第12話 『天の章』

私は「無責任大王」になった。もう疲れ果てたのだ。借りていた賃貸までも放り出して弟に迷惑をかけた。この点は反省しているが、「あの頃の私」を今の私は責めることが出来ない。がむしゃらに働いて、職場や仕事に責任を負い続けていた。トラックの運転手は気楽に見えて、実はかなりのプレッシャーを感じているものだ。大手の「直営車」ならば運行管理も行き届いている昨今だが、当時の「下請け・孫請け」の労働環境は酷かった。「稼ぎは自分の裁量で」と言う不文律があり、走れば給料は上がるが、疲れが溜まって身体を壊しても自己責任。更に、当時私が居た会社は違法操業をしていた。私は正確にはそこの社員ではなく(所属はしているが)「緑ナンバーを付けたトラックを借りている」立場であった。大手の積み荷ターミナルに「白ナンバー」は入れない。緑ナンバー、つまり事業者ナンバーが必要なのだが、会社はこのナンバーを「違法と知りつつ」貸し出す。私はそのナンバーを借りて、毎月の「上がり」からナンバー代を会社に収める。見た目は「会社が給料を払っているように見える」のだが、実際は私が荷物を探して、積んで走って下ろして積んでの繰り返しの「輸送料」を会社が受け取り、そこからナンバー代を引いた額を私に支給する。当時の4トン車で、大体70万円以上の水揚げがあり、ナンバー代を払っても40万は手元に残った。今は大型トラック並みの手取りにはなっていた。ちょっと本気で走れば、100万は稼げた時代だ。無茶もやらされた。大阪ターミナルに送られ、そこで東京行きの荷物を積んで、24時間で2往復である。24時間で15万円以上を稼げたが、毎日やったら殺される。寝ないで走るのだから。


 非常に気楽であった。パチンコ店の業務は知り尽くしている。店や法人によって「ローカルルール」はあれど、ホールにいる店員のやる仕事は単純である。トラブル等で客が呼び出しボタンを押す。すると島の端にあるランプが赤く点灯する。サっと駆けつけてトラブル対応をする。大当たりした客のドル箱の上げ下ろし、清掃などである。私は新入社員なので、「台の鍵」を持たされていない。担当の先輩が必ずフォローしてくれる。とは言え、私が入社した時点では、駅前店なのに暇である。1コースに客が数人しかいない。今で言う「連荘機=確変機」にあたる爆裂台にはそこそこ客が付いているだけだ。勿論、この手の客は長くは続かない。ほとんどの客が1年と持たない。いつも見ていた顔が、ある日を境に見なくなる。とあるおばさん客は姿を消したあと、数か月後に牛丼屋のカウンター越しに再会した。借金返済のために、深夜の牛丼屋で働く姿に「悲哀」を感じたものだ。

 思えば凄い時代であった。今流行りの「CR機」は「P機」と名を変えたが本質は同じだ。当時はまだ「現金機」と呼ばれる、「現金を投入して玉を借りるパチンコ台」の方が多かった。「CR機」とは「Card Reader」の頭文字だ。客は先ずはカードを購入して、そのカードに入っている現金で打つ。この構図は今と全く同じなので、「P機」と呼んでも実態は「CR機」のままである。ただ、店舗ごとにハウスカードなどを用意したり、リターナブルカードを使うようになっただけだ、爆裂台が好きな客は徐々に「CR機」に移行していった時代。パチンコ店の周囲には消費者金融の「無人契約店舗」が並び、保険証や免許証で気軽に借金が出来た時代でもある。当然だが、借金をしてまで打つ客はある日突然”飛ぶ”ことになる。


私はその暇な店でせっせと働いた。暇なので突っ立ってると足が痛くなる。試してみるといい。「立ちっぱなしで歩かずに4時間」は本当に辛いものだ。これも2週間もすれば慣れてしまうものだが。


私は任されたコースをずっと歩き続けた。往復しながら客が捨てたカードや、飲料の缶や煙草の空き箱を集めては捨てていた。本当に「暇で足が痛くなるから」やっていただけだ。ところがこの「仕事への姿勢」が評価されてしまう。私は最初の1か月間は「遅番」で固定されていた。16:30に出勤して、朝礼を済ませたらそのまま食事休憩。30分後の17:00に早番と交代するわけだ。驚くことに、この店では勤務中に2回の休憩があった。10分休憩を交代で回すのだが、私が最初に入った法人では休憩時間は無かった。ソレはそれで社員が可哀そうなので、昇進した時に「休憩時間を設ける」ように社長に進言したが。

 もうこの仕事は天国に思えた。まず「屋内仕事」である。現場に出なくていい。そして休憩時間もある。煙草を吸えるのはこの時間だけだが、それはそれで構わないだろう。どうしても吸いたければトイレに隠れて吸えばいい。私のフォローをしてくれていたのは「詩織さん」と言う女子大生アルバイトで、かなりの美形であった。スレンダーな体形で、卒業後はすぐに結婚すると言っていた。そのくらい綺麗な人であった。遅番固定となっていたのは、早番は店そのものが暇なので人員がいないからであった。私のような「台鍵を持っていない新入り」をフォローする社員がいないと言うことだ。最初の勤務日のことである。閉店後は社員とアルバイトが店内清掃をする。今は「清掃要員」を募集している店もあるが、当時の県下ではそんな贅沢なことは出来なかったのだろう。のちに清掃専門スタッフを1人雇い入れたが、この人は真面目な人で助かった記憶がある。


 閉店後、詩織さんは私を呼んで「掃除のお手本」を見せてくれた。通常の床掃除は誰もが経験するとは思うが、「パチンコ台の清掃」は中々出来る経験では無いだろう。両手に雑巾を落ち、右手で台の上皿と下皿を拭きつつ、左手の雑巾で灰皿を拭き上げる。左手の雑巾は「灰皿専用」である。詩織さんは「こうやるの。やってみて?」と私に雑巾を渡す。馴染んだ清掃である。最初に入った法人では、役職ではあったが清掃には積極的に参加していた。平社員の間は当然である。私は手早く台清掃をこなし、「コレでいいですか?」と詩織さんに言ってみた。詩織さんは目を丸くして、取り敢えずは「ツッコミどころ」を探したようだが、清掃なら手抜かりは無い。「その調子でやってね」と言い残して去る後ろ姿は首を傾げていた。未経験だと思っていたのだろう。


 大体の状況説明は終わった。この店は甘っちょろかった。別法人で主任待遇であったのだから当たり前だが、それでも上司の仕事の甘さが目につく。


出勤時間と書いたが、当時の社員寮は店舗の2階と言うパターンが多かった。つまり「職住近接」である、いや密着である。休みの日は朝からどこかに逃げないと「○○が欠勤だからお前、出て来い」と言う人狩りが横行する。寮と言っても、早い話が下宿住まいである。玄関を入って靴を脱ぐ。そのまま廊下を進むと、各人の部屋のドアがある。そんな寮であり、それがまた当たり前な時代。社員食堂は機能していなかったので、食事の確保には閉口させられたが。遅番なら「弁当が支給」されるので問題は無いが、朝飯昼飯は自腹であり、仕事が終われば空腹を感じる。駅前店だったので、24時間営業のチェーン店やコンビニには事欠かなかったのが幸いであるが、懐が持たない。私は2万円だけを持ってこの店に就職したわけで、2万円程度は10日も持たない。コンビニで酒肴を買い求め、ビールを買うのだから当たり前である。あっという間に金欠になったので、渋々、班長に尋ねてみた。この班長は若い男で、私と同年代であった。当時の私が28歳なので、そのような若さと言うことだ。店長の子飼いであった。どこぞの法人から店長が引き抜いてきたらしいが、詳しい話は知らない。店長に可愛がられていたと言う記憶があるだけだ。班長はニヤニヤ笑いながら「安元君は仕方ないなー」と言いながら、その月に働いた分の半分、上限3万円までは前借り出来ると教えてくれた。そう言えば、当時のパチンコ店員は生活費が激安であった。終業後、必ず「100玉支給」と言うお小遣いを貰えた。玉で支給されるのだが、100玉と言えば400円換算である。パチンコ店の景品は様々だが、煙草は絶対に定価で交換である。今もそうだが、交換率が「等価ではない他県」でも、煙草だけは1発4円換算で交換しているはずだ。つまり、当時はまだ煙草が200円ほどであったので、毎日煙草を貰えて、休憩時間に飲む缶コーヒーも貰えた。この「100玉支給」は貯玉出来ないので、使い切った方がお得である。タバコを吸わない社員もいたが、煙草と交換して、喫煙者に売り飛ばしていた。ジュース代なら25玉で間に合うので使い切れないからである。そんな調子だから、飯代だけが問題であった。事務所に行って経理の「金子」と言う、完全にあっち系の業突張りババァに前借りを申し出る。ごみを見るような目で見られた。新入社員のくせに前借りとは片腹痛いわと言いたげである。いや、言われたが。「いくら欲しいの?」と言われたので「全ツッパだ。倍プッシュだ」と言いたかったが「上限でお願いします」と言うしか無かった。3万円貸してくれた。「次の給料から引くからね」と言われたが、それは当然であろう。私だって、貸したらさっさと回収する。

 気楽だなーと思った。食うに困らない、煙草は貰える。仕事は「上司から見れば真面目そのもの」であるが、私はヌルゲーだと思っていた。普通に働いていれば褒められる職場はそうそうは無いであろう。


 入社して1か月が過ぎた。台鍵を与えられ、早番勤務もするようになった。台のトラブルは慣れたモンである。前の法人では、台を分解してまで直していたのだから。そして、この店はあまりにも酷いと知った。「パチンコ屋さんごっこ」をしてるようなものである。店長クラスになればそれなりに心労はあるだろうが、班長どころか主任まで甘ちゃんである。そもそも、早番専門の主任とかあり得ないわけで。聞くに「病気をして疲労を溜め込めない」そうだ。だったら辞めて、牛丼屋で働けばいい。店長は怖い存在であったが、主任と班長は一人ずつしかいない店で、私は軽く目眩を覚えた。取り敢えずは「馬鹿に使われる我が身が悲しい」と言うことで、サッサと昇進しようと思った。私は「温い人生」を送るためにパチンコ店を選んだのに、また悪い癖が出た。


 ぬるい店なので、普通に働いていれば昇進も出来るだろうと甘く考えていた、その通りだったが、平社員時代に面白いことが沢山あったので、そんな思い出でも語ろう。当時の風俗営業(パチンコ店も雀荘もソープランドも風俗営業の形態違いである)は社会のセーフティネットとして機能していた。働ける気力や体力があれば、生活保護なんざ受けないのが当たり前である。イマドキは「プロカメラマンのくせに生活保護を受けている変な人」までいるが、当時はそんな認識ではない。働けるなら幸せなのである。そんなセーフティネットにやっと引っかかる層と言うのはまぁ色々と問題があった。軽い知的障害があるとか、マトモな職に就けない事情があるとか、早い話が「駄目な大人」ばかりである。私はその駄目な大人の代表格であった。家族に迷惑をかけて逃げてきたわけであるし、ぬるい人生を送りたい人であった。そんな「駄目な大人」の先輩社員に「森ちゃん」と言う人がいた。軽い知的障害があったが、一応は遅刻もせずに出勤してくるので重宝されていた。私は最初からずっと「森田先輩」とか「森田さん」と呼んでいたが、アルバイトにすら「森ちゃん」と呼ばれていた。そう言えば詩織さんは「アルバイトリーダー」であった。序列としては正社員の下であるが、実際は班長の次に偉いのである。主任は遅番には出てこない。私が「森田さん」と呼ぶたびに周囲は笑っていたが、コレは仁義であろう。先輩をつかまえて「ちゃん付け」は社会人として失格である。一応は仕事をしてるんだし。森ちゃんもなっ!

 でも本当に駄目な人であった。仕事が出来ないのである。教えた作業は出来るのだが、それは「単純作業限定」だったりすりのだ。ドル箱を拭いたり掃除をしたり。玉詰まりをした台を掌底でどつくとかである。ちょっとした故障は直せない。すぐに誰かを呼んでやってもらうだけである。この店にとっては都合の良い社員ではあった。「生意気を言う社員」は不要で、単に熟練した平社員が欲しいだけなのだ。森ちゃんは下の方の規格外であったが、掃除くらいはするので解雇はされなかった。むっちゃくちゃ「挙動不審」で、落ち着きのない態度と、小刻みに動く身体。でも私は森ちゃんが好きだった。男性社員だけどな。仕事が不得意な森ちゃんは、それでも一生懸命私に仕事を教えようとしてくれた。私は「そんなこと知ってるわ」等とは言わないで、「はい、分かりました」と答え続けた。相手は先輩である。


社員の間で「キャバクラ通い」が流行ったことがある。大都市圏は知らないが、私の勤務する街のキャバクラは安かった。40分セット料金で2千円である。焼酎は飲み放題で、お通しと言う名のピーナッツが出て来る。いつもピーナッツである。その店でお通し以外でピーナッツを注文すると、「ピーナッツちゃん」と言う源氏名のデブが指名で出てくるので注意が必要だ。パチンコ店店員である。「金離れ」が非常に良い上客であった。しかし私の方がうわ手であった。馴染みの嬢が出来ると、「セット料金の焼酎を飲め。フードは2品頼むからそれでいいだろ?あとフルーツ盛りは禁止だから」である。2時間ぐらい遊んで、支払いは1万円そこそこ。1セットで帰ることもあり、そんな時は5千円でお釣りである。馴染みの嬢がいない日はそんな感じで十分であろう。絶対にピーナッツは頼まない、絶対にだ。あと、メニューにある「とりあえず」も辞めて頂きたい。どこが始めたことなのか分からないが、店に入って「取り合えず中生ビール」と注文すると、ジョッキに入ったビールと共に「取り敢えず」と言う得体の知れない食い物が出て来る居酒屋がある。このような「騙し合い」は遊び心があれば楽しいが、「稼ぐための手段」になった時点でオワコン化するのである。キャバクラのBGMがうるさい時に、嬢にメモで見せた注文「生中」は、生で中で出していい?と言う意味だったので、ただ乗り出来たことは秘密にしておこう。


さて、軽度ではあるが知的障害がある森ちゃんである。私ら社員は誘わなかったが、店長が面白がって森ちゃんを連れてキャバクラに行ったのが発端である。店長は多少でも良心の呵責を抱えるべきであるが、のちの騒ぎまで面白がっていた鬼畜である。

 森ちゃんは騙されてしまったのだ。私は酒場の女に怨みもつらみも無いが、中には悪い女がいる。そんな女に当たってしまったのが森ちゃんの不幸である。森ちゃんはその足りない頭なりに考えていた。「世の中、金だ」と言うことを。当然だが森ちゃんは100%正しかった。お金だけが拠り所になるのだから。つまり、森ちゃんは遊ばなかった人なのだ。酒も煙草もやらない。寮の日の当たらない部屋でオナニー三昧の日々を過ごしていた。森ちゃんだって男だからねっ!給料の大部分を貯金していた。たまにゲーセンで遊ぶくらいであるから、貯金額がもの凄かった。パチンコ店の店員の収入は決して低くはないのだ。月収手取りで20万円。ボーナスは当然出る。景気の良い業界であったから、3か月分は出る(年間で)


そう言えば、平社員の場合、「基本給がべらぼうに安い」のは、あの業界の悪習であろうか?初任給の手取りこそ18万円とかの厚待遇だが、基本給は5~7万円である。10万円弱は「皆勤手当」で支給される。つまり、欠勤や遅刻をすると、給料が激減するのだ。森ちゃんは5年プレイヤーであった。年収240万円の5年分。それなりに使ったとしても1千万円は貯金があった。「宝くじの購入」が趣味で、年末ジャンボ宝くじを50~100枚は買っていたが、貯金額を考えれば高い遊びでもないだろう。そんな森ちゃんの貯金を狙う女狐がいた。当時は私も班長になっていたが。


「班長、相談があるんですけど」(挙動は相変わらず不審者)


 森ちゃんを騙しているキャバ嬢の手口はこうだ。「店外デート」に誘い出し、デート中に「ちょっと家電品を見に行きたい」と量販店に行く。そこで高額な家電品を「買うか買わないか悩む」ふりをして、森ちゃんに払わせる。森ちゃんは馬鹿だから簡単に騙される。そして段々と手口は大胆になり、「引っ越し費用」までたかられる。新居で使う家電品のスポンサーは森ちゃんである。


 これだけでも100万円以上であるのだが、そのキャバ嬢はとうとう「現金を引っ張る」作戦に出た。○○の支払いが足りないとか、車のローンがとか、理由をつけては森ちゃんから「借金」をするわけだ。勿論「返す気はナッシング」である。個人間「キャッシング」なのに、返す気はナッシングである。そもそも、この手の話では、かなり高度な心理戦と、若くて可愛い女の子さんとのセックスは不可避であるのだが、森ちゃんは馬鹿である。しかも挙動不審で「童貞」である。当然、「やらせろ」をオブラートに包んだ言い方は出来ないし、強引さもない。ただただお金を吸い上げられるだけである。最終的には500万円をだまし取られたわけで、ここでやっと森ちゃんは「騙されてるのかも?」と気づいた。遅いんだよ。で、森ちゃんの「相談」とは、その性悪キャバ嬢が「弟の学費で必要なの」と50万円を要求してきたと。森ちゃんも馬鹿なりに考えて、最近の「現金渡し」の時に「借用書」を書いてもらっていたらしい。


「班長、コレは返してもらえますよね?」


 システム手帳のリフィルに「蛍光ピンクのサインペン」で書かれていたのは、「20万円借りました。みどり」だけ。しかも「みどり」は源氏名である。100%返ってこないわけだ。私は森ちゃんに「これは返してもらえないよ。警察に言っても無駄だよ」と答えた。詐欺でもなければ「契約」でもない。民事で訴えても無駄状態。「返ってこない」と言う私の言葉に、森ちゃんは泣きそうな顔になった。しかし、ここで有利な情報がもたらされた。つまり、森ちゃんはまた、あのアテにならない借用書と引き換えに50万円を渡す気でいた。どう考えたって、挙動不審で軽度知的障害のある男をキャバ嬢がまともに相手にするとは思えない。確実にその50万円はだまし取られるはずだ。

 森ちゃんもそうなるかもしれないと考え、仕方なく私に相談してきたのだろう。

そう言えば、私は「班長」になってしまったので、平社員で能力の劣る森ちゃんを「さん付け」で呼び続けるのは無理があった、このデコスケ野郎っ!である。それでも親しみを込めて「森ちゃん」と呼んでいた。森ちゃんを馬鹿にしないのは私だけであった。森ちゃんは馬鹿だけど。

 借用書とも呼べないメモ書きは3枚あって、総額50万円ほど。借用書が存在しない現金の授受は更にあった。森ちゃんは銀行から下ろしては渡していたので、記録自体は残っている。本人は「渡した金なのか、店や店外デートで使った金なのか?」という記憶があやふやであったが、キャバ嬢絡みで300万円ほど預金が消えていたのは事実だ。とりあえず、このキャバ嬢を森ちゃんから切り離すべきであろう。私は人情に厚かったのだ。今はそんなことないが。


 森ちゃんも完全に舐められたものである。50万円と言う大金を渡す場所は「某ファミレスの駐車場」だそうだ。つまり、森ちゃんは「一緒にファミレスで飯を食うにも値しない男」だと認定されているのである。流石にムカっ腹が立った。もうその場で詰めてやるべきであろう。基本、私は遅番の班長なので、昼間は暇である。立ち会うことにした。本当に腹の立つキャバ嬢で、堂々と遅刻してくる。金を「借りる」立場なら、先に待っていて当然だが、そうは考えないらしい。遅刻してくるのはいつものことだと語る森ちゃんは馬鹿だ。で、本人登場である。森ちゃんから金を引っ張っているのだから、相当いい車に乗っているのかと思ったら、古びた中古車っぽい赤い軽自動車。こりゃ、相当貯めこんでるなと判断した。好都合である。

 森ちゃんを発見すると、クラクションを鳴らして窓から手招き。私だったらこの時点で犯すことを決意している。森ちゃんは走っていった。お前は犬か?


