36 商談成立

 サンテール会長が、口をパクパクさせながら、私の隣に座るお父様に目を向けた。

 お父様は『マリーはこういう娘なんだよ』と言わんばかりに、どこか遠い目をして達観したような顔で頷く。


 さらに説明を求めるように、サンテール会長が部屋の隅で控えているエマにも顔を向けた。

 エマはにっこり微笑んで、まるで『さすがお嬢様ですよね』と言わんばかりで、なんの説明にもなっていなさそう。


 このままでは話が進まないから、強引に続けさせて貰う。


「サンテール会長、どうかしら? 浮き輪とライフジャケットにコルクのひんしつはとわないわ。はざい端材の利用や、もし使い道が限られていてコストが安いようなら、ヴァージンコルクでもかまわないの。とにかく、安く、大量に、海軍、商船の船乗り達はもちろん、普通の漁師にだって手が届くかかくにおさえて、ふきゅうさせることを優先させたいわ。もちろん、べっと、貴族向けの高級モデルもあるとよりいいわね。数はほとんど出ないでしょうけど、平民をゆうせんして貴族をないがしろにしていると思われたら、商品のイメージが悪くなってしまうものね」


 たっぷりの沈黙の後、サンテール会長がようやく口を開く。


「……失礼ながら、マリエットローズ様、今、おいくつでしたでしょう?」

「五歳よ」

「ええ、そう、五歳でしたよね……五歳…………五歳……」


 五歳を口の中で何度も繰り返して、かなり動揺しているみたいね。


「それで、どうかしら?」

「え、ええ、それはもちろん、ご希望に添えるかと。本当に端材やヴァージンコルクを使ってよろしいのでしたら、かなり価格は抑えられるでしょう。お伺いする限り、品としてはどちらも単純な物ですから、難しい技術もいりません。さすがに貴族向けや海軍に納品する品を適当な物にするわけにはいきませんが、庶民の漁師に手が届く価格にするならば、安く請け負う下請け工房に出しても十分でしょう」

「じゃあ、それでおねがいするわ。浮き輪とライフジャケットの仕様書は、ここに用意してあるから、うけおってくれる工房と相談して、りべんせいの向上と、こきゃく層に合わせての商品のかいはつをよろしくね」


 まとめた仕様書を取り出して、サンテール会長に差し出す。

 受け取ってざっと目を通したサンテール会長が、困惑顔でお父様を見た。


「構わない。マリーの考え通りに事を進めてくれ。ああ、マリーのことは、貴族学院高等部を卒業後の成人した貴族と同程度の知識と見識、理解力があると考えてくれ。なんなら私以上と言っていい」

「お父様ったら、さすがにそれは言い過ぎです」

「私は、マリーに足りないのは経験だけだと思っているがね」

「もう、お父様ったら大げさなんだから」


 そりゃあ、前世の記憶と知識のおかげでこうして色々出来ているけど、この世界で生きてきた時間はたった五年。

 しかも前世の記憶が甦ってからまだ三年程しか経っていないから、知らない、分からないことの方が圧倒的に多いんだから。


 ましてや、他の貴族と貴族的なやり取りなんて、絶対に無理。

 いいように手玉に取られちゃうのが落ちよ。


「畏まりました。閣下がそのようにおっしゃるのでしたら、そのように心得ておきます」

「サンテール会長も、お父様の親バカ発言に、まともに取り合わなくていいですからね?」

「はっはっは」

「笑い事じゃないですよ、お父様ったら」


 家族だけの時ならまだしも、他の人の前であんまり親バカされたら恥ずかしいじゃない。


「マリエットローズ様、今一度、お伺いしてもよろしいでしょうか?」

「はい、いいですよ」

「何故、ここまでされるのでしょう?」

「えっと……それはどういう意味かしら?」


 サンテール会長、急に真剣な顔になって、何か不味い内容でもあったのかな?


「マリエットローズ様は、若干五歳でありながら、とても優れた知識と発想をお持ちとお見受けしました。公爵令嬢としての実績に繋がる大変に素晴らしい発明と思われます」


 そこで一度言葉を切ると、真意を見逃すまいとするように、五歳児に向けるにはあまりにも真剣な商人の目で、真っ直ぐに私の目を見つめてきた。


「ですが、お話を聞く限り、貴族より平民を優先させた商品開発のようです。何故そこまで平民のために?」


 何故って言われても……。


「救える命があるなら、救うでしょう?」

「……!」


 え? なんでそこで目を見開いて絶句するの?

 私、何かおかしいこと言った?


 だって貴族はそれこそ船旅でもしない限り、波が高い海になんてほぼ行かないもの。

 そんな船旅だって、一生のうち、何度あることか。

 ご夫人やご令嬢なら、一度もなくても不思議じゃない。


 だから海難事故に遭うのは、ほぼ平民だけ。

 だったら、無事に生きて帰れるように、平民を主眼に置いた商品開発をするのは当然だと思うけど。


「大変失礼いたしました。マリエットローズ様のお言葉に、心底感服致しました」

「え? え? え?」


 なんでそんな深々と頭を下げるの?


「どうだ、私の娘はすごいだろう?」

「いやはや、閣下の仰る通りです」

「ちょ、ちょっとお父様ったら」


 なんでそんな得意満面な顔をするの、意味が分からなくて恥ずかしいじゃない。


「サンテール会長、頭を上げて下さい。当たり前のことしか言ってないんですから、そんな感心されるようなこと、何もないですよ?」

「心からそう仰ることが出来るからこそ、です」


 あの……さっぱり意味が分からないんだけど……。


「いいじゃないかマリー。ガストンもやる気になってくれたようだ。きっと満足いく商品に仕上がるだろう」

「はい……」


 サンテール会長がやる気になってくれたのはありがたいけどね。

 しかも私をダシにして、お父様ったらさり気なくサンテール会長にプレッシャーをかけているし。

 期待していいと思う。


 ちょっと釈然としないけど、その後は、お父様とサンテール会長と話し合って、船の規模に応じた浮き輪の設置数の法令と、ライフジャケット着用に関する法令について話し合った。


 それと、最初のうちは、平民は効果の程がよく分からない物にそうそうお金は出さないだろうから、発売開始から一定期間は取り扱う商会や店に補助金を出して、割引価格で販売してお得感から購買意欲を刺激するようにお願いした。

 同時に、船乗りや漁師の命を守る商品なのだと、奥様方の噂話のネットワークに乗せて広め、旦那様に買うよう仕向けるための口コミ作戦についても。


「いい案です。さすがマリエットローズ様。勉強になります」


 なんて、商売のプロのサンテール会長に頭を下げられちゃって、思わず狼狽えちゃったわよ。


 でもこれで一人でも多くの命が助かるようになれば、大型船が完成して大西海の荒波に漕ぎ出すとき、少しでも安心して送り出せるようになる。

 これからも、思い付いたことがあったら遠慮なくやっていこう。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る