたみたい。

 お屋敷に傷んだところは全然なくて、庭も雑草で荒れ放題なんてこともなく花壇には綺麗な花が咲いていて、どの部屋も埃っぽくもカビ臭くもなくて、家具はそのまま置いてあったから即日使用可能だったわ。


 そんなお屋敷を六歳の娘にポンとくれちゃうなんて、お父様って本当に娘に甘くて親バカよね。


 なんて、最初は思っていたんだけど……。


 魔道具の開発や会議、商会の書類仕事や打ち合せなどなど、実務をするに当たって、本当にこのくらいの規模の部屋数と大きさが必要だったのよ。

 要は、お屋敷の見た目をした事実上の自社ビルだったわけね。


 つまり、お父様が単に甘いだけじゃなくて、それだけ私に期待してくれている証拠だったことに気付いたの。

 おかげでそれ以来、ほぼ毎日、離れのお屋敷通いをしているわ。

 気分としては会社に徒歩出勤ね。


 もっとも、最初の頃は『徒歩なんてとんでもない、馬車をお使い下さい』と言われたけど。

 でも、たったこれだけの距離にいちいち馬車を回して貰う手間を考えると、なんとなく頼みづらいじゃない?


「それに、自分の足で歩いて体力を付けたいのよ。ダンスも綺麗な所作も、デスクワークも馬や馬車に揺られて視察に行くのも、結局は体力勝負でしょう? しかも、馬術と剣術の稽古も始めたからには、体力がないとお話にならないじゃない?」


 やっぱり運動のためには歩かないと。


 だって貴族令嬢の運動らしい運動って、ダンスのレッスンくらいしかないのよ。

 馬術も剣術も嗜み程度で止めてしまったら、毎日部屋に籠もって本を読むか刺繍をするしかなくて、あっという間に運動不足になってしまうわ。


「さすがお嬢様。意識が高いですね。わたしも見習わなくては」

「もうアラベルったら。そんな大げさな話じゃないわよ」


 それに……種類こそ多くはないものの、さすが乙女ゲームの世界だけあってちゃんと美味しいスイーツがあるのよ?

 しかもお母様の手作りのお菓子は、どれもほっぺたが落ちそうなほど絶品なんだから。

 いざゲーム本編が始まった時、ゲームのパッケージの悪役令嬢がブクブク太っていたら締まらないじゃない。

 ましてやノエルヒロインを庇ったレオナードイケメンに拳銃を突きつけられて、『死ね! この白豚令嬢!』なんてののしられて撃たれたら、死んでも死にきれないわ。


 そんな他愛もない話をしていると、あっという間に離れのお屋敷に着く。

 歩いてきた私達が近づくのに合わせて、門番が門を開いてくれた。


「ご苦労様。いつもありがとう」

「はっ!」


 笑顔で声をかけると、恐縮したようにビシッと気を付けする門番達。

 毎日のことなんだから、もっとフランクに対応してくれてもいいのにね。


 門をくぐって敷地内に入れば、ふわりといい香りに包まれる。

 今日も花壇が綺麗だわ。


「お帰りなさいませ、お嬢様」


 玄関前にはここを管理してくれているメイドさんがすでに待機していて、深々と頭を下げた挨拶の後、ドアを開けてくれた。

 どっちのお屋敷でも『お帰りなさい』『いってらっしゃい』と言って貰えて、少し変な感じもするけど、ちょっぴりくすぐったいわね。


「皆様、すでに会議室にお揃いです」

「分かったわ。いつもありがとう」

「恐縮です、お嬢様」


 お礼を言ってお屋敷へと入ると、真っ直ぐ会議室へ。


 サイズが小さい分、母屋のお屋敷と比べると装飾や美術品は控え目で質素な印象を受けるけど、それでも元王家の公爵家のお屋敷だから、十二分に広くて豪華なのよ。

 特に会議室は客室を改装したものだから、内装は一際豪華なのよね。


 ちなみに、誰が最初に言い出したのか、この離れのお屋敷はいつの間にか『マリーの仕事部屋』と呼ばれるようになっていたわ。


「みんなお待たせ」


 会議室へ入ると、談笑していたみんながすぐに話を止めて立ち上がる。

 私が議長席になる椅子に座ると、みんなも続けて着席した。


 会議室に集まっているのは、アドバイザーのオーバン先生と、この開発チームのまとめ役のクロードさんを含む九人の魔道具師と職人達。


 そして今日はもう三人。

 ブルーローズ商会の副商会長で事実上商会長として取り仕切ってくれているエドモンさん、そのエドモンさんのお父さんで副商会長補佐のマチアスさん、そして経理担当のポールさんだ。


 この十三人が、私の魔道具製作と販売の中核メンバーで、頼りになる仲間ね。

 そして私の後ろには護衛としてアラベルが、部屋の隅にはエマが雑務担当で控える。


「それでは、定例の会議を始めましょう」


 私の宣言で会議が始まった。


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