さて、借用書を書かせている間に私が接近する。また蛍光ピンクのサインペンが見えた。あとは簡単だった。


「君、うちの森田君から金を借りてるんだって?」

「誰、誰ですかあなた?」

「森田の上司」

「何か用ですか。私は森田さんからその・・・好意で」

「うん、お金を”借りて”いるんだよね?」

「そうですけど」

「あのな?この借用書を書き直してもらえるか?」

「・・・」


 流石に分が悪いと判断したのだろう。黙り込んだが、ここからの悪あがきが見ものであった。地方の飲み屋街なんぞは、背後にヤクザがいることが多い。所謂「ケツ持ち」ってやつだ。女の子を使うキャバクラなら、100%ヤクザが背後にいる。一切表には出てこない。普段はヤクザのフロント企業(と言うか会社)とキャバクラ店が契約している程度だ。貸しおしぼりとか、花屋みたいな会社である。当然だが「ケツ持ちしてます」なんて言わないし、そんな事実はない。ただ単に、「店の者と知り合いのイカツイお兄さん」が、揉め事があると登場するだけだ。暴対法で厳しくなって、「みかじめ料」とか「ケツ持ち」なんてことは出来なくなった。しかし、みどりは馬鹿だった。お似合いだなー。


「そんなことする必要があるのっ!」である。借用書の書き直しには応じないようだ。仕方ないので、「借りた金は返せよ。この借用書じゃ無効なのでな」と詰める。


「あんた、何の権利があってそんなことを言えるわけぇ?」

「部下が困っていれば助ける。それがうちの店のルールだから」

「あんた、痛い目に遭いたいの?こっちにはヤクザがついてるんだから、さっさと消えて」


このような会話があり、そのあとは簡単であった。ヤクザの「ヤの字」だけでも出したら暴対法事案。当然だが、このキャバ嬢の発言で、「ケツ持ち」のヤクザは何人か検挙されるだろう。バックに暴力団がいると言い切ったわけだから当たり前である。

 という話を丁寧にしてあげた。徐々に追い込まれるキャバ嬢。逃げられないように「今逃げたら警察に駆け込むから」と念を押す。ヤクザ、哀れである。

「なあ、あなたがうちの森田から取った金全部とは言ってないんだ。この借用書の分だけでいいから返せと言ってる。書き直してくれるよな?」


「・・・どう書けばいいのよ?」

「一金50万円、森田某からお借りしました。あと、免許証を出せ。コピーを取る。借用書にも免許証と同じ住所を書いて、本名を書いてもらう。返済期限は1週間後だ」

「なんで免許証まで出さないといけないの?ちゃんと返せば文句はないでしょっ!」

「信用してない。だからあなたを特定する証明が欲しいんだ。悪用なんざしない。金を返せばソレで終わりだ」

「・・・」

「ごねて逃げてもいいぞ。ただな、大人の本気を舐めない方がいいぞ」

「どういうことよ?」

「森田はな、家電品を買う時も引っ越し費用を貸す時も、その都度銀行口座から下ろしてるんだ。総額で500万円近いな」(ハッタリである)

「それは貰ったのっ!」

「そんなことはどうでもいいんだ。この500万円の債権を50万で”回収専門会社”に売ることも出来る。やってみるか?」

「返すわよ・・・」

「いつ?」

「・・・」

「期限は1週間だが、今日でも明日でもいいぞ。幸い、俺は今日は休みだから、付き添ってやってもいい」

 全額は無理だったが、50万円を渡さずに済んで、さらに50万円を回収できた。アマチュアではこれが限界であろう。みどりは翌日、50万円を持ってきた。


「班長、みどりさんに酷いことしちゃったかな?」


森ちゃんは馬鹿だ。


「班長にするお礼は10万円でいいですか?」

「馬鹿、そんなもん要らねーよ。あ、でもビール1ケースくらいはくれ」

 森ちゃんの不幸の連鎖は止まらなかった。


ここで同僚の岡田に登場願おう。この男は事情があってパチンコ店にしか就職が出来なかったクチだ。住む所もないので寮に入っていた。そろそろ店にも馴染んできて、台鍵を持たせることも出来た。台鍵さえ持たせることが出来れば、早番でも遅番でも使える。非常にナイスガイで、この男のお陰で、私はピンクサロン通いを憶えた。若くて割と可愛い子がフェラチオしてくれて、驚くことに口内発射できる店があったのだ。岡田との「はぢめてのピンサロ」は散々であったが。一緒に酒を飲んだ帰りのことだ。「班長、1発抜いていきます?」ときたもんだ。当然、夜の繁華街で抜く「1発」とは、性的な意味の「1発」であるが、そんな店に行くお金はない。


「班長、ピンサロを知らないんですか?」すまぬ、知らぬのだ。主に箱ヘルとソープばかり利用しているものでな。

「6千円ですよ?」私はこの時、岡田が「神」に見えた。6千円で?しかもデジカメとプリンターまでついてその価格ですか?

のちに「ジャパ〇ット岡田」と呼ばれる事件である(呼ばれていない

岡田が見繕った店に入り、入り口の金髪にーちゃんに6千円を渡す。すぐに席に案内された。すぐに「女の子が来ますので」と、店の金髪に-ちゃんは、冷たいウーロン茶が入ったグラスを置いて消えていった。

 女の子が来ると聞こえたんだが、数分後に私のズボンとパンツを脱がせた人は「おばさん」であった。しかも不細工で香水の匂いが強烈で、私の股間のぼーいじょーじは萎えてしまった。期待とともに膨らませていたのに・・・

 私はそれでも発射した。男の子だからね、当たり前だね。店の外で岡田と待ち合わせていた。私は岡田に抗議したが、岡田の「俺んとこは母ちゃんみたいなのが来た」の言葉で、赦す気になった。そんな岡田であるが、私とは仲が良かった。仕事は真面目だったし、冗談の分かる男だったのだ。早番で岡田とともに働く。早番専門の「いうことを聞かない女性アルバイト」がいて、こいつ等は遅番との交代前の10分間はホールにいない。トイレで化粧直しをして煙草を吸っている。私が早番担当ならば、さっさと解雇する態度の悪さであったが、早番専門主任は「誰かがホールにいればいい。新入りに教育するのは面倒だ」と言う主義であったので、どうにもならなかった。岡田は真面目なので、私と一緒に店内掃除に精を出すことにした。違う「精」なら、お母さんの口の中に出した岡田である。当時は、「灰皿清掃」にはデカい掃除機を使っていた。客が少ない閑古鳥状態のときは、小さな玉箱と金属ブラシで、台ごとに掃除したが。その掃除機を使った後は、店外にある水道栓でフィルターを洗い、集めた吸殻を絞ってごみ袋に入れるのだが、そんな私たちの横を、集団下校だろうか、女子高生の群れが歩いていく・・・ものすごく可憐でかわいく見える。


「なあ岡田?」

「なんすか?」

「あの女子高生全員にまんこがあるんだよな」

「おっぱいもありますぜ?」

「こっちは男二人でちんこが2本余ってるのにな」

「神様は不公平なんすよ」


 その岡田が逃亡したのは、入社後3ケ月のことである。しかも、森ちゃんの部屋に忍び込み、現金30万円を盗んで逃げた。これはもう、森ちゃんの過失もある。寮のドアの鍵は簡単にこじ開けることが可能なのだ。そんな部屋に30万円も置いておくとか、不用心にもほどがある。しかし、盗難ではあるので、被害届を出させた。おざなりな捜査をして警察は帰っていった。森ちゃんは意気消沈である。みどりに貢ぎ、その思い出を忘れかけて前向きに貯金を再開しようという時に、今度は30万円の盗難である。事実上「鍵のない寮」ではなく、役職者用の寮に入りたいとまで言い出した。私が入っている寮のことである。班長以上なら、会社所有のワンルームマンションに入ることが出来る。日当たりが悪く、店の真裏であるが、一応はマンションである。しかし、森ちゃんは万年平社員確定なので、当然だが入れるわけがない。仕方ないので、森ちゃんの部屋だけ、ガッチリとした鍵を付けてあげた。もう安心だね、森ちゃん。なお、スペアキーは事務所保管である。人員が足りない時に迎えに行って、居留守を使う社員(私とか)がいるので、鍵を開けて突入する都合がある。


 パチンコ店の店員に「人権」はあまり無いのだ。もう平気で休日出勤させる。代休は貰えるが、その代休日にまた「出てこい」と言われることもある。


ふと思い出したのだが、祥子のパパの会社には、「ゆうちゃん」と言うこれまた知的障害がある先輩社員がいた。仕事はするし、市のごみ収集のルートは憶えているので、非常に助けられた。なお「祐二さん」と呼んでいたら笑われたのも森ちゃんと同じ構図である。仕事を真面目にする人を馬鹿にする風潮は改めた方がいいと思う。どうしても「使えない馬鹿」は解雇されるんだし、ある意味、森ちゃんとかゆうちゃんは馬鹿の中でも「エリート層」なのだから。

 そのゆうちゃんは「有給休暇」を一切取らなかった。真面目なのである。そして、これは違法なのだが、「使いきれなかった有給休暇は1日あたり会社が1万円で買い取る」と言う裏ルールがあった。私はもちろん、有給休暇を使い切るスタイルだったので、無縁の裏ルールであったが、ゆうちゃんは定年になれば退職金+有給休暇数百日分を受け取れるのだ。


私があの会社にいた頃ですでに300日分はあった。みな、「世の中金だ」と言う真理に気づくようである。


 私は主に遅番固定であった。主任が「早番専門」と言う甘えた勤務をしているので、遅番の責任者は班長の私であった。平社員なら、大体1週間交代で早番遅番をこなす。早番から遅番、遅番から早番になる時は「公休日」を挟むので、割と楽ではある。私の場合は、主任の公休日だけ早番となるので、朝起きるのが大変であった。それでも前の法人では「準二部」と言う、朝から晩まで拘束される勤務だったのでヌルゲーではあったが。

 遅番の方が忙しく人員も多くいるので、私の権限は主任と同格になっていった。と言うか、主任が働かないから。


私が「班長になった経緯」はかなり悲惨であった。


私がパチンコ店勤務をしていた時代はまだ「現金機」が主流であった。目端の利くホールは次々と「CR機」を導入していたが、私の勤務する店と言うか法人は「現金機」ばかり入れ替えで入れていた。まだそれで商売が出来る時代だったのだ。最終的には「現金機の連荘は違法プログラム」と言うことで撤去されていったが・・・

 正しくは「違法」と言うよりも「自主検査で不適合」とされたといった方が正しい。これは「利権」でCR機の導入を進めたい偉い人の都合のみで進んだ話で、それが証拠に、「違法連荘機」が可愛いほどに、CR機はパチンコ依存の客を生み続けた。若い女性がそんなCR機に依存しているのを見るたびに、私の股間の連荘棒に依存すればいいのに・・・そう思った。


様々な規制や内規の変更でパチンコ台の「仕様」も変わっていったが、ホール業務では店員のやることに変わりはない。店員にも「階層」があり、熟練アルバイトは平の店員と同じ階層で、触れるのは「パチンコ・スロット台」のみである。そうは言っても、台のトラブル対応では技量が問われることも多い。その場で修理するか、交換するか?このあたりの判断が出来るのはほぼ熟練社員となる。交換自体が限りなく違法に近いのだが、そこは阿吽の呼吸である。台の稼働を止めるのは最後の手段であるのだから、警察もそこまでうるさくは言わない。厳密にいえば、営業中に台のガラスを開けたり、台の裏側をのぞき込むことすら違法だ。平社員はどこまで熟練しても、触れるのは「台」だけである。台からは配線が伸びていて、その配線はホールコンピューター、通称「ホルコン」にデータを送っている。可愛い女の子さんのアナルを掘って結婚する、通称「掘る婚」とは別の話だ。この配線には触れない。また、現金機は「現金で玉を借りる」わけだから、その玉貸し機(通称・サンド)にも触れない。ホールで現金に触れるのは班長以上の役職者だけである。故に班長以上の役職者になると、台だけではなく、店舗の「システム」の知識も必要となる。当時の古いシステムでも、客が何発打ち込んで、何発出したかというデータはリアルタイム監視されていた。このシステムが故障するから困るのだが・・・

 今は更に細かいデータを監視している。おおよその話は聞いたことがあるが、そんな面倒な仕事はご免だと思った。

 さて、私は入社して1か月間は鍵を持たず、雑用係に徹していた。雑用もあまり無いので、自分で探してはせっせとこなしていた。普段は誰も気にしない部分の清掃とか、客への「笑顔」(プライスレス)が主な仕事だ。そんな私の「当たり前の仕事」が上司に評価され始めた。直接の上司は「班長」となるが、アルバイトリーダーの詩織さんも大事なご主人様であった。いや、班長は同年代の男なので、詩織さんにだけ尽くしていたかった。しかし、鍵を持たされてからはその班長の♂が私のフォローに回るようになった。非常に面白くない。休憩時間もその♂と一緒だ。もう詩織さんとだべる10分休憩は銀河系のかなたにまで遠ざかってしまった。♂は生意気な男で、新入社員の私にあれこれ命令する。ホールでは「絶対権限者」なのだ。普通の会社で言えば、大体「副課長とか課長クラス」の役職が「班長」なのだが、その店では主任が遅番をしないので、班長がホールを統括していた上に、「店長の子飼い」である。つまり贔屓されていたのだ。既に名字さえ忘れてしまったので、ここでは♂と書くが、没個性の「偉ぶりたい男」であった。どこにでもいるタイプである。上意下達が得意技なので、当たり前のように朝令暮改も炸裂させる。役職者として「軸がブレている」わけだ。上にはウケがいいだろうが、部下にとっては迷惑そのものであった。ある日、私が勤務中に具合が悪くなった。「安本君、そんな時は根性だよ」と言うので、多少の侮蔑を込めて「そうですね、根性があればガンだって治りますもんね」と答えて、休憩時間をもぎ取った。勤務中に2時間は休憩室で苦しんだが、どうにか持ち直した。ただの風邪であった。


 こんな♂の下で働くのも面白くないので、もう並んじゃおうと思った。班長になれば、少なくともこの♂と同じ勤務帯にはならない。早番遅番に振り分けられる。主任が働かないからである。しかし、甘くはなかった。私の頑張りは評価されたのだが、一向に昇進の話が出ない。もうこの店に入って3か月である。聞いた話では班長になるまで1年とかいう店もあるようだが、そんなことは知ったことでは無い。♂よりも真面目にやっているのにと考えた。そして辞令が出ると内々の打診があった。ここで何が憎たらしいかって、「♂は店長の子飼いだから、入ってきたばかりの安元を同格に並べるのは可哀そうだ。安元は「副」班長でいいな」と、店長直々のご意見で、私は副班長と言う、私のために新設された役職に就くことになりそうだった。


 実は店長も馬鹿で。いやもう店長主任班長が、揃いも揃って馬鹿である。思いっきり悪し様に書いているが、子飼いを贔屓して、新しい班長の意欲を削ぐとか、仕事をしない主任とか。挙句、店長を裏切って、班長が辞めてしまった。「子飼いから見限られた男」が店長である。結構長い付き合いだったようで、それなりに贔屓されて楽をしていても、あの馬鹿店長にはついていけないと判断したんだろう。この点ではその♂を褒めてやってもいい。さぁ困ったぞ。何せ、内々の打診では「副班長」とすると言い放ったのだ。そして可愛がっていた班長が逃亡。どのような辞令が出るか楽しみであった。辞令は「給与締め日の翌日」に出る慣例があった。その日は早めに出社するように言われていた。辞令が出るのは確実である。タイムカードの打刻機の横に社長の署名入りで貼りだされた辞令は。


「安元を【班長】に命ずる」とあった。


事務所に呼ばれて、出向くと「おめでとう」と満面の笑みで店長に迎えられた。

「こうがんむち」とはこの男のことを言うのだろう。そう、「睾丸を鞭打たれても平気なさま」を表す四字熟語である。

 シンプルに「しね」と思ったが、とりあえずは遅番での最高責任者にはなれた。主任が遅番で出てこないからだ。そして罠にハメられる。班長ともなると、持たされる鍵がかなりの重責を伴う。現金機主流の店なので、両替機の鍵。両替金は店内で循環させるので、客がサンドに投入した現金は島の端に設置された「島金庫」に集まる。ここで100円玉と500円玉に選別され、100円玉はまた「お釣り」としてサンドに戻されていく。500円玉は島金庫に停留する。両替機は「客の投資を促進させるため」に500円玉しか出てこない。両替機の500円玉が不足するとエラーが出て、鍵を持った役職者が島金庫から500円玉を回収して補充する。


何か難しいことを書いているだろうか?


早い話が、店が準備している「両替金」は無限ではないのだ。使われた硬貨を回収して循環させているだけである。紙幣も同じで、万券を両替して千円札にする。客はその千円札をサンドに投入して遊ぶ。両替機に千円札が無くなれば島金庫から回収して補充するという単純な話だ。


知識があればな。


配慮はあった。私が班長に任命されてから数週間は、両替金は増額されていた。もう25年ほど前の話だが、両替金は400万円だった。ソレを600万円ほどにしてあった。勿論、私が慣れるまではお金に触らないで済むようにと言うことだ。パチンコ店で「現金に触る仕事」ほど嫌なものはない。不足金でも出れば真っ先に疑われるのだから。


班長になりました。明日からはポロシャツの色が変わります。鍵もたくさん持たされました。


 その日のことである。

班長になった日にである。店長と、他店店長と「主任」(早番馬鹿)までが、「ちょっと他店調査に行ってくるから」と言って、駅の反対側のパチンコ店街に遊びに行ってしまった。「安元、大丈夫だよ~」とほざいて、遊びに行く馬鹿店長。「両替金は俺がしっかりやっといたから、3時間ぐらいは平気だよな」とは早番馬鹿の言葉。どうするんだよ、何かあったら対応不可だぞ。確かに私には「知識」はあった。前の法人では主任待遇であったが、そんな話をした覚えはない。履歴書には書いたので、問い合わせはしたであろうが、それだけである。パチンコ店の「システム」は無茶苦茶で、店舗ごとに「個性」がある。「個性」と言えば聞こえがいいが、採用されているシステムに整合性は無いのだ。両替機はS社製で、サンドはD社製。島金庫はB社製を改造したものとか普通である。玉の補給だって複数の会社の合体品であったりする(あなたと合体したい)


私が最初に勤めた店は、法人が身売りに出して経営母体が変わった。その新しい法人の店の設定師と懇意にしていたが(不正はない)某ピエロの台を導入するために、メダルの補給システムを抱き合わせで買わされたそうだ。こんな調子だから、あちこちのメーカーのシステムが混在するのだ。つまり、私はまだこの店のシステムを知らないのだ。これでトラブルでも起きたらお手上げである。幸い、この日は両替機の硬貨切れがあっただけで、店長が帰ってきたが酒臭い。事務所の業突張りババァの金子の命令で、「定時に紙幣の回収」をやらされただけで閉店を迎えた。営業時間も終わりに近づくと、余計な金はホールに置いておいたりしない。サッサと「余分」は回収して、閉店後の計算を楽にするのだ。これも怖い作業で。

 負けて殺気立ってる客の前を、ドル箱に詰め込んだ紙幣を持って歩くのだ。入り口付近を歩くときはいつだって肝が冷えた。現に、駅の反対側ではこの手の作業をしていた役職者が客にハンマーで殴り倒される事件があったのだから。監視カメラにばっちり映っているので、すぐに逮捕されたが、その役職者は入院してしまったようだ。命があってよかった事案である。

 そしてこの店は後進を育てる気がない。「よく働く平社員」が欲しいだけの店で、私は昇進したのだから、誰も私に「この店の中身」を教える気はない。かなり悲惨である。先ずもって、同じ時間帯に役職者の先輩がいない。早番馬鹿がいるだけで、私は遅番固定である。店長も分かってるんだか無いんだか、トラブル対応に出てきて、首を捻っている。こう言う時は秘技「丸ごと交換」が出る。全部交換すれば直る。ソレは当たり前だが、そうやって交換した「故障品」がバックヤードに溜まっていく。コレを直すのが私の仕事でもあるが、触ったこともないメーカーの物ばかりで眩暈がする。店そのものが「フランケンシュタインの怪物」状態なので、整備マニュアルもない。あるわけがない。そして、古参の役職者は何も残さずに辞めていくのだ。早番馬鹿は「俺が直した」と言うが、「どうやって直したか?」を語らない。最初から最後までこの調子であった。もう実地で勝手に憶えるしかない。幸い、過去の経験で「パチンコ台」の修理は出来るので、平社員の前での面目は保てた。

 そんな修羅場の中での「憩い」と言えば、可愛いアルバイトさんである。アルバイトは主に遅番で入ってくるので、私の直属の部下となる。私は「鬼っ子扱い」で、狭い事務所に私の居場所はない。ホールの壁際にあるドアを開けると、両サイドに「ウナギの寝床」のようなスペースがある。右半分は倉庫と従業員の休憩所で、左半分も倉庫なのだが、その倉庫の端っこに私の机があった。外飼いの犬のような扱いである。その机で私はポチポチとワープロのキーを叩いていた。当然だが早出してきてやるのである。掲示物とか、企画案を作っては提出していた。そんな私を社員たちが呼ぶ。


「はんちょー、朝礼のじかんーっ!」


私はウナギの寝床を縦断して、朝礼を行う。申し送りをする程度だ。そして、私はデスクワークを放り出してホール業務に勤しむこととなる。かなり腹が立つ扱いだったので、せめてもの慰めとして、一番可愛いアルバイトの女子大生と一緒に休憩することにしていた。詩織さんはとっくに辞めていた。この女子大生がかなり可愛くて、しかもおっぱいが大きくて身長が低い。私の好み(性的な意味で)にジャストミートである。しかもパチンコ店でアルバイトするような子である、屈託がないのだ。そりゃもう可愛がった・・・わけがない。贔屓はしない。きちんとローテーションで「嫌な業務」もやらせる。トイレ掃除とか、ごみの回収とか、様々な業務をローテーションでやらせるのも私の仕事である。休憩時間を回すのも私の仕事なので、その可愛い女子大生は偶然、私と同じ時間に休憩に入るだけだ。のちに新入社員として入ってきた「カウンター嬢」(アラサー・ちょいブサ)が私に惚れたようで、可愛いアルバイトは軒並みいじめられるようになったが、まあ好きにやってろ。


あと、この可愛い女子大生の匂いを嗅ぐのも楽しみだった。すごくいい匂いがするのだ。しかも匂いが「濃い」からたまらない。本当に「ん?5分前ぐらいに波多野がここにいたか?」と聞いちゃうレベルで濃くていい匂いがする。私は業務中に疲れてくると、波多野の後ろに立って、思う存分勃っていたものだ。おっぱい揉みたい。身長が低いので、頭皮の匂いも嗅いだ。たまに臭かった。基本的には仕事を教えるふりをして、乳付近に顔を近づけたものだが、一切悟られていなかった。「私、班長のこと好きなんだよねー」(仕事仲間として)と言っていたので大丈夫だろう。


 まだこの店が楽園だった頃の話をしよう。班長になって半年。私は馬鹿店(てんちょ)から「お使い」に行かされた。ちょっと離れた場所にあるレンタルビデオ店。そこで電影少じ・・・とあるものを受け取れと言う。まさか、これが噂に聞く「ヤクの密売?」なんてことは無く、携帯電話を受け取って来いと。私は長距離トラック時代に携帯電話を使い始めたので、かなり早い方だと思う。その頃の携帯電話はごっつくて、バッテリーの「Lパック」での待ち受け時間が24時間と言う代物であった。「待ち受け時間」が24時間。つまり、電源を入れたまま放置すると、24時間で勝手に死ぬのだ。ノーマルバッテリーでは12時間しか持たない。そんなわけで、通話料も高いし、会社との約束で「18:00~20:00の間だけ電源を入れて連絡待ち」をしていた。そんな事情があったので、そのレンタルビデオ店で「愛」と言う名のビデオを借r・・・携帯電話を受け取った時に、最初に渡された箱はバッテリーか充電器だと思った。ソレが本体であった。びっくりした。更に、待ち受け時間が1週間っ!ジャパネットた〇たもびっくりであろう。私はその携帯電話が入ったドコかの紙袋を、山賊や強盗に奪われないように胸に抱えて店に帰った。事務所で馬鹿店に「貰ってきました」と差し出すと、「お前のだ。電源を切るなよ?」ああ、そうか。何かあったら呼び出すからって意味だな。紐付きになったわけだ。


楽園終了である。

 まだ私が「楽園」の住人だった頃の話。店に携帯電話を持たされるまでは本当に「楽園」であったのだ。仕事さえこなしていれば、少なくとも半日は自由であったし、休日を満喫で来たのだから。給与もかなり上がることになった。手当3万円もデカいが、早出残業が付くので、平社員だった頃に比べれば経済的な余裕も生まれた。男が経済的余裕を手にすれば、酒か博打か女に使うものだ。森ちゃんのように「貯金通帳の残高を見てニヤつく」と言う男も少数ながら存在するが、悲しいかな、女性が望む「恋人の貯金額」を満たす男は、遊びも知らないチー牛であったりするのだ。そこそこに遊び、そこそこに貯金する男の口座残高は2桁である。私は酒に溺れるタチではなく、美味しく飲める範囲で楽しんでいた。店の近所にある炉端焼きの居酒屋にボトルを入れて、一晩3千円ほどで飲む程度。博打も、雀荘時代で懲りた(懲りていない)ので、せいぜい、他店調査と称してパチンコを打つ程度。勝ったり負けたりで、月の収支はマイナス4~5万円である。当時の稼ぎからすれば大きな額ではなかった。

 私はあの「逃亡した岡田」に触発され、ピンクサロン通いを始めていた。これがまた金のかからない遊びで、休日の昼間に行けば5千円で遊べる。5千円で射精できるのだ。可愛い女の子さんの口内に。岡田と行った店は避けた。私だって「お母さん」に咥えてもらうのは嫌なのである。駅前にあるちょっとした風俗街に4店舗ほどピンクサロンがあり、その中の1店がかなりハイレベルな女の子を使っていた。何よりも若いのがいい。目当ての子が出勤している日を狙い、予約を入れる。大体は3時間待ちである。出勤時間前に予約枠が埋まるような子ばかり狙っていたので当然である。故に、休日は「予約時間まで時間つぶし」をして、店で40分ほどを過ごすことになり、サービスを受けて店を出れば夕刻である。馴染の炉端焼きの店に行けば、常連たちと会話が弾んで、いい気分で飲んで帰る。これが私の休日であったが、ピンクサロンにはかなりヤバい子もいた。既に時効であるし、もう生きてはいないだろうから書くことにする。そう言えば、私と何かしらの関係を持った人たちで「今も元気にやってるだろう」と思える人は非常に少ない。長生きが出来ないタイプばかりであった。ピンサロ嬢で、危ないお薬をやってるなんて場合は、それこそアラフォーになる前に死んでいてもおかしくはない。そして、私はそんなピンサロ嬢に責任を負う義務もない。客と嬢という関係だっただけだ。たまさか付き合うことになった嬢もいたが、1年と持たずに別れることになった。


「みどり」と言う嬢がいた。この子とは店で会うだけであったが、かなり可愛いレベル。嫁にしても後悔は無い程度の美貌を備えていて、おっぱいも装備している。私は「ちっぱい」が好きだが、これはある意味「保険」なのである。ちっぱいさんは微乳で美乳というパターンが多い。しかし巨乳さんはどこかしら欠点を持つものだ。私は「垂れた乳」が好きではない。「デカくて黒い乳首」には萎える。「乳輪大納言」ともなれば、乳輪がシングルCDである、勘弁してほしいものである。みどりは巨乳で美乳と言う神の祝福を受けた稀有な嬢であった。可愛い子ともなれば、ちょっと触りあって、あとは咥えつつ手コキを駆使するだけで「不動の人気」を築けるものだが、緑は違った。お薬の影響もあったのだろうが、とことんエロいのだ。


私はどんな風俗店でも、初めてあった嬢を最初の5分間で笑わせることにしている。トーク力を問われるわけだが、意外とイケるのである。笑わせることが出来ればしめたものである。サービスがおざなりになることは少ない。当然、みどりも最初の5分間で笑わせることに成功していたが性交は出来ない。ピンサロ店であるから仕方がない・・・みどりはコソっと挿入させてくれたが、フィニッシュはお口であった。お気に入り嬢になったので、私は次からはずっと指名をしていたので、もう席について顔を見た瞬間から、みどりのスイッチが入るようになった。私は「パイずり」はあまり好きではないのだが。みどりのパイずりは絶品であった。狭いボックスシートの中で、アクロバティックな体勢から繰り出されるパイずり。無茶苦茶気持ちいいのである。体勢的に私に見えるのはみどりの後頭部だけなのだが、私の股間のハムスターはどんなことをされているのかわからない。しかし、「今そこにある乳」である。挟まっているのである。そして私は寂しがり屋なので、みどりの後頭部を眺めているだけでは、ウサギさんのように孤独死しそうであるが、察したみどりはたまに顔を上げてキスをしたり、股間を触らせてくれる。顔を見てすぐプレイ開始。ぎりぎりの時間まで嫐られて、場内放送の「みどりさんサービス終了」の合図で、一気に逝かせてくれる。不発で終わったことは無い。しかし、いつもとろんとした目つきであったみどりは半年ほどで退店してしまった。長く続く子ではないとは思っていたので、ダメージを受けることもなく、次のお気に入り嬢を物色し始めたのは言うまでもない。

 会話が弾んでも「店外デート」に誘うのはご法度である。そんなことをすると、かなりの「罰金」を取られる羽目になるのだ。更に、嬢によっては「誘われて困る」と店に密告したりするので、本当に店外デートへのハードルは高い。これは簡単な方法で「罰金回避」が可能であった。早い話が、「客が誘うからアウト」なだけで、嬢から誘ってくるならセーフである。あとは持ち前のトーク力で「外で遊びたいけどさ、誘えないよね。でも萌ちゃんが俺を誘うならセーフじゃないかな?」と言うような話を、指名し続ける中でそれとなく伝えるのだ。コレで、私のことが嫌いじゃなくて、それなりに「楽しい人」だと思ってくれているのなら、1割くらいは引っかかる。そんな調子で2回ほど、ピンサロ嬢と店外デートで遊んでいた。親密になるにしたがって、性行為よりも「友情」が芽生えてしまうが、それはそれで楽しいものだ。相手は「お気に入り嬢」であるから、若くて可愛いのは当然。デートも楽しいこと請け合いだ。1人とはいわゆる「恋人」と言う仲になったが、4~5回ほどホテルで寝た程度で、ある日を境に消えてしまった。


 ストーカーもいた。ピンサロ嬢でもキャバ嬢でもいいが、「良い客を繋ぎとめる」ためにイロコイと言うテクニックを使う。「色恋」と言う意味で、つまりは「疑似的な恋愛関係」を作る。しかし店外デートには応じない。そう言うことを知らないお坊ちゃんが暴走するのだ。「あゆちゃんは僕と結婚するって言ったじゃないかっ!」と、店のブログ(当時はそんなブログがあった)に書き込む。ブログの中には「専門の嬢がいる」ことも多々あり、そのブログに突撃する馬鹿も出る。そして、ストーカーとなり、店の前で張り込んだりするのだ。結局、その嬢は怖くなって、かなり遠くの県に引っ越すことになった。それきり、私はあゆちゃんの行方を知らない。私は本当に女好きであった。今では「女嫌い」を標榜して憚らないし、事実「女は大嫌い」である。単に「性的な意味で必要」なだけなので、金を払って遊んでいる方が気楽でいい。商売では、金を払う方が上位なのは言うまでもない。「金を払うんだから好き勝手していい」と言う意味ではない。金を受け取る側は「またお客さんとして会って欲しい」と思うからサービスを提供するのであって、実は上位もへったくれもない。サービスの対価として金を払っているだけなのだから。そこで「サービスの良い子、良い店」がお気に入りになる。これが「商い」というものの本質である。


ピンサロで気軽に抜くだけではつまらない日もある。そんな日は遠出をしてソープランドに行っていた。駅で5つ離れた場所に結構な歓楽街があったのだ。ソープの自由度はピンサロとは比較にならない。嬢と密室で2人だけ。プレイ時間も2時間ある。この間にあらゆる交渉が可能なのだ。露骨な誘いは「罰金対象」なのは同じだが、嬢もそこは心得ていて、積極的に「営業」をかけてくることも多い。店に上前を跳ねられるよりは、直接取引で・・・と言うパターンだ。


 南と言う嬢がいた。この子との出会いは変わっていて、大きな祭りを観に行った時に知り合った。「今度、お店に来て?」と、半日のデートの後に渡された名刺。店の名前が小さく印刷されたシンプルなものであったが、電話番号の局番で他県であることが分かった。名刺と言っても「南」と源氏名であろう名前が印字されているだけ。まあキャバクラかなと言う認識であったが、数週間後にその店の最寄り駅を知って、察することが出来た。(ソープランドだ・・・)と言うわけで、出勤日であることは確認済みなので、店に予約を入れた。高い店ではなかった。そして駅まで送迎があると言う。私は自分の服装を告げて20分ほど待つことになった。この手の店の送迎車は高級車が多い。最低でもクラウン、多くは外車である。私は送迎車のナンバーを伝えられていたので、駅のロータリーに入って来る高級車をチェックしていた。同じナンバーのカローラが入ってきた。そうか、カローラか・・・いや、悪いことでは無い。きちんと洗車され、車内は清潔で、臭い芳香剤もない。ただ、運転手さんが不愛想なのが気になった。


店に入ると、待合室で10分ほど待機させられた。この時に「モザイクの無い在籍嬢のプロフィール」なんぞを見せてもらえるが、南と同じ程度の容貌の子ばかりだった。つまり、ほぼ全員が可愛いが、あえて南を外す理由もないわけだ。


絨毯の敷かれた廊下にカーテンで仕切りがある。客はこのカーテンを抜けて嬢と対面し、プレイルームに案内されるわけだが、カーテンの向こうで、三つ指ついてお出迎えである。ある意味感動的である。そして、手を繋いで廊下を歩くわけだ。ボーイさんが「ではごゆっくり」と告げて消えるまで南は黙り込んでいたが、手を繋いで歩き出すと「来てくれたんだぁ」とはにかむように笑った。多分、世界で8番目ぐらいには可愛かったと思う。結局、南は「次回からは店外で」と言う提案をしてきた。私としても文句はない。「お刺身食べたいなぁ」と思うなら、パチンコを我慢すれば済む話だ。南は可愛い顔立ちで、身体もそこそこに綺麗であった。年齢は24歳であった。店のプロフィールでは22歳であったが、風俗店は「精神と時の間」にあるので、時間がゆっくり流れるようで、5年くらいは年を取らない嬢ばかりである。そして、私はこの「一千万プレイヤー」を落とそうと思った。本当に彼女たちは年収1千万を稼ぐのだ。出勤の少ない子でも、月収ベースで40万はある。金目当てではなく、この可愛い南を恋人にしたかっただけであるが、この南と言う子は非常に出来た子で。

 きっかけは「営業」をかけてきたことだ。残念なことにコンドーム装着が条件であった。私は生派であるが、そこは妥協しよう。いや、うかつに妊娠させることを考えれば、避妊は必須条件であろう。その後もたまに営業をかけてきたが、それでは気疲れするだろうと、私はお金だけ渡して、あとは普通にデートをするようになった。そう、「とことん尽くす」ことで信頼を得、さらには「傍にいて欲しい」と思わせる作戦だ。あのマルチの女を落とした方法であり、こっちを「お金」としか見ていないマルチの女を落とせたのだから、多少なりとも信頼関係のあるソープ嬢を落とすまで時間はかからなかった。そして私は南にハマった。私の収入も悪くは無いのだが、南は「恋人関係」になると、一切私に払わせることは無かった。デート代は奢ってくれるのである。それも、例えば食事なら、先にお金を私に渡して「これで払ってね」と言う。つまり、傍から見れば、男の私が奢っているように見えると言う寸法だ。「男を立てる」女性だった。もちろん「勃てる」のも上手かったが。そんな南もソープランドと言う過酷な仕事に疲れとストレスを溜め込んでいた。私はそんな南を労わっていた。デートで車を使う時は、助手席の南に「寝てていいよ。気にすんな」と必ず言ってあげた。疲れはあるはずなので、そう言えば寝るだろうと。そして南はスヤスヤと眠るのだ。なんて可愛い子であろうか。そうそう、私はマンションを放棄した時に自家用車も置いてきたのだが、気になって数か月後に確認に行ったら、車は駐車場に保管されたままであった。マンションの退去は終わっていた。弟が退去費用を払ったそうで、あとは駐車場代を払えば車を返すと言われた。放置していたのでかなり汚れていたし、バッテリーも上がっていたが、私は車を引き取ることにした。既にパチンコ店での仕事に慣れていたので、駐車場代と、車の整備費ぐらいは出せたのだ。ただ、私が勤務する店は「駅前店」である。駐車場を借りることにしたが、駅前ではかなり高い。郊外のワンルームマンションの家賃並であった。それでも「日常の足がある」と言う便利さには代えられない。

 南とはあちこちに行った。不思議とガソリン代を出してくれることは無かった。多分、ガソリン代と言う概念が無いのだろう。デートで行った先では、私が財布を出すことは無かったのだから。


南のストレスは最高潮に達していたようだ。ある日のデートで完全に「鬱状態」に陥っていた。そんな南を大事にしていた。ホテルに入って「寝てろよ」と言って、私はコンビニで買いこんできた弁当やら雑誌をテーブルに並べて暇つぶしを始めた。南には「休息」が必要であったと判断したのだ。南はそのまま寝入ってしまったが、雑誌を読みながら弁当を食って暇つぶしをしていた。2時間が経ち、ラブホテルの「休憩時間」が終わりを告げたが、南には気付かれないように小声でフロントに電話をして延長を申し出た。4時間も延長すればいいだろう。そして、このホテル代は私が払えばいい。私がフロントに電話した時に南はちょっと目が覚めたようで、「よーちゃん…こっちに来て」と言う。私は添い寝をして腕枕をしてやった。ただそれだけのことだった。別にセックスにこだわることもないだろう。私は今、当時の私を叱ってやりたい。「やれる時にやらないから、年を取ってから後悔が残るんだぞっ!」と。あと10回はやっておくべきだったなぁ・・・みつを


 数日後、南は店を辞めた。ソレを電話で報告してきて、「郷里に帰る」と言う。九州が郷里であった。私はこれでお別れかと、寂しくも感じたが、次の南のセリフにちょっと肝が冷えた。


「よーちゃんも一緒に私の郷里に帰ろう?」

無理である。私には仕事があるし、辞めることが出来たとしても、南の郷里で仕事がすぐに見つかるとも思えない。南の考えは、「自分の貯えもあるし、しばらくは無職でもいい。何ならヒモになってくれてもいい」であった。風俗嬢のヒモは勘弁していただきたい。男が稼いでナンボである。また南を風俗で働かせるなんて、私には出来ない。その電話で私は南に別れを告げた。南は寂しそうに「そう・・・」と答えて、次に「わかった、サヨナラ」と言って電話を切った。パチンコ店にある公衆電話(着信も出来る)での別れは、多少の哀愁を私の心に刻んだ。


ボックスを出れば、そこはもう職場であり、パチンコ店なのだ。


当時のパチンコ店では「マイクパフォーマンス」が重要であった。今はどこのパチンコ店もやっていないと思うが、マイクで煽るのである。


「いらっしゃいませいらっしゃいませいらっしゃいませ。本日はパーラー「デイジー」にお越しくださいましてありがとうございます。また本日は雨降り、お足元の悪い中のご来店、従業員一同感謝しております。さぁ本日も1番台2番台3番台、ラッキーナンバー7番台はもとよりのこと、ダブルラッキーナンバー77番台から最終最後の621番台まで、釘は甘く広く広く甘く、スロットコーナーは連日の高設定でのお出迎え・・・」


みたいにマイクでがなるのである。アナルではない、がなるのである。そして、コレをやるのがホール責任者のお仕事であった。早番馬鹿はこのマイクパフォーマンスが本当に下手で、途中でつっかえるし吃音は出るしで、客からも「アレはうるさいだけ」と評されていた。私はと言えば、最初こそつっかえつっかえであったが、徐々に前の法人での経験を思い出し、1か月もすれば「歌うように」1時間でも2時間でも煽っていた。間断なく煽るわけでは無いし、途中に余計な仕事も入るので、主に「サービスタイム煽り」を重視していた。サービスタイム中の大当たりには「特典」があったりしたのだ。違法だが。

 段々と主任の立場が悪くなる。あとから、それこそ2年は遅く入ってきた私に仕事の面で抜き去られつつあったのだ。私はこの主任があまりにも使えないせいで「携帯電話を持たされる」と言う紐付きとなった。何かあればいつでも呼び出すからと言う意味である。そして、そんな事態はめったにないのだが、それでも嫌なものは嫌である。ある日、遅番だった私の携帯が鳴った。時間を見れば朝の9:30である。早番馬鹿からの電話だろう。無視してやろうかと思ったが、店が心配なので電話に出た。「安元、スロットの島の電源が入らないんだ。来てくれ」と、もうこの早番馬鹿は本当に能無しである。私に直せるレベルなら、上司の「主任」だって直せて当たり前なのである。渋々私服で(仕事着で行くとそのまま勤務になったりする)で店に行ってみた。見事にスロットの島は電源が落ちている。脳内で電気経路を辿る。主電源のスイッチは入っていた。ヒューズが飛んでるわけではない。島を見れば、2つある島の片方だけが電源落ち。背中合わせのパチンコ島には異常がない。この時点で原因が分かった。分かったので「メーカーでも呼びますか?」と早番馬鹿に訊いてみた。「いや、ソレはマズい。営業時間に間に合わないし、かなり請求されるから・・・」自分の責任問題になると?知るか馬鹿と言いたかったが、仕方ないので台の「腰下」(客が蹴っ飛ばす足元)のパネルを外し、もぐりこんだ。やはり変圧器のスイッチが切られてる。通常の家庭用電源は100Vだが、パチンコ台やスロット台は24Vなので、変圧器で降圧させるのだが、その装置のスイッチが落ちていた。懐中電灯で周囲を照らす。とりあえず「誰かが忍び込んで悪戯をした気配」は無かった。埃が積もる場所なので、誰かが入れば痕跡が残る。そもそも降圧器のメンテナンスなんざ考えられていないから、こんな面倒な場所にあるのだ。何かの衝撃でスイッチが落ちたか、安全装置が働いたのであろう。スイッチを持ち上げたら直った。


 部品の発注も出来ない男である。とあるメーカーの台では、台裏にある「賞球セット」(1つの大きなパックになっている)に問題があった。寿命が短い部材があるのだ。そこだけを交換することも可能だが、物凄く時間と手間がかかる。その小さな部品をメーカーが出さないので、どこかのチェーン店で外された中古から移植するしかない。そんな面倒はご免である。当然、早番馬鹿は「裏パックごと交換」する。交換はするくせに発注をしない。結構なお値段なので、責任を負いたくないのだろう。そんなこと知ったことでは無いので、20パックほど注文してやった。パチンコ台がすっぽり入る大きさの段ボール箱で5つ分届いた。コレでその台を外す日までは大丈夫だろう。事務所に呼ばれて叱責されたが「必要になりますよ?店長、直してみますか?」と言ってとぼけた。店長が直せるはずがないのを知っていた。そもそも「修理を前提としていない設計」なのだから当たり前である。この手の話が積もり積もって「とどめの一撃」が入った。


「主任が駅前を、女子高生と歩いていた」


 と言う噂話が広まったのだ。1回や2回ではない。どうかすればラブホ街で見たという証言まで出る始末。主任は病気の後遺症で「疲れを溜めると大変なことになる」と言う理由で「早番固定」であったから、「お前は若い女の子とは疲れを知らんのかっ!」と突っ込まれるのは当たり前である。それでも「年貢を奪われる小作農民の目」で哀願するのだ。「遅番は無理なんです」と。別に朝から出てきて遅番の勤務をしろと言ってるわけではない。通常の「遅番」をしろと言われて、なぜそこまで拒否するのか?

 

女子高生とデート出来ないからである。


そんなことは言わないでも分かるので、せめて「新台入れ替えの時は、夜中に出てこい」と言うことで決着した。その法人では、新台入れ替えは「公休日の者」を除き、早番も夜中に出勤して入れ替え作業を手伝うのだが。主任だけがいなかった。コレを改めろと言う、至極もっともな、寛大な措置である。そしてまた問題を起こす。


入れ替え作業では、私が指揮を執っていたわけだが。


この指揮を邪魔する。単純作業の積み重ねであるが、営業時間内に出来ることはやっておくのが常であった。台鍵の交換とか、ガラスの用意とかである。私がせっせとそんな作業をしていると、店長が「お前はホールで仕事をしたくないのか?」と怒る。では、主任が出てきたら「やっておくべき作業をお任せでいいんですね?」となるわけだ。台が届いても、主任は運び込んで終わりである。なにもしやしない。流石に私も切れた。

「だからーっ!これはやっておかないと」と言えば、てんちょは「だからーとは何て言い草だ」とまた叱られる。もう頭来たんで、何もしないで入れ替えを行った日。

 通常は2時間で終わる作業が4時間かけても終わらない。台鍵の交換がかなり面倒な台だったので、交換出来る店員がいない。普段は私がやっていたことだが、シカトしていた。交換しても空回りする台の鍵(笑)である。教えないよ?主任に聞けばいいよ。CR機の場合は、キーを差し込んでちょっと細工をすると「ホールキー専用」に切り替わるのだが、現金機は台鍵そのものを交換。


 ガラスの準備も出来ていません。主任は閉店前に出てきてますが、何もしていません。それじゃ入れ替えどころではないわけだ。私は「勝手なことをするな」と叱られたので、何もしていませんし、閉店後は一生懸命作業しますが、段取りは出来ていません。

「もういい、お前の好きにしろ」と言われた。コレで晴れて自由に作業が出来る。自由に仕事が出来るとか、普通のことなんですが、そこんところはどうなんですか?


「主任は駄目だ。お前がやれ」とのことで、またしても内々の打診があった。主任昇格で、あの早番馬鹿を追い込んでいいんですね?夜の班長は育てましたし。そうそう、若い社員を「班長にするべく教育していた」わけだ。そして辞令が出た。


「安元をホールマネージャーに任ずる」


 さて困った。これではまだ主任の下ではないか?責任だけ押し付ける気ですか?

違いました、主任の上に立つことになった。長らく空位であった「副店長」のポストである。ただ、決裁権は無いので「マネージャー」と言うことだ。営業に関しては「絶対権限者」になれたのだ。ホールのすべてを掌握。コレであの生意気な「カウンター嬢主任」も解雇出来る。景品カウンターとホール業務は別々で、このおばさん主任がカウンターを牛耳っていた。しかも一応は「主任」なので、私の言うことを聞くわけがない。ホール業務に支障が出ても、どこ吹く風であった。真っ先に首を飛ばした。それまでが甘やかし過ぎだったのだ。持ってきた手作り弁当を、客が飲むホットドリンクのケースに入れて温めておくとか、ホールの人員とは一緒に休憩しないで、勝手に休憩させてるし、やり過ぎただけだ。「カウンターは特別」だと言う認識を改めさせた。コレで多少は店内の風通しもよくなった。私は社員やアルバイトに過重な仕事を与えることは無かった。馬鹿店は「もっと残業させろ。そうしないと人が育たないぞ」と戯言を言うが、残業させなくとも、勤務時間内に機械の故障の直し方なんぞは教えることが出来る。私はこの残業で鍛えられたのだが、正直嫌々やっていた。教えてくれる人がいないので、時間がかかるから居残ってやっていただけだし、早出もしていた。そんな苦労はさせなくていい。そして、ホールマネージャーと言うのは「奴隷階級」だと知ることが出来た。もう自由は無いのだ。遅番早番の区別は無い。仕事があれば朝から出勤するし、遅番が出てくる1時間半前には店に行くことにしていた。申し送り事項のうち、私だけで出来ることは解決させたかった。更に、公休日も拘束される。「市内から出るな。何かあったら呼ぶ」と言うことで、例えば公休日にスキーに行きたいなんて場合は、「社長の決済印が必要」となった。私がいない日は社長が出てくるわけだ。私の勤務する店は「本店」ではなかったが、売り上げNo1の「旗艦店」であった。故に、「社長室」は勤務店にあったのだ。私がいないと困る事態とは、機械の故障である。本当にギリギリのバランスで動いている部分もあったので、そこの具合が悪くなれば即時対応しないと店の機能が停止しかねない。バランスを「崩しかけている」だけなので、ちょっと手を貸す感じで対応すれば済むので、大した仕事ではないが。


ソレが出来ない人たちが店長とか主任を名乗っていただけだ。私がいなければ、最悪店の機能が停止するが、社長なら、奥義「店を閉める」を使えるのだから無敵であろう。チェーン店の「社長」ともなれば「雲の上の存在」であるが、出世が異様に早い私の事を目にかけてくれていた。いつも笑顔の韓国人であった。


 プライベートでは、「遊び」が中々出来ないようになっていた。少なくとも市外にある風俗店に行くことは不可能になった。まあ行ってしまえば、何かあっても「2時間で帰るから」と言えばいいのだが、信用に関わる。


 毎晩のように飲みに行っていた炉端焼きの居酒屋。ここのアルバイトの可愛い女の子さんと恋仲になっていた。あちらからすれば、近所のパチンコ店の班長で、あっという間にホールマネージャーになった「お金持ち」と言う認識であったのだろう。まだパチンコ店の景気は良く、ホールマネージャーでも、今のパチンコ店の店長よりは稼いでいた。遊びと言えば炉端焼きの居酒屋で飲むくらい。家賃光熱費食費クリーニング代は「店持ち」であった。機能していなかった社員食堂は、賄のおばちゃんを雇い入れて、社員に食事を提供出来るようになっていた。食堂で食えば無料である。一応は「食費」として、月額1万円を社員からは徴収していたが、私は別に好きに使えた。食いに行けば、おばちゃんはにこやかに「マネージャーは仕方ないねぇ」と言いながら飯を作ってくれた。普段は「社員の人数分」しか用意しないので、私の分はその場で作ってくれたのだ。居酒屋が休みの日には、昼間のうちに「夜の分もお願い」と言っておけば、酒肴を冷蔵庫に用意しておいてくれた。あと、裏ビデオも貸してくれた。息子さんが「コレクター」のようで、そんな話になった時、「観たいかい?」と言うので、それはもう顎が首に突き刺さる勢いでうなずいた。かなりの上物ばかりであった。若干、SMものが多かったので、おばちゃんの息子さんの将来が心配になったが。

 居酒屋のアルバイトさんとお付き合いしてるなんてことは隠していた。その子目当てで通ってくる客も多く、当店社員も同じであった。なので店では「仲良し」ではなかった。昼間、デートする程度である。これもまあ「森ちゃん案件」みたいなこともあった。「テレビを買いに行くから付き合ってくれる?」と言うので、彼女の車で家電量販店まで行った。5万円ほどのテレビの前で考え込む女の子さん。これは確実に「買ってあげようか?」と言う私のセリフ待ちである。当然だがそんな甘いことは言わない。名を「由美」としようか。まだ由美と付き合い始めて1か月では、テレビを買ってやる理由は無い。そもそもセックスをしていない。そう言うおねだりは、事後に甘えた声でするべきだし、フェラの達人になってから言うべきだ。付き合ってる割にはガードが堅い、ソレが由美であった。正直、由美と付き合ってるかいないかと言う微妙な時期には、私は他の女の子さんに手を出していたし。

 パチンコ店での「職場恋愛」は非常に危険である。特に管理職ともなれば、立場を利用したい女性が言い寄ってくる。バレンタインデーには、ロッカーの中にチョコレートが5~6個は入っているので、お返しに女子のロッカールームに段ボールを置いて、袋キャンディーで満杯にして「ご自由にどうぞ」とやったら、翌年からチョコレートを貰えなくなった。

 しかし、規格外に可愛い女の子さんだと、食いたくなる。これは男として当たり前である。浮気でも不倫でもない。お互いに「フリー」なのだから、後ろ指を刺されるいわれもない。その子を「麻衣」と呼ぶが、とにかく可愛い。アイドルフェイスに綺麗な髪。カラコンを入れているので、瞳も大きい。しかもおっぱいが、ちょっとこれはどうかと思うほど大きいのだ。このおっぱいを揉みたい。いや、汚乳の可能性もあるので、先ずは確認したい。汚乳ではなく美乳ならば、世界はこの女お子さんを祝福するべきだろう。なお、仕事は真面目で、清掃作業も率先してこなす良い社員であった。その外見から、あっという間にあだ名がついた。「AV」である、アダルトビデオである。確かにその姿は「歩くアダルトビデオ」であったので仕方ない。私もそのあだ名を知って、普通に「あ、AV.ちょっと灰皿掃除をしてくれる?」と言っていた。絶対にアダルトビデオに出ているんじゃないかと言うぐらい可愛くておっぱいがデカい。そんな麻衣と仲良しになるまで1か月もかからなかった。店の近所に住んでいるので、夜に飲みに連れ歩くのも楽勝だった。なお、早番にしたら「主任がキモい」とのことで、嫌がっていた。だったらそれを馬鹿店に言えば、遅番固定にしてくれるぞと知恵をつけてやった。私の裁量でも出来ることだが、「仲良ししたい子」なので、私以外の誰かが「遅番でいいぞ」と言ってくれた方が怪しまれない。私は店では一切手心を加えない仕事をさせるのが信条であったし。


 その麻衣と飲んで歩く日が増えた。私は閉店後も仕事があるので、社員の麻衣は私が上がるまで、あの居酒屋で待っていた。この居酒屋のアルバイトも可愛いので、私は二兎を追う者は一兎をも得ずと考えて、サッサと麻衣を連れ出して別の店で飲んでいた。居酒屋を出る時には「送ってやるから」と嘘をついていた。2回3回は一緒に飲むだけで満足していた。相手はAVである。そりゃもう、見てるだけで先っちょが濡れてくる。帰宅してせっせとオナニーをしていたのは内緒だ。そしてある日のこと。急に腕を組んできたAVが乳を押し当ててくる。酔っぱらっているわけではない、ちょっといい気分になっている時にだ。最初は「腕を組めば乳も当たるよな」と、希望的観測を捨てていたが、もう「ぐいぐいと」押し付けてくる。こういう場合、相手はまだ20歳の女の子さんなので、大人として「そう言うことは彼氏にすることだよ」と諭すべきであるが、私はチャンスタイム到来と考えた。AVを抱けると考えただけで、今までティシューで死なせてきた「小さな命」への償いが出来ると思った。「あっちに行くとホテルがあるけど?」と言ってみたら、コクンとうなずいた。


見た目を裏切らない子だった。


 麻衣との関係は深まることも切れることもなかった。週に2回は飲んで歩き、1回はホテルで朝を迎えた。ただそれだけで、半年もしないうちに麻衣は店を辞めてしまった。もっと稼げる店に行くと言っていた。キャバクラだろう。見た目とプレイはAVであったが、風俗嬢になれるような器ではなかった。


 多少の自由は失ったが、それなりに「わが世の春」を謳歌していた。少なくとも私に命令出来る人間はいないのだ。人間はいないが「数字」は残酷で、この「数字の達成」のために、馬鹿店が私に命令することはあった。「〇〇の売り上げが上がっていない。どうにかしろ」と言うことだ。〇〇とはパチンコの機種名である。その機種は人気が無いので対応も出来ないわけだが、ソレをどうにかしろと言う。客に無理やり打たせろとでも言うのだろうか?無理やり打たせることは不可能だが、「打ちたい」と思わせることは可能であった。当時はまだ「射幸心を煽る」ことには寛大で。いや、組合では「射幸心を煽るのは禁止」とは言われるわけだが、店で短期間の「イベント」を打つのは見逃されていた。故に、不人気種の場合は、あくまでもたとえ話だが「オープンから2時間のうちに大当たりしたお客様には2先発プレゼント」みたいな時限イベントを使えた。この時限イベントを1日に4回ほどやる。当然だが、イベントの無い時間帯にも打つ客が出る。当時は2.5円交換だったので、「持ち玉遊戯」が圧倒的に有利であったから、イベント時間の間を打ち切れるように持ち玉を稼いでおく」と言う賢い客もいたのだ。たった2先発。交換したら5千円のサービスのために、不人気機種を打つことを「賢い」と言えるかどうかは別の話だ。また、「特別な景品」を用意することもあった。通常、パチンコ店の景品は「上限1万円」となっている。貸し玉料金で2500発までだ。なので、通常の景品交換ではなく、「時限イベント」を行い、スタンプを集めさせて、スタンプが10個貯まったら、東京の吉原のご招待券なんぞをプレゼントする。東京吉原は、県民の憧れであった。と、このようなたとえ話で分かる通り、「射幸心を煽る」営業が一番効果的であった。


私のホールでの権限は絶対であったので、営業に支障が出るなら、馬鹿店にすら意見していた。あの馬鹿は本当にろくなことしないのだから。


釘調整は店長の仕事。馬鹿店も釘を叩くわけだが、コレがもう酷い。


「あ・・・」(横で台のメンテをして私に聞こえた声)

「どうかしましたか?」(一応敬語)

「釘が折れた」

「今、釘を持ってきます」

「安元?」

「はい」

「折れた部分が台の裏に落ちた・・・」 (1時間の残業確定である)


とある機種は、当時のケータイの特定機種の電波に反応して、デジタルが回ってしまうものがあった。実際に専務の携帯がその機種だったので、試してみたら、思いっきり反応して保留玉満タンである。対策しないといけないわけだが、馬鹿店は「鉛の板」を買ってきて(多分、釣り用の重り)センサーを囲えと言う。センサー全6面を囲うことは不可能なのだから、こんな対策は無意味なのだが、やれと言われればやりますよ、ため息をつきながら・・・

 結局、その機種全台(20台)に対策を施して、専務の携帯でチェックすれば、当然のようにデジタルは回る。完全に徒労である。分かり切ったことだったが。結局、この手の部品はリコールとなって、対策品がすぐに届くのだ。ソレを待てばいいだけの話なのである。届くまでの間は、不正が行われないように店員を1人張り付かせればいい。不正と言えば、店員がやらかすこともある。「ぶら下がり(ぶら下げ)」と言う不正があった。コレは仲間を店員としてその店に就職させ、信用を得て「台鍵」を持たされたら、パチンコ台の基板に「不正パーツ」を装着するのだ。その装着状態が「基板からぶら下がっているように見える」ことから「ぶら下がり」と呼ばれていた。あの早番馬鹿はホール業務を嫌う。「疲れが溜まると僕ちゃん大変なの」と言うことで、事務所から出てこない。ずっとテレビを見て昼寝である。休憩を回す時と、仕方なくマイクパフォーマンスをする時だけホールに出てくる。ほかの時間はホールスタッフに任せっきりである。そりゃ、厚かましさでは定評のある「おばさんアルバイト」には舐められるだろう。本当にこの早番専門のおばさんアルバイトは、終業10分前からトイレにこもって化粧直しをしている。もう一人の若いアルバイトも染まってしまい、一緒にトイレにこもって煙草を吸っていた。この間は、社員一人ホール業務である。このような体制であるから、新入社員が悪で、基板に怪しげな部品をぶら下げても気づかないだろう。見事に3台やられた。その社員が辞めた後、妙なデータが出てきて発覚。本来なら責任問題なのだが、何故か処分は無かった。更には、営業時間内にスロット台の基板を「交換される」と言う信じがたい事件まで起きた。営業時間内である。ほかにも客がいる中で、一瞬の隙を突いて交換したのだろうが、事務所で「監視カメラを見ているはず」の主任が気づいていないというのは、間抜けを通り越して「共犯者では?」と思えてくる事件だ。この手の不正部品とか基板は、掘る婚の・・・ホルコンのデータを見るだけで分かるので、大抵は2日ほどで発見される。この点では、馬鹿店も仕事をしていた。余計な仕事をするから私と対立するのだが。


夏のイベントと称して「夏祭り」を開催したことがあった。景品カウンター前には「祭りでお馴染みの景品」やら「駄菓子」を陳列した。この仕入れに、私が的屋時代に培った人脈が活きた。しかし、生来の「お祭り野郎」の馬鹿店である。駅前でたまに営業している「たこ焼きの屋台」から道具一式を借りてきた。自分で焼いて客に売るそうだ。あちこちから突っ込みが入りそうな所業であるが、1日ぐらいなら・・・

 しかしだ、「たこ焼きを焼きたいだけ」だったので、馬鹿みたいに焼いては店内に持ち込む。通行人相手に商売すりゃいいものを、早番の班長を助手にして、焼きまくっては班長に店内に届けさせる。班長は申し訳なさそうに持ってくる「売ってください・・・」それは確かに売れると思う。店内に食堂は無く、軽食代わりに買ってくれる客もいる。しかし、そのような客が1周すれば、もう買う人はいないのだ。挙句、売れてないと言って私を呼びつけ「ちゃんとやってんのか?」とお戯れをほざく。頭来たので、財布から万札を1枚出して、ホールの片隅に積まれたたこ焼きを全部買って、ごみ箱に叩き込んだ。後にも先にも、食い物を捨てたのはこの時だけだろう。1パック300円だったので、1万円で33パック。コレを3回やった。馬鹿店は二度と「たこ焼き屋をやる」と言わなくなった。焼いても捨てられるだけだからな。

 閉店後は完全に自由時間である。大体だが、深夜1時にはその日の集計も終わって解散であるから、近所の炉端焼きの居酒屋に行って飲む時間もある。1時間で閉店時間になるが。たまに早番をやった日は、夜の7時くらいまでは居残って、それから飲みに行く。このぐらいがちょうどいい時間帯だろう。ホールで一番偉いと言うことは、つまりはノーストレスと言うことなので、居残りも苦にならない。暇つぶしである。そして私は事務所に詰めているよりも、ホール業務を好んだ。

 ある夜のことである。アルバイトの男子大学生が私を麻雀に誘った。私もそこそこには麻雀好きであったので、二つ返事で快諾した。ただ、夜の集計が終わった後になると。集計が終わり、雀荘に行くと、すでに5人が集まっていた。面子不足を考慮して、あちこち誘った結果、面子オーバーである。仕方ないので「2抜け4抜け」で打つことになった。毎回、2位と4位が抜けて交代するのだ。ある半荘のことである。私はトップで走っていて、逃げ切ればいいだけであった。配牌を見てふと頭を掠める「予感」があった。暗刻1つに対子が2つ。私は後ろで見ている大学生に「な、すごいの、見たいか?」と問いかけた。大学生はわけもわからずに「はぁ」と頷いたが、ここでソレを切るのかと言う無茶苦茶な手作りで、14巡目、四暗刻単騎待ちを聴牌。後ろの大学生が息をのんだ。14巡目と憶えているのは「6牌切り」と言って、捨て牌は6個ずつ1列で並べるからである。3列目の2牌目を切った時点で聴牌していた。待ちは、配牌から持ち続けていた「中」である。その局は流れたが、手を開いて聴牌宣言をする時に、私は暗刻4つを倒して「聴牌」と言った。対面に座っているキャバクラのボーイが手を倒した。「中」待ちの黙テンであった。私は最後の1牌、「中」を指で弾いて倒しながら、「上がれる手じゃなかったな、お互い」とつぶやいた。あの1局は、後ろで見ていた大学生にトラウマを植え付けたであろう。人間誰しも「神が降りる瞬間」がある。それが人生を決める重大な局面なのか、麻雀中なのかは分からない。この「閉店後のマージャン」はよくやっていた。私は基本的に「遅番メインの自由出勤」だったので、朝方まで遊んでいられた。最低でも夕方4時に店に入れば問題ない。大抵は昼過ぎには店にいたが。


ある日は、あの可愛い居酒屋のアルバイト、すでにお付き合いはしている時期であったが、その由美を連れて雀荘に行ったこともある。相手もアヴェック(ナウでヤングな言い方である)なのでちょうど1卓を囲めた。男の方はあの「中で待ってたキャバクラのボーイ」である。店の女の子を連れてきていた。聞くに、同棲しているそうだ。ものすごく可愛い子だったが、ちょっと性格が悪そうだった。半荘4回を打ったが、途中、私が「字一色」を聴牌。出たら上がるつもりであった。何故か由美が突っ張ってきて振り込んできた。字牌を3つ鳴いているのに・・・

キャバクラのボーイもかなりの手練れで、半荘4回を終わって、お互いにプラス収支。勝ち額は、お互いの連れのマイナス分とほぼ同じ。早い話が途中から場を上手く回して、勝ち負けを操作していたのだ。その頃から、雀卓には「点数表示」がされるようになっていたので、誰がどのくらい負けてるかなんてことはわかる仕組み。


由美がマイナス7千円、私がプラス7千円ちょっと(ちょっとの分はキャバクラのボーイが払った)ので、由美は悔しそうに「あの字一色さえ無ければなー」と財布を取りだしたので、「金はいい。身体で払ってもらおうか?ん?」と言ってやった。


 翌日、時給千円で私の車の洗車と、部屋掃除をやらせた。何度も抱いている恋人の身体に金を払うつもりは無い。誰だってそうだろう。あなたは恋人を抱くたびに7千円を払えますか?逆に払って欲しいと思いませんか?3か月も付き合えば飽きてくるものじゃありませんか。まあ私の場合は抱く頻度と言いうか回数が多いので、飽きるのが早いと言う側面もあるが、それでも1年で飽きるものじゃないだろうか。

 プライベートもそれなりに楽しんでいたが、圧倒的に自由が足りない。何せ、何かあれば時間外でも呼び出されるのだ。せいぜい、駅の反対側のパチンコ店で遊ぶ程度である。あとは由美と市街地のラブホでまったり過ごすとか。仕事ではストレスが溜まる一方である。馬鹿店は馬鹿だから馬鹿呼ばわりされてる店長である。チェーン店のほかの店長にさえ「おたくのテンテン君は元気か(笑)」と言われる始末である。その馬鹿店の誤った行動にブレーキをかけるのも私の仕事である。日曜日にしか打ちに来ない常連がいた。特定機種の特定台しか打たないのだが、「俺は〇番台と〇番台しか打たない」と公言してしまうところが「乞食」と同じである。暗に「だから釘を開けろ」と言ってるのだ。馬鹿店は馬鹿だから、そのまま釘を開けてしまう。私が「ソレはヤバいんじゃないですか?」と言うと「日曜日にしか打ちに来れないんだから可哀そうだろうがっ!」


可哀そうなのはお前の頭だ。


仕方がないので、日曜日は早番の時間に顔を出して、その特定台の釘を〆るようにしていた。あからさまに〆たりしない。隣の台と同じ調整にするだけだ。私は釘の叩き方を教わっていないので、ゲージ板でヘソ釘を合わせるだけだったが。なので、ヘソを〆ただけでは、ほかの台よりも若干はよく回るが許容範囲だろう。この乞食親父が指定する台が2台あったので、1台をハイエナする賢い客まで出てきたので、当たり前の措置である。あるが、叱責された。勝手に釘をいじるなということである。私はスロットの設定師を任されていただけだ。当然だが、鬼も裸足で逃げ出すような設定を多用していた。具体的に言えば、半数が最低設定。25%が設定2で、後は3である。客付きが悪い月曜日とか火曜日は全台設定1である。そうしないと儲からないので仕方ないが、こんな店、私だったら打ちに行かない。そして当店には当時の悪しき慣習で「裏もの」と呼ばれるスロット台があった。納入されてくる時はノーマル台なのだが、何故か納入日に「大きな黒い鞄を持った紳士」が店の裏口のチャイムを鳴らす。話を聞くと、「お客様が喜ぶようにした基板がある」と言う。お客様も喜ぶが、結果的に店の利益にもなる基板である。「裏基板」と呼ばれるものが詰まった大きなカバン。もちろん、メーカーとは無関係な人だ。親切な紳士なのだ。乗ってくる車のドアには「メーカー名」があるが、たまたま借りてきただけだろう。裏ものは「突っ込んで突っ込んで、裏フラグを引くと」出玉が止まらない仕様のものが多かった。止まらないと言っても、転落抽選で通常に戻れば、ボーナス確率がかなり下がる吸い込みマシーンになるのだが。ここを上手く狙える人は「プロ」になれた。1日に7万だの10万だのを稼いでいれば十分であろう。なので、この裏ものの場合は慎重に設定を入れていた。不思議な台で、最高設定にすると「ノーマルと同じ挙動になる」台であった。設定5が一番出る。あとは設定が下がるにつれて「裏フラグ」を引きにくくなる仕組み。この「裏フラグ」は特定ゲーム消化後の「ボーナス当選」である。この手の台は各都道府県で様々なバリエーションがあるので、一概には言えないが。


 この機種の設定を狙い撃ちされていた。一撃で数千枚は出る台なので人気があった。つまり客は付くのだが、特定の客が必ず高設定の台を打っている。流石におかしいと思い、ある日フェイクを入れてみた。普段は使わない設定1で統一したのだ。コレであの客を殺せると思った。しかし、やはり大勝ちして帰る。閉店後に設定を確認すると、数台が設定5になっていた。その台は設定変更の手順がやや面倒で、変更ボタンが神経質。稀に変更後にまた変わることもあった。設定キーを捻った状態で配線が当たったとか、そんなこともある。

 当時はモーニングと言って、朝一からボーナスフラグを立てておくサービスがあった。違法であるが、客を集めるためなので、組合も黙認していた時期だ。早い話、メダル1枚あればいい。当時の台は「777」も15枚役だったので、1枚がけでセンターに目押しすれば、モーニング台なら揃って15枚払いだしとなる。店もそこは承知してるので、ちゃんとメダルを50枚(千円)借りているかどうかのチェックはする。このモーニングもその客に狙い撃ちされる。これはおかしい。その客も馬鹿ではないようで、いきなりモーニングを取ったりはしない。ほかの台を2台ほど打ってからモーニングを取る。朝一のライバルが少ない店だから出来ることであった。元々、モーニングはあまり関係のない台であったし。吸い込みがきついので、ボーナス1回分じゃとてもじゃ無いが足りない台だ。

 しかし、私は設定の低い台にモーニングを入れていたのだが(稀にサービスで高設定台)、閉店後チェックでは設定5になっていることが多い。その客は毎日勝つわけではなく、3日に1回は負けて帰っていたが、いいとこ2万ほどの負けである。3日に2回は7~10万は勝っているので、痛くもない「経費」だろう。そして店員から密告があった。「店長がその客から現金を受け取っている」と。


不正である。しかも私の縄張りであるスロットでやらかしていたのだ。もう潰すしかない。徹底して設定を下げ続けた。閉店後の設定変更後に、馬鹿店がさらに変更しているので、開店直前に設定を下げる作戦。モーニングはこの設定変更で消えてしまうが、仕方ない。モーニングを入れる機械は時間がかかるのだ。それでも監視しながらモーニングを入れることは多かったが。コレであの客を殺せると思ったら、馬鹿店は営業中に設定変更する。設定キーを持ってるのは馬鹿店と私だけなので、犯人は馬鹿店しかいない。馬鹿店にも多少の同情はあった。店長にも関わらず、「お小遣いがゼロ」なのである。その話を聞いたときに、私はすごく悲しい気持ちになった。理由は単純であった。店長は「縁故採用」であった。社長の息子の嫁の姉だか妹だかを嫁にしたわけだ。その余禄で店長になった人。


つまり、嫁は中国製である。


その嫁が、給料の大半を本国の家族に送金するのだから、貧乏にもなるというものである。店長ともなれば、社宅は民間の賃貸を借りて、家賃は店持ちである。食事も私と同じで、社食を自由に使える。あとは「他店調査費」などの名目で数万円は現金支給される。この現金だけがお小遣いであるが、他店調査で使えば消えるモノである。だからと言って、客に設定情報を流すとか、設定を変えてまで勝たせて、キックバックを受け取るのはアウトである。完全に「黒」だと言う証拠を積みあげて、私は社長に直接直訴した。私よりも偉い人は、馬鹿店しかいないので当たり前である。本店の専務は滅多に顔を出さないし。


社長の返事はこうだった。


「余計なことは言うな」


私はいい加減で適当な人間である。こればかりは「生き方」の問題なので、何かの不利益が生じても自己責任だと分かっている。ただ、仕事に関しては真摯でいたい。「正しくないこと」はしたくないのだ。ソレが、パチンコ店では通用しなかった。馬鹿店の「不正」を社長に告げても、所詮は縁故採用なのでお咎めもない。そして事態は悪い方向に進んだ。悪い方向に「進めた」私の責もあるが、完全に貰い事故であった。新入社員で入ってきた「藤沢」と言う男が諸悪の根源であったのだ。

 私は酒の席で仕事の話をするのが嫌いだ。どうせ「酔った勢いで言ったから」と逃げを打つのだから、のちに責任問題に発展しそうなことは言わなければいいのに、何故か大言壮語する人が多い。馬鹿店も同じであったし、社長も似たようなものだった。私は酒に「飲まれる馬鹿」は心の底から軽蔑するようにしている。私の母や養父がそうであったからである。私は25歳を過ぎてから、酒の席で乱れたことは無い。ちょっとふわっとしてきて「酔ったかな?」と言う時点でピタリと飲むのを辞める。私は食べ物を捨てることが大嫌いだが、酔ったかなと思ったら、残った酒を捨てるのは平気だ。第一、酔った状態では股間の三八式歩兵銃が硬くならない。銃なのに硬くならないと言うのも妙な話だが、硬くならなくても発射は出来ることはお伝えしたい。


故に、酒に飲まれて絡んでくる馬鹿は、社長だろうが店長だろうが店に置き去りにして帰ることを常としていた。社長と店長と一緒に「高い方のキャバクラ」で飲んでいた時も、社長が絡んできて迷惑だったので、「トイレに行く振り」をして逃げた。店長の酒癖も悪かった。馴染の居酒屋で一緒になることも多かったが、絶対に隣には座らなかった。それでもビール瓶を持って近寄ってくる。どう考えても新手の妖怪「赤ら顔ビールサーバー」である。私も酔うまではそのビールを受けていたが、そろそろ酔いかけてきたなと思えば、グラスをひっくり返して拒否していた。つまり、私は「付き合いが悪い男」なのである。もちろん、上司にお酌なんぞも一切しない。酒は「毒」でしかないので、飲ませる行為は犯罪に近い。飲みたければ手酌で飲めばいい。居酒屋なんだし、当たり前であろう。

 さて、藤沢と言う男だが、デブの巨漢で「頭がいい」らしい。難関の国家試験の浪人中だそうで、4浪していた。私から言わせれば、国家試験を受けるならばそれなりの準備をして、ストレートで合格しなければ適性が無いのだと思う。試験は体調などにも左右されるので、1浪くらいなら許容出来るが、4浪である。しかも、生活費を稼ぐためにパチンコ店勤務。正社員なので、公休は月に5日間だけである。コレで4回も落ちた国家試験での合格を目指そうと言うのだから噴飯ものである。


見た目は目が細いフランケンシュタインの怪物である。こんな男が「ピンサロではキスが好きなんです」と言うのだから、風俗嬢の苦労も分かろうというものだ。


それでも仕事が出来ると言うのならば、私は分け隔てなく扱うが、藤沢は電車が事故か何かで停まった時に、堂々と4時間の遅刻をしてきた。電車は1時間半ほどで復旧したというのに。本人に言わせれば、「時間がかかると思ったのでゲームセンターで遊んでいました」だそうで、コレが30男のやることかとあきれた。

 まだAVがいた頃の話である。藤沢は並々ならぬ「女好き」であったが、巨漢デブの「チー牛」でしかなく、AVは藤沢を嫌悪していた。「気持ち悪い目で私を見てくる」そうである。藤沢は藤沢で、「マネージャーは心美ちゃんと仲良しでいいですね」とほざく。AVの名は「心美」である。そりゃもう仲良しで、まんこの味まで知ってるよとは言えないので、「AVはフレンドリーな子だからなぁ」と嫌味を言うに留めた。すべてが嫌味ったらしい男で、私は業務の円滑化を図るために「業務引継ぎ日誌」への記入を早番遅番全員に義務付けていた。何か気づいたことがあったら必ず記入するように指導していたが、藤沢はたまに「English」で記入する。当然だが、パチンコ店勤務の人間にそんなハイソサエティな者はいない。「読めないんですけど」と私に苦情が来る。読めなくても構わないのだが、苦情の主たちは「英語とか使って、賢いアピールがムカつく」と言う思いを私に伝えたのだろう。私にはその英文が読めたので(高2レベルであった)、赤ペン先生になって「英語で書かないように。あと、定冠詞の使い方が間違ってる」と日本語で書いてあげた。優しい赤ペン先生である。しばらくは1行2行の「やる気ゼロ」の記入が続いたが、また英語で長々と書いたので、「英語を使うなと言っただろ、この馬鹿!」と大きく赤い文字で注意してあげた。その日誌を真っ赤な顔でプルプルしながら見ていたが、その日誌を持って事務所に駆け込むところがダサい。もちろん、私の書いた「この馬鹿っ!」が問題になった。言葉が過ぎると言うのだ。私は普段の行動や、仕事への姿勢も含め、英語で書いて注意されても改善しないのは馬鹿でしょうと反論した。当たり前のことが出来ない知的障害でもあるのではないかと疑うレベルである。森ちゃんを見習うべきだ。


「だがなぁ、安元。藤沢は国家試験を受けるほどのエリートだしな?」


受けるだけなら私だって受けることが出来そうだ。「何度も落ちてる」のが問題なんじゃないですか?


そう、藤沢はホールマネージャーの私の指示さえも無視するほどなので、森ちゃんを「人間扱い」していなかった。早番で勤務させれば、雑用はすべて森ちゃんにやらせていた。そのような権限は与えていないのだが、森ちゃんはちび助なので、身体がデカい藤沢が怖くて逆らえなかったようだ。勿論、早番馬鹿が気づくわけもない。たまたまその現場を見つけたので、かなり厳しく注意したが、今度は「マネージャーも障害があるんすかね?」とほざいたらしい。つまりは「森ちゃんと同じヒエラルキー」だと、虚言を吐いたのだ。まあそんなことはどうでもいい。仕事が出来ない以上、私にとって脅威ではない。ところがだ。藤沢も「資格を取るよりも、パチンコ店で成り上がった方が人生のイージーモード」だと気づいたらしい、そんなに甘いものではないのだが、それまでの「資格試験への情熱」(薄れていたが)を、パチンコ店で成り上がる方向に全振りしてきた。受けて立つのは簡単だが、相手にするにも疲れる「世間知らずのお坊ちゃん」である。放置していた。

 さて、小さな会社や部署で「成り上がる方法」は2つある。実力で成り上がる方法と、「上司に上手して成り上がる方法」である。藤沢は当然、後者を選ぶしかなかった。私はこの頃から「機械と会話できる」と評されるようになっていた。マニュアルがなくとも機械を直せるという意味合いだろう。藤沢は英語しかできない。私は聞かれれば教えた。しかし藤沢はチンケなプライドが邪魔をして、私に教えを乞うことが出来ず、せいぜい中堅社員の知識止まりであった。森ちゃんレベルと言うことだ。藤沢はそれまで「お勉強」に割いていた時間を「上司と飲む時間」に回した。早番馬鹿はあまり酒を飲まないので眼中になく、もっぱら遅番の時に馬鹿店と飲んでヨイショしつつ、私をディスっていた。「マネージャーの代わりなんて、僕でも出来ますよっ!」だそうである。ここで私の「弱さ」が顕在化することになる。私は上司と酒を飲むのが嫌いだ。いつもの居酒屋や、なじみの店に馬鹿店がいれば、河岸を変えて飲むほどに、私は付き合い酒が嫌いなのだ。酒を飲んで講釈を垂れていい気分になりたい馬鹿店のお気に入りになるまで1か月もかからなかっただろう。驚いたことに、たった3か月で班長に抜擢された。私に並ぶ「ハイスピード昇進」であった。仕事での評価ではなく、「付き合いがいい」だけの男を管理職にするとか、やはり「酒は諸悪の根源」であろう。管理職としては一番下だが、責任あるポストである。勿論、私は藤沢に「班長の心得」なんぞは教えていない。勝手に馬鹿店が班長にしてしまったので、指導する以前の話である。しかも、私が育てた班長をかなりのいじめで追い出す所業に出た。その班長は泣きそうな顔で「もう無理です」と言って辞めていった。いじめの手段は「陰口と暴力」である。陰口は得意な男だ。酒の席で言えばいいのだから。暴力はあからさまにやれば犯罪だが、地味な暴力を使う。ドア付近でかち合えば、絶対に譲らずに体当たり。ホール業務中も、何かにつけて体当たり。先輩班長が直してる最中の機械を滅茶苦茶にする。「邪魔だったので整理しただけです」(ニヤニヤ)なんてことを延々と繰り返されれば、元から気の弱かった先輩班長は簡単に心折れたのである。さあ、藤沢班長の時代がやってきた。早番馬鹿が制御するべき案件である。ホールマネージャーの私がいちいち指導することではない。そもそも、私は馬鹿店と折り合いが悪いので、「店長贔屓の藤沢班長」にちょっかいを出す気はない。AVは、インカムで藤沢の声を聴くのも嫌だと訴えてきた。「インカム、外せば?」と教えてあげた。早い話が「無視していいよ」と言うことだ。デブのチー牛である藤沢は、AVに面と向かってモノが言えないのだ。ピンサロでは嬢に平気で絡むくせに・・・


結局AVは辞めていった。


そして更なる試練が私を襲うことになった。前の法人でもコレが元で辞めたとも言える「社員研修」である。社員研修と言っても、「自己啓発セミナー」に放り込むだけなのだが、本当にパチンコ店はこの「自己啓発セミナー」が好きなようだ。他県の店長職の方と話す機会があったが、程度の差こそあれ、この手の研修(駅前で大声で自己紹介させるとか)は行われていたようだ。今の事情は知らない。先ずは店長からである。10日間の日程で、馬鹿店は地獄に送り込まれた。売上金等を入れてる金庫の鍵を持っているのは店長と私だけだ。店長が休む日だけ、主任に預けるだけで、基本は店長と私が管理していた。店長の仕事も代行できるのは私だけである。主任は売り上げ目標とか達成率、データチェックはしない。多少は意識していれば「代行」出来るはずなのだが、結局は馬鹿店がいない間は私が代行である。非常に面白くない。ずっと事務所詰めである。私はホールで遊んでるのが好きなのだ。常連をからかったり、マイクパフォーマンスをしたり、ついでに歌ったり(待て貴様)するのが好きで、気が向くと景品カウンターに立ち、景品交換にやってくる客に「ご一緒にポテトはいかがですか?」と、0円スマイルを振りまきたいのだ。しかし、事務所ではそんな遊びも出来ない。私に追い抜かれて卑屈になった早番馬鹿と仕方なく雑談したり、経理の業突く張りババァの金子と雑談するしかない。「金子」と言う姓からわかる通り、もろに「あっち系」のババァであったが、実は私はこのババァが好きであった。「業突く張り」と悪態ばかり書いているが、一番世話になったのがこの金子ババァである。もちろん、金の話であるが、金の話で頼りになる人間はいい人だ。平社員時代は「前借は3万円まで」と言う制限があったが、出世とともに上限額は上がり、ホールマネージャーになったら上限は「翌月の給料の50%まで」となった。その月の出勤分ではない。「見込み支給額」の50%なので、かなりの前借が可能であった。そんな無茶な借り方はしないが。


ある月のこと。私は自家用車の車検を控え、翌月はかなりの緊縮財政を覚悟していた。軽く30万円はかかるだろう。そこへ弟の結婚である。借りていた賃貸を放り出して弟に迷惑をかけたが、その点は和解して、普通に「兄弟の交流」はあった。結婚するとは聞いていたが、時期までは知らなかった。同じ市内に住んでいるので、招待状は郵送ではなく、居酒屋で受け取ったのだが、「兄貴よぉ、祝儀は20万円だからな。いいじゃねーか、兄貴が結婚するときには倍額包むからさ」だそうである。私は今から結婚しようと思う。


流石に金がない。前借で片を付けるのも無理だ。車検がある。どうしようかと金子ババァに相談したら、「そんな前借をするとマネージャーの信用が落ちるよっ!私が個人的に貸してあげるから」私は金子ババァに「漢気」を見た・・・


さて、自己啓発セミナーに放り込まれた馬鹿店の話だが。明日は我が身なので注意深く見守っていた。多少はマシなセミナーかも知れない。しかし、やはり「アレ」なセミナーであった。徹底した自己批判と、周囲からの罵詈雑言で自我を崩壊させ、空いたスペースに「会社への忠誠心を植え付けるタイプ」であった。毎朝、早朝に叩き起こされ、喉が枯れて血を吐いても「お決まりのお題目」を延々と叫ばされ、掃除と言えば、もう姑が「これで掃除をしたのかい?」と、窓のサッシを指でなぞるレベルの嫌がらせを受け、食事は一汁一菜の粗末なもの。当然おかわりは禁止だ。娯楽も一切ない。そんな中でたまに「ご褒美」を貰える。おかずが1品増えるとか、皆よりも1時間長く寝てていいとか。「お前が最も信頼する部下に電話して感謝の言葉を言えば、ご褒美が出るぞ」と言う手口は必ず使うようだ。まあこの場合はあの「藤沢班長」を指名するだろうと思うのだが、その電話を取った金子ババァが私に子機を渡す「店長からだよ」


結局は私なのだ。酒の席で上手するだけの馬鹿は信頼していないのだ。その電話の馬鹿店は、あの「傍若無人だった面影」が一切なく、弱弱しい声で「お前がいるから俺は・・・安心している。もうすぐ帰るから・・・な・・・?」程度で終わった。私は「研修、大変でしょうが頑張ってください」(死ねのソフトな言い方)と答えたのみであった。ご褒美に、夕食にから揚げが出ればいいね、店長。


 ここであの「大澤」の話をしておこう。コレがあの男について最後に語ることだ。私はこのパチンコ法人に入るかなり前。金に困ったことがあった。大澤は母の骨がある墓の近くのカラオケ店で平社員をやっていたのだが、相変わらず処世術には長けていたようで、すぐに副店長に抜擢されていた。そう言えば、私は母の墓参りに2回しか行っていない。大澤に連れられて兄弟揃って行った時と、弟が墓参りに行くと言うので便乗して行った1回。死後30年が経つが、墓参りは2回だけ。この先も行く気はない。カラオケ店での活躍ぶりを聞くと、アルバイトの若者を飲みに連れ歩いて羽振りが良いようだ。その金を、てめえが殺した女の息子に送金する気はないようだ。そんなもん要らないが。それでも金に困れば一応は「頼りに出来る候補」には入る。かなり距離のある市に住んでいたが、車を飛ばして金を借りに行った。アポなんざ不要だろう。店の近くの喫茶店から電話をした。何故か怒りながら登場した大澤は、「貸す金は無い」とにべもない。それでも少しは回せと言っても、首を縦に振らない。去り際に「ここまで来てご苦労だな。これでいいか?」と、ポケットの中の小銭を寄越した。アルバイトの若者には羽振りが良いと聞いたが、それもどうだか分からないな。その大澤は休みに気が向くと弟の家に泊まっていた。私はパチンコ店の寮のワンルームマンション住まいなので、泊まりに来られても困るだけであるので、その点は勝手にしていればいい。しかし、あの日、私に小銭を投げるように寄越した男がだ、「金がないから貸してくれ」と言ってくるのは、控えめに言って「頭がおかしい」だろう。しかも、私の勤務する店まで、営業時間内に来るのだ。こんな馬鹿は小説とかドラマの中の「屑親父」として出てくるだけだと思っていた。しかも、血も繋がっていない、他人になった「元同居人」である。私は財布から紙幣を抜き取って渡した。4万円だったと思う。


大澤は弟から金を借りていて、泊まりに行くときに返すと約束をしていて。


結局は金を工面出来ずに私に借りに来たのだ。それはまあ、いいだろう。私もそこそこに稼げるようになっていたから。しかしだ、のちに私が金欠になった時。偶然弟の家にいた大澤に返済を求めると、「なんでお前は出世してるのに、そんなに金が無いんだっ!」と逆切れされ、金を返しては貰えなかった。挙句、弟の結婚式が終わった3か月後、「息子の結婚式に出席で来た」と言う満足感を味わって、慰安旅行先の露天風呂から飛び降りて死んだ。


 最後まで私を馬鹿にし続け、サンドバッグにした男の最後である。当然だが、この「大澤の死」の報せはその日に来た。夜の11時を回った頃で、私は店のメンテをしていたが、電話を受けて、店長に「親父が死んだ。慶弔休暇は何日もらえますか?」と尋ねた。店長の方が慌てふためいていた。「親なら1週間だ」と言う。そんなに長く遊べるのかと、内心ほくそ笑んだ。その晩はそのまま仕事を上がり、近所の居酒屋でビールを飲みながら弟を待った。1台の車で行けばいいのだから、弟が車を出してくれる。私と弟と、弟の嫁を乗せた車は大澤の実家に向かったが、死体をまだ返してもらえないらしい。死因は、公式には「露天風呂で心不全」と言うものであったが、司法解剖に回され、死体と対面した弟が言うには「全身傷だらけであった」そうで、もう明らかに飛び降り自殺である。翌日、やっと死体が産地直送されてきた。割と大きな寺で通夜を行うと言うので、私はこちら側の親族一同を乗せて寺まで送った。車のサンバイザーには「香典」を入れた袋を挟んでおいたが、親族たちが降りた後、煙草を1本吸って、そのまま車を出した。寺の軒先で弟が私を見ていた・・・


 それはもう酷い言いざまであったらしい。「あれだけ世話になって、通夜でうたた寝とかするもんじゃないでしょっ!」とか、「兄の方は顔すら出さないのかっ!」と、大澤の兄弟たちは怒りに満ちた怒声を浴びせたらしいが、その大澤に実母を殺された件を不問に付しただけで感謝されるべきだろう。金まで貸したし。


 1週間の慶弔休暇である。流石にこの間は「ケータイでの呼び出しもない」わけで、存分に他県の風俗街で遊んだり、パチンコやマージャンで遊んだ。ただ、由美と遊ぶと「足が付く」ので、慶弔休暇期間中は会えなかった。見舞金もかなり出たが、そんなもんはさっさとドブに捨てるようにパチンコを打って使い切った。


 研修、つまり「自己啓発セミナー」から帰ってきた馬鹿店は「小さく」見えた。もう、背中を丸めて何かにおびえているハムスターみたいな感じであった。翌日にはまた傍若無人に戻ってはいたが、多分、中国製の嫁のおっぱいでも吸って元気になったのだろう。私に対する様々な無茶ぶりや要求は影を潜めていた。確実に心を改造されている・・・

 そして、店長が帰ってきたと言うことは、次は私の番である。駅で3つほど離れたチェーン店の主任と一緒に行くことになった。早朝6時の駅前での待ち合わせ。そこから監獄車に乗って連れ去られると言う寸法だ。帰ってくる頃には立派な某ライダーマン・社畜Verに改造済みだ。この話と並行して、私はとある飲食店経営の会社から「引き抜き」の打診を受けていた。私は料理が出来るわけではないが、その会社がそれまでとは違う事業、「フレンチレストラン」の開業に乗り出すと言う話で、それまでは学食の経営が主体だったことからすれば「社運を賭けた大勝負」である。由美がアルバイトする居酒屋の常連に、その会社のお偉いさんがいて、人材を探しているという風な話で、かなりの有名店からシェフを2人引き抜き、雑用として「調理師学校の新卒」を1人雇い入れ、残るは「店長」のポストのみ。この「店長候補」としてうちに来ないかと言う。仕事は主にアルバイトの労務管理と、あとはホールをにこやかに回って、優雅にお客様と談笑しながら、高いワインを売りつけると言うものだ。高いと言っても、ざっくりメニューを説明すれば、軽いディナーで3500円、結構しっかり食えるディナーで5千円ほど。アラカルトで注文すれば7~8千円と言う、割と庶民的な店であった。フレンチのコース料理を3500円で堪能できるのだから、お安いと言える。ちなみにワインは別であるが、これも「良質なカリフォルニアワイン」を揃えるそうなので、フルボトルでも2千円から3千円。上を言えばきりがない世界だ。そんな話もあり、また「自己啓発セミナー」には否定的な私の取る道は一つであった。約束の日にバックレたのである。原則、セミナーには「自主的に参加する」わけで、行きたくなければ行かなければいい。だからそうした。

 そして、平然と出勤したら、かなり長い時間の叱責を受けた。自由参加じゃないんですか?話を聞けば、私の分の参加費は払い込み済みで、返金は無いそうだ。そのぐらい、パチンコ店なら痛くもかゆくもないはずだが、「社畜養成に失敗した」ことが痛かったのだろう。あくまでも「自由参加」と言う建前がある以上、この件で私に懲罰を与えることは出来ないはずだ。現に私はその後2か月間は普通に勤務していた。フレンチレストランの話は保留のままである。どちらにせよ、レストランのオープンまで5か月はある。そして状況が激変した。驚いたことに、チェーン店の役職者、つまり「班長から上」は全員、その自己啓発セミナーに行ったと言うのだ。社内の空気は激変した。私の勤務店ではまだ被害者は馬鹿店だけだが、いずれはあの「藤沢班長」も送致されるであろう。早番馬鹿は身体が弱いので見逃されるとして。


 私は左遷された。他店に出向を命じられ、「ホール係」として働けと言う。戻りたければ自己啓発セミナーに行けと言う圧力である。私は給与を減らされるわけでは無いので、「こりゃ楽でいいわい」と、台鍵を持って遊んでいた。ホール業務専任であれば、遊びのようなものである。当然だが、その出向先で頭角を現す必要も無いので、就業時間を終えたら、マッハで帰宅していた。自己啓発セミナーを経験してきた班長と主任が遅くまで、パチンコ台の構造の研究会をしていたがシカトした。この班長や主任は、ことあるごとに「うちの社員が可哀そうだ」と私に言う。私がかなりの余裕ぶっこきでホールをうろつくものだから、邪魔らしい。だったら元の勤務店に戻せばいいのに、私に自己啓発セミナーへ行く決意が生じるまでは、この店で遊ぶしかない。

私はあのレストランのお偉いさんに「転職希望」を告げた。住む所は用意する。オープンまで3か月あるが、その間は契約を結べないので、アルバイト扱い。「店長候補」は2人いるので、オープン時の役職は「アシスタントマネージャー」とするとかで、つまりはもう一人、店長候補がいて、どちらかが「副店長になる」と言うことだ。それでも今の状況よりはマシなので、私はすでにパチンコ店に未練が無くなっていた。


心配だったのは森ちゃんのことだ。完全に「社畜」と化した馬鹿店にとって、森ちゃんは「お荷物」でしかないのだ。馬鹿店はことあるごとに「森田はクビにする」と言う。私は森ちゃんがよその会社で働けるとは思っていなかったし、その通りであったので、最後まで守った。仕事は並以下ではあるが、大当たりした客がいればドル箱を持っていくし、掃除くらいはするのだ。ここを解雇されたら、森ちゃんは生きる術を失ってしまう。私は森ちゃんと「愛の交換日記」をすると言う提案をした。毎日、引継ぎの日報とは別に「ホールマネージャーと森ちゃんの交換日記」とっ称して、一対一の「交換日誌」を書いた。私は森ちゃんの書いた文章を読み、改善点を丁寧に教え続けた。森ちゃんは漢字もろくに書けなかったが、真面目に交換日記を書いてくれた。その森ちゃんを置いて、私は出向させられている。そして1か月が経ち、私は元の勤務店に呼び戻された。事務所に行く前にホールを軽く巡回したが、荒れた雰囲気であった。そして事務所に行く。私はその場で解雇を告げられた。予想はしていた。出向先で「やる気のなさ」を前面に押し出していた上に、自己啓発セミナーに行く気も見せていない。会社都合の退職で、しかもパチンコ店では「解雇予定の者」をホールに出すことは無い。最後の腹いせに何をするか分からないからだ。簡単に言えば「トラブルの種」を蒔いて逃げる馬鹿もいる。円満退職なら問題ないが、いきなりの解雇では、そんな心配はある。今日の時点で解雇。寮には月末まで住んでいい。給与は当月分と翌月分を満額。それに加えて会社既定の退職金も出すと言う条件だった。軽く100万円超えの金額である。それでもこの店への貢献度から考えれば安いのだが・・・

 森ちゃんも私とともに解雇されてしまった。それきり会っていないが、噂では「悪い仲間」に引き込まれて、金をかなり奪われた上に、犯罪に加担させられて逮捕されたらしい。実刑判決だったと聞いた。私が辞めて、実質的な意味で「ホールの絶対権力者」になった藤沢班長は、主任となり、私がまだ寮に居座って遊んでいるうちに2回、店の全機能停止をやらかした。私にも応援依頼があったが、もう解雇された店なので無視した。せいぜい「地獄」を見ればいい。私は藤沢に何の指導も教えも引継ぎもしていない。


私はそこから這い上がったのだ。無理だったようだが。主任ですら知らないことがある店だ。

私の場合、金は解雇通告日の翌日に受け取っていたし、もう無関係でいいのだ。


私を引き抜いた会社が寮を用意してくれるとのことなので、遊びまくっていた。当座で必要な生活費を残して散在していたのだが、ここで私を引き抜いた男、「村下正美」の嘘が発覚した。そう言えばこの男は、男のくせに「正美」と言う名だが、自己紹介のたびに「正しく美しい正美です」とほざく。ただの有害無能の男なのだが。


先ず、「寮を用意する」と言うのが噓であった。社長はそんな話は知らぬと言う。そして、引き抜かれた形の私のこともあまり知らないとまで言うのだ。コレは途中で村下がとりなして、この男がアシスタントマネージャーの候補ですと言うことで決着した。レストランのオープンまで3か月。雇用しないと言うのは知っていたが、アルバイト料も出ないと言う。コレは村下が身銭を切って払うことで決着した。早い話が、村下と言う男も「大澤と同類」であったのだ。言うことはデカいが、実際は矮小で卑屈。弱い者にはとことん強い男であった。ソレまでは某大学の学食の経営をしていたその会社が、いきなりフレンチを開業した理由も村下であった。この男は若い頃に、その開業予定の市で、年上の「お姉さま」に可愛がられた「水商売の男」で、調理師の資格を持っていたので便利に使われていたらしい。最後に「食中毒事件」で、シェフの人生をつぶし、逃げ出して今の会社に拾われたようであった。シェフの人生をつぶしたと書いたが、故意にやったのだろうと思う。デザート用に「生卵を割った状態」で冷蔵庫に入れたらしいのだ。この生卵で食中毒を起こしたシェフは店を追われ、その後は・・・まぁご想像にお任せする。

 この程度の「小者」なのである。言葉は勇ましく、ビッグだが、拾われた会社で責任あるポストに就いたら、「過去に自分を放逐した市に復讐したい」と言うのが、フレンチレストラン開業計画なのであった。実際に開業のために私は村下と仕事を始めた。本当にひどい話ばかりであった。村下の語った話とは大違いである。村下はとあるファミレスの嘱託顧問で、レシピ開発のアルバイトをしていた。その関係で、調理器具をそのファミレスから調達するのだ。新規オープンのフレンチレストランの調理器具が、ファミレスの「不用品倉庫」からサルベージしたものである。アルミ鍋は焦げ付き、寸胴は汚れ放題。オーブンは動くが見た目からして古いポンコツだ。挙句、店で使う客用の椅子もテーブルもファミレスが使っているものと同じ。せめてもと、テーブルクロスは上質なものを用意したが、多くの客が「あ、ファミレスと同じだ」と気づいたであろう。私は村下の命令で、県下のファミレスを回って、倉庫から使えそうな調理器具や什器を集める毎日を過ごした。ファミレスの店長の「憐みの視線」を受けたりしながら・・・


シェフたちとの顔合わせは、まだ勤務している店であった。のちにスープ担当のシェフになった男との出会いは鮮烈であった。彼の店に食事に行ったのだが、予約をしていなかった。村下は「顔パス」で大丈夫だと思っていたのだろうが、店の受付で「予約で埋まっておりますが、1時間ほどでしたらご案内出来ますが?」と、完全に一見客を馬鹿にするお出迎え。店には客一人いないのにである。案内された席は、店内にある螺旋階段の真下であった。スーシェフは5分もない時間での対面となった。調理場を任されるシェフとは、村下の会社の社食のキッチンで出会った。私はその時、貰ってきたアルミ鍋の汚れや焦げを必死に落とそうと、洗い場にいた。この洗い場での「下働き」を見たシェフが「まじめな男だ」と思ってくれたおかげで、多少は居心地のいい店になった。しかし、アルミ鍋に食い込んだ汚れを落とすのは並々ならぬ根性がいる。1つの鍋に30分かかる。それでも私は「良い店にしたい」と言う思いでクレンザーで磨き続けた。別に綺麗ごとを言うわけじゃない、気持ちよく働きたいだけだ。村下は煙草を吸いながら、そんな私を眺めるだけであった。何せ、村下は「フレンチレストランのプロデューサー様」なのである。鍋窯一つ持つ気は無いようだ。前途多難である。


 私は「寮を用意する」と言う言葉を信じていたので、かなり散財していた。遊びに使えば、100万円なんざ2か月で溶ける。途中で村下は信用ならんと気づいたので、それまでのビジホ暮らしを辞めて、遊びも辞めた。それでも寮を用意してくれない。最後の1週間は「車中泊」であった。大きなRV車だったので、荷室をフルフラットにすれば寝泊りは出来た。毎日、朝からその車であちこち走り回り、村下の送り迎えをしていた。店の方は徐々に完成に向かっていたが、最後の最後で「消防法の検査」で引っかかった。この改装のため、オープンが2週間遅れ、その時分にはスタッフ全員が前職を辞めていたので、プチパニックになった。私も被弾した。寮が無い状態、2週間延長である。流石に店がオープンする頃には寮も用意されるだろうと踏んでいたのだが。

 由美との付き合いは続いていたが、村下が邪魔をする。本当に「意地悪」をするのだ。今日こそは由美と会おうと考えて、早めに解放してほしいと言えば、わざと県外のファミレスに届け物をさせたりする。村下は私と由美の関係を薄々知っていたようで、しかも妻帯者のくせに由美に手を出したくてうずうずしていたようだ。この件がのちに重大な事件を起こすのだが、その話はそのうち・・・2話ほどあとになる。

 消防の検査を終えて、やっとオープンを迎えるころ。私にも寮が与えられた。何故か村下の住む家の近所であったが。つまりは、私が勤務していたパチンコ店とも近所である。出来ればこの町は離れたかったのだが・・・

 そして「寮とは名ばかり」であった。敷金礼金の心配はなかったが、家賃は自分の給料で払えと言われた。駐車場代と込みで7万円である。なぜ駅前に近い地域に物件を借りたのだろう?この家賃には苦しめられた。店での待遇は手取りで25万円である。シェフの次に高給なのだが、勤務時間は朝からである。店がその日の仕込みを開始する2時間前に、特別な野菜(フレンチで使うような洋野菜)を扱う八百屋に行って仕入れをしてから出勤。ランチタイムをこなし、休憩時間中に勉強して、すぐにディナータイムである。私は未経験なので、村下の命で「ファミレスで2週間の研修」を受けたが、それで足りるわけがない。接客自体は得意だったが、ただそれだけだ。そして、村下は「接客さえ出来ればいい」と言っていた。

 知識が決定的に不足していた。ファミレスではないのだ。そこそこに大衆的とはいえ「本格フレンチの店」なのだ。ワインの勉強から、フランス料理の知識から、全てをはじめから学ぶ必要があった。もう一人のアシスタントマネージャーは女性で、「ソムリエ」志向とと言うこともあって、ワインに関しては色々と教えてくれたが、料理はそうもいかない。店でのメニューは大体憶えたが、この店では「コース料理はお任せ」となるので、どんな料理を出すかはシェフの気まぐれで決まる。コストの管理は私の仕事であったので、その予算内で出せる「最上のクォリティ」を目指そうとするシェフと、金に細かい村下との板挟みである。シェフは、「オープンから数か月はコスト度外視」と言う考えもあったので、材料費がかさむ。もう一人のアシスタントマネージャーはワイン担当でもあるので、これまた高いワインを欲しがる。ワインセラーもない店なのに。まだ寒い時期であったから問題は無かったが(乾燥もしてるし)、4月に入るころにはワインセラーだって購入しなければならない。


私は「承認欲求の高い水商売の人間」が大嫌いだ。あいつらは「人を人と思っていない」節がナナフシ(昆虫になってますよ


村下にとって、この店の成功は「過去への復讐」でしかない。当然だが、昔可愛がってくれた「お姉さま」つまりは、すでに「おばさま」になってる方々を店に招く。1回は来てくれるが、2回目は無いのだ。昔の威光は通用しない。そんな「おばさま」とテーブルをともにすることもある村下だが、私を呼びつけて「コイツは使えなかったんだよ。今じゃ見た目だけはかっこいいけどな」と放言、さらには「ワインもってこい、シャトーブリアンだ」と命ずる。私は不勉強である自覚はあるので、ワイン倉庫(セラーではない)で必死になってそのワインを探す。仕入れ値とか本数は知っていても、銘柄は知らないのだ。どんなに探しても見つからない。ワイン探しに5分もかけたら、村下に何を言われるか分からない。そこへもう一人のアシスタントマネージャーが顔を出した。「すいません、シャトーブリアンはどこでしょう?」と尋ねると、「そんな高いワイン、買えるわけないじゃない。誰がそんなこと言ったの?」と言われた。村下だと答えると、「もうカリフォルニアワインを飲んでるよ」と。


女の前では泣けなかった。


村下は人の心を殺す天才であった。最も効率的に部下をつぶす方法を心得ていたのだ。「叱責は大勢の前で。褒める時は1対1で」を貫いたのだから恐れ入る。客の前では恥をかかせ、送り迎えの車内では「お前は凄いよ」と褒めるのだ。当然だが、私の社内での評価は落ちる一方であったが、村下にとっては好都合だっただろう。あの男は自分専用のサンドバッグが欲しかっただけだ。私にとっては曲がりなりにも「店を解雇されたところを拾ってくれた恩人」であったので、表立って逆らうこともなかったが、ストレス発散の道具にされることには耐えられなかった。そしてあの男は何故か「自己評価が高い」ようで、この点でも私を困らせたのだ。ある日のことである。厨房がちょっとした「やらかし」をして、仕事終わりの時間が終電以後になったことがある。普段であれば、終電2本前には間に合うのだが、この日は仕方がなかった。全員を家まで送るわけにもいかず、ならば親睦を深めようと、ちょっと離れた場所にあった「サウナ」でちょっと飲んで仮眠しようと言うことになった。もう一人のアシスタントマネージャーは女性であるが、ほかは野郎ばかりなので、それこそ裸の付き合いとなる。村下が上半身裸になった時に、ニヤつきながら「なんだ、入れ墨でもあると思ってたか?」とのたまった。自称やんちゃさんなのだろうか?何なら本物のヤクザと会わせてやろうかとも思ったが、馬鹿らしいのでやめておいた。第一、こんな風体のヤクザなんざ怖くない。いや、その場でドンパチやるなら怖くないってだけで、「ヤクザは後が怖い」のでノータッチである。翌朝は私だけ先にサウナを出た。仕入れをしてこないと、今日使う野菜もないのだ。別に貧乏だからではなく「新鮮な材料を使う」と言うシェフのポリシーで、野菜は毎日仕入れていた。当然、日持ちのする野菜もあるが、そんな野菜のローテーションみたいな感じで、今日は〇〇、明日は○○と言う風に、仕入れ自体は毎日あったのだ。私は店が開く2時間前には仕入れをして店に入っていた。店では一応は偉いので、プレッシャーも無い気楽な身分であった。村下はオープンのプロデューサー様であって、店での役職は無かったのだが、スポンサーの代理人でもあるので偉そうにしていた。だからこそ、人前で私に恥をかかせて遊べたのだ。村下の抱えるストレスは凄まじいもので、それまでは学食の経営をしていた会社に、小さな駅とはいえ、徒歩5分の立地に「フレンチレストラン」を開業させたのだ。この店をコカしたら降格人事で済むだろうかと言うレベルである。実際、それまでは小物店などが入っていたビルのワンフロアをレストランに改築したのだ。上下水道も無い状態からである。他県は知らないが、「営業用」ともなれば行政の手続きも変わるし、工事費だって桁が違ってくる。総工費5千万円とも聞いた。小物店の集まりが1つのレストランになったのだ。5千万円でも安いだろう。しかし、学食で400円のとんかつ定食を売ってる会社には厳しい資金繰りで、社長の自宅が抵当に入った。それでも足りず、学食の名義で借金をした。大体の金の流れは知っているので言えることだが、この店は失敗する運命にあった。


 村下がこの街にレストランを開業したがった理由は、この街への復讐だと書いた。要は「顧客には愛されていたが、煙たがられて放逐された」ことへの復讐なので、その頃の村下を可愛がった「お姉さまたち」(現「おばさま」たち)を呼べばすぐに常連になって、売り上げも上がると言う皮算用があった。皆、1度は来てくれる。しかし、2度目は無いのだ。落ちぶれた「おばさま」もいれば、さらに上品になって、もっといい店に通うセレブだっている。日常的にディナーで5千円を使える「おばさま」は数少なく、そんな客を呼べるほどの魅力を持たなかったのが村下正美と言う男である。通常は、「昔の客をアテにする」ことすら考えないものだが、水商売の店では当たり前なのだろうか?開業時に借金5千万円である。客単価5千円の店で、客席を何回転させればいいのだろう?私は馬鹿らしくなって計算しなかったが、1日の売り上げが多くて10万円ぐらいであったので、大赤字だろう。粗利でも金利を払うのが精いっぱいではなかったのではないだろうか?多くて10万円である。雨の日は4~5万円なんて日もあった。オープンはギリギリでクリスマスシーズンに間に合ったが、クリスマスが過ぎれば閑古鳥である。ディナータイムはノーゲストと言う日が続いた。そのストレスの矛先が私に向かうのだから勘弁してほしいものである。当初の「俺の客が来る」と言う目論見が外れただけだろうに、部下に当たるとは無能にもほどがある。

 私をいじめるのが大好きらしく、ある日の事件はかなり堪えた。レジのお金が500円足りないのだ。ランチタイム終了時には合っていたので、ディナータイムで欠損が生じたようだが、その日のディナータイムはノーゲストであった。そして、レジを開けたのは私と村下だけである。検算時に私ともう一人のアシスタントマネージャーでレジを開けるが、その前にレジを触ったのは私と村下だけ。そして私は盗んでいない。当たり前である。「金に厳しいパチンコ店」でも、疑惑の目を向けられたことなどないのだ。店が終わり、全員が帰った後も私はレジの検算をさせられていた。何度も、何度も・・・

もう数字すら暗記してしてしまうほどに繰り返し計算していたところ、村下が吐いた言葉が赦せない。


「おまえもしぶといね」


村下は私が盗んだと決めつけて、白状させようとしてこんな虚しい作業をさせているのだ。しかし、盗んでいないものを「盗みました」と言えるわけもないし、信用問題となる。最終的には「ほらよ、コレでいいだろう」と、500円玉を投げて寄こした。そして翌日のことである。村下がレジから500円玉を出して、アルバイトに煙草を買いに行かせたと、もう一人のアシスタントマネージャーの証言があった。確実にいじめである。夜中の2時まで検算していたと言ったら、「安元さんも大変ねぇ」と同情された。

 私にはプライベートも無かった。休日でも村下が呼び出すからだ。理由は様々であるが、結局は飲んで歩いて、電車で帰るのが怠いから迎えに来いと言うこと。私は村下の「足」としての存在意義しかないのだと悟った。アシスタントマネージャーの試用期間は3か月間。私は3か月後に辞める決心がついた。まだ牛丼屋で時給800円で働いた方がましである。それどころか、運送業界に対して不義理はしていないので、またトラックに乗ると言う手もある。最後に勤めた会社はバックレであったが、大手に雇ってもらうと言う手もある。パチンコ店はちょっと無理であろう。県下のパチンコ店には「不採用情報」とか「解雇情報」が逐一流されるのだから。


しかし、「足には足のプライド」だってある。ある雨の日のことである。帰宅する車中で村下が「遅ぇよ!もっと飛ばせよ」と仰いました。私は基本的に安全運転を心がけていたし、隣に(一応は)上司を乗せているので、制限速度プラスアルファで走るのが常であったが、この日の村下閣下は虫の居所が悪かったようだ。そして、私の虫の居所も悪かった。


「シートベルト、締めてくださいよ」


私の車はRV車である。趣味でチューンしてある。派手なものではない、コンピューターチューニングと言って、エンジン制御をちょっといじってある程度であるが、慣れた人間が走らせればかなり速い。道は片側2車線で広い。夜中に近いので交通量は少ない。「同乗者がいる場合」の設定で、サスペンションは「ノーマル」にしてあった。室内のスイッチで4WDに切り替え出来る車で、オーバードライブを切るとチューニングが変わる設定にしてある。当然だがオーバードライブを切った。サスペンションも「ノーマル」から「ハード」に変更。4WDの状態で、左直角の交差点侵入、ノーブレーキで突っ込ませた。当然だが前後のタイヤは滑っている。ドリフト状態で、信号待ちの対向車の鼻先1mを駆け抜ける。横では村下が「ふざけんな!危ねーじゃねーか」と喚いているが無視した。飛ばせと言ったのはあなたですよ。そのまま道を進んで、ちょっと人には言えない速度になった。車速を落として今度は後輪駆動に切り替える。次は右への直角だ。対向車がいないのを確認して、反対車線を走る。コーナー手前で軽く左にフェイントをかけて、こんどはパワースライドである。この時点で村下は足を突っ張っていたが、信号で停止した瞬間、「お前、ふざけんなよ?」とまだ御託を抜かす。ちょうどいい路地が左手に見えたのでいきなり車をバックさせた。「馬鹿、後ろっ!後ろ!後ろを見ろっ!」と言うが、あなたは後ろの百太郎ですか?トラック乗りはバックミラーだけでバック出来るんですよ、ソレが偉い人には分からんとです。十分な助走距離を稼いだので、青信号に変わった瞬間に急発進、駆動は4WDで、右に大きく膨らみながら、軽自動車同士でもすれ違い不可の狭い路地に「ぶつかったら死ぬ」速度で突っ込んでやった。「うわぁぁあっ!」とは、自称やんちゃさんの言葉とは思えないですね。村下は二度と私の運転に文句を言わなくなった。


 村下の酒癖はとことん悪かった。泥酔して助手席で寝てしまうともう起きない。数時間かけて起こすのが常であったが、さすがに私もキレて、車ごと村下の家の前に捨てて帰ったことがある。まだ私も人の子であった時分。エンジンとエアコンは切らないで捨てた。翌朝、車を取りに行くと、きちんとエンジンは切ってあった。生きているらしい。村下の家と私のワンルームマンションは近所なのだ。きっと最初から私を足として使う気だったのだろう。エンジンをかけて暖気させていたら、村下が慌てて飛び出してきた。また送れとかうるさそうなので、車を急発進させた。前夜に眠り込んで起きなかったと言う負い目があるのだろう、その日の午後に店で会った時に何も言われなかった。村下の酒癖の悪さと「部下の潰し方」が合わさるとどうなるだろうか?私は近所の居酒屋のアルバイト、由美と(一応は)付き合っていたが、月に1回抱けるかどうかと言う関係であった。同じような境遇の男が他にいても驚きもしないが。由美にとって私は「パチンコ店の偉い人で金を持ってる」と言う評価から、「フレンチレストランの店長候補」にまで格下げされたが、それでも居酒屋のアルバイトの女の子にとっては「そこそこの相手」であろう。由美と付き合ってることは秘密にしてあった。由美を目当てに通ってくる常連も多かったからだ。村下もその一人であったことが誤算であったが。村下は由美の前でも私をこき下ろす。「コイツは放っておくと店に金をちょろまかすからなぁ」とは、言いがかりであり、もっとも言われたくない事柄である。盗んでいないと反論すれば「はいはい。たかが500円ぽっち、盗まないよな」(ニヤニヤ)である。由美の中で私の信用が音を立てて崩れていく。そこへ止めの一撃が入った。私は店の近所の宝石店で「ピアス」を買った。かなり値が張ったが、大好きな由美に贈るのだから構わない。この化粧袋に入ったピアスを、店のロッカールームで村下に見られてしまった。「なんだコレ?」と言うので、「ピアスですよ。贈り物です」と説明した。近所では有名な宝石店の袋だったので、「中身はハムスターの回転車です」と言い逃れは出来ない。そして、その日、村下は早い時間に電車で帰っていった。珍しいこともあるもんだと、頭から「?マーク」を出しながらも、ピアスを渡すと言う口実で由美を誘いだそうと、いつもの居酒屋に行くと、由美がいない。店が暇だったので早退したと言うが、かなりの盛況で、大将の情婦が手伝っていた。なぜ、由美がいなかったのかは翌日分かった。村下がこう言ったのだ。


「安元が高い指輪を買っていたんだが、何か知ってるか?最近店でも元気が無いんで、悪い女にでもひっかかってるのかな?」


全方位に敵を配置されたようなものだ。由美まで疑心暗鬼になる名セリフである。私は由美にピアスを渡す時に事情を説明したが、疑惑は晴れることはないだろう。私は完全に周囲から隔絶されたのだ。まるであの自己啓発セミナーのように。(もう仕事しかない)と思わせるには十分な殺され方であった。

 そう、私は恋人に愛想をつかされて失意の底で、リストカットをしてしまった。私は心理学者でも精神科医でも無いので、他愛ない話と思って読んで欲しいのだが。


身近な人がリストカットをした場合。ソレは最初は髪の毛一筋ほどの浅い傷かもしれない。だが、それに気づいたら全力で抱きとめてやって欲しいのだ。リストカットの始まりは「かまちょ」かもしれない。ソレは事情にもよるだろう。だが、繰り返すうちにその傷は取り返しのつかない領域にまで達してしまうのだ。リストカットの男女比では、圧倒的に女性が多い。きっかけは「過大なストレス」であることが多いだろう。男の場合はこのストレスが「破壊衝動」に向かうことが多い。ストレスが溜まると暴れてすっきり。またストレスが溜まると暴れてすっきり。コレが習慣となり「暴れるとすっきりする」ようになると、粗暴犯予備軍だろう。ところが女性の場合、ストレスが内側に向かってしまうのだ。つまり「自傷行為」となる。最初はちょっとでも痛いと満足する。本当にこの時点で抱きとめる人がいれば・・・と思う。この自傷行為が習慣化するのが怖いのだ。「リスカするとすっきりする」とか「痛みや、血を見ることで生を感じる」と言いだすと、もう危険水域だ。リストカットで自殺に成功する事例だってある。男性は破壊衝動に、女性は自傷行為に走りがちだと言うのは、あながち間違ってはいないと思うのだ。


(でも、おじちゃん・・・そこはあなが・・・ち、ちがうよぉ・・・)


私のリストカットは「かまちょ」であったので、絆創膏を貼って出勤していた。だがある日、ちょっと深く切り過ぎて包帯を巻いて出勤した。ソレをアルバイトの子に見つかってしまった。すぐにアシスタントマネージャーの女性を通して村下に連絡が行く。私はその場で帰宅を命じられた。

 そして翌日の朝。村下が同僚を連れて私のワンルームに突撃してきた。ドアチェーンをしていたのだが、顔を覗かせた瞬間にドアを激しく開閉させてガンガンっ!と大きな音を立てる。まるで悪徳金融の取り立てである。渋々ドアチェーンを外すと、部屋になだれ込んできて、私の右手を捻り上げた。私は左利きなので、切るのは右手首であった。「馬鹿な事しやがってっ!」これだけは言える。村下は決して私を心配して来たのではない。「部下を自殺未遂に追い込んだ」と言う、不名誉な評価を恐れていただけである。ソレが証拠に、そのあと私の部屋を見渡すと、「なんだ、家具もないのか」とほざいた。ベッドだけは買ったのだが、帰ってきて寝るだけの場所なので、家具は不要だった。同僚の男を指して「おい、〇〇さんがな、不要になった家具をくれるそうだ。ありがとうと言え。言えよな」コレが魂の殺人だろうか?私はその時点で謝意を告げる相手などいないのに。私はその場に崩れ落ちながら「ありがとう」と言わされた。


 翌日の朝、私は出勤するつもりで車を出したのだが、自然と車はパチンコ店に向かっていた。もう二度と出勤しない。私はそう誓ったのだ。


 しかし、リストカットが習慣化してしまっていた。いわゆる「うつ病」にも罹ってしまったようだ。私が「自称鬱」に厳しいのは、リアルで経験があるからである。本当に(原疾患は何であれ)「抑うつ」になると、Twitterやブログなんざ書けるわけも無いのだ。「新型うつ」とか笑わせる。あいつらに100万円を渡して、「1か月の休暇を取っていいぞ」と言えば、遊んで歩くだろう。本当に抑うつならば金にすら興味を持たない。私は食べることにも興味を失いつつあった。多少は正気が残っていたので、駅前の「メンタルクリニック」を受診した。すぐに薬を出された。向精神薬は凄い。爪の間に入りそうな小さな錠剤1錠で心が軽くなるのだ。睡眠導入剤も出されたが、これもまたよく効くのである。問題は、その薬を「飲ませてくれる人すらいない」ことだろう。そう、結局は「食べることにも興味を失いつつある」のだから、薬だって飲まなくなってしまうのだ。

 私は食べた弁当箱の空き容器に、リスカで流れた血液を溜めて遊んだりしていた。完全に壊れていたのだろうと思う。血液は真っ赤な層と、透明な層に分かれていた。上澄みを「血清」と呼ぶのかなと、ぼんやり考えたりしていた。


そしてある日、全てがどうでも良くなった。


右手首をこれでもかと切り裂いて、ベッドに横たわった。死はもう足元まで来ていると言う実感だけがあった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る